Neetel Inside 文芸新都
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フロッピー・パーソナリティー
高瀬直太編 第13話「女三人、風呂場にて」

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「ホ~ヨ~。やっぱお風呂は皆で入った方が楽しいよねぇ。っていうか、あたしがホヨと一緒にお風呂入りたいんだけど、いいかな? いいよね?」
「裸の付き合い」
「わ、ちょ、だ……」
 突然の騒がしい乱入に、静かな思考は遮られた。しかも、茅だけじゃなく、七後まで一緒だ。
 俺が止めるよりも先に茅はシャワー栓を捻って髪を洗い始める。……さすが校内一の美女と自他共に認めるだけあって、肌は滑らかそうで、スタイルもいいな。定評ある美脚はもちろん、艶のある髪とそこから覗かせるうなじには色気が漂う。特に肩から腰にかけてのラインは……って、俺は何をしているんだ!
 とにかく無闇に見てはいけない。こんな状況なのをいいことに、ジロジロ見るのは失礼だ。俺は背を向けて部屋の隅を注視し、タイルに付いた水滴を数えるように努めた。続いて、七後がかけ湯らしいことをしてから湯船に浸かる音が聞こえた。
「保世、恥ずかしがらなくてもいい」
 七後の肘と手の柔らかさが俺の背中に触れた。
「そうだよぉ。女の子同士なんだから、隠さなくってもいいじゃん」
 浴室独特の空気を通して反響する、茅の声が妙になまめかしい。ついさっきまで俺は独りで沈んでいたのに、今やとんだピンク空間だ。こんなときこそどうすればいい?
「わ、あ、こ、こ、このお風呂、さ、三人じゃ、狭いよ! もう、出るから!」
「まぁまぁまぁ、そんなに急がないでさ、ホヨ。バスタイムはこれからだよぉ」
 俺は慌てて湯から出ようとしたが、茅にするりと腕を絡まれた。洗いたての髪の匂いが鼻をくすぐる。湿り気を帯びた肌が密着し、肘に茅の胸が押し付けられる。互いに一糸まとわぬ状態だと、そのけしからんボリュームがこの前以上に一層際立って感じられた。女同士のコミュニケーションって、こういうものなのか? それとも、茅が特別なのか?
「背中を流す」
 おまけに七後まで俺の肩に手を置き、洗い場に座るよう促した。そのとき俺の目には、自分の左腕にある傷がまた見えた。血行が良くなると浮かび上がるのかな? いやまあ、今はそれより、この場をかわさねば。
「あ、あの、もう、洗った、から……」
「私が保世の背中を洗いたい。……ダメ?」
 茅だけなら分かるが、どうして今日に限って七後までこうも積極的なんだ? 振り向いて見えた七後の身体は、背は低いが決して幼児体型というわけではなく、全体が程よく引き締まってバランスがとられていて、胸も小振りながらきれいな形の……って、だから! 俺は! さっきから何を考えているんだ! 同級生の女子の裸を観賞して興奮している場合じゃないだろ! 慎め、俺! せっかく二人が俺を、というより小向を元気付けようとしてくれているのに、俺ときたら邪念まみれか!
「……でも、懐かしい」
 いろいろと諦めて腰を下ろした俺の背中を、七後は泡立ったスポンジで優しく擦りながら、しみじみと呟いた。
「昔は、幼稚園のときは特に、こうしてよく保世と背中を流し合った」
「う、うん。そうだね。昔はよく、由花ちゃんと一緒に、お風呂、入ったよね」
 昔を顧みる七後に、俺は適当に話を合わせた。
 鏡に映っている七後は手桶で浴槽の湯を汲んで、俺の背中の泡を落としている。そして数拍の間を置いて、口が開かれた。

「あなたは誰?」

 ……え? 今、こいつ、何て言ったんだ?
「あなたは、小向保世ではない」
 聞き間違いかと思った。いや、聞き間違いであってほしかった。だから、逆に訊ねた。
「な……ゆ、由花ちゃん? 何、言ってるの?」
 言いながら自分の頬が引きつっているのが、鏡を通してよく分かる。だがそれ以上に、俺の肩越しに半分だけ覗かせている七後の顔の、普段は八割方閉じている目が一杯に開かれているのが見えて、鳥肌が立った。初めてはっきりと見る七後の瞳は弓を構えた射手を思わせ、俺を糾弾するように貫く視線を放っている。
「ね、ねえ、美月ちゃんも、何か、言ってよ?」
 俺は首を動かして、隣にいる茅に助けを求めた。すると茅は顔の前で両手を合わせて、ぱちりとウインクをしながら、
「ごっめんねぇ。由花がどうしてもって言うもんだから。それにあたしも、確かめたいことあったし」
 と言った。そういうことか。茅と七後が今日来たのは、俺の正体を突き止めようとするためか。
 しかも俺は知らないうちに後ろ手をタオルで縛られていて、身動きが取れなくなっていた。抜けない。下手に暴れると、肩と肘が折れそうだ。
「無駄。素人には絶対に解けない結び方」
 七後の瞳は相変わらず、鏡越しに俺を捉えている。
「な、なんで……?」
「私と保世が知り合ったのは、小学五年生のときに保世が転校してきたのが最初。幼稚園ではまだ会ってもいない」
 そうか。そうだった。小向と七後は、小学校からの付き合いだと聞いていた。迂闊に答えるべきじゃなかった。だがしかし、俺が「なんで?」と聞いたのは、そこについてだけではない。俺が失言したのは事実だが、七後の発言は明らかにそれを狙って誘導するものだった。そもそも俺の存在を疑っていなければ、こんなカマかけなどしないはずだ。
「い、いつから?」
 いつから、俺が小向じゃないと気付いたのか。いつから、俺の存在を勘ぐったのか。
「……きっかけは、些細なこと。保世が学校で倒れたあの日から、保世がたまにいつもと違う話し方をしたり、保世なら知っているはずのことを知らなかったりしていた。確かにそこで違和感を覚えはしたけど、人間なら意識的に言動を変えることはあるし、細かいことなら忘れもする。だから保世が毎日欠かさず身に着けていたメガネと髪留めを外していても、疑いまでは抱かなかった」
 七後は一度、深いまばたきをした。
「おかしいと思ったのは、実はそれより前。保健室で目を覚ました保世を家に送っているとき」
「じ、自分の家を、通り過ぎようと、したから?」
「違う、その前。その前から、足音が変わっていた」
 ……足音?
「歩くという行為、それに付随する足音は無意識の産物。よほどの訓練を積まない限り、意図して変えてもすぐに地が出る。もちろん靴と地面の材質によって違いはあるけど、それを考慮してもあの足音は、保世のものとは違う」
 ちょっと待て。ちょっと待て。足音を聞き分けた? 犬猫じゃあるまいし、そんなの無理に決まっている。
「じょ、冗談、だよね?」
「訓練の賜物。私が日頃から目を細めているのは、自らの視界を制限して聴覚を研ぎ澄ますため」
 本気だ。
「でも一方で、別の人物がなんらかの理由と方法で保世になりすましていると判断するだけの確証は得られなかった。不自然な行動があっても頻度は少なかったし、逆に言えばそれ以外では疑う要素が殆ど無かったから」
 それだけ俺の演技がよく出来ていたということだろうか。だが、今にして、ようやくその点にも異常を感じた。他人の足音すらも区別出来る特殊技能のデパートで、小向の親友でもある七後を、どうして俺なんかがこれまで騙し通せたのだろうか。
 七後は俺の困惑をさて置いて、話を続けた。
「しかし昨日、私の考え方は変わった。あなたが駅前で気分を害してその場を去ろうとし、途中で崩れたとき。その時点までは、確かにあなたの足音だった。その後、もう一度立ち上がって歩き出したときには、私が知っている保世の足音に戻っていた。あの雑踏の中であっても、これくらいは断言可能。そしてあなたは、再び歩き出すときからの記憶が無いと言った。ここで私は一つの仮説を立てた」
「か、仮説?」
 七後は大きく頷いた。茅はずっと真面目な顔をして黙っている。
「突拍子もない話だから、もう少し自分でも納得出来る判断材料が必要だった。それには肉体の同一性と精神の不同一性を同時に確認しなければならなかった」
 いきなり難しい単語を出してきた。
「あなたの左肩と右肘後ろのホクロ、及び左肘内側の傷痕は、保世の特徴と一致している。その意味で、あなたは間違いなく保世と言っていい。それでいて、彼女ならば絶対に分かる嘘にも簡単に引っかかっていた。これは私が現段階で導き出した、仮説の根拠を強める結果」
 ここで七後は少し間を置いた。俺は内心の緊張を全く隠せていない声で次の言葉を促した。
「つ、つまり、ど、どういう、こと?」
「誰かが小向保世の振りをしているのではない。あなたは、保世の中に何故だか存在している、別の何者か。言うなれば別人格。そこまで明かした上で改めて訊く。あなたは誰?」
 豆腐の角で頭をぶん殴られたような、柔らかくて重い衝撃を受けた。まさか、まさか……。
 いや、さすがだ。さすがは七後だ。俺から特別な相談を持ちかけたわけでも、ヒントを出したわけでもないのに、そこまで気付けるなんて、凄いよ。凄過ぎるよ、お前は。
 取り繕うのはやめよう。認めよう。俺も最近、小向の代わりを務めることに疲れてきたところだ。もうどうにでもなれ。隠し続けたって、何も進展しなかったじゃないか。
「……そうだよ。七後の言う通りだ。俺は、小向じゃない」
 四日前の夕方、目が覚めたら保健室で寝かされていたこと。身体が小向のもので戸惑ったこと。混乱を避けるためにこれまで明かさなかったこと。小向の心がどうなっているかは不明なこと。そして何故こうなったかの原因は一切分からないこと。それらを思い出せる範囲で、途切れとぎれに話す。
 茅と七後は口を挟まずに聞いてくれた。俺の言葉をどう判断するかは二人任せだ。
「……事情は大方理解した。ところで、あなたのことは何と呼べばいい?」
「七後に任せるよ」
「任せられても困る。知りたいのはあなた自身の名前」
 俺の名前……高瀬直太。だが小向の身体になってからは、この名で呼ばれたことはない。高瀬直太は高瀬直太として、今も別に存在している。俺が高瀬直太であることを明かしてもまた話がややこしくなるだけだし、茅にそれを知らせると余計に気まずくなる。茅の告白に対して高瀬直太が決着を付けていようが、いまいが、だ。
「……た、た……タカオ」
 だからここでは、そう名乗ることにした。根本的な解決になっていないかもしれないが。
「分かった。……ひとまずはタカオ、あなたの言葉を信用する。美月はどう?」
「あたし? あたしもタカオくん、の言うことは信じるよぉ。でなきゃ話が進まないじゃん」
「そう。ではここで、美月にバトンタッチ」
 またいつものように目を細めた七後は、立ち上がって浴室を出て、脱衣所からバスタオルを三枚持ってきた。茅と七後は自分の身体を手早く巻いてから、残る一枚を俺の肩にかけた。まあ、二人の肌の露出が少なくなったから、これで俺も落ち着いて話せる。でも、まだ拘束は解いてくれないらしい。
 七後はさっきよりも一歩下がった場所に、逆に茅は近い場所に腰かけた。
「じゃあさ、タカオくん? あたしからも聞きたいんだけど、ちょっといいかなぁ?」
 顔を覗き込んでくる茅の目を見て、俺は頷いた。
「昨日、電話したときさぁ。あたし、言いたいことが思い出せなくって、後で喋るって言ったじゃない? あのときは、タカオくん? それともホヨ?」
「それは憶えてる。俺だな」
「じゃあ昨日、直太くんに大声で怒鳴ったのは、どっち?」
「……すまん、それも俺だ」
「そっか。あたしが昨日言おうとしたのはね、その、なんてのかなぁ? うまく言えないんだけど、タカオくんは知ってるかどうか分かんないけど、ホヨってさ、あんまり大きな声出したり、ひとに怒ったりするタイプじゃないんだよね」
「それは、俺もそう思う」
「あ、タカオくんはホヨのこと知ってるんだ。それで、あんなに怒ったホヨを見たのは初めてだったはずなんだけど、どうもそうじゃないような気もして、前にも同じようなことあったのかなぁって確かめたかったのよ」
 そこまで言うと茅は、七後のいる方向へ目をやってから、また俺に向き直った。
「それでね……あたし今日、思い出したんだ。あたしが入院する前に、ホヨは、あたしに向かって怒鳴ったの。多分、すごく怒ってた」
 茅は俯いた。その横顔は、俺が七後と一緒に見舞いへ行ったときに見た、曇った顔によく似ている。
「美月、私が訊く?」
 七後からの助け舟を断った茅は、自らに鞭打つようにして次の言葉を繋いだ。
「うぅん、由花。あたしが聞かなきゃダメなんだと思う。あのね、タカオくん。はっきり言ってほしいんだ。お願い」
「分かった。俺が知ってることなら、何でも答える」
 茅は胸の前で拳を握った。
「……あの日、あたしを階段から突き落としたのは……タカオくん?」
 …………? どうも最近、質問の意味すら分からない問いかけばかりされている。
「ちょ、ちょっと待て。突き落とされた? 茅、お前、何言ってるんだ? お前は、足を滑らせて階段から落ちたんだろ? 自分でもそう言ってたじゃねえか!」
 あれは……事故だろ? 突き落としたって、何だよ?
「そう、思ってた。昨日まではね。でも今朝……学校の二階へ上がる階段の踊り場で……。思い出しちゃったんだよ。ホヨはあの日、あたしと階段を降りてた。服を見に行こうって、あの踊り場で……」
 少しずつ、茅の声が震えていく。
「それで、急にホヨが止まって。あたしは、どうしたのって聞いたの。ホヨはじっと下を見てて、なんかぼそぼそ言ってたから……。そしたら、ホヨが叫びだして、それで……」
 それで、いきなり突き飛ばされた? そんな、まさか?
「か、茅? お前、落ち着けよ。何かを言ってたって、叫んだって、何をだよ?」
「そんなの、憶えてないもん!」
「それじゃ、根拠が無いも同じだろ? 動機が無いだろ!」
「分かんない!」
「俺は、茅の言うことを疑いたくない。でも、小向のことも疑いたくない。茅、お前には、小向から恨まれるような心当たりはあるのか?」
「な、ないよぉ!」
「無いだろ? あるわけない! よく考えろ! 小向がお前を傷付けるなんて、あるはずない!」
「だったらなに! じゃあ、あたしを突き飛ばしたのはやっぱりタカオくんなわけぇ? なんであんたにそんなことされなきゃなんないのよ! それなら、あんたを消して、ホヨを取り戻してやるからぁ!」
 茅は激情を顕わにして立ち上がるなり、シャワーヘッドを掴んで、躊躇無く投げつけてきた。慌てて身体を捻ったおかげで頭は免れたが、肩に直撃した。相変わらず両手は縛られたままなので、俺は体勢を保てず崩れて倒れる。シャンプーやらリンスやらの容器がタイルに転げて音を立てた。
「違う! 止めろ! 俺じゃない! 茅、お前が怪我をしたとき、俺はまだ、」
「うるさぁい!」
 俺はどうにか抵抗しようとしたが、この姿勢ではどうにもならず、馬乗りにされた。茅が腕を振り上げたところで、七後がその手首を掴んで止め、もう一本のシャワーから冷たい水を俺たちに浴びせた。
「わっぷ。由花、なにすんのよぉ!」
「落ち着いて、美月。タカオの身体は保世の身体。そしてタカオ。あなたも、この状況で相手を責め立てるような物言いはしないことを勧める」
 七後の素早い仲裁で、俺は名実共に頭を冷やした。
 昨日俺は、小向があの笑顔の下で何を考えていたのか分からないと、そう思い至ったばかりだ。それなのに、小向が茅を突き落として傷付けたという事実を、声を荒げて否定せずにはいられなかった。俺も、茅も、冷静さを失っていた。
 茅は唇を噛み、俺から離れて、さっきと同じ位置に座った。その目からは怒りが消えて、叱られた仔猫みたいに肩をすくめている。
「ご、ごめん、タカオくん。ホヨがここにいないって聞かされて、ここにいるホヨがホヨじゃないなんて言われて。あたし、もう、なにがなんだか分かんなくなってて、それで、うわぁってなって……。ほんとに、ごめん……」
 その言葉に、いつものおちゃらけた雰囲気は一切無かった。
「いや、俺も、すまん。逆ギレしちまった」
「タカオ、私から補足をしておく。美月が階段から落ちた際に負った傷は、もう消えてしまったけど、後頭部にあった」
 七後は、起き上がろうとする俺に手を貸しながら、口を開いた。
「そして保健室や職員室の先生から聞き込みをして得た情報によると、美月は階段から落ちたとき、廊下の窓側に頭を向けて、仰向けになって倒れていたらしい。階段下方の段の角に血が付いていたそう。後頭部の傷と目撃状況が符合する。これが何を意味しているか分かる?」
 何を言いたいんだ? 廊下の窓に頭を向けて、ということは、階段側に足があったんだよな。それで仰向け、は、つまり天井に顔を向けていた? その状況、光景を頭の中に描いてみる。だが、七後の意図がピンと来ない。
「それが、どうかしたのかよ?」
「気付いていないなら、気付かせる。あのとき美月は、保世と共に階段を降りていた。それならば顔を下に向けて、体重を前に傾けていたことになる。そこで足を滑らせたのなら、前のめりに倒れて額に怪我を負うか、もしくは後頭部を打ったとしても足を廊下側に向けて落ちていくはず。あの階段はそんなに長くはないから、途中で体勢が大きく変わるとは考え辛い。蒲田行進曲の名シーンではないのだし。逆になんらかの理由で階段を上がっていたとしても同様。前に倒れて額を打つ」
 七後が挙げた例を、それぞれ脳内でシミュレーションしてみる。
 ……確かに、どれも不自然だ。
「後頭部を打って、しかも頭を下にして落ちていく。これらの用件を満たす足の滑らせ方は、踊り場で階段を背にした状態から、身体を強く押されること。これが最も自然で高確率」
 こうして七後が語って聞かせている内容は、説得力があるものだと思う。だがそれはひとえに、小向が茅を突き飛ばしたという事実を裏付けるものに他ならない。
「もちろん、美月がふざけてはしゃいでいるうちに、本当に足を滑らせただけという可能性も否定は出来ない。だから私は、今日の昼に美月から相談を持ちかけられるまで、誰にも言わずに秘めていた」
「相談?」
 俺は茅に顔を向けた。
「あたしがケガしたの、ホヨに突き飛ばされたからかもしれないって。もしそうだったら、あたしはどうすればいいかなぁって。ホヨのことよく知ってて、口が固いの由花だけだから。全部があたしの勘違いなら、それでよかったんだよ。でも由花は、多分ホヨがやったって」
 七後の判断はとても残酷で、とても優しい。真実を知ることにはいつだって両面性が存在する。厳しい現実を呪うかもしれないし、それを乗り越えて新しい道を開けるかもしれない……と、昔観たドラマで誰かが言っていた。
「……やっぱり、ホヨ……なのかなぁ。きっと、ホヨなんだよね。あたしを突き飛ばしたのって。うぅん、いいの。そんな気はしてたから。ごめんね、タカオくん。あたしが今日来たのは、ホヨに謝りたかったからなんだ」
 茅の表情と台詞が、俺の脳裏に、病院での会話をフラッシュバックさせた。そうだ。茅は小向に謝りたいことがあるのに、それが何だかはっきり思い出せないと悩んでいたんだ。
「ほんとはまだ、なにを謝らなきゃなのかはっきりと分からないの。でも、なにかを謝らなきゃいけないのは、はっきりしてる。……ホヨがあんなに怒るなんて、あたし……よっぽど酷いこと、しちゃってたんだよ」
 背を丸めた茅は両手で、前髪から垂れて顔を伝う水滴を何度も拭った。
「あたし……こんな性格だから。知らないうちにひとを傷つけてること、しょっちゅうなんだ。ウザいってもよく言われる。それでも自分じゃ気付けなくって、全然直らないの。いつだって、手遅れになってから。だから、ホヨにも……。でも、ホヨは、ホヨ、ホヨぉ……あたし、どうすればいいのよぉ。……教えてよぉ。ねぇ、ホヨぉぉぉお!」
 俺にも、七後にも、答える資格は無かった。
 堰を切って溢れ出た茅の慟哭が止む頃には、風呂場の空気はすっかり冷え込んでいた。

       

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