Neetel Inside 文芸新都
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フロッピー・パーソナリティー
高瀬直太編 第6話「リーチ」

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 恐るおそるリビングに入ると、ソファでくつろいでいた男が振り向き、俺と目を合わせた。
 誰だ、この清潔感溢れるハンサム青年は? 何故ここにいる?
「おかえり、保世。どちらかと言うと僕の方が、ただいま、だけどね」
 ハンサム青年は俺に向かって、これまた晴れやかな笑顔と共に馴れなれしく挨拶をしてきた。留守中に堂々と家へ入ることが出来て、しかも言動からしてこの家がこいつの家でもあるらしい。見た目が二十歳くらいだということも考えると……。
「お、『お兄ちゃん』? た、ただいま」
 確証は無いが、おそらくそうだ。俺は初めて見る顔だが、きっとこいつが小向の「お兄ちゃん」だろう。そうだよ。普通に考えたら、そうだよな。さっき感じた寒気は、俺の早とちりだ。
 しかし小向にとってはともかく、俺にとっては何の縁も所縁も無い男を「お兄ちゃん」と呼ばなければならないことに強い抵抗感を覚える。止むを得ないことだが、とりあえず心の中では原則的に利一と呼び捨てることにしよう。
 そして俺が「お兄ちゃん」と呼んでもハンサム青年はにこにこしているばかりで、ちっとも怪しむような素振りは見せなかった。やはり俺の予想は当たっていたらしい。七後の話では寮生活をしているとのことだったが、もし近場だったら週末に実家へ帰るというのはあり得る話だ。まあ、少なくとも見た目の印象はさっきのナンパ野郎と正反対で少し安心した。顔立ちは整っているが、イケメンと表現するには、微妙に雰囲気が違う。……ハンサム?
 しかしいくら相手の身元が判明したとは言え、俺には利一とするような話題が無い。
「お、お風呂沸かしてくるね。外、寒かった、でしょ?」
 居た堪れなくなって、俺はひとまず逃げた。浴槽に湯が溜まっていくのを眺めても妙案は浮かばない。利一を相手に他人の俺が何をすればいいと言うのだ? とにかく……、ずっと部屋に閉じこもっているのも不自然だ。時間稼ぎのために、あまり言葉を交わさなくても怪しまれない状況を作ろう。どうやって? 部屋に何か使えそうなもの無かったかな?
 脳内検索。
 ……小向のベッド下に複数人で遊べるおもちゃ類があったはずだ。やっぱり予めの情報収集が生きてくるな。
 内心の緊張を悟られないように、小向の部屋からゲーム盤を持って来て利一を遊びに誘う。
「お、オセロ、やらない?」
「いいけど、急にどうしたんだい?」
「ちょっと、お掃除したら見つけちゃって。な、懐かしくなった、から」
 言い訳としてはこんなものだろう。
「そうだね。やろうか」
 こうして俺は、初対面である小向の「お兄ちゃん」とオセロ対戦をする羽目になった。リビングにある、お洒落なクロスが敷かれたテーブルの上にオセロ盤を置き、盤を挟んで斜めに座った。つくづく不条理な状況だ。
「でも、本当に懐かしいなあ。こうしていると子供の頃を思い出すよ。昔はよくやったよね」
 利一は、手垢でボロボロになっているオセロの紙箱をしみじみ撫でた。随分使い込まれた物だとは思っていたが、兄妹にとっては思い出の品らしい。子供の頃か……。小向生活二日目にして利一という難敵と遭遇したことは災難だが、この際、さり気なく情報収集に転じるとしよう。逃げるだけではどうにもならん。ゲームを進めながら、頃合いを見計らって口を開いた。
「ち、小さい頃の、わたしって、どんなだった、かな? あんまり、自分じゃ、憶えて、なくて」
 昨日の段階では、小向の幼少期については殆ど分からなかった。だからこれは知っておきたいことだった。
「保世の小さい頃かい? そうだなあ……。今とあまり変わらないよ。昔から保世は引っ込み思案で、僕に甘えてばかりだった。父さんと母さんが忙しくて、なかなか家にいなかったということもあるだろうね」
 利一はクスッと微笑んだ。ここで妹・小向保世としては頬を膨らませてすねたり、むくれたりしてみせるのが世間的には正しい反応なのかもしれないが、俺がそこまでしてやる義理は無い。
 しかし、兄にべったりな妹、か。妹(当人)に対して兄(当人)が言うような話ではないと思うが、この兄妹はよっぽど普段から仲が良いんだな。いずれにせよこれは既知情報で進展無しだ。もう少し具体的なエピソードがあれば助かるんだが、俺が上手い聞き方を考えているうちに、今度は利一の方から黒い石を置きながら訊ねてきた。
「ところで保世、今日はどうしたんだい?」
 今日はどうしたのか、だと? 質問の意味が理解出来ない。そんなのは逆に、俺がお前に問いたい。
「お、『お兄ちゃん』こそ。急に帰ってきて、どうしたの?」
 俺は白い石を置き、質問に質問で返す。
「僕は、ほら、最近は物騒だからね。父さんと母さんは、あと一ヶ月は帰ってこない予定だろう? それより……」
 利一が黒石を置く。挟まれた大量の白石がひっくり返った。
 俺はゲームに集中しているからよりもむしろ、利一と目を合わせたくない一心でオセロ盤を凝視していた。そんな俺の思惑を意に介さず、利一はおもむろに俺の顎に指をかけ、顔を自分に向けさせた。
 おいおいおい……。傍から見ればこれ、まるでキスシーンの王子様とお姫様だぞ! 気持ち悪い!
「保世、今日はどうして泣いていたんだい?」
 一瞬にして、利一の爽やかフェイスが冷たく変わった。これは虚ろな目? いや、遠くを見る目だ。俺を見ているようで、俺の後ろや向こう側にある別の何ものかを捉えるような視線。ピントが俺に合っていない。俺が小向の身体に入ってしまった日の朝、小向が俺に向けてきた虚無感とは明らかに違う。それでいて、異質で異様なことだけは明らかな冷淡さ。
  ドクン
 確かに俺は、というより小向の身体は、さっきの帰り道で涙を流していた。見透かされたのは不気味だ。だがそれがバレたこと以上に、利一の雰囲気が変化したという異常事態に反応して心拍数が上がった。
「な、な、泣いて、なんか……」
 どうにか否定しようとしたが、声が震える。これまで俺は小向を演じるために、わざとどもり気味の喋り方をしてきた。だが今は違う。筋肉が言うことを聞かない。自分の声帯に力が入らない。
「泣いていたよ。僕には保世の涙が分かるんだよ」
 利一は有無を言わさずに決め付け、ずいっと顔を近付けてきた。こいつ、……変態か!
「保世を辛い目に合わせたのは、どこの誰だい? 言ってごらん?」
 目つきが鋭いことの比喩で鷹の眼という表現があるが、利一の場合はまた何か違う。鋭いんじゃなくて、得体が知れない。言うなれば梟(ふくろう)の眼だ。ここにはいない獲物を見定めるような猛禽の眼。それでいて、優しい口調は殆ど変わらないから余計に違和感が際立つ。
 こいつは今、一体誰を見ている?
「あ、あの、その……」
 何か喋ろうとしても、利一の眼に射すくめられて言葉が出ない。質問に答えようにも、涙の原因になった頭の悪そうな二人組は完全に見知らぬ相手だ。
  ピー ピー ピー
 突然、緊張感を削ぐ電子音が鳴り響いた。同時に俺は呪縛から逃れるように素早く立ち上がった。
「お、お風呂、沸いたよ。先、は、入るね……」
 そのまま二階へと駆け上がり、部屋に戻ってパジャマを掴んだ。……とりあえず、風呂には入ろう。昨日はシャワーすらも浴びていないからな。何より、気分転換をしたい。


 さて、実際にこうして浴室に入ってみると、これがまた対処に困る。脱衣所で服を脱ぐのはまあ自分を誤魔化しながら出来たものだが、いざ洗い場に座ると真正面に鏡があるからどうしたものか。小向への礼儀として、ガン見するわけにはいくまい。……そうだ、バスタオルで胸から下を隠せばいいんじゃないか。そうしよう。
 これで気兼ねなく洗髪に専念出来る。出来たと、そこまではいいのだが……。結局、身体を洗うときはバスタオル外さなきゃならん!
 しかも小向邸の鏡はご丁寧にも曇り止め処理された良質品ときた。いや待て、そもそも見えるとか見えないとかの次元の話か? 見えていようがいまいが、小向の身体のああいうところや、そういうところに必然、じっくりと手が触れることになる。どうしてこう、憩いの風呂場で緊張しなければならないんだ!
 ……ありゃ? 昨日は気付かなかったが、何だ、これ? 左肘の内側に、いくつか傷痕みたいなものが付いている。刃物で切ったような直線のものが数本。どれも細くて薄い。
 まさかリストカット!? ……とも思ったが、それにしては箇所がおかしい。やるなら普通は手首だ。だが、肘の内側を切る意味は? 謎だ。
 しかし腕の傷に思いを巡らせていると、いつの間にか脱衣所から物音というか、人の気配がする。利一か?
「お、お兄ちゃん? わたし、まだ、入ってるよ?」
「久しぶりに、一緒にお風呂に入ろうよ。保世」
 当然のようにとんでもないことを言ってのけるその声の主は、紛れもなく利一だ。しかも、その、曇りガラス越しでもなお分かってしまうのだが……。

 この男、既に全裸!

 しかも俺の返事を待たず、ドアを勝手に開けようとしやがる。問答無用かよ。
「保世、どうしたんだい?」
 危機感を覚えて反射的に立ち上がり、ゆっくりと回されるドアノブを両手で押さえてしまったが、どうすればいい?
「兄妹なんだから恥ずかしがることはないよ。昔はよく一緒に入ったじゃないか。前みたいに、髪を洗ってあげるよ」
「も、もう、洗った、よ!」
 ドアノブがカタカタと揺れる。向こうも本気を出しているわけではないだろうが、簡単に諦める気でもないらしい。こんなときこそ、落ち着け、俺。俺、落ち着け。今の俺が取るべき行動は何だ?

 ① 女らしく「キャーッ」と叫ぶ。
 ② 妹らしく、何事も無かったかのように受け入れる。
 ③ 男らしく、戦う。
 ④ 正義の味方に助けてもらう。

 まず④は却下だな。俺の行動と関係ないし、そんな都合のいい奴はいない。①は、これをやってどうなるという話だ。②か③? そもそも、ここでの妹らしい対応って何だ? この兄妹間では、こういうことが日常茶飯事なのか? だとしたら正解は②しかありえないわけだが、どうやって確かめる? 俺の常識は小向家にどこまで通用するんだ? というか、この選択肢、どれも嫌だ!
 などと下らない考えを巡らせている間に、強引にドアを大きく開けられた。油断は少しあったが、それをおいても腕力では敵わない。ドアに押されて俺は後ずさった。
 結果、俺の視界には、利一の無駄に美しい肉体が大きくはだかっている。しかも奴は、前を隠す気など全く無いらしい。まあ、利一の男のアレが勃ってはいないのがせめてもの救いか。ミケランジェロの彫刻を思い出す。それでいて利一の目はあの梟の眼ではなく、あくまで普通だ。これを素でやっているのか?
 利一はどこかおかしい人間だと感じていたが、まさかこれほどとは。……それとも、おかしいのは俺か? 常識で考えたら、小向家にとってイレギュラーなのは俺の方だな。ならばこれが小向にとっての大好きな「お兄ちゃん」で、兄妹のとっては普通なのか? 俺が他人だから異常に感じるだけか?
  ピンポーン
 いっそ後先や難しいことを考えず、利一のアレを蹴り上げてやろうかとも思った矢先に、玄関のインターフォンが鳴った。天の助けだ。さっきの答えは④だったか。
 利一は来客を迎えに行った。俺としてはこの隙に部屋へ逃げ戻りたいところだが……。ちょっと待て、利一の奴、何か服を着て行ったか?
 俺は自分の身体を拭く間も惜しんで、パステルピンクのパジャマに袖を通した。
 廊下を歩く利一を追い抜こうとするが間に合わず。玄関の扉を開けたのは奴だった。
「はい、小向です」
「こんばんは、保世のお兄さん」
 外で待っていた客は、七後だ。全裸で扉を開けるハンサム大学生と、一切の動揺を見せずに対応する女子高生。そのシュールな光景は、まるで何かの宗教画を思わせる。
「やあ由花さん、久しぶりだね」
「保世に用があるのだけど、都合は付く?」
 どうやら利一と七後は面識があるらしい。当然か。この寒さの中で全裸の男を前にしてこの落ち着きなのだから、ちょっとやそっとの知り合いではないだろう。さすが七後。
 だが利一よ、尋ねてきたのが七後じゃなかったらどうするつもりだったんだ? 犯罪スレスレだぞ。
「ゆ、由花ちゃん。上、行こう?」
 俺は七後と利一の間に割って入った。顔を七後に向けつつ、腕で軽く利一を奥へ押し込むようにする。利一が風呂場へ戻ったところで、改めて七後を家に上がるよう促した。
「いや、ここでいい。本当は近くに来たので寄ってみただけ」
 しかし七後は首を小さく横に振り、続いて言った。
「ところで保世、今日はどうする? お兄さんも帰っているし、保世ももう寝間着に着替えてしまったみたいだけど」
 どうするって、何が? 小向と七後にとってはわざわざ明言するまでもないことを指して言っているのだろうが、俺には分からない。メールの履歴を見ても、今日に特別な用事があるとは書いていなかったはずだ。じゃあ何だ? どうする? 七後の言い方だと、利一が家にいて、俺がパジャマに着替えたことがどうも不都合らしい。
「きょ、今日は、やめとく、よ」
 よく分からないが、こう答えるのが無難か。すると七後は「邪魔した。おやすみ」と言って去ってしまった。一体何だったんだよ。
 どっと疲れた。もう寝よう。

       

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