Neetel Inside 文芸新都
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グレイグー跡地
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   太陽は沈むだけとは限らない




「おっかいーもの、おかいものー」
 けたたましい歩き方をする子だ。あんな騒音を発する生き物は、ぼくの身近にはひとりしかいない。
「おいミ。あんまり離れるなよ。迷子になっても知らないぞ」
 冗談でも脅しでも何でもなく、実際にこの町は水路やそこにかかっている歩道橋やらで無駄に入り組んでいて、やたらと迷いやすいのだ。ここに越してきてからもう五年になるが、いまだに自宅から五メートル隣に新たなはしごを発見したりする。
「へっへーんだ、ミッカんこそどっか行っても知らないよーだ。デパートの受付で呼び出してもらうんだかんねー。恥ずかしいよー」
 なんだそりゃ。この辺ではデパートどころか三階建て以上の建物でさえ見つけるのに苦労するぞ。
 ミッカんというのはぼくのことだ。三河だからミッカん。あいつによると最後のんが親愛の情をこめる秘訣なのだそうだ。
 あいつの名前はミ。ぼくが三河だから、ミ。
 ミは、この町の水路のごとくたゆたうぼくの日常の中に、突然割り込みをかけてきた異邦人だ。
 もう一年になるだろうか、冬のある日、帰りの遅かった親父が土産として持ってきた少女、それがミだ。
 親父が言うには川底に沈んでいたから拾ってきた、ということらしい。そう言った次の朝、親父の顔は生傷であふれかえっていたが、それがどういうわけかは知らない。ただその晩両親の寝室から、花瓶が割れる音だのが聞こえてきたのを覚えている。
 ともかく、ぼくは拾われてきた女の子にあいさつしたのだ。
「ぼくは三河与一。君の名前は?」
「ミ……?」
 何も覚えていないらしい少女は、大きな目をぱちくりさせながらぼくの言葉を繰り返した。
 そういうわけでミの名前はミに決まった。母さんは反対したが、本人は気に入っているし、これが妙にしっくりくるしで最後には折れた。
「ちゃんとお世話するのよ」
 なんて、母さんはまるでペットみたいにそう言っていたが、一番ミを可愛がっていたのも母さんだった。
「女の子が欲しかったって、事あるごとに言ってた人だからなあ……」
 十歳になるくらいまでは、ときどき女物の服を着せられたりもした。泣いてわめいたが、それすらも母は面白がっていた節がある。
「七五三とか、全部行ってたもんなあ。武者人形がないわりにお雛さまはあるし」
 今年の三月は久しぶりに雛段を飾った。
 かくして衣装や何やかやは、すべて持つべき人の元に収まった。
 それ以外にも、ぼくはけっこうミに感謝していた。
 この町は、子供が暮らすには寂しい所だ。
 計画半ばでとん挫した、和風ウォーターフロントの残骸とかで、それまでいた住民のほとんどはもう本土に脱出していた。
 いまも目に見えないほどわずかではあるが、この町は水中に沈みつつある。
 外国のどっかにある町と同じように、こんなところだからこそ物珍しさで観光客は集まってくる。だから働いている人はまだ大勢いたし、活気めいたものもないではなかった。
 けれど子供はほとんどいない。高校生ぐらいならまだしも、ぼくより下となるとほんの数えるほどしかいないのだ。
 それも当然の話で、ぼくが親でも、わざわざ沈没船の上で我が子を育てる気にはなれないだろう。
 うちの親は例外中の例外だった。ぼくが転校生として入った小学校は一学年一クラス、残っている生徒は四人だけしかいなかった。
 その四人も、ここ五年でひとりだけになっていた。つまりぼくを含めてふたりきり。
 マンネリ化する日常に、ミは風穴を開けてくれる存在となった。
 記憶喪失の少女なんて、いるだけで好奇心を刺激するには十分な謎だ。
 いま、ミは橋の欄干の上をバランスをとりながら歩いていた。ときおりよろけるのがずいぶん危なっかしい。
「こらー。やめとけ、危ないぞー」
「ミッカんおそーい。早く来なよー」
 だいぶ距離を開けられてしまったな。小走りでミの元へ行くと、足をつかんで欄干から引きずり下ろした。
「パンツ見えた」
 我ながら大人げないとは思うが、からかうようにそう言ってみた。
ミは顔を真っ赤にして、その真っ赤になった頭でもって頭突きをぼくに叩きこんだ。
「ミッカんのスケベッ!」
 ぼくの腕から逃れたミは、すたたーと砂煙をあげてずっと先に行ってしまった。
「やれやれ……待ってくれよ」
 ぼくも急いで追いかけた。



「お中元っていうのを買うんでしょ? 海苔がいいかしらそれともカルピスがいいかしら。ミッカんの妻として、そういうことはきっちりとやっておかないとね」
「お中元じゃなくてお歳暮な。それにいまから買うのは年賀状。まったく、どこでそういうの覚えてくるんだよ」
「ママ」
 まあそんなところなんだろうけど。
 道中いろいろあったが、ようやく郵便局にたどりついた。学校帰りのついでに寄るというのなら、ミといっしょに来ることもなく、もっと手早く用事を済ませることができただろうが、今日買わなければ元日に間に合わないと言われてはしょうがない。計画性に欠ける我が家の家風が出てしまった。
 葉書を買うだけならインターネットを使えば、向こうから届けてくれるのだが、この地はすでに、たいていの運送会社において『一部の離島』扱いとなっているため、そう気軽に用いるわけにもいかない。
 あるいは自転車で来れば、そう遠い距離でもないのだが。この町には不自然なほど段差が多く、地下を走る車道に入れない自転車はほとんど使い道がない。ぼくが本土から持ってきたマウンテンバイクも、目下のところ洗濯物をかけるために使用されている。
 ではここでの主な移動手段は何か。
 ひとつは徒歩。時間さえあれば世界最高峰のてっぺんだろうが死の砂漠のど真ん中だろうがどこにでも行くことのできる、車以上に高性能なマシンだ。
 そしてもうひとつが舟。ウォーターフロントに血管のように巡る水路には、ゴンドラのような渡し船が常時運行している。
 もっともそれも昔の話で、観光客が集まる繁華街周辺ならいざ知らず、こんな住宅街に来る舟はすっかり姿を消してしまった。
 泳ぐ覚悟がないのなら、歩いたほうがいくらか賢明というものだ。
「ねえ舟のろ」
 なんとか郵便局が閉まる前には間に合った。あとはのんびりと帰ろう。などと考えていたぼくをよそに、いろいろな事情をかえりみずにミが無茶を言ってくれた。
「そりゃぼくだってできればそうしたいけど、こんなところに来るわけないだろ」
 ところがミが指さす方向、水路の上流から、たしかに舟が近づいてきていた。家はちょうどこの下流沿いにある。あれに乗れれば万々歳だ。
 だが、あれは……、
「ミ、あれはやめとこう」
「どうして? ラッキーじゃない。あ、もしかしてもうお金持ってない?」
 そうではないのだけど……。あの船頭は知ってる顔だった。
 いまから逃げるにはもう遅い。舟は予想外のスピードで、すでにお互いの顔が視認できる距離まで近づいていた。ミが露骨に嫌そうな顔をする。
「おーっす。そこに見えるはミスとその上半分じゃないか」
 舟を漕いでいたのはぼくのクラスメート、最後に残ったふたりの片割れ、小海(おうみ)二子(にこ)その人だった。
 彼女が学校には内緒で船頭のバイトをしていることは知っていたが、その現場に遭遇したのは初めてだ。
「よう二子、こんなところで渡し舟か」
「奇遇だねえ。どう、乗ってく? ミスとあたしのよしみだ、お金はいいよ」
 ちなみにミスというのは二子に付けられたぼくのあだ名だ。ぼくの名前が三河だからとか、子供のころ女装させられていたとかは無関係な、もっと下らない理由に由来していた。
 ぼくの名前、三河与一を下の名前から読めば与一三河。つまり四一が三では計算ミスだからミスということらしい。
 まったく馬鹿げてる。この馬鹿げたニックネームが五年間通用しているのだから恐ろしい。ミが新しい呼び方を考えてくれたときは嬉しかったものだが、二子の旧態依然とした保守的な考えを改めさせるにはいたらなかった。
「遠慮しなくていいよ。どうせ今日は新しい櫂の慣らしなんだから。もちろん上半分もタダだよ」
「いや、ぼくたちは」
「乗せていただきましょうか、あなた」
 これだ。ミは二子との相性が妙に悪いのか、顔を合わせるといつもケンカ腰になる。口調は母さんといっしょによく見ている昼ドラを真似たもののようだ。なぜかぼくをあなたと呼ぶ。
「そろそろこのメス猫と決着をつけなきゃいけないと思っていたところですのよ」
「はっはっはーっ。あいかわらず上半分ちゃんは面白いねー。いまのは誰の真似?」
 といってもミが一方的に空回りしているだけで、二子はそんなミの態度を逆に面白がっているだけだった。
上半分というのはミのことで、その理由は読んで字のごとくだ。



 舟の上はやけに居心地が悪かった。
 ミが真ん中に座り、その隣にぼくは座り、二子は舟の尾部に立って漕いでいた。
「あんたうちの主人にどういうつもりですり寄ってきてるの、この泥棒猫!」
「良い天気だよねえ。ほら、あそこで猫が寝てるよ」
「わたしは離婚なんかしませんからね。してやるもんですか!」
「ほんとにねえ、学校なんてなくなっちゃえばいいと思うよ」
 始終このような調子なのだから、ぼくとしてはたまったものではない。なんとかこの状況を打破しようと試みる。
「あの、さ」
「ん?」
 そういえばぼくは前から二子に聞いてみたいことがあったんだった。
「二子はなんで働いてるんだ?」
「んー、なんでっていうか船頭になった理由はバイト代が良かったことと、あとはやってみたかったからかな」
「じゃあそれがこの島から出ていかない理由なんだ?」
 船頭なんてバイト、本土の方ではそうそう見つかるものではないだろう。
 少しの間があってから二子は口を開いた。
「んーん。うちが引っ越さないのは、ただ単にお金がないから」
「でも国から補助金は出るはずだろ」
「補助は補助でしかないんだよ。何割かは自分で負担しなきゃならない」
「それってけっこうひどい話だよな。住めますよって言ってた土地が住めなくなったっていうのに」
「んー、でもまあ仕方ないかな? この島に引っ越してきたのだって自分たちの好きでやったことのわけだしさ。来るときにも補助金は出たしね」
「達観してるんだな」
 ぼくはそれまで想像すらしなかった一面が級友に備わっているのを垣間見た気がした。
「そんな立派なもんでもないよ、あたしは。あ、でもこの島が好きな理由はあるかもね」
 また少し間が空いた。櫂をゆっくりと動かしながら、後方を確認する。
「この島はやさしいからね」
「やさしい……?」
「うん。学校の許可ももらってない、どこの馬の骨とも知れない中学生を雇ってくれるくらい寛大で、道端に落ちてた記憶喪失の女の子を実の娘と同じように育てちゃうぐらい温かい」
「それってレアケースじゃないのか」
「うんにゃ、違う。そうじゃなかったらさ、お客さんは来やしないよ。わざわざ沈むのを見物するためだけになんか」
 しみじみと語る二子に、ぼくは少し驚いていた。
 日頃は単に脳天気なやつかと思っていたのに。
 いまの境遇を愚痴るだけだったぼくとは大きな違いがあったようだ。
「ニッコンはさ……」
 すっかり毒気を抜かれたらしいミが二子に話しかけた。
 しかし、ニッコン? そんな呼び方、初めて聞いたぞ。
「ニッコンは、しあわせ?」
 おどおどと、いけないことを尋ねる子供のように、うつむき加減にほんの少しだけ口を開けてミは言った。
 今度は少しの間も空けずに二子は答えた。
「あったりまえよぉ!」
 舟の上にしゃがんで、ミの頭をくしゃくしゃとなでまわす。その表情は笑顔だ。
「もちろん上半分もね」
「わたし、も?」
 ミは初めて名前を聞かれたときと同じように目をぱちくりさせた。
「わかってないかもしれないけどね、あんたはそーとーしあわせだよ。たぶん、あたしとおんなじくらいにはね」
 しばらくぽかんとしていたミは、やがて何かに気づいたように二子と同じ表情になっていた。
「そしてミスぅ!」
 二子が首をぐりんと大きく動かしてぼくを見た。つられてミもぼくに顔を向ける。
「あんたも幸せもんだなあ! こんなかわいこちゃんをふたりもはべらせてんだかんね!」
「わ、やめろこら!」
 二子が真新しい櫂でがつんがつん川底を叩くものだから、舟が揺れてぼくはミの盾となって思いきり水をかぶるはめになってしまった。
 この季節、水浴びするには寒すぎる。
「そいじゃーねー、上半分。よいお年を」
「ばいばいニッコりん」
 ミと二子の間には、、なにやら新たなきずなが生まれたらしかったが、ぼくは風邪をひいた。すっかり角度の浅くなった太陽が、あざ笑うかのようにその巨体を西の方角へ沈めようとしていた。
「しあわせ?」
 と、ミが尋ねるものだから、
「風邪だよ」
 と、くしゃみといっしょにやさしく答えておいた。
 ただまあ、あんな笑顔を前にした人間は、たいてい胸の内に温かいものを感じるだろうな。
 どたどたと元気いっぱいに駆け込むミの後に続いて家の中に入る。
「ただいま」
「おかえりなさい。あら、どうしたのずぶ濡れになって」
 母さんはバスタオルを持ってきてくれた。
 柔らかいタオルで濡れた髪をふきながら、ふと思った。
 水の中に沈んでいたというミ。
 ずぶ濡れだった彼女にタオルを持ってきてくれる人はどこにいるのだろうか。
 いまのいままで気にも留めなかったとは驚きだ。たしかミが落ち着いたらそのとき、ということで放っておかれたんだったかな。
 後で聞いてみることにしよう。
いまなら、もうきっと大丈夫だろう。
 ぼくもあいつも、しあわせみたいだしね。




                  おわり



       

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