Neetel Inside 文芸新都
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滴草春子の正しい死に方
少年を救え

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 美しい死に方、その一。
 他人に起こった危機の身代わりとなるのは、美しい。言うまでもなく美談だし、命を助けられた側は感謝するだろうし、その親類等からも感謝の意を向けられる可能性が高い。昔からドラマや漫画なんかで使い古されてきた王道の死に方で、今じゃもうそんなお涙頂戴、見向きもされない事も多いけど、それが実際に起こるとなれば話が違う。大勢の人々が涙し、もしかするとニュースで取り上げられちゃったりなんかしちゃったり。しかも、このパターンだと死にまでしなくともかなりの成果を期待できる。何かの身代わりとなって重症、入院している病院には無数の見舞い人が――。
 そんなシチュエーションを頭に思い浮かべるだけで、春子は堪える事ができずに笑みを浮かべた。こんな風にして、死ぬまでに何度か軽症重症を繰り返すのも悪くない。
 ――ただし、仮にも平和大国、日本。そんなに都合良く生命の危機が発生する訳も無く。今か今かと第三者の危機を心待ちにするその祈りは、虚しく空回るだけなのでした。
「本屋さん?」
 とある放課後、春子は理恵子に本屋に行こうと誘われた。どうやら、理恵子は参考書を買いにいきたいようだ。高校三年目の夏になると、それまで遊び呆けていた連中も思い出したかのように参考書を買い漁ったりするもので、理恵子もその典型的例に漏れなかった。
「うん、良いよ」
 前日に遊びの申し込みを断っていたからか。義務感のようなものから首を縦に振った春子の表情は、笑っていてもどこか寂しげなものであった。だって、そうでしょう。『受験勉強』という言葉が、春子にはどうにも滑稽なものに聞こえてしょうがない。どうせ、死ぬのに。自分で分かっているのに、周りに流されるがまま受験戦争に付き合い続ける姿は、客観的に見てもすごくばかばかしかった。
「おっけー。じゃ、すぐ行こ」
 ぐいっ、と。理恵子が春子の腕を引き、二人は教室を出て行った。

 ○

 二人の通う札幌国際情報高校は、市の中心街からは少し距離を隔てていた。すぐ傍では牛や馬なんかが飼われていたりして、その部分だけを見るととんでもない田舎高校のようにも思えるが、その広大な土地をもってして建てられた校舎は雄大で、新設の高校でもある為他校の生徒からは羨ましがられる程の清潔感を有し、かつ、成績も優秀であるという人気校である。
 もっとも、成績が優秀であるというのは五つに分かれる学科の内普通科の話で、その他四つの学科の偏差値はまあ、そこそこである。春子がここぞとばかりに入学したのはその他四学科の内の一つであり、どうせ死ぬのだから学歴に拘っても仕方が無いと、校舎の綺麗さから国際情報高校に入られるなら学科はどこでも良いとした結果である。
 まあ、市の中心でもある札幌駅周辺までは自転車を漕いで約三十分。確かに近くは無い距離を、二人は額に汗を溜めながらダラダラと進む。
「あ~、あっつ……。なんだってこんなに暑いのよ……」
 暑さを嫌う理恵子は、苛立った面立ちで太陽を睨む。滴る汗すら映えてしまううなじに、ペダルを漕ぐ度に捲り上げられるスカートが、いやにセクシーだなと春子はぼんやりそんな事を考えていた。やっぱり、美人は違う。理恵子の整った顔立ちを、春子は前々から羨ましく感じていた。もし自分があの顔だったら、人生はどんな風に違っていたのだろうかと。
 国際情報高校から街の方へと行こうとすると、途中で車通りの多い大きな道を横切る事になる。少し坂のようにもなっている、恐らくこの辺りでは一番大きな公道だ。その交差点で、赤信号を前に理恵子は自転車を止めた。後に続く形の春子も、それを見て足を止める。

 ――小さな少年は、構わず道路へと飛び出した。

 気が付いたのは、春子。
 年は四、五歳であろうか、とか。黄色い帽子を被り、左手には野球用のグローブをはめている、だとか。そんなどうでも良い情報までが、この事態に反しゆっくりと頭に流れ込んでくる。
 良く耳にする、時間がゆっくりになるとかいう感覚を、春子は今実感していた。
(――今、わかった)
 春子は自転車をその場に放り投げ、道路へと飛び出した。
(私は、この子を助ける為に生まれてきたんだ)
 横から突っ込んでくる大型のトラック。そんなものには目もくれず、春子は無邪気な少年だけを視界に捉えていた。
(私の命と引き換えに、この子を――。それが、私の人生の終わり。この為に、きっと私は生まれてきたんだ)
「春子!!」
 耳を劈くような理恵子の悲鳴が、辺り一帯に響き渡った。轍を残し、荒々しく急ブレーキを踏むトラック。後続車のブレーキ音が、とても不快だったのを理恵子は覚えていた。そして、あっけらかんとした表情で無事生還を果たした春子――。
「……あれ?」
 春子自身、無傷の体を見て驚いているようだった。
「えっ……ええ~!? 怪我は~!?」
 足も腕も胸も頭も、どこにも傷一つ負っていない。完全無傷の体のチェックを終えると、春子は残念そうに唸りを上げた。
 滴草春子は、人一倍体が健康。かつ、帰宅部ながら運動神経に優れ、特に敏捷性等では男子にも優る。かつ、頑丈な体。
 春子はあの一瞬で少年に追いつくと、さっさと少年を抱きかかえて戻ってきていた。誰よりも恐怖したのは、春子よりも理恵子、それと少年、それとトラックの運転手。
 腰を抜かしてその場にへたり込む理恵子の横で、泣き喚く少年の横で、運転席を飛び出してきて二人の無事を確認するトラックの運転手の横で、春子は悔しそうに地面に顔を埋めていた――。
 その後、春子は訪れてきた少年の両親に何度も何度も涙を流して頭を下げられ、あと市からも表彰された。

       

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