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表紙

天文坂高校文化祭顛末記
えくそしすと

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  5 えくそしすと


 ◎

 山岸ひな子、通称「女帝」と呼ばれる彼女の朝は早い。始業時間一時間前に登校し
――とは言っても寮からすぐ隣りの校舎に行くだけなのだが――校内を見回り、生徒
会室で濃い目のコーヒーをすする。

(俺たちバレたら殺されないかな)
(黙ってろ、ヒロ)

 今日と言う日であってもその日課は変わらない。そう、それが文化祭期間二日目で
あったとしても……
 右手でコーヒーカップを持ち、左手で長い黒髪を耳にかけ、正面を見据えている。
肌の状態は良好、まるで白磁のよう。薄く塗られたリップはピンク色の唇を慎ましく
飾っている。一介の高校男子にとって、その姿は毒だ。あらぬ妄想を膨らませてしま
いそうになる。そう、今まさに俺の手は股間に伸びていきそうな……

(いらんナレーションをつけるな、馬鹿)
(蹴ることないだろ、コースケ。てめーの台本、なんだか恥ずかしいんだよ)

 彼女は不意に立ち上がり、生徒会室の窓から、無人の校舎を眺める。朝陽が差し込
む窓辺に佇む彼女はまさに一幅の画。印象派の巨匠が書き残した幻の傑作と言われて
も俺は信じるね。ああ、それにしても我ながら語彙力のなさに落胆する。彼女の美し
さをを形容するのは、相対性理論を口頭で、楽しげな比喩を交えて説明するより困難
だ。アインシュタインも真っ青。それにしても美しい、ああ、美しい……

(だからアドリブいらないって)
(こっちのが面白いって!)

 彼女はふっと時計を見る。黒板の上にかかった時計は彼女に見つめられて恥ずかし
そうに時を刻んでいる。ああ、俺は時計になりたい……
 彼女は生徒会室を出て行く。教室へ向かうのだ。

 @

 欠伸をしながら、おはようと朝の挨拶を惰性でやっているような凡夫たちが登校し
てくる。彼女は机に座り、その一人一人に丁寧に挨拶をする。おはよう、と言われた
生徒達の顔から眠気が吹き飛ぶ。そう、女帝との一日が始まるという事実が彼らを奮
いたたせるのだ。

(コースケ、これ、いつまでやんの?)
(とりあえず朝礼始まるまでだろ)

 カメラは今、彼女の背中を捉えている。深く椅子に腰掛け、背筋をぴんと伸ばし、
正面を見据えている。彼女には少しの歪みもない。ただ、ただ、真っ直ぐでいる。誰
かがそんな彼女の背を少しでも丸めることに成功するのであれば――冬の北風ですら
それを成しえなかったが――株価は大暴落をするだろう。うん、間違いない。とにか
くあのボロ商店街くらいはつぶれること請け合い……

(いらんことを言うな、ヒロ)
(いや、実はちょっと飽きてきた)

 まぁ、さっさと終わらせてしまおう。そう、彼女は今日も見目麗しい。以上。

(勝手に終わらせるな)
(はっはっはっはっ)

 @

 と、まぁこんな調子で朝から我々映画研究部は映画撮影を――盗撮と言うのが正し
い――行っているわけだ。朝暗い内から学校に忍び込み、生徒会室のロッカーに隠れ
女帝を隠し撮り。見つかれば女帝直々にお仕置きされるのだと思うと、逆に興奮して
しまったのはコースケには内緒にしておこう。
「お前、ナレーションやれよ」
「そんなもの必要なのか?」
「この手のドキュメンタリー映画には必要なんだよ」
 そんなこんなで、俺がナレーターに抜擢されたわけだが、コースケの台本は脳みそ
のネジが全部外れたシェイクスピア~な調子でやってるもんだから、俺がちょいちょ
いアドリブを加えた。いや、実際我ながら良くやったと思うのだがコースケは不満げ。
「俺のゲージュツを汚すな」
 映像を確認しながらコースケは拗ねている。俺は楽しいと思ったのだけれど……

 @

 昨日の中庭猫騒動は昼までには全校生徒が知っている周知の事実となっていた。野
球部の連中が平木たち剣道部に復讐をしようと画策しているとか、剣道部の連中が号
外新聞をくばったとか――実際に号外は見ていない。真偽のほどは定かではない。新
聞部だけが持つ報道権を侵害したとのことで執行部に寸前であげられたとかなんとか
――色々な噂が飛び交う中、幽霊を見たという女子生徒が現れて、文化祭期間二日目
はその幕を上げる。

 @

 ――午後八時くらいだと思う。軽音楽部の部室にギターを忘れたから取りに戻った
の。もちろん守衛さんに許可は取ってね。それで……ほら夜の学校って気味悪いじゃ
ない? だからさ、走っていったのね。それでギターを担いで、さっさと帰ろうと部
室棟の廊下を走ってたら……声がするの。笑い声。話し声。コーラス部の部室の前で
聞こえたの。誰かいるのかなってコーラス部覗いたんだけど、誰もいない。でも声は
するの。響いてるの……わたし、もう怖くなってそのまま走ったわ。それはもう必死
で。でも、笑い声はずっと聞こえてた。
                (カクイチのインタビュー録音より)

 目撃者……というよりは、声を聞いた女性徒は軽音楽部の部員。俺達と同じ二年生。
ギターと声が良いという噂のバンドウーマン。軽音楽部女子部員によるバンド『のっ
ぽのサリー』の花形。名を坂中サエ、という。
 坂中が出会ったという怪奇現象は面白おかしく語られると同時に、悲劇のコーラス
部員の怨念が原因という根も葉もない噂を広げることになった。この話は昼休みに広
がり、俺やコースケの耳に入った頃には、女帝はすでに介入を決定していたという。

 @

「これより生徒会は、部室棟における自治権、治安を確保するために、部室棟で発生
した不可解現象に介入することを宣言します」

 と、こんな具合に校内に放送が流れた。それは昼休みが終わる寸前。カクイチとコ
ースケによると、生徒会四役全員が放送室に赴いたとのこと。俺はその場に居合わせ
ることはできなかったが、コースケはばっちり映像を収めていた。
「こりゃ面白くなるな」
 教室に戻ってきたコースケは収めた映像を確認しながら呟く。昼休みが終わるチャ
イムが鳴り響く。
「ヒロ、放課後はべったり張り付くぞ。それにカクイチによると執行部もこの件で動
いてるらしい」
 教師が教室に入ってきたのを見てコースケはカメラをしまう。
「さて、女帝がどう動くものか……」
 コースケはとても楽しそうだ……ん? 俺はどうなのかって? 楽しいに決まって
るだろう。そんなの。


     


  6 ぽるたーがいすと


 ◎

 女帝、山岸ひな子の介入宣言には二つの意味があるというのが大方の意見。一つは
執行部への牽制。もう一つは、生徒会としてのパフォーマンス。
 前者は、日増しに強くなる執行部の統制へのカウンターの場として女帝は利用しよ
うとの目論み。女帝としては、風紀委員に毛の生えたような連中から本来生徒会の職
務である部室棟の管理権を取り返したいはず。そして前者と密接に関係してくるのだ
が、後者は生徒会の存在を全校生徒にアピールのためだろう。女帝が生徒会長の座に
ついてから、それまでの影の薄かった生徒会に脚光が当たるようにはなったが、それ
でもまだ執行部の後塵を拝しているのが実情。生徒の中にはいまだに生徒会を執行部
の補助機関と考えているものも多数おり、そのほとんどが女帝の行ってきたことや執
行部とのいざこざを自作自演と考えている。そうした現状を打破する機会を女帝は待
っていたわけだ。
 
 @

 山岸ひな子という人間は、自分ができること、できないことを実に良く把握してい
る。その上で、自分ができることは――それをすることが許されているということも
含めて――最大限の力を持ってし、できないことはそれが可能な人間を即座にピック
アップする。
 今回の幽霊騒動において白羽の矢が立ったのは科学部部長、真田秀成。オカ研に依
頼しないあたり、流石と言うべきだろう。

 女帝は放課後になるまで動かなかった。執行部があれやこれや策を弄していた頃、
女帝はゆったりと午後の授業を受けていたのだ。あれほど執行部より先んじようとし
ていたのに? 答えは生徒会に与えられた権利に関係してくる。
 天文坂高校規則第59条に関する部分だ。

『生徒は前条において認められた自治権について自力で回復する権利と義務を負うこ
ととする』

 そしてその第二項にはこうある。

『二 当該生徒がその権利において自治権の回復を達成することが困難である場合、
   自治権の回復には時と場所を選ばず、生徒会、もしくはその委任を受けた者が
   あたることとする。                          』

 時と場所を選ばず、というのがポイント。通常夜間の校舎への生徒の立ち入りが禁
止されてはいるが、自治権の回復というお題目があれば、生徒会にのみ問答無用でそ
れが許されるのだ(以前は、執行部が委任者として半ば強引にこの権利を生徒会より
奪っていたという経緯があるが、山岸ひな子がそんな勝手は許さないだろう)。
 つまり、原因となる現象が起こった時間に、その場にいることができるのは生徒会
とその協力要請を受けた者だけなのだ(第59条第三項にある生徒会による協力要請
の規定による)。女帝が執行部に協力要請を行うわけがないのは周知の通り。生徒会
の、女帝山岸ひな子の独壇場になるのは決定しているのだ。

 @

 科学部部長、真田秀成が女帝からの協力要請を快諾した。その話を聞いた生徒達1
0人中10人が、さすが女帝だ、あの真田を従わせるとは、と思ったことだろう。
 誰にも従わず、誰をも従わせない孤高のマッドサイエンティスト真田秀成。それが
一般生徒のイメージ。そう、真田秀成という男は扱いづらい難物として知られている。
執行部はもちろん、教師ですらこの男を従わせるのは容易ではない。明晰な頭脳と、
束縛を嫌う徹底した性格がその理由。迂闊な教師が授業中に彼の反論にあい、徹底的
にやっつけられ、その教師が長期休職に入ったのは有名な話。執行部の傲慢を完全論
破し、科学部部室の強制立ち入りを拒んだのはもはや語り草。そんな厄介な男が二つ
返事で女帝の要請を受けたのは不思議でならない。他の部活動に対して干渉せずを貫
いているのに。
 どうしてだ? と俺が放課後サナダに尋ねると、こう答えた。
「コースケからの根回しがあったということ、それと、たまにはこういう馬鹿騒ぎに
参加するのも悪くないと思ったということだよ。探偵ごっこも楽しそうだ」
 気分屋は相変わらず、ということか。

 @

 放課後から完全下校時間の8時までの間、執行部が部室棟で派手にやったらしいが、
結局幽霊騒ぎ解決の糸口は見つからなかったそうだ。
 俺とコースケはサナダの口利きで捜索に参加させてもらうことになった。女帝が協
力を要請したのは科学部なのだから、俺達映画研究会はその埒外にあるはずなのだが、
サナダが助手として俺とコースケを指名したことによりその問題はクリアされた。
 生徒会は女帝、山岸ひな子をはじめ全員参加。副会長の安達卓、書記の清水亜紀、
それと庶務の川越太一郎がそのメンバー。対して科学部はサナダとその助手俺とコー
スケ。山岸ひな子は俺とコースケを見て不快感を隠さない。
「真田くん、彼らが助手で構わないのね」
「ああ。山岸、彼らじゃ不満か?」
 女帝は俺とコースケの――それとビデオカメラを――顔を一瞥して、肩をすくめた。
「真田くんがそれでいいなら、こちらとしては何も言うことはないわ」
 
 @

 下校する生徒達とは反対方向に進む俺達。文化祭の準備に大あらわの連中。部活を
終えて汗だくで帰る奴ら。どいつもが一様に俺達を見る。みんな興味津々といった顔。
たぶん、みんな事情を知ってる奴らなんだろう。昼にあれだけ堂々と宣言したら、知
らない奴なんていないとは思うが……
 部室棟前には苦虫噛み潰したみたいな顔して建物を睨みつけている男が一人。
 執行部部長平井だ。
 平井はこちらに気がつくと、ポケットに手を突っ込んで不敵に笑った。
「やあ、山岸。これからお勤めかい?」
 女帝は平井の目の前で足を止めた。同時に俺達も立ち止まる。
「あら、平井くん。下校時間まであと5分よ。執行部部長が風紀を乱すようなことに
なったら大変よ。早く帰ったら?」
「なに、ここから校門まで3分とかからないさ」
「あらそう。それで何か用?」
「君に用事なんてないさ……ところで彼はどうしてビデオを撮ってるんだ? 君はた
しかB組の沢田だな。許可はとってあるのか?」
 コースケはビデオをまわしたまま、文化祭実行委員からの許可証を提示する。
「ふむ。ただ、それは下校時間までだろう? そこから先の撮影の許可じゃない」
 コースケは黙ったまま許可証の文面を指差す。そこにはこう書いてある。

『文化祭期間、場所時間を問わず撮影を認める』

 平井は気に入らない、といった感じでフンと鼻をならし、校門の方へ歩き去った。
女帝は平井の後姿を見て、言う。
「傲慢、嫌味もここまでくると不快極まりないわね」
「まぁまぁ会長、怒らずに笑顔笑顔。皺が増えちゃいますよぅ」
 場に似合わぬ軽く甲高い声。声の主は書記の清水亜紀。清水は女帝の肩を揉みなが
ら笑っている。
「そうね」
 そう言って女帝は部室棟を見上げる。
「これより、自治権回復のため部室棟の調査を行います」
 女帝は高らかに宣言し、部室棟への一歩を踏み出した。 

     


  7 しゃいにんぐ


 ◎

 夜の部室棟は不気味。距離感がいつもと違う感じ。昼間とは大違い。古い建物特有の怪し
げな雰囲気。そこら中に誰かが隠れているような気配。建物自体が息をしているように思え
る。それに、どこそこから妖気が流れ込んでるみたいだ。いきなり幽霊が出てきたってなん
ら不思議じゃない。
 コースケはカメラについてる心細い照明で撮影を続けている。まともな画が撮れるとは思
えないが……
 生徒会の連中はそれぞれ懐中電灯を持っている。光の線が壁や廊下、天井を走る。光線の
中を埃が待っている。サナダと俺は手ぶら。俺はきょろきょろと視線が落ち着かない。対し
てサナダは真っ直ぐに正面を見ている。
「幽霊でも出そうだな」
 俺がそう言うとサナダは馬鹿にするように笑う。
「いないよ、そんなもの」
「いたらどうする?」
「いたら面白いだろうな」
 サナダはにやりと笑う。それを見て俺は思う。幽霊もこいつの前じゃ裸足で逃げ出しそう
だ。

 @

「『シャイニング』って映画があったな。ホテルが呪われた存在ってやつ。あのジャック・
ニコルソンは怖かったな。まぁキューブリックらしく、最後はわけわからない感じで収まっ
たけどさ。写真の一員になってるってやつ……もしさ、部室棟が呪われてたらどうする?
オカ研見解じゃ悲劇のコーラス部員の怨念らしいけど……ん? 今なんか物音がしなかった
か? ラップ音かな。そういや『エクソシスト』怖かったなぁ。そうそう、こういう階段が
出て来るんだよな――そう言ってコースケは二階への階段を指差す――そういや怪談でよく
あるよな。階段からボールが落ちてくる。でもよく見たら笑う生首だった、なんてさ。生首
が落ちてきたらどうする?……俺たちは明日には音楽室の音楽家の写真の一枚になってるか
も……どうしよう、貞子が出てきたら……」
 ナレーションのつもりか、みんなを脅かそうとしてるのかわからないが、コースケは一人
話している。みんな黙って聞いている。というより無視している。生徒会のメンバーで怯え
ているのは川越太一郎くらいのものだ。コースケが時折大きな声を出したりすると、川越の
懐中電灯から伸びる光線がぐらぐらと震える。
「過去、日本人にとって異界ってのは山とか海だったらしいけど、今じゃテレビも異界の境
界になっちゃうんだな。貞子は異界からやってきている! なんと恐ろしい。我々は今、8
時という時間と、部室棟の入口という境界を跨ぎ、異界に足を踏み込んでいるのではないだ
ろうか……」
 怯えさせるというよりは茶化しにはいっている。コースケの独り言に腹を立てたのか、女
帝がコースケに光をぶつけて静かな声で言う。
「沢田くん。邪魔をするなら帰ってくれないかしら。別にあなたがいなくても真田くんがい
てくれればいいんだから」
 静かだけど、怒気を感じる。言い終えると女帝は階段を登り始める。コースケを見ると嬉
しそうににやけている。どうやら独り言は俺達を脅かすためでも、ナレーションをつけてる
わけでもなく、女帝の反応を見たかっただけのようだ。そうだ、こいつはそういうヤツだ。

 @

 1階から4階までの間、何事も起こらず静かなもの。期待したラップ音もポルターガイス
ト現象もなし。みんな拍子抜けという感じで最初の緊張がなくなっている。坂中の聞き間違
いだろうなぁ、と誰もが考えているはずだ。だが、それでも軽音楽部がある5階にくると、
空気は一変。流石にみんな警戒している。これまで何もなくても、これからいきなり何かが
起こる可能性だって十分にあるわけだ。
「吹奏楽部、コーラス部、一番奥には軽音楽部がある。坂中さんのルートを辿ってみましょ
う」
 女帝はそう言って先頭切って歩き出す。川越なんかはびびってるみたいで、安達や清水の
歩く後ろに隠れるようにしている。

 吹奏楽部の部室は大きい。5階の半分は吹奏楽部。そしてちょっと小さくなってコーラス
部。最後に突き当たりの倉庫のようなところが軽音楽部。
 女帝はジャケットのポケットから鍵を取り出して部室の鍵を開ける。中は埃っぽい。ドラ
ムセットが置いてあるだけ。ホワイトボードには文化祭で演奏するセットリストが書かれて
いる。机が一つ、ソファが2つ壁際に並んでいる。机の上にはノートが置かれている。表に
は「日誌」と書かれている。
 取り立てておかしなところはない。女帝は日誌をぱらぱらとめくって元の位置に戻した。
「さて、引き返してみましょう」
 そして俺たちは廊下を引き返す。軽音楽部を出て、コーラス部の前を通り、上階への階段
を過ぎて、吹奏楽部の部室を右手に見て、登ってきた階段に到着する。幽霊の声は無い。
 女帝は腕組みする。
「おかしなところはないわね。変な声もしないし」
「そうですね。やはり空耳でしょうか」
 安達がそう言って首を傾げる。
「幽霊どっか行ってるんじゃないかなぁ」
 清水がけたけたと笑いながら言う。
「清水さん、変なこと言わないでください」
 完全にびびってる川越の背中を清水が思い切り叩く。それじゃつまんないじゃん、と。
「どう思うコースケ?」
 俺が尋ねるとコースケはカメラを停めて、撮った分を再生し始める。
「そうだなぁ……」
「空耳だろう。もしくは隙間風を声と聞き間違えたか」
 サナダは退屈そうに欠伸をする。

「そうかぁ、変なことは起きなかったでござるか」

「そうね」
 女帝がそれに答える……みんなの動きが止まり、次の瞬間、いるはずのない八番目の発言
者へと注目する。そこにはリュックを背負い、ロウソクを手に持った小太りの男がいた。
「山岸様、ご機嫌うるわしゅ~でござる。オカ研参上つかまつった」
 誰も呼んでね~、とその場の全員がそう思っただろう。

 @

 オカルト研究会。UFO、UMAから心霊現象、トンデモ歴史までなんでもござれの阿呆
集団。通称オカ研。噂では呪いの代行なんかもやってるって話だが、成功率はどれほどのも
のか……
 その部長、柊聡一郎は、その爽やかな名とは裏腹に、小太りで変な話し方をする気味の悪
い男として知られている。
「柊くん、校則違反よ。即刻寮に戻りなさい」
 女帝が懐中電灯を柊の顔にぶつける。柊はうひゃ~と言いながら両手で光を遮る。
「つれないなぁ、山岸様。こういったことは我々オカ研が専門。科学部のような粋ではない
連中に解決できるようなものではありませぬ」
 サナダは相手にするのも馬鹿馬鹿しいといった感じで、ため息をついた。
「あなたには関係ないでしょう」
「そう言わずに山岸様。きっと役に立つでござる。」
 その言葉に腹を立てた女帝が右の拳を振り上げた瞬間、安達が二人の間に割って入った。
「会長、現状では我々に彼を裁く手立てはありません。風紀違反は執行部の管轄です。ここ
で下手に騒ぎ立てると執行部が介入してくることになる。今執行部来られて困るのは我々で
す。ここは事後報告ということで、柊くんにも協力要請をした、ということにしておきまし
ょう。柊くん、邪魔だけはしないでくださいね」
 安達の言葉に柊はにたにたと笑い、何度も肯く。
「まぁ、いいわ。ただし、私の指示に従わなかったら窓から突き落とすからね」
 本気でしそうだから怖い、と誰もが思っただろう。柊も女帝の剣幕に大人しくなった。や
れやれ……とコースケの方を見る。コースケはこっちの話も聞かずに、再生と巻き戻しを繰
り返している。サナダも気にしていたみたいで、コースケの横から画面を覗き込んでいる。
「とにかく、もう一度同じコースを辿って……」
 女帝の言葉をコースケが遮る。
「いや、その必要はなさそうだ」
 コースケはカメラの画面をみんなに見えるように差し出す。映像は軽音楽部から階段へ向
けて戻ろうとしているところ。カメラは俺達の背中を映している。そしてコーラス部の部室
を過ぎたあたりで一旦停止をする。
「築60年、木造モルタル5階建てがいつから6階建てになったんだ?」
 築60年、木造モルタル……なわけはないが、たしかに、カメラにはあるはずのない上階
への階段が映し出されていた。





     


  8 ぶれあ・うぃっち・ぷろじぇくと


 ◎

 と言うわけで、俺たちはあるはずのない6階への階段の前にいる。誰もが押し黙っていて、
階段を凝視している。階段は木造で、足を置いたら底が抜けそうなほど古いものに見える。
「ここでぼーっと立っていたって埒があかないわ。行きましょう」
 進もうとする女帝の肩を安達が押さえる。
「会長、これ以上は我々の手に余る。無茶は控えるべきです」
「そうですよぅ。あたし怖いです。本当にお化けが出てきますよ」
 さしもの清水も震えてる。いつもの調子じゃない。
 女帝は安達の手を払いのけ、階段を背にして言う。
「自治権の回復、それが私達の使命よ。それにここで引き下がったら平井に笑われるだけだ
わ。そんなの私は嫌。死んでも嫌。安達くん、私達は勝たなければならない。権利は勝ち取
るものよ、そうでしょう? また以前みたいに執行部の使い走りをさせられるだけの生徒会
であなたは満足できるの?」
「いや、それはそうですが……私は会長の身の安全を……」
「私は命を賭けてるわ。あなたたちも命を賭けなさい」
 この一言で生徒会の面々はだんまり。流石は女帝。強い言葉を使う。
 そんなやりとりがされてる後ろで、柊がコースケにねだってる。
「ねぇ沢田氏、その映像コピーしてたもれ。貴重な映像ですぞ。是非我々オカ研に資料の提
供を、資料の提供を~~~」
 コースケは無視して生徒会のやり取りを撮っている。
「もちろんお礼はありまする。後生、後生だからぁぁぁぁ」
 コースケは無視を決め込んでいる。俺がため息をついた横でサナダが小さな声で、黙れ下
品な豚、と言ったのは柊には内緒だ。

 @

「『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』ですなぁ。まさに生ブレアウィッチですなぁ。沢田
氏よ、貴君は成功する準備はできておりますかな? わたくし柊とともにこの貴重な映像を
世にしらしめるのでありますぞ。世界で唯一つの映像ですぞ。異界を彷徨う若人の成り行き
を収めた貴重なドキュメンタリーですぞ」
 いい加減うるさい、と俺は思う。狭い階段を二列縦隊で登っている中で、柊のテンション
の高い声は騒音と同じ。コースケは相変わらず無視。まるで柊が存在していないように振舞
っている。まぁ、それが正解なのかもしれないが……
 俺はサナダと二人で最後尾。先の見えない階段を登っていると不安になる。特に最後尾と
いうあたりが恐怖感を誘う。最後尾の人間が消えるのはホラー映画にはありがちだ。俺がそ
う言うとサナダはフンと鼻を鳴らした。
「ヒロ、それはただの演出だ。科学的な根拠はない」
「まぁ、ホラー映画に科学的な根拠云々言うわけではないが。でも日本人ってそういうの怖
がるよな。端っことか、最後尾とか」
「その癖、便所は端っこを好むのがこの国の人間の性質だ」
 そう言われてなんとなく納得してしまった。

 ギシギシと音をたてる階段を登りきった先には4畳ほどの踊り場そして扉。木造スライド
式のもので、扉の上には「器具庫」というプレートがついている。
 扉の端がほんの少し開いていて、そこから生暖かい空気が漏れている。瘴気、とでも言う
のだろうか。扉を開けたら何が起こるか……嫌な想像をしてしまう。
 女帝は扉に手を掛ける。
「私の拳は何よりも硬く、何よりも鋭い」
 何のおまじないだそれは、という突っ込みは無しにしよう。実際、頼もしく思えたのだか
ら。

 @

 そんなこんなで扉は開けられた。器具庫と銘打たれている割には中にはそれらしきものは
何もない。ごく普通の教室サイズの部屋の奥に一脚の椅子が置かれているだけ。椅子の上に
何か載っているが入口からでは確認できない。
「何もないなぁ」
 清水は女帝の腕にしがみついている。川越はその清水の腕にしがみついている。ちょっと
怯えすぎだろう、と俺が思った瞬間、ピシャンという音とともに、入口のドアが閉じられた。
みんなが音に飛び上がった。サナダはいち早く扉に手をかけるが、予想通り、開かない。
「ここまでありがちだと、ちょっと笑ってしまうな」
 サナダはこんな状況でも楽しそうだ。みんなの目が扉に集まっているところ、教室の奥か
ら女の声がした。

――いらっしゃい。

 その声にびびりすぎた川越は清水の腕を放し、その場で失神。みんなの視線が180度反
対側へ注がれる。
 たしかに、さっきまではいなかった。うん、たぶん暗くてよく見えなかったんだな。と自
分に言い聞かせたくなるほど、はっきりとした姿で女子生徒が椅子に座っていた。輪郭がや
けにはっきりとしてるせいで、空間が歪んで見える。

――こんばんは。

 厄介なことになりそうだ、と俺は思った。

 @

 さすがのサナダも声を失っているというのに、女帝は一歩前に出て女子生徒に言い放つ。
「あなたは幽霊なの?」
 うん、とっても素敵に素っ頓狂な発言。女帝は天然なのかもしれない。

――そうよ。

「この高校の生徒だったの?」

――ええ、コーラス部だったの。

「なるほど」

 悲劇のコーラス部の噂の真相がこれだよ。ひどいものだ。噂は噂であって欲しかった。

――ここで首を吊ったの。その後に取り壊されてね。今の部室棟ができたのよ。

「まぁそれは瑣末なことだわ」

 他人の自殺を瑣末なこと、と片付けるのは失礼過ぎやしないか?
「問題はあなたのせいで、今の生徒が困っているということ。自治権侵害だわ。でも、そう
ねぇ、卒業生ならOGとして処理が可能なんだけど、あなた卒業せずに死んだのでしょ?
その場合の取り扱い、校則にあったかしら? 安達くん」
 呆気にとられていた安達は、眼鏡の位置をなおし答える。
「規定されておりません、会長」
「ありがと。今の聞いたかしら、現在あなたの立場は極めて曖昧です。通常であれば生徒総
会で討議すべき案件なのでしょうけれど……現状から言えば、有事とみなして生徒会が決定
を下すべきなんでしょうけど、できるならば穏便に済ませたいわ。成仏、もしくは部室棟か
らの退去を提案するわ。どうかしら?」

――難しいことはわからない。でも、私はここにいたい。先生が来るから。

「先生? コーラス部の顧問かしら」

――違う。

「昔のことはわからないの。どうして、今になって生徒にちょっかいを出すようになったの?」

――私は何もしてない。何もしてない。

「でも見過ごすわけにはいかないの。上階への階段を出現させずに大人しくしておいてもら
えないかしら? これが今できる最大の譲歩よ。生徒総会が開催され次第、議題として幽霊
の権利を校則に追加するから。それまで大人しくしてもらえないかしら」

――嫌。イヤ。

「ねぇ……」

――センセイ、ドコ? ドコ? ……

 女生徒幽霊の周囲の空間が歪んでいく。嫌な予感がする。幽霊はぶつぶつと独り言を続け
ている。

「大丈夫?」

 女帝のその言葉がきっかけになったかどうかは知らないが、空間の歪みがひどくなり、そ
して、青白い火の玉のような物体が幾つもポンポンと現れた。

――ジャマシナイデ!

 手の平サイズの火の玉が一つ飛び掛ってきた。女帝はそれをボクシングのスウェーの動き
で避けた。火の玉は背後の壁にぶつかって、消えた。
「どうやら、武力介入しなければならないみたいね。みんないくわよ」
 女帝はそう言って拳を固めた。その瞬間、無数の青白い火の玉それぞれに顔が浮かび上が
り、こちらへ飛び掛ってきた。 



     


  9 あくまをあわれむうた


 ◎

 女帝は怯まずに、飛んでくる火の玉を拳で払いのけながら、女生徒に突進していく。その
背後を安達がついていく。残された俺たちは火の玉を避けながら、それを見守ることしかで
きない……コースケを除いては。
 コースケは突進していく女帝をカメラに収めようと必死。飛び掛ってくる火の玉たちを、
撮影のジャマだ、と怒鳴りながら手で払いのけている。
 それだけやれるなら、女帝を助けてやれよ……子供が怪我をしてもビデオをまわし続ける
駄目親を見ているようだ。
 柊は特製の御札とかいうので悪霊退散悪霊退散とか言っているが効き目は無い模様。尻を
火の玉で焦がして走り回っている。サナダは冷静な調子は変わらずに、ただ成り行きを見守
っている。
「実に興味深い事象だ。そう思わないか、ヒロ」
 俺は火の玉を避けるために身を屈めながら返事する。
「興味深いだけじゃなくて、対抗策を考えろよ」
「無理だな。研究期間が足りない。それに、ほら、山岸がそろそろ解決しそうだ」
 見ると女帝と安達が女生徒の前まで辿り着いていた。
「さて、彼女がこの場をどう収めるか、見ものだな」
 サナダは楽しそうに言った。

 @

「あなた、名前は?」
 女帝は女生徒を指差して言う。今頃そんなこと聞くなよ、と俺は思う。

――センセイ、センセイ……

 女生徒はその言葉だけを繰り返している。女帝は、ふぅ、とため息をついて、指を下ろす。
そして幽霊に近寄り、思い切りビンタ。
「しっかりしなさい。その先生とやらのためにも!」
 幽霊にビンタをする女、ここに現存す。MMRもびっくりだ。

――イシイリョウコ。

「イシイさん。あなたを実力で排除はしたくない。別の場所を用意するからそこで大人しく
してくれないかしら。もちろん、あなたの身の安全と権利は保証するわ。必ず生徒総会で可
決してみせる」
 女帝は力強くバンバンと女生徒の肩を叩く。

――それはどこ? 先生はわかるかしら?

「大丈夫。校内だから問題はないわ。でも、暴れちゃだめよ。……安達くんいいわね?」
「わかっております、会長。問題はありません。あそこは特別な場所ですから」
 安達は眼鏡をくいっとあげる。
「イシイリョウコさん。その椅子の持込を希望するか?」

――ええ、お願い。

「わかりました。他に入用は?」

――これでじゅうぶん。

 女生徒は嬉しそうだ。
「ふむ、大岡裁きと言ったところか」
 サナダは満足そうに肯く。

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 それからが大変だった。のびた川越を俺とサナダが運び出したり、女生徒の椅子を5階に
降ろしたり、騒ぎ立てる柊を女帝がぶん殴ったり……女生徒とともに5階へ降りると、6階
への階段は消えてしまった。一件落着、そう思った。
 時刻は真夜中の2時。ぼろぼろの体を引きずりながら、俺たちは5階の廊下を歩いている。

 キャッ……フフ……

 はっきりと聞こえる、人の話し声。まさか、他にも幽霊がいるのか? 誰もがそう思った。
だがサナダだけは違った。
「なるほど、面白い」
 安達が背負っている椅子の上で女生徒が首を振る。

――私は、何もしていない。私じゃない。

「見ればわかるわ。どうやら問題は未解決のようね」
 女帝が声のするコーラス部のドアを開ける。中は無人。声が消える。俺たちは中に入る。
「真田くん、どう思う?」
「そうだな。幽霊……ではなさそうだな」
 サナダは開いている窓を指差す。外からの風でカーテンが揺れている。開いている窓は部
室の奥側、掃除道具のロッカーのすぐ隣り。
「外からの声が窓から入ってきてるとか!?」
 鬼の首を取ったように大声を出す清水。
「ここは、5階だ。それはないだろう」
 サナダは開いている窓を閉めた。そして室内をザッと見回して、うんうん、と肯く。
「よくある話だ」
 そう言って、勢い良く掃除ロッカーを開けると、中には男子生徒と女子生徒が抱き合って
こちらを眺めていた。きまずい表情だ。
「幽霊の正体見たり……ってところか。コースケ、ヒロ、帰ろう。あとは山岸がうまくやる
だろうさ」
 その時の女帝の顔は、鬼の形相だった。俺とコースケ、柊もだが、ここらで退散するほう
が得策、と女帝達を残して部室棟を出た。その後、夜の校内に響き渡るほどの雷が落ちたの
は言うまでもない。

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 寮に帰って、コースケの部屋で買い置きしていたカップ麺をすすりながら、サナダの話を
聞く。
「ただの逢引だろう。部室棟のチェックなんてザルなもんさ。いくらでも隠れられる。まぁ
寮じゃ良からぬことはできないしな、刺激的だろうさ」
「たったこれだけのことで、大騒ぎか」
 俺がチャーシューを頬張りながら言うと、コースケは満足そうに、ビデオを再生しながら
呟く。
「藪をつついたら、八岐大蛇……ラッキーだよな」
 まぁ、そういう考え方もあるか、と俺は思った。
 ラーメンを食って解散。部屋に戻り、疲れた体をベッドに横たえ、5秒で眠った。

 @

 翌日、俺たちが知ることになることを先に述べておこう。
 まず、逢引の犯人達は――女帝が介入することを宣言していたにも関わらず、行動を起こ
したのは若さゆえの無茶か、愛ゆえの欲求か――生徒会から執行部に引き渡され、一件落着。
文化祭期間終了後に何らかの処罰が下されるらしい。
 次に、あの幽霊女子だが、移設先はなんと生徒会室。校則の第何条だったかは知らないが、
自治権と治安の回復のために回収した物を生徒会室で保管することができる、というものが
あるらしい。とにかく、そういうわけで、幽霊女子、イシイリョウコはそこでセンセイとや
らを待つことにしたそうだ。それからだ、生徒会室から漏れ出る美声が噂になり始めたのは。
わけを知っている小数の生徒は、それが誰の歌声であるか知っていたが、事情を知らないほ
とんどの生徒には、女帝は歌もうまい、という誤った認識を広めることになった。いや、誤
った、というのは語弊があるだろう。もちろん、女帝は歌唱も抜群だ。たぶん……




       

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