三の一

 花のつぼみはぽつぽつと開き始め靖国からの声もそう遠くないだろう、鴉色の学ランを羽織っていると薄く汗が滲んでくるような陽の具合の正午、順位戦最終局は千代の手番で昼食休憩に入り、響はいつものように近所の蕎麦屋に出前を取った。
 かけ蕎麦と納豆巻を胃に押し込みながら午後の展望を頭で巡らせているところを先日の順位戦で残留を勝ち取った銀乃介が通り過ぎていき、お互い声はかけずに目で交わす。
 盤石だな、と、苦笑すら籠もったような銀乃介の視線は言っていた。
 響はオールラウンダーに指せる棋風だが、どちらかと言えば受け将棋を得意としている。相手の手を一つ一つ潰していき確実な死に追い込む響の戦法は、鋭利な刃物で鮮血を散らしながら斬り捨てる断頭台の、ある種の美しさが溶け込んだ冷酷とは対極に位置し、それは絞首刑のような、首にかけた荒縄がじわじわと引き絞られ肉に食い込み酸素欠乏に肌を黒ずませながらそれでも死にきれずにいつまでものたうち回る、相手がもがき苦しむ様をまざまざと浮かび上がらせる、強烈無比のむごたらしさを有していた。
 響は成香を自陣側四列まで引いてきており、展開によってはそこから更に下げ、完全に陣に入れる事すら考慮に入れている。これが何を意味するか、多少なりとも将棋を知っている人間ならば、成香を自陣で使うという戦局の異常性を即座に理解できないはずはない。言葉にするならば――成香冠――その形まで見据え、あらゆる可能性を想定した上でかつ考え得る限りの相手の勝ち筋を潰す。最早打つ手が無いというところまで相手を追い詰めれば、王手をかけずとも勝ちは獲れるのだ。
 今日のような戦術を取った日には、響の勝ち方に対して趣味が悪いという批判を向ける人間もいる。優位に立っているのならその上更に相手の手を潰そうとせずとも勝つ方法は幾らでもあるはずだ、と。そういった批判には、若くしてプロの舞台に上がった人間へのやっかみというものも無くはないだろうが、しかし響自身、それらの批判が間違っているとは欠片も思わず、正しい、全く正しい批判であるとすら思っていた。
 浅井響という少年は自身の非道を理解した上で行っている。
 彼は殺しに何の美学も持っていない。彼の本質は自らの技術を誇りそれを高める事を全とする武芸者ではなく、ただ屍肉と血の臭いをより確実にすることを好む狂犬に過ぎない。
 齢を重ねた浅井響という少年はそのように自覚しかけている。

 戦局は響の想定を大きく外れることなく進み、成香は自陣奥深く自玉に張り付いている。最早どのような手を打とうと響を詰ませることは出来ないだろう盤石の状況だが、しかし投了はなく、場は百五十を超えた長手数に足を踏み入れていた。
 よく投了しないものだと、口には出さないまでも誰もが感じていた。恐らく意地だろうとも。一度も王手を掛けられていないのに投了などしてたまるか、あんな駒を残したまま投了したのでは晒しものだ――そんな意見が誰しもに共有される、凄惨の一言に尽きる盤面だった。
 百九十四手目に忌まわしい成香をどうにか捌いてみせたところで意地も尽きた。その後は正になぶり殺し以外の何物でもなく、以て二百十二手、最後は頭金すら見えている局面での投了。