Neetel Inside ニートノベル
表紙

何某の日常
図書室便り

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「ねぇ、美咲」
私は美咲――近藤美咲に向かって話しかけた
「ん?」
美咲は、こちらに向かって軽い笑みを浮かべた。
背が高くて、大人っぽい雰囲気をかもし出している。
「最近でたこの小説。読んだ?」
私は最近出た海外の推理小説片手に聞いた。
ここは図書室。
図書委員である私と美咲は、受付の席にすわり、ため息をついている。
「優実、何柄にもない事言ってるの? それ、いつもはあたしの台詞じゃない」
その言葉の通りだった。
いつもなら私に向かって、美咲は「読んだ?」と問い、私は「いや、まだ」と答えるはずだけど、今日は逆だった。
「…それなら、昨日読んだけど」
「へぇ」
「それより、今日はどうしたの? 柄になく聞いてきちゃったりして」
「聞きたくもなるじゃん……だって」
私は息を吸い込み、続けた。

「……今日一日、誰も来なかったじゃんか」

美咲は図書委員にして、この図書室の、言ってみれば女将のような人だ。
そこそこ美人で、それで聞き上手。
人の相談には親身になって聞いてくれる。
だから、彼女が図書室にいるときは、必ず男女問わず何人かの「常連」が図書室に入り浸る。
なんと言うか、うらやましいと言うか、彼女がいないときの図書室とのギャップが激しくて、何度も混乱することがあった。
「園山、何ふててんだよ」
いつの間にか浅田と沢辺が来ていた。
浅田は受付の机を挟んで私に視線を投げかけてる。
私は浅田を見上げた。
「聞いてよ、今日、アンタ等が最初の人だよ」
「マジかよ、やったぁ」
ちょっとムカッと来た。
「呑気に言わないで。何で誰も来ないか分かる?」
「あー、多分、3年がいないからじゃねぇの?」
「あ、そーか」
しまった、納得しちゃった。
今日、3年生は3者面談があって、そのため休みになっているはずだった。
だけど、いつも来てるはずの2年生の「常連」は、今日は一人も見当たらない。
それが不思議だった。
「ご愁傷様だね。でも、良くあることじゃないの? こういうことって」
と沢辺。
「まぁ、ね」
私は受付の机に突っ伏した。
「あ~ぁ、誰も来ないのがこんなに退屈だったのは初めてよ」
「今から退屈せずに済むかもよ」
とこれは浅田。
アンタはここをむちゃくちゃにするだけして帰っていくだけじゃないか。
不快感を顔に出さないように「そうね」と言ったが、やはりどこか顔に出ていたのだろうか。
「言ってることにしては顔はあんま乗り気じゃねぇな」
カウンターを食らい、心中むちゃくちゃ動揺した。
「やっぱりか」
動揺すら顔に出てたようだ。
「だめね、この子、分かりやすいんだから」
美咲が微笑み混じりで言う。
「顔に出てるもん」
「うるさい」
私はまた机に突っ伏した。

「でもおかしいわね、今日、1・2年は確か、何もないはずなのに」
そう。
どうしてなのかは分からない。
だけど、特に何もないはずの「常連」が来ないのはどうしてもおかしい、と思う。
「来れないんじゃねぇの?」と浅田。
「どうして?」
「例えば、そうだな、そいつ等、なにか部活とかあるのか?」
「うーん……」
考えてみれば、「常連」のうち数人は、心当たる節がないわけじゃない。でも……
「でも、部活のない人だっていたはずなのよ」
美咲が私の言葉を代弁した。
「じゃ、なんなんだろな」と沢辺。
4人が首をかしげていると、ガラガラと引き戸が開く。
「お、やっぱしここにいたんだー」
「よ、中嶋、どうしたよ」
優はさっきまで走っていたようで、肩で息をしている。
「まーまー、ちょっと来てよ。面白いもんが見られるよ」
「え、マジ? じゃ、あんたら、じゃーな」
私達に踵を返し、去っていく浅田に、
「帰ってこなくていいよー」
と小声で言ったら、
「悪かったな」
と浅田が振り向いた。
「やっぱり、いろんな意味で分かりやすいわね」と美咲。
「だからうるさいって」
私は口を尖らせた。

「そういえば優実、この小説」
美咲はさっき私が聞いた小説を取り出した。
「あなたは読んだ?」
それを聞いて、私はちょっと得意になった。
「出てすぐ買って読んだもん」
『ついに日本上陸!!』と言う煽り文句に乗せられ、買って読んだ。
確か内容は、名探偵の助手が、名探偵不在の間に、難事件をどうにか解決していく、というもの。
その助手が未熟すぎて、どうなることやらと思ったことがしばしばあっけど、その時は運に助けられてたっけ。
「…へぇ、珍しい、雨でも降るのかな」
「……」
事実、外は今にも泣き出しそうだ。
私がどうしようもなくなって黙っていると、美咲は沢辺に向き直った。
「沢辺君は、読んだ?」
一瞬とまどったが、沢辺はすぐに答えた。
「まだ読んでないけ……」
「じゃあ読んで。貸してあげるから」
美咲は本を差し出した。
「え」
「いいから。これ、私の本だから、くれぐれもね」
「いや、それくらいだったら買うって」
「いいのいいの、遠慮しないで」
「…じゃあ、借ります…」
無理やり、といえば無理やりだ。
でも、いつものこと。
この前も、初めて来たような人に押し付けてたし。
「それにしても、誰も来ないのはおかしいわね」
美咲が言う。
「今日だけ、って事はないの?」と沢辺。
「うん、そうだといいけどね」
美咲はそう言って、外を見た。
……雨、降ってるじゃん。

     


図書室は閉館の時間になり、暇をもてあました私は生徒玄関に立ち尽くしていた。
土砂降り。
傘を持ってないから、私はどうにも帰れない、ってこと。
100m先が灰色に見えるぐらいに激しく打ちつける雨を呪っていると、視界にぬっと見慣れた影が現れた。
肩の辺りで切りそろえられた髪と、ちょっと大きめな丸いメガネ。
『アラレちゃん』そっくり、と私は思ってる。美咲は違うと言うけれど。
「優実ー、傘、ないのー?」
現代人としてはありえないほどゆったりした声は、『常連』の一人、笠島 有希だった。
「うん、困っちゃって。入れてもらっていい?」
「どーぞー」
こうして、私と『アラレちゃん』は一緒に帰ることになった。
さっそく、気になっていたことを聞いてみた。
「今日、来れなかったみたいだけど、どうしたの?」
すると、有希は、それがねー、と軽く笑いながら言った。
「来週ねー、先生が結婚するんだってー」
彼女が2年3組の生徒であることからすれば、多分、先生と言うのは鳴海先生の事だろう。
「でねー、みんなで結婚祝いをしよーって話になってねー、それでみんなで前から放課後会議してたのー」
あれ?
ちょっとした疑問が、頭をよぎる。
「じゃあ、沢辺たちは?」
「あの人たちも「常連さん」だし、別のこともしてるのー」
「何? それ?」
「分かりませんかー?」
暗に有希に、あなたはそんな事も分からないんですかー、と馬鹿にされているような気がしたので、
「そんなことないよ」とかぶりをふった。
「それなら良いんだけど… 優実も、何か明後日までに準備しといた方がいいと思うよー」
…ごめん、何のことだか分からない。
多分、私もあの小説の主人公のように、勘が鈍くて未熟なんだろうな。
そう思った瞬間、雨の音だけがやけに大きく感じた。
「そういえば、これ、読んだ?」
私はさっきの推理小説を取り出した。
「それですか?まだ読んでないけど……犯人とか言わないでねー。そんなうずうずしてもらって悪いんだけどー」
「……」
バレてたか。

電車通学の私は、駅で有希と別れた後、近くの本屋に立ち寄った。
デパートの4階にあるその本屋は、なかなかの大きさを誇っていた。
そこの「もうすぐ出版される本」に、私が最近読んでいる作家――南 竜太の名前があった。
ふと表紙にぴーんと来て買ったら、結構面白かったのだ。
明日発売か……。
他にこれといったものがなかったので、適当に本を買って、電車で読むことにした。
比較的空いている時間の電車のなか、席に座り、買った本を読みながら、
『優実も、何か明後日までに準備しといた方がいいと思うよー』
という有希の言葉が頭の中でエコーしていた。

     

次の日。
「今日も来てないのね」
美咲は少し落ち込み気味。
「……」
図書室は物凄い静かで、話をしないとすぐに空気の重力に負けそうになるので、私は美咲に話しかけた。
「……そういえば」
そのまま、ちょっとの間を空け――その間、美咲は不思議そうに私を見ていたのだけど――私は続けた。
「来週、鳴海先生の結婚式があるらしいね」
「……へぇ」
やばい。押しつぶされる。
「みんなで祝おうって、3組の人たち頑張ってたよ」
「……そうなんだ」
助けて。誰か助けて。
必要以上にギクシャクした空気に私達2人、時間が止まったように感じた。
そこに
「よ、園山」
果たして救いか否か、浅田がやってきた。
「ちょっと、園山に話があるんだが、いいか?」
「はぁ」
私は目をぱちくりさせていた。

図書室の外に連れ出され、私は浅田に、
「なに?一体どうしたの?」
と聞いた。
浅田は、何言ってんだ、お前、と言う顔をして、
「明日は近藤の誕生日だろーが」
と言った。
はっとして、周りを見渡す。
そこには、「常連」の姿があった。
「つー訳で、何か催し物をしようと、この笠島が提案したわけだ」
有希のほうを見てみると、微笑みながら恥ずかしそうに体を揺らしていた。
「だったらさ、もっと美咲を傷つけない方法があるじゃん、なんか美咲、ちょっと心配気味なんだから」
「ドッキリと思えよ」
こんな陰湿なドッキリならしないほうがいいと思う。
「やろうとしてることはいいんだけどさ」
「まー、でもさ、図書室で騒いじゃいけない、ってことでさ」
「常連」のみんなが目を光らせた。
……嫌な予感しかしない。
「……近藤、連れ出してくんない?」
「え」
「だーから、俺の指定する場所に、なんか、こう、上手い具合に、悟られないように連れ出してくれ、って事」
「……」
無理無理無理無理ぃぃぃ。
どうやって連れ出せというのか。
私は詐欺師じゃないんだから、無理に決まってんでしょ、と思っていると、それが表に出たのか、浅田は自信たっぷりの顔で、言った。
「無理じゃない。やれば出来るよ。絶対に」
ここで言う、『絶対』の価値、どれ位?
そう思う私をよそに、無茶苦茶な事を言うだけ言って、浅田は、
「じゃ、頼んだから」
と、悠々として去っていった。
アノヤロウ、いつか必ず……と怒りに燃えていると、有希が
「じゃあ、本当頑張ってー。私も信じてるからー」
と言って去っていった。
……私に、どうしろと。
変な重圧感に耐えながら、私は図書室に戻っていった。

     

図書室に戻ると、そこには美咲のやや落ち気味の笑顔が待っていた。
その顔を見ると、「顔に出てるもん」という言葉が、脳裏によみがえり、少し弱気になった。
分かりやすいって言われてるのに、どうしてつけない嘘つかなきゃいけないの?
そんな事が頭の中で飛び交っていると、美咲が口を開いた。
「どんな話だった? 難しい顔してるけど」
単刀直入、混じりけなしの好奇心が耳から脳に届き、頭が真っ白になった。
「え、えと…」
奥歯に何か挟まったような言い方になってしまう。
頭脳は完全に麻痺し、言葉を編むことが出来ない。
どれだけ静寂が続いたのか分からない。
けれど、頑張って言葉を喉から押し出そうとした。が、しかし。
「あの――」
「…言えない話?」
美咲の言葉が喉まで出掛かっていた言葉を押し込んだ。
まるで子を諭す親のように上から視線が降ってくる。
その視線に耐えられず、思わず下を向いた。
「まぁ、言えないなら、良いけど。そんな親に叱られてる子供みたいな顔しないの」
「……」
顔を上に上げると、美咲は私に穏やかな笑みを向けていた。
なんか、泣きたい。

帰り道、本屋に立ち寄ると、南さんの本が発売されていた。
『優実も、何か明後日までに準備しといた方がいいと思うよー』
有希の言葉がまた聞こえてきた。
準備、て言うのは、このことなのかな。
私はそれを2冊買った。
そして、明日まで読まないことにした。
少なくとも、これを渡せればいいや。

『状況を想定してシュミレーションすれば?』
浅田が何処から私のアドレスを知ったのか、『状況を説明せよ』と言うメールが来て、私がその日あったとおりの事を(南さんの本のことは除いて)説明したら、さっきの返事が返ってきた。
いま、自分の部屋でくつろいでいるところ。
『どーいうこと?』
私が説明を請うと、4分後に答えが返ってきた。
『なんていうか、当日の状況を想像するんだ。
それで、頭の中で何度も何度も近藤を連れ出すんだよ。
本番は一回きりだけど、想像の中でなら何百回と出来るじゃん?』
なるほど、言いたいことは分かる。
だけど、美咲が本当にそうするのかは、分からない。
その旨を伝えると、
『何も本番と同じようにする必要ねーだろが
アドリブの練習と思えよ』
その日の夜、私は何度も美咲を図書室から連れ出そうとした。
何度も断られた。
途中、良い感じでは、と思ったが、でも、やっぱりダメ。
結局、連れ出せないまま、気付け朝になっていた。
このままで大丈夫だろうか。
そう思いながら、今日も、図書室の受付で、美咲を待った。

「優実、今日も早いのね」
いつも通りの始まりだった。
私の心臓は、もう既に激しく胸を叩き、もしかしたら音が外に漏れるのではないかと思った。
気付かれないように一回、深呼吸をして、私は美咲に話しかけた。
「ねぇ美咲」
ここまで言ったはいいが、その先の言葉が何も出てこない。
「何?」
「……」
体がほてる。
心臓の音がさらに大きく聞こえる。
ダメだ、何も言葉が出てこない。
あの夜、少なくとも30回は挑戦したじゃんか。
「……えーと」
何もしてないより、今はましなはず、と自分をいさめ、もうどうにでもなれ、と頭の中で駆け巡る言葉を捕まえ、そして私は続けた。
「文芸部、入る気、ない?」
「え?」
適当に言ったつもりだった。
美咲が珍しく目を丸くしている。
「文……芸部?」
「うん」
なぜその言葉が出てきたのか、さっぱり分からないが、
実を言うと、私も入りたかったのだ。
文芸部に。
「まぁ、入りたくないって言ったら、嘘よね」
「でしょ?」
畳み掛けるなら今しかない。
私は動かない脳をどうにか動かして、何とかして、目的地に結びつけた。
「昨日、部員が足りないって言ってて、文化祭に製本したいから、その分を誰か、って事なのよ」
「へぇ」
ごめん、今のは作った。
「だからさ、ちょっと行ってみない?」
ここまで来たら引き下がれない。
頼むから、OKと言って、お願い!!
「……いいけど」
心の中で私が喜びの舞を踊り始めたが、すぐにそれを取り押さえ、表に出ないように、変に思われないようにした。
一応、連れ出すことは出来た。あとは、何もなければいいんだけど。

     

ああ、肺の辺りに、もぞもぞと何かが動く感触。
やっぱり、私は嘘をつけない性格なのかも。
そう思うと、ちょっと弱気になった。
それでも一応は、目標の文芸部部室……の向こうの、ESS部に行かなくてはいけない。
なんで、文芸部室に行こうって言っちゃったんだろう……
というか、何でESS部なんだろう…
考えても仕方がない。
そう思うけど、やっぱり無理。後悔ばかり胸の中を駆けずり回る。
「ねぇ、そういえば」
美咲が言葉を投げかけてきた。
私はぐるぐる回っている感覚のせいで、一瞬それを取りこぼしてしまった。
「聞いてる?」
そう言われて初めて、取りこぼしたことに気がついた。
私は慌てて言葉を投げ返した。
「ぅ、うん……それで?」
「鳴海先生が、誕生日だってね」
あまりに自然に話してたので、始め違和感に気がつかなかった。
「…残念、誕生日じゃなくて、結婚式だから」
「え、あれれ?」
美咲が首をかしげる。
このとき、美咲は本当に子供っぽい顔をする。
もし私が男だったら、惚れてたかな。分かんないけど。
「そうだったっけ?」
「言ったじゃん」
まぁ、こういう事は、いつものことなんだけど。
その後、部室棟への渡り廊下へ行くまでの間、何も喋らなかった。
不思議なくらいに、話題が浮かばなかった。
どうして渡り廊下までかって言うと、そこに浅田がいたからなんだけど。
「よ、どーしたよ」
あんたが連れて来いって言っただろうがっ!!…と言いたいのをどうにか堪えた。
顔に出てなければいいけど。
「優実、もしかして、浅田君のこと嫌いなの?」
見事に美咲からの右フックが炸裂し、頭の中で震度6位の地震を観測した。
「ひでぇな、オイ」
浅田は笑いながら、顔を引きつらせた。
その顔は、私には、「お前、本当に大丈夫なのか?」と言っているように見えた。
私は、顔で「大丈夫だもん」と言ってみたが、その直後、
「今から、……という事で文芸部室に行くの、ねぇ優実」
美咲が言うのを聞いた直後、
「へぇ」
と言う浅田の顔には
「これで、何処が大丈夫なんだよ、バーカバーカ」
と書いてあるような気がした。
ムカッと来た。
けど、反論できなかった。
次の瞬間、浅田の顔に、勝利の輝きが宿った。
くそぅ……
その口喧嘩ならぬ顔喧嘩を傍から見ていた美咲は、前髪を触りながら、
「どうしたの?」
と言った。
「……ええと…」
そう言いかけた時、私は浅田からの視線を感じた。
浅田は、顔で「後は任せろ」と言うと、
「そーか、じゃ、メンバーは揃ったんだな」
と言った。
「え?」
と私が言うと、浅田は小声で、
「ESSから文芸部まで場所を移すように俺が交渉しとく。だから、そのまま文芸部室行ってくれよ」
と口早に言った。
「俺、文芸部の助っ人してんだけど、それでも2人足りないんだよ。つー訳で、俺、先に部長のところにいってくる」
と言って、すぐさま駆けていった。
心なしか今まで掛かっていた重力が少し軽くなっているような感じがした。
「正直なところ、どうなの? 浅田のこと」
美咲は私の肩を軽く叩いた。
「……嫌いかも」
私は正直な感想を口にした。

     

最近新しく建てられた校舎は、部室棟として使われている。
一階は吹奏楽部やらオーケストラ部やら軽音部やらに占領されているため、校舎に入ると同時に耳の中に、ミキサーに掛けられたような騒音が飛び込んできた。
「うわー、ここ、凄いうるさいね」
美咲は耳を塞いだ。
周りがうるさくて、声を聞き取るには少し苦労した。
美咲は、こういうのには慣れていないのだろう。
「早く行…」
言いかけて、はっとした。
今は少し、時間を掛けないといけないはず。
私が黙っていると、美咲が言った。
「どうしたの? 行こうよ」
その目には、楽しそうな光を宿していた。
「ぁ…うん」
私は、口の中でもごもご言うように答えた。

文芸部室は3階。
ふつーに行けば、3分も掛からない。
私は下手なガイド役をしようと色々画策したが、結局、実行することもなかった。
ただし、道中で美咲が何かを見つけたりしたけれど。
「見て」
見てみると、廊下で劇の練習をしているような、そんな風景だった。
「演劇部かな」
私は特に考えもなく言った。
すると、美咲がすぐに口を開いた。
「違うんじゃない? だって、あの人たち、英語じゃない?」
階下からの管楽器の音が渦巻いている中で、一生懸命耳を立てる。
すると、彼らの話している「言葉」が理解できた。
内容はわからないけど。
「確かに」
私は相槌を打った。

3階にたどり着くと、1階から聞こえてくる音は、かなり小さくなっていた。
文芸部の引き戸が見える。
そこに一歩一歩踏み込んでいく足が少しずつ早くなるのを感じた。
もうすぐ、あと5歩、3歩、2歩、1歩……
下に落ちていた目を、ゆっくりと上げる。
引き戸が、大迫力で目の前にたたずんでいた。
私はまだ気持ちの整理がついていなくて、美咲に見えないように深呼吸していると、そうしているうちに美咲は引き戸に手を掛けて、私に向かって言った。
「さーて……優実、この扉の先に何があるのかな?」
「ぇ?」
え、なんて?
「何かあるんでしょ。というよりも、たぶん私の誕生日のお祝い?」
え? え?
「やっぱりそうだったんだ」
私が今の状況をある程度把握するのに、結構な時間が掛かった。
つまり。
任務失敗……?
「美咲……分かってたの……?」
「うーん、まぁ、うっすらと」
「……」
「何て言うかさ、今日は私の誕生日じゃない? だから、ちょっとこんな感じかなって予想してたんだけど」
美咲は二の句の告げない(というよりはショックから立ち直れていない)私に向かって、言葉を続けた。
「それで、今日の浅田君と優実の様子からして、もしかしたら、と思って言ってみた…だけなんだけどね」
「……」
私は今日で最も威力の高い出来事に、テンションの泡がはじけたようになっていた。
「そんなに悲しい顔しない。今日はいい日なんだから、やな事は気にしないで…」
美咲はそう言って、引き戸を開けた。
とたんに『パン』というクラッカー特有の音がこだました。
「…楽しむのよ」
「……うん」
過去を思いっきり引きずるタイプの私にとって、これはちょっとしたトラウマになりそうだ。

「オイオイ、やっぱ園山じゃだめだったのか」
浅田は紙コップに入ったジュースを飲みながら言った。
うるさい、と言いたいけど、ブルーに入ってる私には言えなかった。
「まーまー、いーじゃんかー。こうしてお誕生日会できただけでもー」
「ま、そーだな」
「そして、文芸部は部員が増えるってことだな」
「そういえば、そうだったねー……美咲も、優実も、ここに入るんだもんねぇ~」
有希がうれしそうに言った。
そういえば、有希は文芸部員だったっけ。
「とりあえず、言っとくね。…ありがとう、浅田君」
「いやいや、お礼ならこの『アラレちゃん』に言ってくれよ。やろうって言い出したのは、こいつなんだし」
「そうなんだ……というより、『アラレちゃん』には、似てないと思うなー」
なんども美咲はそう言うけど……やっぱり、
「絶対、『アラレちゃん』だろ!!」
「絶対、『アラレちゃん』だよ!!」
どういう訳かハモった。
「そんなに似てるー? ていうか、浅田君も優実も、息ピッタリじゃないのー?」
「本当は気が合うんじゃない?」
私と浅田は顔を見合わせた。
……気まずい。

このままでは私が窒息死してしまうので、とっさに昨日買った南龍太の本を美咲に差し出した。
「これっ、私の好きな作家の本。読んでみてよ」
自分で言いながら、まるで告白してるみたいだと自己嫌悪に陥った。
「ふーん、南龍太ねぇ…」
その言葉に、条件反射的に浅田と沢辺が反応した。
二人がその本を覗き込む。
そして、二人同時に噴き出した。
「おいおい、マジかよ」
「いや、本当にびっくりした」
何がなんだか分からない私たちを尻目に、浅田と沢辺は興奮していた。
「あいつがか……いけね、読んでやるの忘れてた」
浅田がそういっているのを聞きながら、私たちはポカーンとしらけていた。


その次の日。
今日も「常連」は来ていない。
受付の担当は違うので、一人で適当な本を読んでいると、美咲が駆け足でこちらに来ていた。
「ねぇ、一緒に2-3に行こうよ」
肩で息をする美咲を見て、何の事かは大体予想がついていた。
「楽しそうじゃん」
鳴海先生の結婚式は、もう間近だ。

     

大事な局面では長考しない。簡単に決断する。
――米長邦雄

いや、いまさらそんな事言われても。
――園山優実

       

表紙

仮宇土 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha