Neetel Inside ニートノベル
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ダウンライト×レフトオーバー
スペクタクル×騒動

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#1.

 顔も洗った。歯もみがいた。レイディオ体操も欠かさなかった。
 うん、最後のは嘘なんだけども。ネイティブを気取りたかったんだけれども。
 ともあれ今日という一日は、単なる日常の断片にすぎなかったはず。
 
 ――朝。

 白羽(しらは)高校はいつも通り平和だ。
 デッドラインより早めの時間帯は、登校する生徒の数もまばらである。
 一方、「無遅刻無欠席」というスローガなんちゃらを掲げてたり掲げてなかったりする俺は、颯爽と彼らの隙間を巧みにスラロームしつつ、並木の景観を尻目に昇降口までを歩いていく。のちに悲劇を生むことになる下駄箱から、マイ上履き(何かこう言うとエコっぽい)を取り出し、教室へ向かった。
 そのとき、かなりのキャピキャピ指数を目的の方角に感じると、前を行く女子の一団には見覚えがあった。
 確か同じクラスではなかったか。「確か」というのも、今がまだクラス替えをしたばかりの時期と考えればやむをえまい。まして関わりそうもないヤツの名前を覚えないのは俺の悪い癖だ。
「A組の相川クンやばくない?」「最近ドラマつまんなすぎ」「あのサイトマジうけるんだけど」 
 脈絡のない放談が聞こえるか聞こえないか程度の距離で、彼女たちをむやみに追い越さずに階段を上り、三年生の教室群にたどり着く。そのまま廊下を進んでやがて俺のクラス。やはりそうだったか。
「おはよー」「よっす」「おっはー」「超ねむいよね~」
 教室に入った彼女たちに複数の声が応える。ふだんの朝のあいさつが飛び交い、戸は閉められた。
 どうやら俺には気づかなかったみたいだ。もちろん気づかれぬようにやってきたわけだが。
 一呼吸。
 俺はその戸に触れるのをためらう。ほどなく馬鹿らしくなってアクビをかまし、指先をかけた。
 勢いよく開け放つ。
 ガラリ。
「おは・・・・・・」
 と、すぐ真正面にいて、俺にあいさつしようとした女子は、みるみる硬直する。
「・・・・・・・・・・・・」
 その視線は俺の顔面というより、もう少し上に留まっていた。理由が明白なだけに辛い。
「・・・・・・・・・・・・」
 が、くじけない。お互い黙ってたらやりにくいな。何か言葉を返してみよう。
「お、大橋洋一・・・・・・」
 まるで悪いものでも見たかのように、彼女はすかさず背を振り向けてしまう。
「・・・・・・・・・・・・」
 今のは「大橋洋一」、略して「おはよう」という渾身のギャグだったものの、いまいちウケが悪かったようだ。スベリ具合がどっかの誰かみたいで嫌だぜ。エスプリの道はかくも険しいでごわす。
 そんな風に軽く毒づきながら周りを見渡した。
 他の生徒たちも同様だった。俺に一瞥をくれたきり、ぎこちなく眼を逸らす。気まずい雰囲気。
 ・・・・・・むう、今日もダメだったか。
 別にこれもいつも通りだから、めげたりはしない。立ち止まっていても仕方ないので、教卓を横切って自分の席に着く。ここまでクラスは沈黙に満ちていたが、ぽつぽつと会話が再開された。
「ま、いいか・・・・・・」
 独りごちる。
 なじむにはまだ、あるいは永劫、手間ひまがかかるのだろう。いちいち気にしていては身が持たないし、とっくに慣れっこのことだ。完全に孤立しているよりはいい。わずかながら交流はある。
 近づいてくる足音に続いて、さっそく声をかけられた。
「やあ、朝から婦女子に軽快なジョークとはシャレてますね」
 黒縁のメガネを押し上げ、理知的な空気を垂れる男。その名前は姉倉鞍馬(あねくらくらま)。俺の数少ない友だちの一人で、今朝も俺より早く登校していたとわかる。
「はいはいスベリましたよ。傷口に塩を塗り込まんでくれるか?」
 ぶっきらぼうにそう返すと、彼は柔和に眼を細めて、窓の外へ視線を転じた。
「いやはや、すがすがしい朝ですね」
 抜けるような青空が広がっていた。降り注ぐ日差しに濡れた緑葉が、窓枠からひょっこり顔を出している。ちょっとした眼福にも値する風景を受け、姉倉は端正な顔立ちに優雅な微笑をたたえた。
 ともすれば一瞬、スマートそうにも見える彼だが、その本質はまるで異なっている。
「今朝も私の十三人の妹が大変でしてね」
 ――おわかりいただけだろうか? もう一度ご覧いただきたい。
「あれは朝食の時分のことです。『おにいちゃん、あーんして』とか、『おにいちゃん、いーんして』だとかうるさくてですね。やれやれ、人気者の兄というのはなかなか・・・・・・」
 わざとらしいため息が落ちた。その表情が妙にニヤけている。気持ち悪いこと山のごとし。
「そうか。だったらそれが、『おにいちゃん、すーんして』まで続いたわけだな」
「おバカですねハル君は。何ですかその「すーん」とは。こっちはどう反応すればいいんですか」
 なぜか怒られてしまった。くそ、めちゃくちゃイラっとくる。理不尽極まりない。
 ちなみに俺が「ハル君」と呼ばれたのは、俺の名前が青野和泉(いずみ)であるからして、「いずみ→スプリング→春」という連想によるところだろう。しかし俺をそう呼ぶのは当然近しい人物だけで、例えば今、俺の眼前に立つ妄想はなはだしい変態とか――あとはもう一人ほどか。
「なあ、ネクラ」
 呼びかける。姉倉、ゆえに「ネクラ」。えてしてあだ名など安易なものだ。けれど「根暗」は何となくこいつに合っているような気がする。虚言癖大明神のこいつには。
 頭の隅でそんなことを考えて、教室を見渡しながら言葉を継いだ。
「クローはまだ来てないんだ」
 徐々に集まりつつある生徒を横目に、時計を見てみればデッドラインが近い。
 姉倉が皮肉めいた冷笑を浮かべる。 
「ええ、まだです。何たって彼は、不良ですから」
 くい、とメガネのつるを押し上げる彼。とてもインテリっぽい。でも変態である。
 その手が下りるかどうかというタイミングで、勢いよく後方の戸がひらいた。さっきの自分と同じくらい大きな音だと思う。ああ、俺はあんなに痛々しかったんだな。いやおうなく実感させられた。
「おーっす」
 返事はない。無理もなかった。
 戸口からゆらりと現れたのは、二メートルに届こうかという巨躯である。ぎとぎとのワックスでなでつけたオールバックに、コワモテな顔つきが周囲を威圧する。現におびえている生徒もちらりほらり。
 クラスの訝しげな眼差しを一身に受け止めて、こちらに一歩一歩と踏みしめてくる。
「よう、ネクラ。それにハル」
 低くドスの利いた声音も、俺たちにとってはなじみ深い。工藤九郎(くどうくろう)のお出ましだ。
「おはようございます」
「おはようさん」
 まるで巌のような、存在感たっぷりのいかつい風貌を見上げ、俺たちはあいさつを交わす。
 教室にいる人々の眼がじっとりと離れない。かまわず姉倉が口をひらいた。つま弾き者のトリオであれば、もはや空気なんて読みやしない。むしろこっちの方が気楽だったりする。
「クロー君は今日も遅刻ギリギリですね」
 いやらしい微笑を交えた姉倉に対し、荒々しく鼻を鳴らす九郎。
「ああ、何たってオレは不良だしよ。今朝も黄信号をゆっくり渡っちまったぜ」
 何かやり遂げたみたいに彼は額をぬぐう。実に微妙な不良アピールだった。唇をゆがめた姉倉のそばで、つい俺も笑ってしまいそうになる。盛り上がるのはいつだってくだらないことで。
「確かに交通ルールは大事だ」
 うんうんとうなずいて笑いをこらえた。元の顔つきをして姉倉がそれに続く。
「ええ、その通りですよ。私の十三人の妹たちにも伝授しなくては」
 と思ったら性懲りもなく妄言を再開しやがった。
「お、おい・・・・・・」
 脇を小突かれたので九郎の方を見やる。
「あいつそんなに妹いんのかよ・・・・・・しかも不吉な人数だなオイ」
 ツッコまない。ツッコまないぞ俺は。外見にそぐわず意外と九郎はピュアだった。
「ほらオマエら、もうすぐチャイム鳴るぞ。散った散った」
 二人を追い返すようにして俺は手を振る。内心ではコイツらとくっちゃべってるのも悪くないけど、ここはあえて呆れた風を取りつくろう。素直じゃないことに関しては自覚もあるさ。
「あとネクラ、オマエの妹の数、このあいだ十二人だったからな」
 しぶしぶ立ち去ろうとした姉倉の背中を刺す。ぴくりとしたのち動かなくなる彼。むすっとした表情をこちらに向けて、スマートなルックスはどこへやら。
 設定面のスキを突かれると、コイツ途端にスネるんだよなぁ・・・・・・
「すげぇなネクラ、めでてぇじゃねぇか! もう一人生まれるなんてよぉっ!!」
 バシンバシンと九郎に肩をたたかれる姉倉だが、いくばくもせずその面持ちに不吉な色が宿った。
 あ、やっちまった、と俺は思う。
「ぐゥッ・・・・・・!」
 唐突に姉倉がうめきだす。能天気な九郎をよそに、その場にうずくまった姉倉は、震える右手を必死に押さえている模様だ。こうなってしまっては手がつけられない。うーん、放っておこうかな。
「くそ、右手がッ、うずくっ・・・・・・また『機関』の連中ですかッ・・・・・・」
 ぜひ放っておきたかった。
 ごまかしていらっしゃるつもるなんだろう。
 ぼそぼそとつぶやいて自席に戻る姉倉の後ろについて、いつまでも「おい、大丈夫かよ」とか本気で心配してる九郎が印象的だった。つくづく俺たちは何だかんだで仲がいい。
 クラスの大部分が自分たちを疎んでも、俺は幸せだった。
 多くは望まない。いや望めない。
 このちっぽけな、くだらない、たわいない関係でいい。それをずっと守っていけたら、俺の日常は万々歳だ。妥協できないヤツはどっか別の場所でやっててくれればいいのだ。
 俺にとって日常とは、そう、例えるなら、荒波に対する防波堤なのだ。

 平穏の秘訣は甘んじることである。
 
 やがて教室に鳴り響いたチャイムを、俺はどこか遠くで聞いていた。
 さっさと放課後にならないかと思った。
 

       

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