四

            四の一

 順位戦に区切りがついても棋戦は続く。
 王竜ランキング戦五組三回戦、相手は神保氏張七段。C級一組順位戦で昨年八月に対局して以来二度目の組み合わせは振り駒表多く神保七段の先手より。居飛車急戦を好む神保七段の積極的な棋風は一度の敗戦で変わることなく今回も一直線の棒銀、対する響も当初の予定通り四間穴熊を組み上げて堅く対応、勢いに飲まれることなく全て捌ききり相手の息切れを見てからじわじわと絞め上げ確実に仕留めた。
 続く新人王トーナメント、特別優勝したい訳でも無いが昇段規定によってこれが最後の機会となる、どうせなら勝って卒業といきたい棋戦での相手はプロとしては初顔合わせの波多野秀長四段。響より遅れて四段昇進したプロ一年目、奨励会時代には幾度となく顔を合わせ三段リーグでも一戦交えているが、麒麟児と呼ばれ他と一線を画していた響の評価とは歴然の差、七年十四期の延長戦まで粘り強く戦い続け二五歳にして四段の道を開いた彼の胸中には並々ならぬ下克上の意志が見え徹底した研究の跡が見えるも、さりとてこの短期間容易に埋まる差ではなく危なげない勝利。
 以上を以て年度内の対局は終了、年間五十二戦四十勝十二敗は勝率にして七割八分四厘という破格の数字を叩き出して響は新年度を迎えることとなった。


 ベッドの上に寝転がり先日銀乃介が作ったのだという煙詰最長記録を更新する新作――題して『一口剣』というらしい――を検討していると、携帯が震えた。通話着信、相手は安岡らしい。まるで解けない苛立たしさから抜け出すように響はそれを受けた。
『暇してるだろ?』
 開口一番それである。
「暇でも無いな」
『何してんだよ』
「詰め将棋。銀の新作一昨日貰ったんだけど、全然解けねえ。解けないにしてもこんだけ眺めてりゃ普通大筋は見えてくるもんなのに」
『一昨日……って、お前それ、騙されてねえか?』
「はあ?」
『日付、一昨日なんだろ?』
「ああ、そうだけど」
『四月バカ』
 あっ、と思わず間抜けな声が出ていた。
『解くモン解けたところで今からウチ来い。お前待ちだから、早くな』
 言うだけ言うと一方的に通話を切られた。
 どいつもこいつも勝手すぎる。ぶつくさ言いながらもベッドから起き上がりジャージから着替える。着替えながらも銀乃介へメールを打ち真相を確認することも忘れない。財布に携帯と家の鍵、それだけポケットに押し込み、気ままな一人暮らしのボロアパートから自転車をこぎ出した。


 店内は休日ということもあってか上々の客足、既に麻雀部の面々は揃っており、指定卓である部屋隅の手積み台を占拠している。レジ前でスポーツ新聞にコーヒーと煙草という三種の神器を装備した安岡の父に軽く挨拶をして席に着こうとしたその時、携帯が震えた。銀乃介からの返信である。
『結構苦労したんだよあれ。それっぽく出来てただろ?』
 死ね、と一言だけ返信しておいた。
「メールか?」
「ああ、銀から。さっきの詰め将棋の話」
「どうだった?」
「騙されてたよ、あんの野郎」
 舌打ちをしながら洗牌に参加、ジャラジャラと鳴る音にも慣れたもので今では心地良さすら感じるようになっている。
 賽の結果親は森田から、響、井川、安岡。二万五千の三万返し、アリアリの頭跳ね赤は無し、一つ変わった点を挙げるとすれば元禄積みからブッコ抜き果てはツバメ返しに至るまでバレなければサマは合法、しくじった場合は役満払いを以て責任を取る、ただし通しの類は一切禁止、あくまで自力一つの勝負をすること。
「んじゃまあ、早速打ちますか」
 と、言った森田の一打目は二筒。

 親父さんからの差し入れであるコーヒーをすすりながら、行くべきか留まるべきか、響は思考を巡らせる。
 手は良い。良いだけに迷う。満子は一盃口雀頭の九筒にドラ二も確定一二三の純チャン三色で倍満の背中がはっきりと見えるイーシャンテンという場面、持ってきたのは念願のカン二索、待ちは両面一四筒子の願う満月は三枚残り、強気で押し切りリーヅモ一発までつけば三倍満、裏が恵んでくれたなら数えですらも手が届くと夢は果てなく広がるばかり。
 しかし対面の井川と下家の安岡はダマで張っているらしく、特に安岡は八索の暗槓からめくった新ドラ表示牌は七索の四翻上乗せという強烈な流れを持っており、河から見るに索子の染め手か、或いは極端に偏った場からして高めを読むなら緑一色まで意識させられてしまう状況。
 そして響はまだ場に出ていない發を抱えてしまっている。
 突っ張るか、引っ込めるか。
「おい、ちょっと長すぎるぜ」
「解ってるさ……じゃあ、こうだな」
 長考の末に打ち出したのは――發。
 響は二万二千と沈んでおりトップの井川とは一万四千の差、ラスの森田とは一万近い差があるものの、折角負けても悔しい程度で済むゲームをやっているのだから、麻雀ならば無理をしてでもトップを取らなければ打つ意味が無い。とすればここでの勝負は必然。
「通らばリーチ、だ」
 指に挟んだリー棒を眉間に寄せ審判を待つ。
 と、声は予想外の方から届いた。
「ロン……あンた、背中が煤けてるよ――ってな、悪いが高いぜ」
 まさか、と声の主の森田を見れば、倒した牌は高めも高め――大三元。
「俺の勝負運もなかなかどうして、将棋覚えたら良いセン行けちまうかもな」
 したり顔の森田に言い返すこともできずうなだれる。

「そいやあ慈乃ちゃん今年からウチの高校来るんだよな」
 洗牌をしながら、思い出したように森田が言った。
「だな」
「やっぱ棋士って地頭が良いのかね。受験勉強なんてする暇なかっただろうに、あっさりウチ受かってるんだから」
 こちらは感心した風な井川。
「俺らが通ってる時点で大したことねーだろ」
 安岡が笑い飛ばす。成績が良い子と呼ばれるのを嫌がる年頃だった。
「将棋の時間削って勉強してたし、かなり必死にやった結果だよ」
「将棋より勉強か、響見てっと考えられないな」
「笑えねえよ。高校なんて無理してまで通う所じゃないだろうに、何がしたくてわざわざ将棋の時間削ってんだか」
 苦虫を噛みつぶしたような表情の響に他三人は返す言葉もなく呆れた。

 ぶっ続けの六回戦に入ろうかというところで響の携帯がまたも着信を伝えた。銀乃介からの通話、ようやく浮かんできたところなのにと響は眉根を寄せる。
「何だよ」
『花見すんぞ。十分以内に来なかったら酒代お前持ちだから、じゃあな――』
「――ちょ、待てよ」
 受話器に向けて何を言おうと既に通話は切れている。何故自分の周りにばかりこんなに自分勝手な連中が集まるのだろうかと、最早吐くため息も尽きてしまった。
「どっちにせよ頃合いだしな。今日はお開きにすっか」
 聞こえていた訳でも無いだろうに、安岡は察しがいい。
「ってなると、ラスは響だね。森田はひっくり返されなくて助かったじゃん」
「まったくだ。さてと、今回はどうなることやら」
 麻雀部では安岡の父の意向――独り立ちもしてないガキが実弾博打なんざ百年早いというもの――により金銭のやりとりが禁止されている代わりに、ラスを引いた人間はトップの命令を何でも一つだけ聞かねばならないという罰ゲームを導入していた。
「ヤスがトップだろ、どうすんだ?」
「あー、それなら……響これから慈乃ちゃんに会うんだよな?」
「アイツもいるだろうけど、何だよ」
「丁度いい。今回の命令、慈乃ちゃんに『一足先に制服着て見せてくれ』って頼め」
「はあ?」
 響にはまるで訳の解らない注文だったが、井川と森田には通じたらしい、ヤスは優しいねえ、などと更に謎を深める感想が二人からは聞こえた。
「写真撮って来いとか、そういう話か?」
「お前が見てあげればそれで良い。写真とかは取らなくて良いし、罰ゲームの事も本人に伝えるのは禁止……良いな、お前の口から一足先に制服着て見せてくれって頼むんだぞ」
「何だそれ……別に構わないけど、そんなんで良いのか?」
 麻雀部の罰ゲームは普段ならもっと過激なもので、森田は陰毛を焼かれかけたことすらあるし、井川はアダルトショップに一人で放り込まれてガチムチ系のビデオを購入するという苦行を経験済み、響は土地勘もまるで無い場所でのナンパを強要されて散々辱められた記憶がある。
「それで良いからさっさと行け。銀兄さん待たせたらまた面倒臭いぞ」
 腑に落ちない表情のまま、半ば追い出されるように響は雀荘を後にした。