Neetel Inside ニートノベル
表紙

レター・ラブ
後悔

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 次の日。看護婦さんに叩き起された僕は、三十分ほど何をするでもなく、ボーっとしていた。
 全くもってすることがない。どうしたものか、と考えていると昨日父が呼んだ医者が病室に入ってきた。
「やあ。どうですか? 調子は」
 昨日も感じたけど、どうやらこの医者は比較的緩やかな感じの人のようだ。ふくよかな体格で、物腰柔らかい話し方。他人にあまり不快感を起こさせない人畜無害。要するに、巷で流行の癒し系。いや、流行ってるかは知らないけど。
「ええ、まあ。それなりには」
「そうですか。それは良かった」
 ふむ、ここに来たからには何か用事があるのだろう。そう思って聞こうとしたところ、医者に先を越された。
「ああ、昨日はドタバタしてて自己紹介が出来てなかったね。僕の名前は森川って言います。
それと言ったと思うけど、君はあと一ヶ月ほど入院が必要なんです。だから、これからよろしくお願いしますね」
「いえ、こちらこそ。よろしくお願いします」
「うん。じゃあこれから少しだけ検査があるんだ。ついてきてくれるかな?」
 検査、検査ねえ。
「分かりました」
 そう言って、ベッドから腰を上げる。
「じゃ、行こうか」
 僕はその言葉に従うまま、森川さんの後ろについていった。

 検査といっても大したことはされなかったし、しなかった。僕が単に大げさに考えていたようだ。
 そういえば森川さんからリハビリを薦められたけど、まあこうして生きて動いてるんだから大丈夫だろ、と思って断っておいた。後々慣れていくだろうし。
 ……時間はかかるだろうけど。
 ああ、辟易する。
 まああと一ヶ月、何もすることは無いんだし、それに慣れることに時間を湯水の如く注ごうか。
 さて、じゃあ病室で練習でもしようかと思った矢先に、またあの女がいた。あの待合室で、ゆったりと椅子に腰掛けながらテレビを見ている。
 出鼻をくじかれるような感覚とはこういう感じなのか、と納得した。別に彼女が、今僕に何かをしたってわけではないのだけれども。彼女が苦手な僕としては、やはりそう感じられずにいられなかった。
 それに、どうせ目が合ったらまた絡まれるだろうし。
 なるべく足音を立てないで、僕は待合室を横切ろうとした。チラチラと彼女の方を窺いながら、そーっと。
 すると突然、彼女が僕の方を向き、そして目が合った。
 一気にモチベーションやらテンションが下がっていくのが感じられた。まるで、勉強しようと思ったのに親から勉強しろ、と怒られた時の気持ちのようだ。
 そして理不尽な憤りや落胆が僕の体を駆け巡っていく。今僕はどんな顔をして彼女を見ているのだろうか。想像もつかなかった。
 だけど、彼女は何も言わなかった。何も言わなかったというよりも、まるで僕に気がついていないような、そんな感じの表情。何も見ていない、無機質な眼球。
 そのまま彼女は口を閉じたまま、顔をまたテレビの方に向けた。
 そして僕はただ、棒のように立ちすくんでいた。

 病室に着くと、さっきの愚かな行為の余韻がムクムクと首を出してきた。
「うう……畜生。考えてみりゃ自意識過剰にもほどがあるだろ……」
 全く、余計な黒歴史を作ってしまった。やはりこういう時は寝るのが一番なんだけど、昨日早く寝すぎたせいか、目は爛々と冴えている。
 どうすることも出来ず、うーうー唸っていると病室に父が入ってきた。
「調子はどうだ……って、お前何してるんだ?」見られた。
「いや……何でもないよ……」
「……? そうか。ならいいんだが」
「うんホントその、気にしないで。それより、父さんどうしたの?」
 さっさと話をすり替えることにする。僕ももう引き摺りたくない。
「昨日また見舞いに行くって言っただろ。で、どうだ?」
あ、そうだっけ。どうにも上手く記憶を保持出来ない。
「うん、まあまた色々と検査したけど、ホント何にも無かったよ」一部を除いて。
「そうか、それは良かった」
 うんうんと頷いて、父は嬉しそうな顔をする。
「そういや父さん、仕事はどうしたの?」
「外回りの途中だが、近くを通ったんでな。ついでにと思って寄ったんだ。本当は帰りに行くつもりだったんだけど、今日はちょっと忙しくてな」
「ふうん」
 父は普通のサラリーマンをしている。普通の会社に勤めて、普通の役職について。極々平凡な勤労者だ。
 だからと言って、僕は普通じゃない仕事に就くんだい! なんて馬鹿な事は言わない。僕も父と同じような人生を歩みたい。普通に奥さん貰って、子供をもうけて。
 でも、それももう叶わなくなってしまった。僕が世間一般でいう、普通ではなくなってしまったからだ。普通でない人を、普通の人が相手にするはずが無い。普通の人は普通の人と生きていくものなのだから。
 だから、昨日から僕はとても困っている。目標として、夢として目指してきた父とは埋められない大きさで、かけ離れてしまったからだ。僕がこうして、今まで頑張って生きてきたのは父になりたかったからなのに。……なのに。
「どうした? 凄い顔になってるぞ。もしかしてどっか痛いのか?」
 父が僕の顔をのぞき込んで、心配そうな顔を向ける。
「何でもないよ。ちょっと考え事してただけ」
「……そうか。父さんもなるべく、お前のことを助けられるよう頑張るから、いつでも頼ってくれよ」
「……」
 僕は返事が出来なかった。これ以上、どうやって父に助けてもらうのだろう。それは解が存在しない、間違った問題のような、どうしようもなさだった。
 僕が黙っていると、父はフッと苦笑いをして相好を崩した。
「じゃ、父さん仕事に戻るからな。大人しくしとけよ」
「うん。わかってるよ」
「よし。次に来るときは、適当に着替えとか持ってくるからな」
 じゃ、また明日。そう言って、父は足早に病室を去っていった。そういや仕事の途中だって言ってたっけ。
 そして僕はそのまま、看護婦さんが夕食を持ってくるまでボーっとしていた。
 考えなければいけない、しなくてはいけないことを全て放り投げて。

     

 そして夕食後。
 あまり美味とは言えない病院食をなんとか完食してから、僕はこれからどうするか、について思考を巡らせていた。
 とりあえずしなければならないことを、頭の中に列挙してみる。
 一、慣れること。
 二、どう暇を潰すか。
 三、あの女に遭わないようにどうやって、安穏に過ごすか。……いや、最後はどうだっていいな。そろそろ意識の外に飛ばさなければ。
 ふむ。では、一について考えてみよう。
 今までやってきたことを繰り返す。以上。
 終わってしまった。
 しかし、まあこれはこれでこれ以上の妙案は無いだろう。今までの人生を繰り返す、とかそんな大それたことはではないし、単に慣れる、ということに尽きるのだから。
 で、二について。これは本当にどうしよう。先程の一を鑑みるに、慣れることを暇つぶしとして扱うのも良いけれども、実際それはどうかと思う。
 僕にとってのそういった行為というのはあくまで手段であって、目的ではない。
 だけどなあ、ううむ。
 僕は暇、というものが大嫌いなのである。時間を無為に無駄に食い潰し、放棄する愚かな時間。まるで共食いのようなそんな無残な時を、僕は今まで出来る限りの手を尽くして、どうにか消化してきた。
 それが今、手の打ちようが無いという、どうやら詰みと呼ばれる場面へと来ているようだ。 まあ、こう考えてみるといささか大袈裟ではあるけれど。
 「本なり何なり読んだりしてたら大丈夫か……」
 纏まらなくなってきた思考を無理矢理一つの器に詰め込み、蓋を閉じる。
 そして事故の際ボロボロになってしまった財布を掴んで、ジュースを買うために僕は病室を出た。
 色々考えていたら喉が乾いてしまった。喋ってもいないのに、人体とは全くもって不思議だなあ、とは別に思いませんでした。

 もう時間が時間なので、入院棟の廊下にはあまり人がいなかった。歩いているとすればトイレに行く人や、甲斐甲斐しく働くナースさん。後はボケかけた老人が徘徊しているくらいだった。
 「あれ、そういえば小銭あったっけ……」
 急に不安になり、手に持った財布の中身を確認する。どうやら缶ジュース二本分くらいはありそうだ。少し安堵する。
 しかし大学生として財布の中身がこれだけ、というのは逆に安堵したらダメなんじゃないか?
 まあ、至極どうでもいいけど。
 僕は昔からどうでもいいことに対し、変に頭を働かせてしまうようだ。
 高校受験の時だったか、試験の真っ最中にも関わらず、どうして国語では人物の心情なんて聞くのだろう、答えは皆千差万別じゃないか、なんて考えてしまい、かなりの時間をロスした覚えがある。気づいた時には、確か試験時間のラスト十分くらいじゃなかったかな。それでよく受かったもんだ。
 最近ではそういうことを避けるために、無理矢理思考のサーキットを断線するようにしている。放っておけば際限なく考えてしまうからだ。実際、大学受験の時には注意して、問題を解いていた。
 結果は、今こうして大学生やっていることが証明してくれている。
 と、そうこうしている内に自販機の前まで来た。ほら、どうでもいいことを考えてるから、また時間が消し飛んだ。
 財布の中から硬貨を数枚、落としかけながらも取り出し、自販機に食べさせる。
 数秒迷ってから、あだ名のような名前をしたオレンジジュースを選んだ。ゴシャ、ゴンという鈍い音がして、缶ジュースが自販機から吐き出される。
 それを取り出し、プルタブを開けようとしたところで僕はそこから脱兎の如く、逃げ出したくなった。
「うへえ……」
「あら、こんばんは。同類さん」
 どうやら、今晩はちょっとした夜になりそうだ。
 そんな感じたくもない予感が、僕の中を駆け巡った。

     

 今僕はあの女と待合室で一緒にみかんを食べている。どうしてこんなことになったのかというと、はい回想スタート。ギュルギュル。

「……どうも」
「元気が無いわね。それとも、元気が無くなったのかしら」
「どちらも同じことですよ」
「ま、そうね。そしてどうでもいいことね」
 そう言うと彼女は僕の鼻先まですっと、近づいてきた。ち、近い。
「ちょ、あの、何でしょうか」
 だから近い! 女性にあまり免疫のない僕としては、こういう場面は慣れてないんです。勘弁して欲しいんです。主人公キャラじゃ無いんです!
 そして彼女はニコッと笑って、僕の手の中にあるジュースをひったくった。あまりにいきなりのことなので、僕は惚け固まっていた。
「……は?」
 やっと声が出た頃には、彼女はジュースのプルタブを開け、喉を鳴らし美味そうにジュースを飲んでいた。……えー。
「なにを、しているんでしょうか」
「私、オレンジジュースって苦手なのよね」
 そして全て飲み干しておきながら、この台詞。
 こいつは社会のために、一生ここで隔離しておくべきなんじゃないか。絶対適応出来ないだろ、現代社会に。
 はあ、と僕は嘆息をしてまた財布を取り出す。面倒臭いからあまり出したくないんだけど。
 財布から数枚の硬貨を取り出す。今度は上手く取り出すことができた。
 もう一度、自販機にお金を投入する。……オレンジジュースにはしないでおこう。なんとなくそう決めて、次はコーラを選んだ。
 さっきと同じ鈍い音がして、コーラが自販機から落とされる。そういや、なんでこういう風に落としているのに、あまり炭酸がハジけないんだろう。
 あ、またいらんこと考えようとしてる。思考分断断線。
 今度は取られないように、と彼女に目を配せながらプルタブを開ける。当の本人はニヤニヤして僕の方を見ている。
 何が面白くてそんなにニヤニヤしてるんだろう。
 ああ……そういうこと。そりゃ、鏡の中の自分が苦しんでいたらさぞかし面白いだろうよ。性悪女め。
 腹が立ったのでヤケ飲みしてみる。コーラを半分ほど一気に飲んだら、すごいゲップがしたくなった。一応女性の前なので我慢する。
 ていうか、まだいるし。癪ではあるが、一応声をかけてみるか。
「えっと……。あの、まだ何か用でしょうか」
「いいえぇ? 別に何も無いわよ」
「そうですか。ジュースの代金も別にいらないので、気にしなくて良いですから。さっさと部屋に戻って寝たらどうですか」
「まだ寝るには早すぎると思わない? 常識で考えましょうよ」
「あなた皮肉って知ってます?」
「知らなかったら会話なんて出来やしないわ」
 なるほど、と納得してしまった。しかしそんなことはどうでもいい。
「はあ……」
「あら、疲れてるのかしら。やっぱり慣れない?」
 ……? ああ、コレのこと聞いてるのか。ちなみに今の溜め息は、あなたに対して行ったんですけどね。さすが厚顔無恥。
「ええまあ……。あなたは慣れていそうですけど」
「そうね。もう十年にもなるかしら」長いな。
「十年……。あれ。じゃあなんであなたは今ここに入院してるんですか?」
「私、臓器もちょっとポンコツなの。だから定期入院してるのよ」そういうことね。
「ふうん。大変ですね」
「他人事みたいに言うのね」
「だって、それこそ本当に他人事ですから。そのことだったら、あまり他人事ではないですけど」
 ふむ、大先輩だったのか。グイッと残りのコーラを飲み干す。胃から空気が逃げ出そうと、躍起になっている。大人しくしてろ。
「やっぱり、最初は大変でしたか?」
「ああ、コレのこと。……そうね、結構辛いものはあったわよ。色々とね。どうして子供ってのは異端を排除したがるのかしらね」
 十年前って言うと……同い年くらいだから大体小三、小四くらいか。
「それは……確かにキツイですね」
「ま、私をからかった奴は皆泣かしたけどね」
 怖い。
「豪胆ですね」
「それ、女性に対する褒め言葉じゃないわよ」
「ありのままを言っただけですから」
 ていうか、ちゃんと会話が成立してることに僕は驚いた。あれほど会いたくなかったのに、不思議である。
 すると彼女は待合室を指差し、僕にこう提案してきた。
「立ち話もなんだし、そこで腰を据えて話でもしましょうよ」
「それ、使い方間違ってません?」
「さっきのジュースのお礼にみかんも差し上げましょう」
 前言撤回。会話成立しねえ。

 はい、回想終了。ギュルギュル。
 そうしてこうして、僕は彼女と一緒にみかんを食べているのである。中々おいしいのがちょっとムカつく。
「それで?」
「へ?」
 いきなり声をかけられて、情けない声が出た。しかし彼女はお構いなしに、僕に質問を続ける。
「あなたはどうしてそうなったの?」
 ああ、コレのことね。
「事故ですよ、事故。ただの不運です」
「それを不運で済ますなんて、あなたも中々鈍重ね」
「それ以外に言葉が見つからないだけですよ。あと、まあ諦めもありますけど」
「諦め、ね」
 彼女は何か含んだような言い方をして、外の景色を眺める。その表情はどこか儚げで、消えてしまいそうな、まるで雪を彷彿とさせるようなものだった。
 そんな顔に少しドキリとしてしまう。……いかんいかん。
 そして彼女は視線と顔を外に向けたまま、僕に質問を投げかける。
「あなた、本当にもう諦めてる?」
「えっ?」
「それよ、それ。もう何もかもどうしようもない、と納得してる? って聞いてるの」
「えっと……」
 実を言うと、そこまではっきりと諦めて受け入れているわけではない。大金を積んで取り戻すことが出来るのならば、一生かかってもお金を払うつもりだし、それに何より、これからどれだけ周りに迷惑をかけるのかと思うと、やはりきっぱりとは納得は出来ない。特に父のことも含めて。
「出来ないんでしょう?」
 まるで答えがわかっていたような、そんな声だった。やっぱり根性悪いな、この人。
 でも、だからこうして今まで図太く生きてこれたのかな。ちょっとだけ、羨ましい気もした。
「……そう、ですね。完全には納得出来ないし、諦めきれません」
「まーそうよねえ。そんなことが出来たら、そいつは人間じゃないわ。ただの木偶の坊よ。それこそ魂や心の無い、ただの無機質のね」
「……」
「別にあなたのことを責めてるわけじゃないわ。それが当たり前って言ってるのよ」
「ええまあ……それは、わかります」
 だからね、と前置きをして彼女は言葉を紡ぐ。彼女の目はいつの間にか、僕を見つめていた。
「諦めないでいいし、納得もしなくていいの。受け入れろなんて言わない。抗って、拒み続けなさい。それが、これからを生きる秘訣よ」
「……っ」
 声が出なかった。何も言えなかった。
 ぐるぐる、ぐるぐるとたくさんの感情が僕の中で渦巻く。
 そして何も言わない、何も言えない、そんな僕に対し、彼女はシニカルに微笑んで、こう言った。
「じゃあ、またね。同類さん」
「……うん」
 そして彼女はすっと椅子から立ち上がって、待合室から出ていってしまった。
 外では轟々と、風が強く吹いていた。
 それはまるで、今の僕の心の中を表してるかのような、そんな風景だった。

       

表紙

変拍子 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha