Neetel Inside ニートノベル
表紙

クラッシュコア
荒涼たる山の中で

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「オレの事、無視すると泣きを見るぞ」
 腰に手を当てて斜めに構え、倍は身長のありそうな男を下からずずっと見上げて言い放つ。
 折れそうなほど細い手足で威嚇する子供を見下ろし、男は頬が緩みそうになるのを必死に堪えながら視線をしっかり向けると、
「何だと? ガキが生意気な事を」
「本当だからな!」
 年の頃は七~八歳。
 恐らく近くの村の子供だろうが、その一番近くの村からここまで大人の足でも歩いて一時間はかかる。
 おまけに赤茶けて乾いた大地と枯れた木々がどこまでも続く荒涼とした場所で、背後には木の一本も生えていない赤い山があるだけだった。
 隣村へ続く道ですらないここで、そんな脅しめいた言葉を吐き出して何の徳があるのかと訝しみ、男は眉をひそめて子供に問いかけた。
「無視しなければどんな幸せが待っているんだ?」
「あんた、道に迷ったんじゃないだろ?」
 子供は土埃に汚れた男のマントから覗く剣の柄をチラリと見て問う。
「まあな」
「あんたが望む場所に行ける」
「無視すると行けないってことか?」
「運が悪けりゃ死ぬだろうな」
 いとも簡単に子供が言うと、男は眉の端をピクピクさせて「それは困る」と呟く。
「だろう? だからオレを無視しちゃいけないんだ」
「もしかしてお前、この山の神の子か神の使いか?」
 男が急に真面目な声で問いかけると、子供が逆に驚いた表情をする。
「違うのか?」
 少し慌てた様子で子供が肯定し、一つ息を吐き出してから手を差し出した。
 ニヤと子供らしからぬ笑みが浮かぶ。
「何だ? その手は」
「報酬」
「神様の子供だか使いだかはお駄賃が欲しいのか?」
「お駄賃じゃない! 報酬だ。正当な報酬」
 男は無精髭を撫でながら、胡散臭い風貌そのままの笑みを浮かべた。
「大した神様だ」
「どうするんだ? 出すのか? 出さないのか?」
 声をかけてきた時と同じように、子供は見上げて睨む。
「分かった」
 懐から金袋を取り出し、中から一枚の銅貨をつまみ出して子供の手の上に置いた。
「神の子の報酬がこれだけ?」
「神は神でも神の前に悪という言葉がくっついて、角か尻尾があるんじゃないか?」
 唇の端で笑いながら言い放つと「一枚ならそうかもしれない」と答えた。
 これはなかなかと男は思う。
「失礼致しました」
 手の平の上の銅貨を取り上げる。
 子供が「あっ」と、もの惜しげに声を上げた瞬間、男は同じ手に金貨を一枚握らせた。
「金貨!」
 うっかり素に戻った声をあげたが子供は気づかない。男はそれを楽しげに眺めてから、
「名前、何て言う?」
「ラダ」
「俺はハンダル。覚えとけ。いずれこの国の王になる」
 ラダは目を丸くして男を見る。
「あんた……それでこの山に来たのか?」
「他にどんな理由がある? それ以外の理由でここに来る人間など、他にいないだろう」
「……そうだけどさ。最初から金をくれたのも、金貨をくれたのもあんたが初めてだ」
「これがお前の最後の商売だからだ」
「どういうこと?」
 ラダはすっかり普通の子供になってハンダルに尋ねる。
「この山のお宝を、俺が頂くからだ。案内しろ」
 言い放ってハンダルは頂上へと向かう道を歩き始める。
 その背中と金貨の間を何度も視線を往復させてから懐にしまい、ポンと胸を叩くとラダは元気良くハンダルの後を追って走り出した。

     

 大昔、この辺りは緑豊かな大地が広がり、山も木々に覆われていた。
 木の実や食用になる根なども豊富で近隣の村から採取に来る者が毎日訪れていたが、ある日を境に状況は一変した。

「悪魔がやって来たんだ。知ってるか?」
 ハンダルの歩調について行こうとすると、ラダは小走りしなくてはならない。
 少し息を切らしながら、しかし自慢気に問いかける。
「知らないな」
「知らないのにここに来たのか?」
「ここのお宝を手に入れれば王になれる――占い婆に言われて来たからな」
「あんたさ、どこまでも変わってるな」
「ありがとうよ」
 ニヤと笑って答えるハンダルを見やり「誉めてないけど?」とラダは返す。
 しかしそれには何も答えず、代わりハンダルは歩調を緩めた。
 変わってるけど嫌な奴じゃないな、と思いながらラダは追いかけ、分かれ道を左に行こうとしたハンダルを「待って!」と止める。
「山頂はそっちじゃない」
「ああ? 標識の矢印はこっちになってるぞ」
「それ、違う」
 戻って来たハンダルは不自然に汚れている標識の前に立って顎髭を撫でると、
「とんでもない神の子だな」
 チラと見やってから片手でラダの頭を掴んだ。
「イタタタタ……なっ なんだよ! 神の子にそんなことすると――」
「神は神でも悪戯の神の子だろう?」
「違う!」
「標識、取り替えたな?」
「…………」
 沈黙が肯定していることだとラダは気づかない。
 ハンダルはラダの頭を掴んだまま睨む瞳を近づけ、次いで声を上げて笑い出した。
「なかなか愉快な神様じゃないか、この山の神様はな」
「……ハンダル」
「それで、お前は俺を山頂に案内してくれるのか? ラダ」
「案内……するよ」
「道、忘れてないだろうな」
「忘れてないさ!」
 即答に満足してラダの頭を掻き回すようにして撫で満足げな笑みを浮かべた。
「ところでだ。今まで山頂に案内したのは何人だ?」
「……五人」
「そいつらはどうした?」
「誰も戻ってこなかったよ」
 ハンダルはよしよしと呟く。
「何がいいんだ?」
「誰も戻って来ないってことは、お宝はまだあるってことだ。そうだろう?」
「たぶん」
「たぶん? お前は見た事ないのか?」
「ないよ。山頂には黒い霧がかかっていて見えない」
「黒い霧ねえ……」
 ふむふむと言うように頷いてからハンダルは山頂の方向を見上げた。
「どうやら悪戯の神様って訳でもなさそうだ」
「あんたさ」
 ここからはまだ見えない山頂を凝視しているハンダルに訝しげな視線を向け、
「ほんとに何にも知らないで来たんだな」
「そう言ったろう?」
「冗談だと思った」
「冗談を言うツラに見えるか?」
「すっごく見える!」
 思い切り言い切ると、
「なんだと!」
 叫ぶがその表情は笑ったままだ。
 パタパタと標識と反対の道をラダは走り、少し離れた所から、
「教えてやるよ。悪魔がこの山にやってきた話」
 のっそりと歩いてきたハンダルは「よろしく頼む」と言ってラダの肩をポンと叩いた。

     

 道案内をするラダが一歩先を行き、同じ歩調で二人は山道を登る。
 途中、標識通りの道を行く時もあり別の道の時もあり、これは道案内がいなければ本気で泣くな、と思いながらハンダルは苦笑を浮かべる。

 もう五つの分かれ道と三つの三叉路、一つの五叉路を過ぎた。
 空気はじっとりと肌にまとわりついてきているように感じ、心臓に毛の生えた屈強の戦士でさえ妙な気分になりそうなのだ。
 ラダは全く迷わず歩いているが、本当にこの道でいいのか?と疑う気持ちは拭えない。
「山頂まであとどれくらいだ?」
「オレの話、聞いてる?」
「ああ、聞いてる。極悪人がこの山に逃げ込んだって話だろ?」
「それ、端折りすぎだって!」
「いいじゃねえか。ちゃんと聞いてるさ。で、こっちの質問の答えは?」
「半分くらいだよ」
「……あと半分か。休憩しよう」
「呑気だな」
「話を先に聞いておきたくてな」
 そう言いながら手近な石の上に腰を下ろしたハンダルを見て、ラダはニヤニヤと笑い出した。
 自分の話を聞きたいと言ってくれたことが嬉しくて頬が緩んでしまったのだが、ラダはそれを察せられるのが悔しくて表情を作り、その笑いの意味を急いで考える。
「……もしかして……もしかして……あんたさ、見た目よりすっごく年寄り?」
「はぁ?」
「だってさ、もうヘバってるじゃないか」
「何言ってるんだ。場合によっちゃ一荒れするようじゃないか。体力温存だ。体力温存」
「ふぅぅぅん。まあいいや」
 ラダは鼻の下を擦る。
「で、その極悪人のグライバールって奴が悪魔なのか?」
「違うよ。グライバールは契約者」
「契約者?」
「盗みと人殺しの罪で兵に追われてこの山に逃げ込んで、逃れられないと悟って山頂で悪魔と契約したんだ『世界を滅ぼせ』ってね」
「おいおい、滅ぼされちゃ困るんだが」
「あんたの目的は王になること?」
「まあそうだ」
「オレたちにとって傍迷惑な王様になりそうだよな」
「民の為の王が今まで存在したか? しないだろう? だから特例じゃない、普通だ」
「……ひどいや、山頂に案内するのやめようかな」
「おいおい。金貨をやったろう? それで逃げたら泥棒だぞ。グライバールと同じだ。迷惑な王より質が悪い」
「泥棒じゃない! ちゃんと案内するさ!」
 両手を腰に当ててラダが言い放つ。
「分かった。頼む。で、そいつの贄は何だった?」
「え?」
「悪魔との契約には贄が必要だ」
「知らないよ」
「まあ、予想はつくがな。それで山頂には何がある? それとも何かいるのか?」
「知らないよ。黒い霧がかかってるだけだし。その霧の中に入ったら出て来られないからね」
「霧魔か……」
「むま?」
「霧を操る魔だ」
「へえ。あんた、やっぱり年寄りだ」
「……どうしてそうなる」
「だって何にも知らないでこの山に来たのに、色々知ってるからさ」
「自慢じゃないが、俺の頭の中には三百年の知恵が詰まってる」
「自慢してるじゃないか! それにそれ、嘘だろ?」
「何だバレたか」
「バレないはずないだろ! で、そろそろ出発してもいいか? 早くあんたを案内して俺は村に帰るんだから」
「待っててくれないのか?」
 ハンダルの言葉にラダは驚く。
「……あんた……本気で言ってるのか?」
「もちろんだ」
「誰も戻ってきたことないんだぜ?」
「最後の稼ぎになるから金貨を奮発してやったろう?」
「……本気なのか……あんた、やっぱり頭おかしいよ。そもそもあの山の宝を取りに行くってだけで充分おかしいけどさ。だって悪魔の力だよ? それも世界を滅ぼす……」
「さて」
 ハンダルは立ち上がる。
「お宝を手に入れれば霧は消える。この辺りに緑が戻って来るかもしれん」
「ホントか?」
「三百年くらい先にな」
「何だよ!」
 そんな長生きするわけないじゃないか!と叫んでラダは歩き出した。
「こら、待て! 俺を置いて行くな!」
「爺じゃないならさっさと来いよ!」
 ラダが叫ぶとハンダルは笑みを浮かべて走り出した。

     

 それからしばらく、からかい合いながら土煙の立つ乾いた山道を歩いていたが、朽ちた大木が倒れて道を半分潰している所を過ぎた辺りからラダの口数が少なくなり歩調もゆっくりになった。
 そしてじっとりとかいた汗が冷えて震えるような風が吹いてくると、ラダの足はピタリと止まる。
「どうした?」
「道案内、終わり」
 声音も固い。
「霧はまだないようだが?」
「……山頂広場に誰かが行くと霧がかかる」
「まさしく霧魔だな」
 ハンダルは唇の端を上げて笑み、
「どうだ? お前も来るか?」
「い……行くわけないだろ!」
「どうして?」
「こ……殺される」
「お前、いつの間にか俺よりジジイになったのか?」
「なんだよ! それ」
「さっき俺が言った事を忘れてるだろう? これが最後だってな」
 一瞬、凍ったようにラダは動きを止め、その後乾いた笑い声を無理矢理たて始めた。
「バっバカじゃないのか? ホントに最後に出来るなんて考えてるのか?」
「そう思うからこそここに来た。俺だけじゃない俺の前の奴も、その前の奴も、殺される予定ではなかったはずだ」
「そうさ。誰だって成功するって思って来てるだろうさ。……そしてあんたも今までの奴らと同じようになるんだ」
「ならない」
 言いながら腰の剣の柄をグッと握る。
「……それ、特別な剣?」
「その類だ。どうだ? 来る気になったか?」
「……どんな特別な剣か分からない」
「じゃあこれならどうだ?」
 ハンダルは懐から金貨をもう一枚取り出してラダの手に握らせる。
「いいか。俺はお宝を手に入れる。お前はその一部始終を見る。唯一の目撃者だ。村に帰ったらその話をするんだ。金と引き替えにだ。どうだ? 美味い商売だろう?」
「……美味い」
「だろう?」
 ニヤニヤとハンダルが楽しげな笑みを浮かべる。
「でも! 死んだらおしまいじゃないか」
「大丈夫だ」
「あんた、その自信はどこから出てくるんだ?」
「生まれた時から持ってるんだ」
「生意気でムカつく赤ん坊だったんだな」
 言って視線が合った瞬間、二人はどちらからともなく笑い出した。

「行くぞ」
「ちょっ!」
 ラダの襟首を掴んでハンダルは歩き出す。
 もちろん、山頂に向かって。
 汗は既に乾いたが肌を嬲る風は冷たく激しくなってゆく。
「離せよ! 離せったら!」
「飯の種だぞ。それも一生食いっぱぐれない」
「…………」
 どうするかラダが迷っている間に山道は終わる。
「ここで見ていろ。よーく見てろよ」
 手を離し、薄汚れたマントを翻してハンダルは山頂広場に足を踏み入れた。
 途端に霧がハンダルの左右から広がってくる。
「ハンダル!」
 一人で取り残される不安からか、ハンダル自身を心配してか、ラダは全速力で駆け寄りハンダルの腕にギュッとしがみついた。
「どうした?」
 思わず走ってきてしまったが、今さら戻れない。
「ち……近くじゃないと霧で見えないから来たんだからな!」
「ああ」
「怖くて来たんじゃないからな!」
「分かった。だが掴まるならマントの端にしてくれ。それじゃ動けない。それと――」
 ハンダルはラダの頭を軽く叩いて「目を閉じるなよ」と言いながら気合いを入れさせると、広場の中央に視線を定めた。

     

 黒い霧が立ちこめる中を歩く。
 ハンダルは少し歩調を緩め一点を見つめながら、ラダはマントをしっかり握り締めてキョロキョロと忙しく辺りを見回しながら。
 勢いでついてきてしまったが、ラダはほんの少し後悔していた。やっぱり背を向けて山道を駆け下りてしまえばよかったと。
 心臓の音が身体の中で響いていて、今ハンダルに話しかけられても聞こえないほどなのだ。当然喉もヒリヒリして貼り付いて、何かあっても叫び声すら出そうにない。
 頼みの綱はハンダルだけで、このマントを絶対離さないと強く決心した。
 だが足が動かない。
 靴の中に砂が入っているのか、足に何かが絡みついているのか持ち上がらず、ズルズルと摺り足になってしまうのだ。
「どうした?」
 視線をラダに向けずにハンダルが尋ねる。
 声が出ず首を横に振ったがハンダルに見えるはずもない。
「急に重くなったんだが?」
 チラと一瞬だけラダを見やったハンダルは、表情を強張らせて首を一生懸命横に振るラダを見つけた。
「相手は魔だ。俺も怖い」
 思わぬ言葉にラダは「え?」と短く掠れた声をあげた。
「怖いさ、怖い。それは俺も同じだ」
 それなのにどうして?とラダは視線で問う。
「恐怖とお宝、二択だ。俺はお宝を取る。お前は? 恐怖と食いっぱぐれない飯の種、どっちを取る?」
「……メシ」
「だよなぁ」
 笑みを浮かべた後、ハンダルが立ち止まる。
 そしてラダがゾッとするような強い眼で一点を見据えた。

 たちこめていた霧が生き物のようにその一点に集まってくる。
 肌をすり抜けて行く霧は生暖かいような気がしてラダは身震いする。
 だが手は離さない。
 霧は球形になり、楕円になる。
「グレイドル!」
 腹に響く声でハンダルが叫ぶ。
 と、霧は楕円から人の影のような形になった。
 ラダは息をするのも忘れて見入っていると、その霧の上の方に二つ、光る小さな点を認めた。
(――眼だ! 邪眼!)
 緊張にラダの身体が強張る。
「走れ!」
 思い切り背中を叩かれてラダがつんのめる。
 腕を掴んで転倒を回避させると、そのままハンダルは来た道を真っ直ぐ走り戻り始めた。
「全力だ!」
 言われるまま走る。
 そしてどうみても遁走している状況に「た……戦うんじゃないのかよ!」疑問というより怒りすら感じてハンダルに叩き付けた。
「戦うって俺がいつ言った?」
「だって あんた、戦士 だろ?」
 走りながら叫ぶ声は途切れ途切れだ。
「そうだ」
「戦士はっ 戦う のが 仕事だろっ!」
「今回は雇い主がいないからな」
「報酬は お宝だろ! その剣で 戦えよ!」
「これか?」
 鞘にしっかり収められている大剣の柄を握り抜く。
 と、その先には手の平程度の刃がついているだけだった。
「なっ なんだよ、それ! ニセモノかよ!」
「いやいや。これも由緒正しき短剣なんだが?」
「だったら その馬鹿長い鞘と 太い柄は 何なんだよ!」
「ハッタリ」
「信じらんねー!」
「あんまり剣を交えたくないんだ」
「サギだ……あんた、その短剣と口先で お宝を手に 入れるつもりなのかっ?」
「いや、あと一つ」
 スルリとマントの紐を解くと、
「お前だ」
 言い放つと同時にハンダルは別方向に走り出す。
 マントをしっかり握っていたラダは当然マントと共にその場に置き去りになり、背後には黒い固まりが迫っていた。

 絶叫と罵声が山頂に響く。
 ハンダルを呪う叫びと言っていいかもしれない。
 だが叫んでいるだけでは駄目だと全力の全力で走り続け、山から下りる道の入り口に向かうが辿り着かない。
(こ……こんなに遠いはずがない……)
 だが見つからない。
 ハンダルもいない。
 黒い固まりは追ってきている。
「畜生!」
 叫んだ時「こっちだ」と呼ぶ声が聞こえた。
 視線を巡らせると真っ赤に光る塊が揺れているのが見えた。
「早くしろ!」
 鋭い声に弾かれたかのようにラダは一目散に走り始めた。

     

 不意に腕が掴まれラダの身体はピタリと止まった。
「行きすぎだ」
 全力で走っていたのに凄い力だと想いながら腕を掴む声の主の顔を見る。
「お……女!」
 浅黒い肌に大きな瞳。
 長い髪を二つに結っている。
「女は女でも、坊やの知ってる女とは違うんだ」
 紅のひとつもひいていない唇で女がニヤと笑う。
 何故かラダはドキドキして身を縮めた。
 女はラダから手を離すと足元に置いてあった布袋の口紐を解き、ぐるりと周囲に撒く。
「貸しにしておく!」
 霧に向かって言い放つ。
「あんた……誰?」
「良く見ておきな。飯の種にするんだろう?」
 ハンダルと自分の会話を知っていることに驚いたが尋ねる暇はない。
 女が撒いたものが原因か、それとも他に何かあったのか、自分たちの周りから霧は逃げるように遠のいて行き、広場の中央に向かっている。
 いや、向かっているだけではない、何かに襲いかかるような勢いと嫌な気配に満ちている。
 やがて霧を突っ切って、霧より黒い塊が中央に躍り出た。
「……ハ…ハンダル?」
 瞬きも出来ずにラダが見据える。
 傍らの女も同様だった。





 マントを脱いでラダを餌にしたハンダルは斜め反対の方向に走る。
 魔物の好む呪符をマントに貼り付けてある為、霧魔はそちらを追うはずだ。
 ラダは叫びながら走っているが、後をつけてきたあのクソ忌々しい盗賊の手下が何とかするだろう。
 それを計算にいれてのことだ。
 霧魔がラダに向かうのを確認してから中央に方向転換する。
(もう少しだ)
 抜き身の短剣を本当の鞘に戻し、大きな空の鞘を抜き取る。
 山頂に突き立てられた剣。
 それが宝であり、契約の証であり、世界を滅ぼすものだった。
「占い婆、あんたの言った通り、お宝は剣だったぜ」
 誰にともなくそう呟いた時「貸しにしておく!」という声が響いてきた。
 ハンダルに笑みがのる。
 ラダの身が確保されたのだろう。
 鞘を置き、剣の柄に手をかける。
 と、総毛立つほどの強い気が剣から立ち上り、霧がハンダルにまとわりつくように集まってきた。
(どちらが早いか、どちらが我慢強いか)
 力を込めて剣を引き抜こうとする。
 しかし剣は根が生えているかのようにびくともしない。
 黒い霧がハンダルと包む。
 包んで皮膚を圧迫してくる。
「良い女に抱き締められるなら……いいんだがなぁ」
 ジワジワと押し潰されるような感覚が続く。
 呼吸が苦しくなり全身が痺れてくる。
「邪魔を……するな! お前は……待っていたろう?」
 語る言葉は途切れがちだ。
 だがそれに反応したのか霧の圧迫感が緩む。
「俺は……お前の……望みを叶える……者。占い婆に言われた。黒の魔女と言われたあの婆に……な」
 黒い霧がハンダルから離れる。
 その瞬間、ハンダルは渾身の力を込めた。
「抜けろ! 俺に従え! 俺に従え!」
 剣がゆらと揺れる。
「よし! 来い!」
 剣がハンダルの言葉に応えて抜けた時、取り巻く黒い霧の中に銀色の閃光が幾つも走りバリバリと空気を裂く音が響いた。
 剣を手にしたハンダルが霧を睨む。
 その眼は赤く、魔物のように光っている。
「望みを叶えてやる」
 剣を振るう。
 一閃。
 二閃。
 更に激しい音をたてて閃光が縦横無尽に走り、その幾つかはハンダルの身体に突き刺さった。
 ゴウ、と獣のような咆哮がハンダルの口から漏れる。



 その様子をラダは震えながら見つめていた。

     

 霧は分断され銀色の閃光も消える。
 長らく霧に満たされていた山頂は光を取り戻した。
 が、剣を手にして立つハンダルはその黒い霧を一手に引き受けたかのようにどす黒い気を纏っているように見え、ラダは女の後に隠れると全身を緊張させた。
 重い物が移動するような音を立ててハンダルが近づいてくる。
 手には鞘に収められた剣が握られていた。
 もう一歩動けば間合いに入るというところで女が細身の剣を引き抜き、ハンダルの足を止める。
「どんな気分だ?」
 うっすらと笑みを浮かべながら女が尋ねた。
 ハンダルは血走ったような赤い眼を女に向けただけで言葉を発しない。
「バケモノになって言葉を忘れたか?」
「――馬鹿言うな」
「助かる。意思疎通が出来ないのは困るからな。で、どんな気分だ?」
「別に。変わらん」
 へえ、と女は剣を収めてから興味深げにハンダルの周りを歩いて頭のてっぺんから足の先、前も後もじっくり見てから、
「刻印は服の下か」
「見せてやろうか?」
「粗末なカラダは見たくない」
 鼻先で笑う女の前でハンダルは足元に剣を置くとマントを脱ぎ始めた。
「見たくないと言ったが?」
「見せてやる」
 上着を脱ぎ、薄汚れたシャツを脱ぐと右肩から背中にかけて火傷の痕のようなものが広がっていた。
「……なに? それ」
「バケモノになった証だ」
 女が教えると問ったラダが背中を凝視した。
 と、急に叫び声を上げる。
 火傷の痕が、悪魔が笑っている形に見えてしまったからだ。
「大丈夫だ。こいつが死なない限り悪魔は出て来ない」
「刻印って悪魔になった刻印?」
「いや。悪魔を封印した刻印だ。身体の中にな」
「身体の中に? じゃあ死んだら?」
「そして死なない」
「どうして?」
「悪魔が守るからだ。封印されたまま宿主が死ねば一緒に滅びるからだ」
「……じゃあハンダルって不死身?」
「まあな。弱点はあるが」
「何? その弱点って!」
「誰も知らない。本人もな」
「問題は弱点をつかれることではなく、こいつが悪魔の誘惑に勝ち続けられるか、ということだ」
「誘惑?」
「世界を滅ぼそうという誘惑さ」
 そういって女はハンダルを見やる。
「滅ぼしたら王様になれないだろ?」
 シャツを着ながらハンダルはラダに話しかける。
 そうだ、ハンダルは宝を手に入れて王になると言っていたのだ。
「でも……悪魔の王様なんて、ヤだよ」
「そうだなあ。まあそれは王様になってから考えるさ。それに今の王も充分悪魔じゃないか」
 マントを身につけ剣を腰にさしたハンダルは遙か王都の方向を見る。
「そんな行き当たりばったりの王様も迷惑だな」
 ぽつりとラダが言うと、女はカラカラと笑い出した。
「お前に相応しい言葉だな」
「はいはい。それでお前はご主人様に報告しに行くのか?」
「そうさ。その剣の持ち主が現れたと占い婆から聞いて、見届けろと言われてきたんだからね」
「自分で来ればいいのになあ」
「お頭は忙しいんだよ」
「おかしら?」
 何のことだとラダが尋ねる。
「あたしの名前はミラータ。盗賊団バイターの女だ」
 掴んでいたミラータの腕からラダはパッと離れる。
「バイターの……」
 そう言ったきりラダは黙り込んでしまった。
「まずはメシだ。腹が減った。ラダ、お前の村に宿屋はあるか?」
 ラダは無言で頷く。
「よし決まりだ」
「あたしも行くよ」
「報告に行かないのか?」
「もう行ってるさ。一人で来るはずないだろう? あんたには貸しを返してもらわないとね」
 そう言ってミラータはチラとラダを見やった。この子供を助けたのは自分だと主張するように。

       

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Neetsha