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1章「シょウシつ」

 「こら弥凪!弥凪進!」
 「うあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 金縛りにでもあったような、せき止められていた体の自由がすべて解放された俺は派手な悲鳴とともに四肢をじたばたとさせた。
 「おい!こら!暴れるなっ!」
 誰かが俺を抑えようと躍起になってくる。きっとさっきの奴等だ。
 俺は必死になって抵抗を続けた。
 「やめろぉぉ!やめろおぉぉぉ!」
 「弥凪落ち着け!俺だ!なにを寝ぼぇっ!」
 「あぁぁぁぁぁ…あ?」
 慌てて放り出した右手になにかを感じた。
 こう、なかになにか固いものが詰まってるような。
 その右手の触れたものを目で追っていく。
 その先には担任の教師、榎本の頬に行き着いた。
 左頬の中心を見事にクリティカルヒットしている。
 「あ。」
 「お、まえ、なあ!」
 俺の右パンチをうけた榎本の眉毛がぴくぴくと震えている。
 相当頭にキているようだ。
 錯乱した情報を俺の脳内は一瞬で状況を把握してくれた。
 さっきまでの光景は夢だということと、
 今この状況で俺は間違いなく死ぬということを。
 「どうやら、死ぬ覚悟ができているようだな!」
 「あ、いや、あは、あはは。」
 俺は笑ってごまかそうとするが、泣きベソのような顔と混ざってしまい、泣いているのか笑っているのか自分でもよくわからない表情になっていた。

 その後すぐに、脳内が揺れるほどの衝撃を伴った強烈なげんこつを俺は食らった。







 「いやぁ、あれは笑わ…じゃなくて感動させてもらった。あの鬼拳の榎本先生の鬼拳突きを進んで受けるバカ…あ、いや、猛者がいたとは。」
 「何で起こしてくれなかったんだよ奈央!ってぇ…。まだ脳内がぐるぐるする。」
 俺は大きく腫れあがった頭を撫でつつ恨めしげに文句を言う。
 榎本は我等が2年C組の担任教師、且つ校内一恐れられているという鬼教師で、若いころはその反則なまでの右の拳で族を一人で潰したとか潰さないとか。
 そこでついた二つ名が鬼拳の榎本らしいのだが、実際一人で族を倒したかどうかという話はあらぬ尾びれがついた話なのかもしれない。
 「だって凪にゃんの寝顔があまりにも苦しそうだったから、もっと見ていたいなーって思って、ね?。」
 「ね?じゃねえだろ。ならますます起こせよ!苦しんでたんだろ俺!?どんだけドSなんだよ!」
 この女──伊瀬奈央は小、中、高とずっと同じで、さらに住んでる家まで隣同士のいわゆる幼なじみというやつだ。
 だがこの女、奈央は俺の記憶によると中学生に入ったあたりから一変し、俺をいじりたおす事を生業とし、快楽を得るというなんとも歪んだ性格の女の子に育ってしまった。
 俺はお前をそんな子に育てた覚えはないぞ。
 さながら奈央の父親になったらこんな風に嘆くことは間違いないだろう。
 「お前、そんな歪んだ性格だともてねぇぞ。」
 「ふふん。こう見えても私結構男の子からもてるんだよ?1組の林君とか4組の…。」
 そういって奈央は指折り数え始めた。
 聞く名前のほとんどは誰もが知っている、イケメンばっかりだ。
 こういう時、俺は世の中の不定さを感じずにはいられない。
 「…てな感じにね。凪にゃんこそそんなみみっちい性格してたら女の子からもてないよ~。」
 両の手を使い何回か指折り返し、数え終えた奈央は、悪戯っぽくニヒヒと笑った。
 「うっ。」
 どうせ見た目も運動神経も学力も平均そのものの俺はもてませんよ。
 性格云々はともかく、そんな俺がもてないのは図星だったため、俺は否定をすることができなかった。
 「まぁどうせ凪にゃんの貰い手なんかいるわけないんだから、長年の付き合いのよしみでこの奈央様が面倒を見てあげましょうー。」
 「そういう冗談は好きな人に言ってあげましょうー。」
 いかにもわざとらしい言い方に合わせるように俺も同じ口調で返事を返す。
 第一この「凪にゃん」という呼び方をなんとかしてもらいたい。
 高校生になってまで小学生の頃のそんな恥ずかしい名前で呼ばれたくない。
 以前、奈央にその事を言ったのだが、「えー、だって凪にゃんは凪にゃんじゃん。私にとって凪にゃんはいつまでたっても凪にゃんだからそれ以外の呼び方なんて考えられないよー。」などと意味のわからない理屈を押し通されてしまった。
 他の人に聞かれていると想像したら恥ずかしすぎて発狂ものである。
 しつこく言ったところで、前のように大声で凪にゃんと連呼されるだけなので今はしぶしぶと黙認している次第だ。
 「ところであんな苦しそうな表情しててどんな夢見てたの?」
 「ん?あぁ…。」
 今思い返して見てもあれはあまりにも非現実的なものだ。
 だけどただ夢とひとくくりするにはあまりにもリアルティのある夢だった。
 言っていることが矛盾しているのはわかっているが、夢から覚めた今この瞬間でも、根を張った種子のようにあの時の感覚が根付いている。
 ただこんな夢の話をしたところで「どうせ唯の夢でしょ。」と誰に話したところで一蹴されてしまうだけだ。
 「別に、なんでもねえよ。」
 「ん~!私と凪にゃんの仲で隠し事なんて水臭いな~!」
 「俺とお前の仲ってどこまでの仲だよ?」
 「それはもう初めてのアレした時とか、我慢できなくてアレしちゃった時の状況をくわ~しく話せるな・か(ハート)」
 「えー…どんな仲だかいまいちつかめません。ただあなたが言っている仲って言うのは俺のプライバシーを根こそぎ剥ぎ取るものなんですね。お断りします。全力でそんな仲は切らせてもらいます!」
 「あ~!ひっど~い!いいじゃん初めての一つや二つ!教えなさいってー!」
 「なんで夢の事から俺の初めてのアレについて話さなきゃいけねーんだよ!論点ずれてんぞ!」
 「いや~!凪にゃんの初めてが知りたいの~!」
 論点のずれすぎた会話は不毛な会話へと転じてしまっていた。
 「あ~!わかった!わかったから少し静かにしろ!」
 俺は奈央の口を手でふさぎ、空いた手の人差し指を立て「しっ」のポーズをとった。
 奈央は押さえられた状態で、口の中をまごまごさせている。
 昼休みの為、騒がしい教室内では俺と奈央との会話はほとんど聞こえてないと思うが、こんな会話を聞かれたくはない。損害を受けるのは主に俺なんだから。
 「とにかくまた今度二人の時に話してやるから!今は落ち着け!なっ!?」
 「んー!…んー。」
 奈央も納得したようで口をふさがれた状態でこくんと頷いた。
 それに伴い俺も彼女の口から手を放してやる。
 話してやる気は毛頭ないけどな。
 心の中で語尾にそう付け加えた。
 「はぁ。」
 災難が過ぎ去ったこの状況に安堵するかのように俺は一つため息をついた。
 なんかほぼ毎日こいつの扱いに長けていく俺が何となく嫌だ。
 「ん?凪にゃん?私の顔に何か付いてる?」
 「ん?あぁー可愛いなーって思ってなー」
 流すように生返事をする。
 実際流しているんだけど。
 「もぉー!そんなロマンのない告白されても私はときめかないぞ!もっとちゃんとしたシチュエーションだったら…」
 奈央はこの後昼休み中延々と話をやめなかった。
 もちろん俺は右耳から左耳に流すまでもなく聞く耳を持たず、テキトーに相槌だけを打っていった。
 奈央と話している間にあの夢のこともさして気にすることもなくなり、次第に夢の特徴であるかのように記憶から薄れていった。
 このことだけに関しては奈央に感謝すべきかもしれない。
 本当に、唯の、悪い、夢、だったなら。




 「おーい。おーい!な~ぎ~にゃ~ん~!起ーきーなーさーい!」
 「ん?あぁ。」
 「いつまで寝てるのさ。学校終わっちゃったよ。」
 目覚めた俺の顔に教室の窓から差し込む斜陽の光があたる。
 静まり返った教室には俺と奈央以外誰もいなくなっていた。
 人のいない教室とは、なんというか物寂しさを感じる。
 「凪にゃん最近何か夜遅くまでやってるの?」
 「なんでだ?」
 「だって最近の凪にゃん、学校でほとんど寝てるから・・・。あ!もしかして彼女とあんなコトやこんなコト…どこ!?どこの娘なの!?」
 「いや、彼女とかいねぇし。それに夜遅くまで起きてないから。むしろ最近は眠すぎて、家帰ってもすぐ寝ているんだけど。」
 「そう、なんだ。」
 なぜか安堵の表情を浮かべた奈央を視線の片隅に置きつつ、俺は物思いにふけっていた。
 確かに最近異常な睡魔が体を覆うようにして離れない。
 朝の目覚めも悪くなって、学校に着く時間も日に日に遅くなっている。
 部活なども特にやっているわけでもなく、とりわけ何かスポーツを新しく始めたわけでもない。
 文字通り「突然」体が睡眠を求めるようになったのだ。
 何を考えても思い当たる節はない。あるとすればただ一つ。
 「ねぇ凪にゃん…。一回病院に行った方がいいんじゃない?」
 「なぁに大丈夫だって。大したことないって。」
 「でも…。」
 「あぁ~!だからもう大丈夫!それでこの話は終わり!下校!」
 俺は奈央の話を一蹴して乱暴に教科書を鞄に詰め込む。
 その行動とは対比して頭の中はやけに冷静な俺がいた。
 そして頭に思い浮かんでいることはもうあのことだけだった。
 意識しだしたらそれは延々と頭から離れない。
 ──でも大丈夫。もうすぐなの。もうすぐであなたとひとつになれる。身も、心も。
 あの夢の彼女の言葉が浮かぶ。
 だけどあれはあくまで夢だ。
 夢なんかを真に受けるなんてただ頭のおかしい奴だ。
 だけどあれがもし何かの啓示だとしたら。
 やめよう。ばかばかしい。
 「奈央!帰ろう!」
 もやもやした気持ちを吹き飛ばすかのように、俺は奈央になかば怒鳴るような口調をぶつける。
 「う、うん。」
 いつもは悪戯に小憎たらしい小悪魔的な顔しかみせない奈央。
 だがその時の彼女はそれとは違った。
 その表情は遥か昔、というのは大げさかもしれないが、幼き頃の奈央を思い出させた。
 どこか弱々しくて、だけど人一倍心配をしてくれる優しい顔。
 まあこれも俺が勝手に憶測を立てた表情なんだが。
 いつもそれぐらいだと本当に可愛いんだけどなあ・・・。
 まだこんな事を考えられてる余裕があるとは、あの夢を否定しきれるだけの自信があるのだろうか。
 荷物をまとめ終わった俺は奈央を急かすように教室を後にした。
 静まりかえる教室。
 斜陽が生み出す影。
 なぜかその教室を俺は振り返ることができなかった。


 「でねー、その時アキちゃんってば料理をお鍋ごと爆発させちゃってー…。」
 「っぷ!それありえなくねー?!」
 俺と奈央の家は近所、というか隣同士で、小さい頃はよく一緒に登下校をしていた。
 ただ、成長するにあたってその回数は眼で見るほど少なくなっていった。
 お互い成長するにあたっての心の変化だろうか。
 それでもお互い一緒に帰る状況ができた時には、何の気兼ねもなくこうして一緒に帰っている。
 「それじゃ好きなやつに料理を作れるのはまだまだ先だなー。」
 「えへへー。ほんとにねー。」
 「……。」
 他愛もない話。
 本当に他愛もない話。
 多分ものの数時間もすれば忘れてしまうだろう話。
 だけどなんでだろう。
 その話の内容一字一句がものすごく大事な物に感じた。
 その理由をいくら思慮をめぐらせてもその答えは出てこなかった。
 頭がそう考えているというより、むしろ体の芯から湧き出る一種の「本能」のようなもの。
 その「本能」が脳を媒体として俺自身に伝えている信号のようなものだった。
 「どうしたの?凪にゃん?」
 気がつくと目の前には不安そうに顔を覗き込んでくる奈央の顔があった。
 「なにが?」
 なんでそんな顔で俺をみるんだ。さっきまであんなに楽しそうに話をしてたじゃないか。それなのに
 「だって凪にゃん…。」
 「え?」
 俺の頬に冷たい液体がつたう。
 その液体の感覚が頬から離れ滴となり地面に落ちていきは消え、地面に落ちていきは消えてゆく。
 そして俺はその繰り返される反復動作を体感しているうちに気づく。 

 俺は──泣いているんだ、と。

 別に悲しいから、とか辛いからとか、ましてや嬉しいとか頭の中で考えから至って泣いたわけではない、と思う。
 少し違うかもしれないけど「反射」というのが一番しっくりくる例えなのだろうか。
 熱いものを触ったら耳たぶを触って冷やす行為とか目の前にボールが来たら目をつぶるとか。
 そんな人間の本能がそうさせるようなもの。
 だとしたら俺の本能はなにに反応してこの涙を流しているのだろう。
 わからない。
 わからないけど涙は頬を伝うことをやめない。
 「あ、め、目にゴミが入っちゃったのかなーははは。」
 我ながら下手な嘘をついた。
 どこのどいつに目にゴミが入っただけで滴るばかりの涙を流すやつがいようか。
 「ねぇ、凪にゃん。もし辛かったりしたらまた昔みたいに私の家で過ごしてもいいんだよ?お母さんもお父さんも凪にゃんならいつでも歓迎だって言ってたし・・・。」
 「は、はは!俺もう高校生だぜ?自立できるし、もうこれ以上奈央家には迷惑かけたくないしな!」
 なんで今このタイミングでそんな事を言うんだか、俺には理解できなった。明らかにこの涙とは関係ないだろうに。いや、俺自身も原因はわかってないんだが。一般的推測からして。
 「別に私たち迷惑だなんて思って──」
 「いや、俺がこれ以上奈央と一緒にいると体が持たんからなーははは・・・・。じゃあまた明日学校でな!」
 「あ、ちょ──」
 いつもの憎まれ口もこの流れる涙をまえにするといまいち歯切れが悪い。
 後ろ手に何かを言っている奈央を片目に、俺は涙を腕で強引に拭い、足早に家に向かって走り出した。
 なんとなく、これ以上奈央にこんな姿を見せるのはいやだったから。
 そう、なんとなく。 


 「ただいま。」
 家のドアを開け、誰にそういうでもなく俺は帰省したことを告げる。
 そのころには駄々洩れになっていた俺の涙腺もしっかりととじきっていた。
 父親も母親も俺が小さい頃・・・記憶に残っているあたりでは小学生の頃だろうか、仕事の関係上海外に旅行に行ったきり帰ってきていない。
 つまりこの広い2階建ての一軒家の住民は俺一人ということになる。中学生までは奈央の家でお世話になっていたのだが。
 奈央家も俺を家族同然のように扱ってくれた。正直奈央家には言葉では表せない程感謝をしている。
 ここまでぐれることなく真面目に高校進学をできたのも奈央家のおかげだ。
 弥凪家は一生をもって奈央家に奉仕をすべきだな、うん。
 それにしてもいくら仕事がらとはいえ未成年の息子をほったらかしにして仕事に没頭している両親もどうかと思う。なにより両親との思い出が小学生までしかないというのもなにか俺に焦燥感のようなものを与える。
 それでも定期的に両親から手紙などが送られてくるあたり元気でやっているのだろう。
 ──それにしてもさっきは何であんな事になってしまったのだろう。
  
 溢れ出ていた涙の理由もわからず、ただひたすらに流れる涙。
 最近妙に襲ってくる睡魔。
 奈央には平気とは言ったが確かに最近の俺の体は平常の域を超えている。
 ソファーでテレビを見ながら寝てしまうならまだしも、料理をしている最中に突然眠りだしてしまったり、休日の大半を睡眠で費やしてしまうこともあった。
 今までそんなことは一度もなかったのに。
 「さすがに病院…行った方がいいか。」
 心の病気とか思われて奈央に暖かい目で見られるのがなんとなくいやだったから病院に行くことを敬遠していたが、今日の出来事ではっきりと決心ができた。
 あんな醜態見られる方が何倍も嫌だ。
 「よし、明日学校帰りにでも行くか。」
 それにしても眠い。この眠気が泣いた後特有のものなのか、それともここ最近の異常な睡魔が原因なのかは定かではないが、とにかく体が猛烈な睡眠を欲していた。
 玄関から階段を上って寝室までいく余力も残っていない。
 俺は玄関にうなだれるように倒れこみ、そのまま体の欲求に身を委ねることにした。 

 静まり返った家中。
 遠のく意識。
 そのなか俺はどことなく


 ──でも大丈夫。もうすぐなの。もうすぐであなたとひとつになれる。身も、心も。



 あの夢のあの女の言葉をまた思い出していた。



 そして、
 カチッ
 「契約ハ、今、成就シタ。」
 その後、時計の針が動いたような音とともにその言葉が聞こえたのを最後。
 俺の意識は張り詰めた糸が音を立てて切れるようにして
 プツンと途切れた。

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Neetsha