Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 彼が跡形もなくなるのは、随分早かった。五分かそこいらで、彼と、彼の乗った棺はその原形をとどめていなかった。いよいよだ。いよいよ、彼の言ったこと、骨って軽いんだよ、そのことを、確かめることが出来る。私の胸は期待に激しく打った。顔がほころびそうになるのを必死でこらえていた。業者がまわって、参列者にトングを渡していく。これで、彼の骨をつかめと言うのだ。私の手にも、それがまわってくる。手が震えて、取り落としそうになる。業者のおじさんは気の毒そうな顔をして、私を見た。彼の死にショックを受けているのだと思ったんだろう。それでも、何も言わずに次の人へまわっていくあたり、流石プロだと思った。危うかった。声をかけられたら、私の声は興奮に裏返ってしまっているだろうから。それは、死人を前にした反応とはいささかかけ離れているから。
 彼が燃え尽きた地点に向かって、ずらりと行列が出来ている。たくさんの人間が、それぞれの顔に、それぞれの表情を浮かべながら、ぼんやりと並んでいる。私もこの行列に並ばなくてはならない。確認しなくてはならないからだ。
 順番はなかなか回ってこない。実際は五分ぐらいで私の番になったのだろうが、私にはそれが何時間にも感じられた。その間中、ずっと、あの五年前の夏の日の光景が私の頭の中をループしていた。
 そして、ついに私の番になった。私の前は、中年の男性で、明らかに面倒くさそうな顔をしながら、ひょいっと骨を持ち上げて、すたすたとお骨を持って行った。手のひらを見る。じっとりと汗ばんでいる。私は服の裾でその汗をぬぐうと、トングを握り直して、彼が燃え尽きた先を見やる。タンパク質の焦げた、嫌な匂いが立ちこめる中、トングで燃えかすを払いのけながら骨をさがす。私は何をやっているのだろう。全く知らない人間の燃えかすをいじり倒して、骨をさがしている。腹を抱えて笑い転げたい衝動がおそってくる。いけない。集中しないと。
 ぐりぐりとやっていると、それはすぐに見つかった。すすで汚れて、それでもすぐに、骨だと分かる、その質感。私は震えるトングを不器用にその骨に向けて、意識を集中する。櫻井君ご愁傷様でした。櫻井君ご愁傷様でした。頭の中でそれを唱えながら、掴む。一度目は空振りする。櫻井君ご愁傷様でした。二度目。手に、鈍い感触が残る。何かを掴んだ感触。トングの先には不気味な灰色の骨が捕まれていた。
 目を閉じると、先ほどの炎の残りがまだ目の奥で揺らめいていた。そして、私はもう一度唱える。
 櫻井君ご愁傷様でした。
 そして、私は彼の焼身現場から逃げるように歩き出した。トングの先には、骨が挟まっている。それを落とさないように、慎重に、しかし、出来るだけ迅速に歩かねばならない。皆は今度は骨壺にお骨を収めるための行列を作っていた。私はその行列の最後尾に向かっている最中、はたと気づく。そうだ、確かめなくてはならない。
「骨って軽いんだよ、とても」
 たしかに、先ほどトングだけだったときの重さと、今の重さは区別が出来なかった。しかし、トングは無駄にごてごてしていて、かなり重いものだったので、本当に骨が軽いのか、わからなかった。行列は皆、前の人の後ろ頭だけを見つめていた。私はきょろきょろと辺りを見回す。誰も見ていなかった。私はもう一度周りの人の目を確認してから、トングの先を空いた方の手に近づける。力を緩める。ぽとり。それは、まさにぽとりと言う擬音にふさわしい落ち方であった。ぽとり、彼のお骨は私の手の中に収まったのである。
 軽い。それが、一番はじめに感じたこと。軽い。なんて軽いんだろう。そりゃあ、彼だって話したことのない同級生に口を開くだろう、というほどの軽さ。こんなに軽いものに、私は未だかつてであったことがないかも知れない。いや、それは嘘だ。でも、そのときには、本当にそう感じたのだ。
「骨って軽いんだよ、とても」
 もう、顔がほころぶのを止めることが出来なかった。私は誰にも見られないようにそっぽを向いて、ひとり、笑った。五年前の彼と同じように、笑った。
 骨って、軽い。真実だ。
 私の手の中に収まったそれは、振ると、ころり、ころり、と、えも言われぬような感触を私の手のひらにもたらした。私はそれが楽しくなって、いつまでもそうしていたいような気分になってきてしまった。それは、見ているのも楽しかった。ころり、ころり、と、何かとてつもなく大事な、とてつもなく可愛いもののように思えてくるのだった。
 だれも、見ていなかった。
 もう一度、確かめる。
 だれも、見ていなかった。
 私はそれをそっとポケットの中にしまった。

       

表紙
Tweet

Neetsha