Neetel Inside 文芸新都
表紙

「一枚絵文章化企画」第二会場
「サバイバー」作:不鮭杉夫

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 これはお母さんから聞いたことだけれど、世界はとある伝染病が蔓延してから激変したのだという。
 この世界を実質支配していた人間という種をあっという間に絶滅寸前まで追いやり、その他の生物のほとんどが凶暴化。この正体不明の伝染病により僕たちが生きる地球は狂気と破壊に包まれてしまったと、悲しそうにお母さんは僕に話してくれた。
 僕は生まれたばかりで伝染病よって変わる前の世界を知らない。僕だけじゃない、お兄ちゃんと妹だって知らない。唯一家族の中で知っていたお母さんも先日伝染病の影響で死んでしまった。
 僕たち兄弟は無知なままでこの過酷な世界を生き延びていかねばならない。食料は自分たちで探し、外敵とも戦うのだ。何も考えずに生きていけるような甘い世界ではない。
 三羽で話し合った結果、食料が尽きかけていたこの家を出ていくことになった。

 僕たちが住んでいる家は「しいくごや」と呼ばれる所だという。これもお母さんから聞いたことだ。なんでも「しょうがっこう」という人間の子どもを教育する施設内に建てられていて、世界が変わる前はその子どもたちに世話をしてもらっていたらしい。
 金網とトタンの屋根で守られており、外敵が来ても侵入されることがない頑丈な造りだ。そんな場所を捨てるのは正直忍びないのだが、食料がなければすぐに餓死してしまう。隣の「しいくごや」に棲むウサギさんが言うには「しょうがっこう」の中にはもう食料が残っていないとのことで、この選択はやむを得ないことなのだ。
 僕は自分をそう納得させる。

「準備できたか?」
 お兄ちゃんが僕に聞く。準備も何も、持っていく物なんて何もないじゃない。
「いつでも行けるよ!」
 僕は元気良く返事をした。恐くないよ、平気だよ。と、お兄ちゃんに伝わるように。
「じゃあお隣さんにも確認しようか」
 そう言ってお兄ちゃんは隣の「しいくごや」に声をかけた。今回はウサギさん一家と一緒に行くのだ。心強い仲間だ。
「こっちも準場万端だ。今から外に出るよぅ」
 ウサギさんの陽気な声が聞こえる。さあ、いよいよ冒険の始まりだ。

 と、思った矢先のことだ。
「うわぁ! いつの間に!」
 ウサギさんが驚愕の声を上げた。何者かが扉の陰に隠れていたようだ。
「や、やめてくれ……この通り……」
 命乞いをしている。間違いない、外敵だ。伝染病の影響で凶暴化した動物がウサギさんを襲っている。
「私たちは美味しくない……美味しくなっ――……」
 そこでウサギさんの声が聞こえなくなった。代わりにウサギさんの家族の泣き喚く声がさらに強くなる。
 次第に恐怖が僕の心を蝕み始めた。妹も同様で小屋の隅で怯えている。お兄ちゃんはただ隣の方を向いて震えていた。正義感の強いお兄ちゃんのことだ。悔しいのだろう。僕たち鶏は力が弱い。外敵と戦っても勝ち目はない、ウサギさんたちを助けられない。
 一匹ずつ声が聞こえなくなっていく。一分もしないうちに隣の「しいくごや」からウサギさんたちの声は消えた。聞こえるのは外敵の生々しい息遣いだけ。
 どうすることもできないまま、僕たちはその場で動かなかった。動けなかった。

 扉が叩き壊されるまでの数秒が、僕らには果てしなく長い時間に思えた。
 外敵は扉の外れた入り口からこの「しいくごや」に入ってくると、ぎらついた目で僕たち三羽を舐めるように見回した。
 外敵は犬だった。身体は漆黒の毛に覆われ、爪と牙をむき出しにしている。ここまではまだ僕の想像の範囲内だった。
 その犬は犬であって犬ではなかったのだ。
 犬という動物の常識を超えた巨大な体躯。ウサギさんの声が消えたのはその大きな口で人のみにされたからに違いない。
 そして犬であって犬ではないと思わせる一番の理由。やつは二足歩行なのである。後ろ足二本でその巨体を完璧に支え、前足二本でこの扉を叩き壊したのだ。そして今も、二本足で立ちながら僕たちを見ている。
「ミュータント……」
 妹がぼそりと呟いた。
「そうだ」
 化物は答えた。
「俺はミュータント。伝染病による突然変異が起きた犬の化物さ。この狂った世界では便利な身体だがな」
 化物は口を吊り上げて笑う。
「いいねぇ。鶏肉は久々だ。涎が止まらない」
 化物の口から滝のように涎が落ちる。ひどい臭いだ。
「さあ誰からいただこうか」
 化物が僕の方を見る。あまりの恐怖に僕はお兄ちゃんの後ろに隠れてしまった。
 化物は次に妹の方を見る。妹も僕と同じようにお兄ちゃんの後ろに隠れてしまった。
 お兄ちゃんは恐がる僕らの方に振り向くと、優しく微笑んだ。そしてもう一度化物の方に向き直ると、臆することなく言い放った。
「俺から食べるといい。隣のウサギみたいにパクリと一口で飲み込んじまいな」
「ほう、威勢がいいな。チキンだけにお前らみんな臆病者だと思ってたぜ」
「だが俺はただじゃあ死なねぇ。お前の身体の中からこのくちばしで突き破って殺してやる」
「そんなちっちゃなくちばしで? ハハハッ、面白いこと言うじゃねーか」
 化物は高笑いする。
「受けて立とうじゃないか。まずはお前から食ってやる」
 化物は大きな口を開けてお兄ちゃんに近づいた。臭い吐息が僕たち三羽を包む。
「なーんてな。誰がてめーの指図を受けるかよ。まずは雌からだ!」
 毛むくじゃらで巨大な化物の腕が妹に迫る。恐怖で声が出ない。妹……!
「やめろおおおおおおおおおおおおお!」
 お兄ちゃんが叫ぶ。
 そのとき――僕の目の前でお兄ちゃんが激しい閃光に包まれた。

 気がつくと、僕の目の前には異様な光景が広がっていた。
 化物の腕は妹の眼前に迫ったところで止まっていた。横から何者かに捕まれて動けないのだ。
 化物の腕を掴んでいるのは青い全身タイツを身にまとった巨人だった。完全な人型。人間は滅んだはずなのにどうして!?
 僕は首を精一杯上に向けて巨人を見た。首から上が鶏だ。鶏の頭に人間の身体を持つ巨人である。というかお兄ちゃんである。なんだこれ。
「なんだこれ!」
 化物は自分を掴む巨人に心底驚いているようだ。
「家族には手を出させん!」
 お兄ちゃんは化物を片手で金網に投げ飛ばす。ぐえっ、と間抜けな声を出しながら化物が叩きつけられる。歪む金網。破ける金網。穴が開く金網。外に飛び出る化物。お兄ちゃんの怪力。なんだこれ。
「く、くそ……お前もミュータントだったとはな」
 化物は立ち上がると、お兄ちゃんを指差して言った。
 まさか実の兄がミュータントだったとは。驚きを隠せない。だけど納得はできた。お母さんはお兄ちゃんを生む前から伝染病にかかっていたという。つまり僕らは少なからず伝染病の影響を受けて生まれてきたのである。
「お前と同じというのは気に食わないが、家族を守れる力ならそれでいい。今、お前をここで成敗しよう」
 お兄ちゃんは両腕を構えて化物の方へと向けた。腕には何やら金属のホースのようなものがついている。それは背中まで伸びており、タンクのようなものと繋がっていた。
「くらえぃ!」
 カチッ、という音と共に真っ赤に燃え盛る火炎がお兄ちゃんの腕についた機器から放射される。どうやらこれは火炎放射器らしい。どこから出てきたんだこれ。
「汚物は消毒だ~~~!!」
 先ほどまで正義の味方みたいに振舞っていたお兄ちゃんの口からどこぞのチンピラのような台詞が発せられる。なんだこれ。
「ぐああああああ!!!」
 化物は灼熱の炎に包まれてもがく。先ほどまで畏怖の象徴だったその巨大な体躯が火だるまになって転がっているのを見ていると、不思議とすがすがしい気持ちになってくる。
 やがて化物は動かなくなり、さらに燃え続けて灰になった。僕たちの命を脅かす敵を倒したのだ。
「終わったね」
 妹が言った。
「ああ、終わったよ」
 僕は静かに答える。
 風が吹く。化物だった灰の山が宙を舞い、散っていく。僕と妹は、ただそれを黙ってみていた。
「いつまでも感傷に浸っている場合じゃないぞ」
 そんな僕らにお兄ちゃんが言う。
「もう俺たちはどんな敵が来ても戦える。俺たち三羽で生きていけるんだ」
 僕らは三人そろって「しいくごや」から出る。外には見たこともない木や花があった。僕たちの知らない外の世界だ。
「さあ行こう」
 お兄ちゃんは僕と妹を抱き上げると、「しょうがっこう」の出入り口である「こうもん」に向かって歩き出した。
 新たな人生のはじまりだ! 僕は自分の胸が高まっていくのを感じていた。

       

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