Neetel Inside 文芸新都
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【木崎-1-】


 もう限界です。誰か迅速かつ鮮やかに助けてください。
考えられますか? 八年ですよ、八年。そんなにも長い間私は苦痛を我慢しているんです。
それでも事態は良くなるどころか、悪化し始めるし…
って、聞いてます? もしもーし?

 
 相手は無言のまま電話を切った。空しくツーツーツーと耳元で鳴る。
私のストレス解消法の一つ、「適当な電話番号にかけて現状を愚痴る」
というのもなかなかうまくいかない様だ。見知らぬ番号でも、宅配便や
仕事先などの人の番号ということもあるからだろう、
電話自体は多くの人が取ってくれるのだが、私の一方的な愚痴を一分と聞いてくれた人はいない。
私は誰かに分かってもらいだけなの、その願いすらも叶えられないって、
ひどすぎない? 私はどうしてこうなったかを目を閉じてしみじみと振り返る。

 
 当時の私は三十路を迎え、「婚活」というやつに燃えていた。
その頃私は某印刷会社で事務処理の仕事をしていたが、
三十路に至るまで適当な人と付き合っては別れ、付きあっては別れを繰り返していた。
二十五を超えたころからは付き合う人に結婚を求めて、迫ったこともあったが、
それを彼は、彼らは「重い」の一言で片づけていって、気がつくと三十だったのだ。
自分の力ではどうしようもない、と私は腹をくくり、
婚活として結婚相談所に高いお金を払って登録した。
相談所はすぐに私に案を提示してくれた。
…年収一千万、市内の高級マンションに住んでいてイケメン、
という絵にかいたような王子様を紹介してくれたのだ。
当然私はその出会いに喜び、実際にお見合い形式で会うことになる。
そうか、このときに気づけばよかったのだ。彼が最低な男なのだと。
いや、彼自身ではなく彼を取り巻く環境も含めてだが。
 
 高級料亭でセッティングされたお見合いにやってきたそのイケメンは、私には釣り合わない
存在であるように見えた。整った容姿、ブランド品を格好良く散りばめるセンス、会話していてわかる
そのインテリジェンス。
どれをとっても、そこそこの外見で、高くも安くもない服を着まわして、頭もそんなに良くない
三十路女にはもったいなかった。
「―それでは、若いお二人だけで…」
と仲人達が消えても、私は委縮しっぱなしだった。存在しているだけで恥ずかしかったのだ。
慣れない正座で足が痛くなっていることなんて気にならないくらいに、自己嫌悪に陥っていた頃に
彼が話しかけてくれた。
「ね、そんなに緊張しないでよ。楽しく話そうよ」
そんなことで急に楽になったら苦労はしない。私は思い切って自分の思っていることを打ち明けた。
万が一この縁談がうまくいっても、この精神的苦痛が無くならない限りは楽しくは暮らせないから。
「私ね、年齢も結構いっているし、美人じゃないし、あなたとは釣り合わないと思うの。
だから、私じゃなくてもっと他の―」
あの人のことを見れなくて、目線を泳がせながらしゃべっていた私は一瞬何が起きたのか分からなかった。
数秒してから、彼に手を握られていることを感知する。
彼はテーブルの上に身を乗り出して私の顔と数センチの距離に顔を近づけ、話し始めた。
「僕のところにも結構縁談がきたりする。…でも、全部断っていたんだ。それは、その人に魅力を感じられなかったから。
あなたとの話も最初は断ろうと思ったけど、写真を見て、あなたしかいないと思ったんだ。
僕はあなたがいい。いきなり結婚してくれとは言わない。でも、もしよかったら僕とお付き合いしてくれませんか?」
ロトシックスが当たるくらいの奇跡だろうか? そりゃあ、当時の私は嬉しかった。
当然その誘いをOKしたし、現実にそれからお付き合いして、結婚までしたんだ。
そして私は水沢藍から、木崎藍になった。

 
 新婚初夜、他の夫婦でやるであろうあの行為を心のどこかで私は期待していた。
「君を大事にしたいから」とかいって付き合っている間は私の乳房さえ見てくれもしなかった。
だからこそ、夫婦になってからは、と一層期待を募らせていたのだ。
私はまだかまだかとマンションで夫の帰りを待った。
夫をびっくりさせようと私は慣れないコスプレに身を包み、
ドアの前で待っていると
鍵を開ける音がした。あの人だ、と思ってインターフォンを覗くと、やはりあの人の顔。
満面の笑みを浮かべながらドアを開け、
「おかえりなさい」
と言うと、あの人は苦笑いをした。苦笑いの理由はその数秒後に分かった。
「なんだい、良彦の結婚相手は三十も超えているのにこんな恥ずかしい格好をしているのかい」
おそらく五十すぎであろう、オバちゃんがあの人の後ろにいて、
私をまるで汚らわしいものを見るかのように見ていた。
呆然とする私の肩を夫は優しく叩き、
「これ、俺のお袋。どうしても同居したいっていうから、連れてきちゃった。な、いいだろ?」
私に選択権はなく、受け入れてしまったわけだが、
その時はセックスを挫かれたことにいら立っていて、姑にまではあまり気が回らなかった。
彼女がどんな人間で、どれだけ私の人生にとって邪魔なのかということも分からなかったのだ。


 姑の嫁いびりは翌朝から開始された。私の作る料理に
「こんなまずい飯を良彦に食わせるのか? 恥を知れ!」
といちゃもんをつけて、朝食はおろか、朝五時に起きて作ってあげた弁当まで
ゴミ箱に投げ捨てたのだ。呆然としていると、
「良彦ちゃーん、これで何かおいしいものでも食べなさいね」
と一万円札まで夫に渡していた。
私が助けを請うように夫の方を見ると、夫はその視線を完全に無視し、
「ありがと~、ママ」
と私には聞かせたことのない甘い声で言った。
そう、彼は極度のマザコンだったのだ。例を挙げればきりがないが、
やはりこの出来事が一番心に突き刺さっている。

 結婚相手がマザコンなんてありえない、離婚する、という人もいるかもしれないが、それは無理だった。
当時の状態で私が世間に放り出されたら、三十歳、無職、バツイチ…絶望的じゃないか。
ともあれ、このマザコン夫といびりに耐える決意をした私だが、
いつの日か精神が崩壊するのではないか、というくらい追い詰められてしまっていた。
誰にも相談できないし、どうしたらいいのか考えていると、
「子供」を作ればいい、という単純な結論に至った。子供には姑もやさしくするだろうし、
子供の世話、という生きがいができれば私ももっと楽になるはず。そう、その筈だった。
私はその夜夫と外食すると言って、姑を家に残し二人で出掛けた。
「な、なんだよ強引だな。今日も母さんも一緒にごはん食べればいいじゃないか。
今更二人で食べにくる必要なんかないだろう? 僕たちは結婚しているんだから」
渋る夫の手を引いて向かった先は、レストランでもなく料亭でもなく、ラブホテル。
「おい、ここってごはん食べる所じゃないだろ?」
夫はかなりオドオドとしながら私に言う。
「そうよ。ラブホテルよ。今から私達はセックスするの。ねぇ、私子供が欲しいの。姑さんがいたんじゃ
家の中ではできないじゃない。そのおかげで結婚してから三ヶ月も経つのにまだ私達していないのよ?」
すごい剣幕で言った私に怯えながらあの人は言った―
「してない、じゃない。できないんだ」
えっ? と言ったのか顔で示したのか分からないが、私はとにかくそういうリアクションを取ったはずだ。
「僕は…不能者なんだ。インポテンツなんだよ」
さらっと言ってのけた彼に唖然としていると、
「ママに連絡しなきゃ、携帯携帯っと…」
そうあの人は言って私の手を振り払い携帯を探し始めた。

そう、私の夫は極度のマザコンで、かつインポで、姑も性格が悪いというどうしようもない奴だったのだ。

       

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