Neetel Inside ニートノベル
表紙

何某の日常
まぐれってよく言うよね

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ここは何処かの高校。名を、東新都第一高校という。
春休みも明け、クラス替えの張り紙が、再出発を感じさせてくれる。

 2階に在る「2年3組」の教室では、俺――沢辺直人はそのクラスの窓際、最後尾の席に着いて、今も終わらぬ宿題と格闘していた。
アルファベットの文字列を睨み、シャープペンを回す。
昨日の夜もほぼ徹夜だった。体力も残り少ない。
今が正念場なのは言うまでもない。

 まだ、朝の早い教室。教室の中の人影は少ない。
その人影のうち一人が声を発した。
「おーい、終わったかー」
その声は、俺と同じ列、一番前の席からだった。
見てみると、同じ列の一番前の席で、天然パーマの男子が、ふんぞり返っている。彼の名前は、浅田勝人。
声は続ける。
「早くやってくれよー。写せねーじゃん」
最初からそれを当てにしていたのか、お前は。
「せーな、今頑張ってんだから、黙っててくれ」
しまった。
言ってすぐに後悔した。
多少ムキになって言ってしまった。
が、言われた側は、
「しゃーねーなー、終わったら見せてくれよー」
とのんきな声で机の上の「週刊少年VIP」のページをめくっていた。

 浅田とは小学校からの付き合いだ。
中学の先生に勧められてこの高校を選んだが、
地元から離れた所にあり、ほとんどのクラスメイトとは離れ離れ。
心細さもさることながら、1年生のときクラスに馴染めないまま地味キャラのまま定着してしまい、もう、一人でうまくやっていける自信なんてものは、持ち合わせちゃいない。
だから、浅田が同じクラスだと聞いて、ほっとしたのは言うまでもない。

 後方の引き戸がガラガラと音を立てる。
「お、ハヤト、また同じクラスだなー」
勇人と呼ばれた男子はメガネをかけ、言ってはいけないが地味な顔をしている。
「あ、そだ、こいつ、1年の時のクラスメイトで、渡辺って言うんだ、よろしく頼むぜ」
浅田は沢辺の方を向く。
渡辺は、廊下側の窓際の列の一番後ろの席に座った。
「あ、ども、よろしく」
俺は一応言ってみるが、返事がない。
「…よ、……よろしく」
と思いきや、しばらくしてから、消え入るような声が返ってきた。
何だこの空気。
「あ、そーだ」浅田は渡辺に向き直る。
「化学終わった?出来れば見せてほしいんだけど」
「…一応終わったけど、でもそんな丁寧じゃないし…」
「いいのいいの、あそこの沢辺って人もそんな丁寧にやってないから」
それはどういうことだ、浅田。
「でも、抜けてるページとかあったら…」
「それはその時に考えるから」
「字、読めないかもよ」
「そこは気にすんな。気力で何とかする」
「じゃ、これ…」
一言残して、渡辺はオレンジ色の冊子を取り出す。
「おっしゃ、サンキュ」「VIP」を閉じ、作業に没頭し始める浅田。

 書きながら、胸の中ムズ痒くなっていくのを感じる。
……なんと言うか、じれったい。
浅田はよく平気だな。
1年一緒にいたとしても、慣れることが出来るか、わからない。
……いや、今はそんなことを考えるのもよそう、と俺は再びアルファベットと格闘を始めた。
とにもかくにも、今は時間がない。

 その時、今度は、前の引き戸が開く音がする。
俺は、見た目、精悍な女子が入ってくるのを横目に見た。
「あ、西野、あんたもおんなじクラスかぁ」
「奇遇ね」西野は静かに返すと、教室の隅にいる渡辺を見つけ、そこに向かっていった。
「ねぇ、数学終わってる…?」
ブルータス、お前もか。
「あ、ええ、まぁ」
「見せてもらっていいかしら?」
「いいけど、でも…」
「御託はいいのよ。私も適当に済ますつもりだから」
「ああ、でも…」
バンッ!
炸裂音が鳴り響いた。
振り返ると、西野が、渡辺の机を殴りつけているのが見える。
「早くしてくれない……? 時間が無いの」
「わ、分かった、けど……」
ゴッ……!!
強烈な音がした。
西野の拳が渡辺をかすめ、引き戸とガラス窓の間にある、鉄骨に当たった音だった。
「……ぃ」渡辺はとっさに首をひねり、間一髪助かっていた。
「運がいい人ね」
震える声で、西野は続ける。
「でも、その運がいつまで持つかしらね」

 次の瞬間には、渡辺は席を離れ、走り出していた。
それに反応し、刹那に振り返る西野。
俺は、渡辺がこちらに向かってまっすぐ走ってくることに気づく。
「お、おぃ、なっ……」
言葉がまともに出ないうち、西野のとび蹴りが、渡辺めがけて繰り出される。
「ひぃっ……!」
渡辺はとっさに身を翻し、西野の追撃をかわす。
しかし、その的を失った足先は、まっすぐ俺の方を向いていた。
やばい…!
しかし、座っている沢辺に、逃げ場はない。

ゴッ……!
鈍い音が鳴り、椅子ごと床に叩きつけられた。
それだけでは済まされず、弾みでもう少しで完成するはずの、赤色の冊子が宙を舞い、
窓から外に放り出されるのを見た。
……マジかよ。このままじゃ、面倒な説教が待っている。
すぐさま、引き戸をピシャンと開け放ち、廊下に出る。
そして、一番近い階段を、1段飛ばしで駆け抜ける。
ドン!
しかし、階段を降りたあたりの角で、何者かにぶつかり、再び床に叩きつけられる。
「痛ったーっ!」
ぶつかった相手は、黄色い声を上げる。
「す、すまん」
「い、いや、気にしなくていーよ」
とのやり取りをした後、大幅なタイムロスをしてしまった俺は、
校舎の外に飛び出した。

 キョロキョロとあたりを見回してみる。
が、赤い冊子は見あたらない。
もう少し詳しく探そうと、恐らくそこに落ちただろう場所を捜索していると、
「おい、そこのお前」
野太い声がする。
振り向いてみると、そこには、ペンキまみれの作業服を着たおじさんがいた。
「お前、何か探してるんか?」
「ええ、まぁ」
その時、俺の胸のうちには、かすかな希望があった。
もしかしたら、この人が、俺の冊子を拾ってくれたのか……?
「もしやと思うが、これ、お前のか?」
そう言うおじさんの手袋の先に、白い冊子がつままれているのが見える。
それが白い液体を垂らしているのを見た時、俺は悟った。
まさか……
「上から落ちてきて、ペンキの入ったバケツに飛び込んだみたいなんだが」
同時に、チャイムがなるのを聞いた。
「あ……はい……」
その時俺は、どうしたらいいのか、分からなかった。

 始業式が終わり、クラス替えをして始めてのHRには、自己紹介って物をやらされると思う。
例に漏れずこのクラスも、
「担任の鳴海って言います。趣味は盆栽です」
とまず担任の自己紹介の後、
「浅田勝人です、バスケ部に入っています。よろしくお願いします」
「宇田実有です、趣味は料理で、手芸部に入っています」
「川島亮介です! サッカー部です! 恋人募集中です!」
といった具合に自己紹介が簡潔に述べられるわけだ。
窓際だから、俺の番も比較的早く訪れる。
普通を目指すなら、当たり障りのない挨拶をするのが常識だ。
最初から、目立つ予定は無い。
「じゃ、次、沢辺君」
先生に呼ばれ、立ち上がった、その時だった。
「あ―! 宿題ペンキまみれにした人だ!」
声が教室中に響き渡る。
俺はこの声に聞き覚えがある。
階段の下でぶつかった、相手の声と一致した。
彼女だ、間違いない。
次の瞬間、大笑いの声が津波のように押し寄せてきた。
一瞬、彼女が何を言ったか分からなかったが、直後、彼女の言った内容を、彼女が、どんなことを言ったのかを呑み込むことが出来た。
……ちょ……おま……何を言って……
一瞬にして俺の体から血の気が引いた。
笑い声が響きあう中、立たされたまま、かといって座ることも出来ず、体中がほてった様に暑い。
「さ、沢辺君、それは、その、本当?」担任の先生は、笑いのあまり涙ぐんで問いかけてくる。
「えぇ……本当です……」
もう、全身から汗が吹き出しそうだ……。
しかし、それだけでは終わらず、彼女はさらに俺を追い詰める。
「そーだ、そういえば、あの宿題、今持ってるんでしょ? 見せてよ」
何でお前はそんなことも知ってるんだ。
そして、なんでもう何の用途もない冊子を持ち帰ってしまったのだろうと、激しい後悔に襲われた。
しかし、この状況、嫌な汗が顔から滴り落ちる中、俺は、弱弱しくそのカチカチに乾いた、白い冊子を皆に見えるように掲げるしかなかった。
教室がさらに沸き立ち、先生自身もついに大口を開けて教卓に突っ伏してしまった。
もう、好きにしてくれよ……。
なんだか、頭が痛くなってきた。

 そんな騒ぎのおかげで、俺の自己紹介は完全に忘れ去られ、次の人へとバトンが回っていった。
「篠田香織です。部活では…」
そんな中、顔を今なお真っ赤にしながら、俺は机の上に沈んでいた。
どれ位経っただろうか、俺は、隣に小突かれる。
「ねぇねぇ、その英語の課題、もう一度見せてくれる?」
無邪気な目をしてそう問いかけられる。
言われて仕方なく、その白い「塊」を手に持つ。
「ブフッ……!」
それを見た瞬間、その人は噴き出してしまった。
正直に言おう、その時、俺は泣きたいのを堪えるのが精一杯だった。
「それじゃ、次、中嶋」
そう言われて、勢いよく立ち上がったのは、
「中嶋優です! 今は帰宅部だけど、1年の時は陸上部に入ってました!」
さっきの女子だった。
中嶋と名乗った女子は、俺の方に向き直って言う。
「ところで沢辺、アンタなんで宿題をペンキまみれになんかしたの?」
教室内に失笑が漏れた。
やめてくれ、もうこれ以上俺の傷口を触らないでくれ。

 顔を真っ赤にしてHRを終えた後も、突っかかってくる人が多かった。
「その宿題、見せてもらっていい?」
「本当にやっちまったのか!」
「ドンマイ!!」
今年も地味に過ごそうなどと考えていたのに、中嶋のおかげでとんでもないことになった。
その時、
「ご……」声がした方を向くと、渡辺がいた。
「ごめん。俺が悪いんだよ。俺が要らない心配事して……さっさと渡さないから悪いんだ。俺のせいでこんな事に……本当にごめん。それに、あの時俺が沢辺に向かって走っていったのが悪いんだ。本当に……」
頼む。本当に俺の事思ってるなら、20字以内で簡潔に謝ってくれ。

 帰り道、一緒に帰っている浅田が口を開く。
「今日のは、もしや、中嶋とのフラグ立ったか?」
「おま……漫画じゃあるまいに」と俺は呆れながら返す。
「いやいや、それがあるんだよ、世の中には、漫画みたいな人生送ってる奴がいるんだよ」
その人に、漫画の読みすぎと言ってやりたい。
浅田は続ける。
「たとえば、『ロッキー』とか、モデルはさえないフリーターだったんだぜ」
浅田、漫画じゃなくて、それ映画だぞ。と、どうでもいいことが頭をよぎる。
「それ、漫画じゃなく」
次の瞬間、視界に火花が散った。
俺は地面に倒れる。
何が……起きた…!?
浅田が腹を抱えて笑い転げている。
何かにぶつかったのは分かる。
目の前を見ると、そこには標識があった。
……ちょうど、俺の頭ぐらいの高さに。
「お前…本当、漫画みたいな人生してるな…! ひぃやはははははっ!」
残念ながら、俺は自分自身に「漫画の読みすぎ」と言わなくてはならない羽目になった。
否定はできない。
くそう…。
俺は一人で勝手に自己嫌悪に陥った。

     


                      ○

 次の日、教室に入った瞬間、中嶋の声が飛んできた。
「やーやー、おはよー沢辺!!」
浅田の席の隣で中嶋は手を振る。
「よ~う!! 沢辺!!」
浅田がその隣で声を上げる。
「さーさ、こっちこっち!!」
中嶋がこちらへ手招きしている。
「今日の主役来た!!」中嶋が興奮気味に言う。
「看板頭にぶつけた奴が!!」浅田は俺をおちょくる。
……何でこんなに馴れ馴れしいんだ。
俺は戸惑うばかりだった。

 浅田と中嶋の間に何があったのか、一応知る権利ぐらいあると思ったので、意を決して浅田に聞いてみた。
浅田曰く――
浅田は朝早くに学校に来て、昨日の宿題を済ませる性質なのだが、
その途中に、
「ねー、昨日の帰りに大笑いしてたけど、何かあったの?」
と中嶋が挨拶と共にこう聞いてきたという。
この時点で、中嶋が俺を好奇心の対象としてマーキングしてるんじゃないかと疑った。
そして、標識のことを話すと、
「何その漫画。沢辺って何か面白そうな人だと、昨日から思ってたけどやっぱりそうだ」
と笑い出したそうだ。
――疑いは確信に変わった。
それから、どんどん話の花が咲き乱れ、今に至っている……ということらしい。
なんとも気楽な交流だこと。
ヘタレで人見知り気味の俺には無理だ。
そう思った。
「ねぇ! 沢辺は――」
中嶋が話しかけてくる中、俺は少しの疲労感を感じた。
他人がいきなり自分の心の領域に入り込んでくる、あの感覚。
あの感覚が、俺を疲れさせる。
ずっと以前からその感覚に悩まされてきた。
……もういい。少し、休みたい。
「すまん、ちょっと寝不足だから、寝てていいか?」
「えぇ!? まだまだ起きる!」
中嶋は意外に人を自由にさせてくれない。
「いや、どうも無理。朝弱」
「気合が足りない!!顔洗って来い!!」
「いや、顔洗うどうこうじゃなくて、おれはただ眠た」
「顔を洗う時は蛇口をひっくり返した方が楽だよ!!」
「あの、人の話聞いてる?」
「ついで、タオルも忘れないでねー」
だめだ、この人。相手が見えてない。
仕方なく顔を洗おうとして、
振り返るとそこには、伸びた腕。
拳。
右頬に、衝撃が走った。
痛みより先に、驚きが先行した事で、視界は鮮明に映り、周りの音もしっかり聞こえた。
「あら、ごめん。渡辺が鈍臭いことしてるから、私また手が出ちゃって……」
西野の声が聞こえる。
「ひぃぃぃぃゃぁぁぁ」
次に聞こえたのは、渡辺の悲鳴だった。
そして俺は真上に、大笑いする二人を捕らえたが、俺の意識はそこまでだった。

「いやぁ~、何も2回起こらなくても……」中嶋が笑いを堪えて言う。
「2度あることは3度あるから、気をつけろよー」浅田は、なおも俺を茶化す。
「うるへぇ」俺は浅田に向かって声を飛ばす。
今、俺は頬を腫らして机で頬杖を突いている。
授業中だ。
「いやいや、本当、保健室にでも行ったら?」
失笑がところどころから聞こえる中、先生の優しさが、心に染み渡る。
……その先生も、笑いを堪えているが。
とはいえ、このまま素直に保健室に行ったら、さらに笑いが巻き起こるに違いない。
だから、行かない。
行ったら負けかなと思ってる。
……が
「頼むから行ってくれよ。そのままだと、君、虫歯患者みたいよ」
――負けた。
結局、行こうが行くまいが、どっちにしろ笑われる運命だったのかと思うと、
……なんだか泣けてきた。

 その日の帰り、俺はいつになく慎重だった。
が、慎重になりすぎて、腰をかがめ、首を忙しなく動かし、
街中を一人で歩いていれば痛い人に見間違われてもおかしくない格好だった……らしい。
そんな様子を見て、浅田はなおも笑い転げていた。
「ひぃ~ひぃ~っ腹痛い……!」
俺は自信をなくした。
「運のない奴だなぁ」浅田はなおもにやけ顔で言う。
「こんなんじゃ、先が思いやられる…」
俺は、「効果抜群!開運アイテム!」と言う本が、店の棚に並べてあるのを見ながら言った。
「まぁ、そんな悪いことばかりじゃないけどな」
浅田は慰めるように言った。
「こんな楽しい事故起こしといて、悪いことばかりだなんて、思うなよ。今に去年のさびしいお前とは、おさらばできるんじゃなかな」
「まぁ、な。けど、まぐれだぜ」
「おまえなぁ、そんなだから、人生のチャンス全部無駄にしてるんだぞ」
いきなり深いとこまで持ってかれたぞ、おい。
「まぐれとは言えチャンス、それをまぐれで片付けてたら大物にはなれない。
博打を楽しめない野郎なんて、面白くもなんともない、ってのは父ちゃんの受け売りだけど」
毎日パチンコ入り浸ってる奴(父ちゃん)の言い分だと思うんだが。
まぁ彼自身は、小さな企業だが社長をやっているので、説得力の一つぐらい、ないわけではないが。
「うん、分からないでもな」
バチーン
頭に衝撃が直に伝わってくる。
地面に倒れこみ、頭を打ちつけた。
一瞬、視界が真っ暗になる。
パニックに陥った俺は、笑いながら「大丈夫か」と言う浅田のほうを向いて一言
「大丈夫、俺、人間だから、頭だけはいいから」
などと訳の分からない事を口走った。
自分でもわけ分かんねーよ。
ちなみに、今ので、『3度目』。
浅田の忠告は、見事に的中したのであった。

     





運命は我らを幸福にも不幸にもしない。 ただその種子を我らに提供するだけである。
――ミシェル・ド・モンテーニュ



水あげなくても勝手にぐんぐん伸びるんで、成長を抑制する薬かなんかありませんか。
――沢辺直人



       

表紙

仮宇土 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha