Neetel Inside 文芸新都
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「一枚絵文章化企画」会場
「その表情が止まるとき」作:山田一人

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「その表情が止まるとき」 作:山田一人

 彼女のころころ変わる表情がたまらなく好きだった。
 ちょっとしたうんちくを話すと大げさなくらいに驚いて、それが嘘だと告げるとこれでもかというくらいに頬を膨らませ、それを見て笑う僕につられてぷっと吹き出して声を上げて笑う。
 そんな彼女がたまらなく好きだった。大好きだった。
 今日だって、彼女と一緒に下校して、おしゃべりをしながら目まぐるしく変わる表情を見ていただけだった。
 なのに。それは突然だった。
 いつもの調子で彼女からかい、すねてそっぽを向いたところで平謝りをした。ごめん、悪かったよ。お決まりの言葉だ。僕の謝罪の言葉で少し愉快になったのか、彼女はこっちを向くとあかんべえをした。
 ああ、可愛いな。そう思った直後、世界が止まった。
 風が、時間が、そして人が動かない。僕を除いて。
 最初は何も理解できなかった。
 どうして彼女はあかんべえをしたまま動かないんだろう。何か意図があるのかな? よく見ると周りを歩く人たちもみんな動かない。そう言えばさっきまで吹いていた冷たい風も止んでいる。十数メートル先にある建物に付いた時計も針が動いていない。
 自分の置かれた状況をなんとか整理して、世界が止まってしまったことに気づいた。
 その瞬間、僕は彼女に駆け寄りその頬に触れていた。ああ、なんで動かなくなってしまったのか。これでは……このままじゃ……彼女の表情は今のままではないか。
 あかんべえしている表情も確かに魅力的だ。でもそれはあかんべえした瞬間だけの話だ。微妙な変化ではあるが、決して同じ表情にならない。そんな彼女が好きなのに。
 もし世界が止まらなかったら、君はあかんべえした後どんな表情をしただろうか。はにかみながら平謝りする僕を許したのかな。それでえへへ、と子どものように無邪気な笑みを見せてくれたのかな。世界が止まらなければ。
 その後は学校であった出来事なんかを話すつもりだった。今日は体育の授業で男子はサッカーをしたんだ。サッカー部じゃない僕が二点も入れたんだぜ。すごいだろう? きっと彼女は目を丸くしてすごいねぇ、と僕を褒めてくれる。そして自分も女子だけでやったバレーで活躍した話を得意げにしてくれるんだろう。世界が止まらなければ。
 どうして、どうしてこうなった。原因は分からない。分かるわけがない。ただ世界が止まり、彼女の表情も変わらなくなったという現実だけが突きつけられる。
 僕は両手を彼女の唇の両端にあてがうと、下方に引っ張る。笑みを浮かべながらのあかんべえから、口元を尖らせたようなあかんべえに表情を変えてみようと思った。だけど、どれだけ引っ張っても唇は動かなかった。
 次に目の下にあてがった指を、腕ごと動かそうとした。腕力には自信がある。手首のあたりを両手で握ると、思い切り引っ張る。しかし、動かない。
 ああ、発狂しそうだ。どうして君はあかんべえをしたままなんだ。
 どうやったら君の表情を変えることができるのかな。僕はただひたすらそれだけを考える。この状況で問題は他にも山積みなはずなのに、全てがどうでもいい。
 バッグから筆箱を取り出す。中に入っている文房具から先端が鋭利なものを全て掴むと彼女に向かって突き刺した。
 ほら、こうすれば君はあかんべえをやめて苦痛に顔を歪めるだろう。
 さっきは何をしても干渉できなかった彼女の身体に、えんぴつが、シャープペンシルが、コンパスが、はさみが沈んでいく。柔らかな胸を突き抜けていく。いやに生々しい感触が、凶器を握る僕の手に伝わる。
 制服に赤い血がにじんでいく。さあどうだ。痛いかい? 辛いかい? 苦しいかい?
 彼女の表情を伺う。右手の人差し指が右目の目の下を押さえ、笑みを浮かべながら舌をちょこんとだしている。あかんべえだ。
 こんなことまでしたのに、彼女の表情は変わらない。
 気づけば僕は凶器を引き抜いて、もう一度彼女の身体を刺していた。何度も、何度も。
 彼女は自身の血で真っ赤に染まり、僕も返り血で真っ赤に染まっていた。彼女の表情が変わっていたら、お揃いだねと声をかけていたかもしれない。でも、彼女はあかんべえをしたままだ。
 どうすればいいんだろう。僕はもう君のあかんべえを見たくない。お決まりのような右手も、可愛らしい舌も、悪戯っぽく片方を閉じた目も……目……。
 唯一開いた右目を見つめる。さっきと違って光がない、ひどく濁ったような瞳。
 変わった! 目が変わった! 僕は歓喜のあまりその場で叫ぶ。まるで獣の雄たけびのような自分の声に少し驚いた。
 ありったけ叫ぶと、酸素を取り込むため反射的に息を吸う。そこで異臭に気づく。つんと鼻を刺すような排泄物の臭い。
 そこで僕はようやく気づいた。彼女は死んでしまった。僕に刺されたせいで。
 僕は彼女のことが好きだった。それなのに僕は彼女をこの手で殺めてしまったのだ。もう取り返しがつかない。
 こんな狂った世界で、僕は唯一支えになりえる存在を失ってしまったのだ。
 涙が頬を伝い、地面に零れ落ちてる。僕は行き場のない悲しみで頭がどうにかなりそうだった。
 もう、彼女は永久に表情を変えることがないから。

       

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