Neetel Inside 文芸新都
表紙

「一枚絵文章化企画」会場
「狙われた人間」作:ロリ童貞(12月17日)

見開き   最大化      


・狙われた人間   作:ロリ童貞



「やっとボクの番だニャー!」
 黄昏時に家路を急いでいると、突如、黄色い猫の妖怪が木の陰から躍り出てきた。ぼくはあまりのことにびっくりして尻もちをついてしまった。立ち上がろうとするのだけれど、足に力が入らない。いまにも襲いかかってきそうな態勢の化け猫を前にして、声を上げることもできない。爛々と輝く赤黒い瞳を縦に細長くして、真っ直ぐぼくを狙っている。
「やだぁ、マタにゃん怖がられてるじゃないのぉ」
 と、ねばっこい声を発しながら足のない妖怪がほふく前進してきたと思ったら、そいつは、四つん這いになって伏せている猫妖怪の背中に腰かけて頬杖をついた。
「もっとねぇ、こうしてぇ、頭下げて下手にでなくっちゃぁ。それでもってぇ、相手が気を許したところで一気に畳みかけるのぉ」
 今度の妖怪、話し方は柔和な感じがするけれど、やっぱりどう見ても人間じゃない。だって腰から下が魚だ。ああ。おじいさまの言いつけを守って、もっと早くに帰ればよかった。近道なんかしなければよかった。こんなに恐ろしい目に遭うなんて。ぼくは、猫妖怪の頭をぴたぴたと叩く魚妖怪の尾びれから視線を外すことすらできず、ただただ怯えていた。
「ちょっとそこの半魚人! 何でついてきてんのよ、あんたは違うでしょ!」
 という怒声と共に、上空から鳥の妖怪が舞い降りてきた。滑らかに着地して、素早く猫と魚のほうへ跳ねて行く。飛べる妖怪までいるなんて、これじゃあどうやったってぼくは逃げられないじゃないか。猛禽のようなあの厳めしい足で、鷲掴みにされてしまうのだろうか。
「むっきぃ~! あたしは半魚人じゃなくて人魚! に・ん・ぎょ!」
「ボクはどっちでも同じだと思うニャー」
「そうそう、ネコマタちゃんは賢いわね。それにひきかえ魚類の低能なこと。もうちょっと進化したほうがよいのじゃなくって?」
「むっきぃ~! あんただってマタにゃんより下等な鳥類じゃないのぉ! 哺乳もしないくせに何その哺乳類みたいな胸は? 鳥だけに鳩胸ぇ?」
「あら、そんなにこの胸が羨ましいのかしら。ホタテじゃなくてアサリで十分って私に言われたの気にして貝殻つけるのやめたんでしょう、貧乳さん?」
「むっきぃ~! これからの時代はこーゆうブラが流行るのぉ! あんたなんかムダ毛まみれの全身ワキガでちょー臭いくせにぃ! ここまで臭ってくるわぁ! くっさぁ~ぃ!」
「い、言ってくれたわねっ! お前なんかかまぼこにしてやるんだからっ!」
「臭いつみれにしてやるぅ!」
 なんだか知らないけれど内輪もめが始まったようで、妖怪同士取っ組み合いのケンカをしている。もしかしたらこの隙に逃げられるかもしれない。ぼくは、妖怪たちに気付かれないようにできるだけゆっくりと後ずさりをした。
「おい、二人ともやめないか!」 
 遠くから、冷静な口調で男の声が響く。恐る恐るその声がするほうを伺うと、木々の隙間をぬって馬の妖怪が駆けてきていた。そしてあっという間にここまで来て、鳥と魚のケンカを仲裁し始めてしまった。せっかく、ごたごたしているうちに逃げようと思ったのに。
「今回はネコマタ君の番じゃないか。君たちは関係ないだろう」
「そうだニャー! すごくうまそうな人間だから、ずっと楽しみに待ってたニャー!」
「私はね、この半魚人が横取りしようとするから注意しただけよ」
「あたしはアドバイスしただけだよぉ。順番はちゃぁんと守るからぁ。ケンタちゃぁん、この鳥人間の言うことなんか信じちゃだめぇ」
「人のことコンテストみたいに呼ばないでくれる? 私はハーピーだから。ねえケンタウロスさん、悪いのは半魚人のほうよ」
「うーん、俺は見てなかったからな。どっちが悪いかって言われても。困ったなあ……」
 取っ組み合いは終わったようだけれど、まだ話し合いは続いているみたい。鳥は翼を下ろして、魚はまた猫の背に座り直した。注意を引かないように静かに動けば、まだまだ逃げるチャンスはありそうだ。ぼくは妖怪たちに気を配りながら、頭の中で逃げ道を考えていた。
「あーもう、じれったいわね! 悪いのは半魚人で決まり!」
「やだぁ勝手に決めないでよぉ! それにあたしは人魚だって言ってるでしょ。もう忘れたのぉ鳥頭ぁ」
「あんたもいちいちしつこいわね、この海産物が!」
「その悪口はいまいちだニャー」
「こらこらまた始まった! 仲良くしろって言ってるじゃないか!」
「うるさいわねもう! だいたいあなたがハッキリしないからこうなるのよ!」
「ケンタちゃんはいつでもあたしの味方よねぇ~。あたしのこと大好きだもんねぇ~」
「え。ケンタウロスさん、それってどういうことかしら……?」
「いや俺は……えーと……」
「昨夜のケンタちゃんは激しかったわぁ~。あぁんなことやこぉんなことまで……ぽっ」
「あなた最っ低……。もう別れてやるっ!」
「待てよハーピー、誤解だって!」
「私に触らないでこのケダモノ! やることやってるくせにとぼけないでよ!」
「違うよ! 魚類は体外受精だから俺は何も入れてないんだよ。――自慰みたいなもんさ」
「それ……本当?」
「もちろんだとも」
「あ~あ、ケンタちゃんばらしちゃったぁ。つまんないのぉ」
「……ごめんなさいケンタウロスさん。私、つい取り乱しちゃったみたい。鳥だけに」
「勘違いは誰にでもあるさ。心配しないで、ハーピー。僕の貞操は君のものだよ」
「前脚の間の人並みのも、後脚の間の馬並みのも、両方とも私のものだからね」
「はいはいどうせあたしは合体できませんよ~だぁ」
「……あのー、そろそろいいかニャー?」
 しまった! 妖怪たちの話が聞こえてきたら続きが気になって、内容はよくわからなかったけれど、ついつい最後まで聞いてしまった。すっかり逃げるタイミングを逸したぼくに向かって、猫妖怪が足音もなく近づいてくる。もうだめだ、一巻の終わりだ……。

「ボクの絵を描いてほしいニャー!」

 ――え?

「人間は毎年、十二月になるとちっちゃい紙に絵を描いてるんだニャー。今年はボクがモデルになるんだニャー!」
 なんだ、人間を襲って食べようとしていたんじゃなかったんだ。そうとわかったら、急に力が抜けてきた。でも、人間が妖怪の絵を毎年描くなんて、そんな行事ないと思うのだけど。
「すみません、ぼくには何の話かわからないんですけど……」
 すると、馬妖怪が言った。
「あれだよあれ、ほら。ハガキって言うのかな。あの紙にさ、去年は俺の兄さんのミノタウロスを人間たちみんなで描いてくれてたじゃないか」
「そうよ、ミノタウロス義兄さんの立派な角が素敵だったわ……」
「ミノタちゃんもマタにゃんもいいけどぉ、あたしの順番はいつ回ってくるのかしらぁ」
「ボクも描いて欲しいってずっと思ってたニャー。でも一年毎にモデルが決まってるらしいから我慢してたニャー。でもさっき、ボクの絵を描いてる人間がいたから、今年はボクの番だってわかったんだニャー。前々から目をつけてた絵のうまそうなキミにどうしても描いて欲しくって、こうしてお願いしに来たんだニャー!」
 どうやら、年賀状のことを言っているらしいとわかってきた。今年は丑年だから、去年の年末は確かにみんな牛の絵を描いていた。さっき誰かが立派な角って言っていたから、たぶんその牛のことを指しているのだろう。でも、来年は寅年であって、猫年ではない。気の早い人が描いた虎の絵を見て、猫だと勘違いしたのだろうか。そいつはきっと絵が下手だったにちがいない。
「あの、すみませんけど、今年はですね……言いづらいんですけど、えっと、今年のモデルは猫じゃなくて、虎なんです……。あなたも見た目は小さな虎に見えないこともないかもしれませんけど、うーん、でも、ちょっと無理がありそうだし、それにさっきネコマタとか呼ばれてたし、しかも語尾が『ニャー』だし、やっぱり猫ですよね? だから……ごめんなさい」

 しばしの沈黙のあと――。

「ボクは猫じゃなくて虎なんだガオー!!」


 昭和二十五年一月、今年初の登校日を迎えた山奥の分校でぼくは、一つしかないクラス中の笑い物になった。同級の友達が、ぼくが送った年賀状を全員に見せびらかしていたから。それでも、ぼくはちっとも苛立つことなどなく、余裕たっぷりで全校生徒のからかいをいなしていた。絵を描いてあげたときのあの心から嬉しそうな「トラ」マタの笑顔を思い出すと、どんなことを言われても気にならないし、それどころか、どんなことでもとんでもなく楽しく思えてしまうような、そういうにやけた気持ちになってしまって、どうにもしようがないのだ。

       

表紙
Tweet

Neetsha