Neetel Inside 文芸新都
表紙

滴草春子の正しい死に方
ワイングラス風情

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『子供達に……一言ずつ残しておきたいんです』
 繰り広げられる感動的な光景。四人の子供達一人一人に向けてビデオレターを残し、母は最後に微笑んだ。
 ――地上波を使って大々的に放映される感動的なドキュメンタリー番組。青年は、それを見て涙するでもなく、くだらないと唾を吐き捨てるでもなく、特に感情を思わせない表情でただ惰性的に眺めていた。
「しーん、たーろくーん♪」
 背中から黄色い声がして、真太郎は後ろを振り返った。
「美穂。早かったね」
 英 真太郎(はなぶさ しんたろう)。座椅子に腰掛けている為はっきりとは分からないが、それでもおよそ高身長である事は見てとれる。シャープな眼鏡のフレームは、大人びた顔立ちに更に知性的な雰囲気を与え、誠実そうな短髪黒髪が更にその人間性を表現している。
 美穂と呼ばれた女性はハンドバッグをテーブルの上に置くと、テレビの方に視線を向けた。
「ワオ、真太郎もこの番組観てたんだ。私のおかーさんもコレ見ててさ、やばいくらい泣き出しちゃってー。もうにっちもさっちもいかなくなったってんで、早めに家出てきちゃった」
 美穂はやれやれといったジェスチャーを両手で作った。その動作はコミカルで、どこか可笑しくてどこか愛らしい。
「どうせ、美穂も一緒になって泣いてたんだろ」
 真太郎はため息をついて、優しく微笑んだ。それはまるで大人が幼子の相手でもするかのよう。
「ウッソー。化粧落ちてる?」
 美穂は両手で目元を覆った。
「少しね」
 真太郎は立ち上がると窓の方へと歩いていき、カーテンを閉めた。
「真太郎は? 泣いた?」
 今度は台所の方へと向かう真太郎の背中に向かって、美穂は問いかける。
 それに対して真太郎は何も答えなかったが、二人分の紅茶を持って戻ってきた。
「いや、俺は別に」
 美穂は不服そうに眉をしかめた。
「なんでー? これメチャクチャ泣けるじゃんさ。私なんてもう、さっきからチラ見してるだけで涙腺が……」
 よよよ、と美穂は時代劇のようにその場にへたり込んだ。
「いや、まあ客観的に見て泣けるんだろうなとは思うんだけどさ」
 真太郎はコップに入った紅茶を美穂に勧め、自分もそれを口にした。
「……中学の時、クラスメイトに変な奴がいてね。死ぬのが夢だって言うんだよ」
 美穂は怪訝そうに目を細めた。
「自殺願望があるって訳じゃないんだけどな、とにかく早く死にたいって、死ぬ事を目指してた。映画や漫画に出てくるような、周囲の涙を誘う感動的な死に方がしたかったらしい」
「なん、でーや、ねーん!」
 若手芸人顔負けのリアクション芸を美穂は披露してみせた。
「いやいや、そいつにとっては真剣な夢なんだよ。……でもまあ、とにかく俺はそんな人間が身近にいたもんだから、こういうドキュメンタリーなんかを見ても全然泣けないんだよね。どいつもこいつも、心ん中じゃ『うわ、私今悲劇のヒロイン!』なんて思ってるんじゃないかって疑るようになっちゃって」
 真太郎はそう言って、可笑しそうに笑った。それはけしてドキュメンタリー番組を馬鹿にしているのではなく、どちらかというと、その同級生を懐かしんでいるかのような笑い方だった。
「ふー……ん、色んな人がいるもんね」
 美穂は納得がいっていないようだったが、その一言でとりあえずこの話は終わった。
「あー、ごめん。トイレ借りても良い?」
 顔の前で両手の平を合わせ、美穂は言った。
「どうぞ」
 ごめんと言って立ち上がった美穂の背中を見送って、真太郎は再びテレビの画面に目を向けた。
 やっぱり、逆さに振っても涙なんて出てこない。そう考えると、ある意味その同級生を恨んでも良いだろうか。感動して涙も流せない人生なんて、きっと他人と比べて随分人生を損する事だろう。冗談ながら、真太郎はそんな事を考えていた。
 その時、突然部屋の明かりが落ちた。
 停電かと思い辺りを見回した真太郎の目に、しかし温かな光が飛び込んでくる。
「ハッピバースデーイ、トゥー、ユー♪ ハッピバースデーイ、トゥー、ユー♪」
 陽気な歌と共に暗闇から表れた美穂は、ロウソクを灯したバースデーケーキを抱えていた。
「み、美穂……」
「お誕生日、おっめでとーう!」
 ジャジャーン、とでも言わんばかりに美穂はケーキを高々と掲げた。
「わ、わざわざごめん……。ありがとう」
「いやいや、なんのなんの」
 美穂はウキウキしながらケーキをテーブルの上に下ろし、「さあ」、と真太郎にロウソクの消灯を促した。
 よーし、と意気込んで真太郎が一息でロウソクの火を吹き消すと、美穂一人による盛大な拍手が湧き起こった。
「暗いよ、バカ」
 真っ暗闇の中で、笑い声だけが響き渡る。
「はい、ライター」
 美穂がライターの明かりを差し出すと、それだけで部屋が充分に明るくなった。
「二十歳のお誕生日おめでとう、真太郎」
 真太郎は少しだけ照れ臭そうに、「ありがとうございます」と応えた。

 ○

(――それにしても今頃何やってんのかねえ、あいつは)
 宴もたけなわ、美穂もすっかり眠り込んでしまった頃、真太郎はワイングラスを揺らしながら春子を想った。

       

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