Neetel Inside ニートノベル
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 開けた手紙の中には一枚の紙が入っていた。二つ折りに畳まれた紙。ここに彼女の何たるか、と言ったら少し大袈裟ではあるけれど、彼女の生き方について書いてあるはずだ。
 正直緊張はしている。もしもここに書かれていることが僕に出来ないことならば、それはどうしようもなくなってしまう。
 だがもし、僕の手の届く範囲ならば、それは素晴らしい救いの手となる。と思う。そんな気がする。
 考えていても仕方がないので、一気に紙を開くことにした。ええい、ままよ!
「………………」
 そこには、みみずが暴れまわって、そして最期には生き絶えてしまったような文字があった。
 簡単に言うと、とても汚い文字が漢字で合わせて三文字書かれているだけだった。
「………………頑張れ…………」
 顔を上げると、何故か得意気な彼女の顔があった。ちょっとぶん殴りたくなったのは内緒だ。
 しかし、これはどういうことなのだろうか。
 『頑張れ』の三文字。確かに僕は頑張るしかないのかもしれないのだけれど、それが何かってのを聞きたいがために彼女に手紙を出したのだ。
 必死に文字を練習したりしたのはその為だ。それがこの結果では少し、いやかなり、いや完全に不満が残る。なんとなくニュアンスで感じ取ってほしい。
「あの……」
「ん? 何かしら?」
「これは一体……」
「読んで字の如くよ。それとも読めないかしら?」
「いや……読めることは読めるけれども、これはどういう意味なんですか?」
「だからそのままよ。頑張りなさい」
「僕はその何を頑張るか、聞きたかったんだけど」
「そんなの知らないわよ。自分で考えなさいな」
 ああ……と頭を抱えたくなった。こいつに頼ったのがそもそもの間違いだったのだろうか。人を見る目というのはやはり、僕には無いのだろうか。
 それにしても本当に酷い。頑張れ? そんなこと言われなくたって分かっている。
 だんだんイライラしてきた。僕は少し短気なのかもしれない。それともこういった人種に今まで会ってこなかったから、耐性が無いのだろうか。見たことはあるけれど、実際に触れ合ったことは無い。意図的に避けてきたからだ。見ているだけでも、『ああ、こいつは周りに無自覚に無意識に無頓着に被害を及ぼしているな』と分かるからだ。おそらくその判断は正しかったのだろう。今こうして僕は実際に被害を受けている。自分で頼っておいて被害というのも、かなり自己中心的ではあるが、僕はそういう人間だから仕方がない。
 しかし、だ。今まで触れてこなかったけれども、彼女が書いた字はおそろしく汚い。僕が練習し始めくらいのレベルに近い。もしかしたら、それ以下かもしれない。
 自分自身で言っていた通り、僕よりも先に失っているのに、何故なのだろうか。というか、あれほど僕に『字が汚い。字が汚い』言ってきたのに、自分はこのレベルかよと少し憤りを感じたりするくらいだ。以前、みかんを上手く剥いていたのは錯覚だったのだろうか。やはり、聞いてみることにする。
「ねえ、何でこんなに文字が汚いの?」
 口下手なのでストレートに出てしまった。人によっては怒っても良いレベルかも知れない。
「え? そりゃ練習しなかったからよ」
 当然だった。当然の答えが返ってきた。
 しかし僕が聞きたいのはそういうことではない。その理由だ。
「そりゃわかるよ。見たら分かる。どうして練習しなかったのって聞いてるんだ」
「それは抗ったからよ」
「は?」
 あまりの唐突な返事に僕はつい、言葉を失ってしまった。本当に何を言っているのか分からない。またどっかのバベルの塔で神が怒ったのかもしれないと勘繰ったくらいだ。
「抗ったって、何に」
「そりゃ色んなものよ。腕を失って、必要になること。それらを私は必要としてこなかった」
「どうして」
「どうしてって、そうしたら腕を失っているということを認めるってことになるじゃないの」
「そりゃ……そうなのかもしれないけれど」
 理屈は分かるが、さすがに論理が飛躍してはいないだろうか。洗練された言葉による例えは浮かんではこないけれど、そんな気がする。
 しかし彼女の迫力と、自信満々さに気圧されて納得しかけてしまう。これが彼女の強みなんだろうと思う。
「まあ、毎日毎日することはどうしても慣れてしまうけどね。それでも私は今まで通りの生活を続けてきた」
 ああ蜜柑を上手く剥いていたのはそのせいか。どんだけ蜜柑好きなんだ、こいつ。
「学校とかで、何も言われなかったの?」
「言われないわよ。腕、無いんだから」
 それに今は学校なんて行ってないしね。そう付け加えて、彼女はほんの少しだけ微笑んだ。とても悲しげで、胸が締め付けられるような笑顔。僕はそんな彼女の顔を見ていられなかった。
 いくら強そうに見える彼女でも、当然のように傷ついたりしてきたんだろうと思う。今までしてきた『普通』の行動が途端に難しくなる。これは人の心をへし折るには、役不足なくらいのものだ。
 そういえば以前からかった奴を泣かしたとか何とか言ってたっけ。その時は何も感じなかったけれど、からかわれたことについては、やはりどうしようもなく彼女の心を引き裂いたのかもしれないと、今なら思えた。
 それが事実であるから、尚更だ。
 そしてそんな悲しげな彼女を見て、僕は不覚にもこう思ってしまった。
 一緒に生きて、守ってあげたいと。
 ……………………え?
「……え?」
「ん?」
「え?」
「何を言っているの?」
「分かんない」
「私もあなたが分からないわ」
「僕もだ」
「もう一度聞くわ。何を言っているの?」
「何だろう」
「頭おかしくなったのかしら」
「かもしれない」
「どうしようもないわね」
「同感だ」
「自分のことでしょ」
「全くだ」
 はあ、と彼女が溜め息をつく。僕はその傍で混乱していた。
 守りたい? 一緒に生きたい? 僕は何を考えてるんだ?
 こんなにも周りに迷惑や被害を及ぼす人種と、一緒に生きたいと僕は今思ったのか?
 自分のことながら、全くもって理解できない。本当に彼女の言うとおり僕は頭がおかしくなってしまったのだろうか。
 人生でこんなに混乱したことは無いだろうってくらいに、混乱している。大学受験で受験票を忘れた時だってこんなにも取り乱したりはしなかった。解決策を知っていたからっていうのもあるかもしれないけれど。
 でもこれは違う。解決策なんて無い。僕は確かに思ってしまったからだ。
 共に生きたいと。そして守ってあげたいと。そう思ってしまった。
 彼女の幽冥な微笑を見てしまったのが運の尽きだったのかもしれない。 
 僕は、どうしたら、良い。
「うう……」
「何よ、さっきから。気持ち悪いわね」
 なんて彼女の罵倒さえも、耳に入ってこない。
 落ち着け。とにかく落ち着くんだ、僕。昔から考えることだけは得意だったんだ。今はそれを活用するべき場なんだ。頑張れ僕。負けるな僕。ああ、やっぱり混乱してる。
 ええと、どうして僕は彼女に対してそう思ったのか。まずそれを考えてみよう。
 おそらくそれは、僕と彼女が同じ境遇だから。というかそれしかない。あ、あとあの笑顔を見てしまったから。それだけ。
 はい終了。Q.E.D。
「マジかよ……」
「もう帰っていいかしら」
 僕が彼女に出した手紙は、思いもよらないラブレターになって返ってきた。
 受け手と伝え手があやふやにせよ。
 全く、人生はおよそ不都合で出来ている。
 そして僕は、自分に嘘をつきたくない性分だ。
 目を瞑り、息を吐く。浄化出来なかった思いとともに、重く重く、押し出す。
 一塊の決意を、覚悟を置き去りにして、胸の中に打ち付ける。
 そしてその小さな意識を、口を通して大気を震わせる。
「……あー、一緒に生きる?」
「治療不可かしら」
 口下手だって言ってんだろ。
 
 
 

       

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