『後手が3三桂と先に跳ねた事で角の攻めは一端保留するかとも見られ、代わりに2五歩などが検討されていた所、思い切った4四角が出て昼食休憩に入った。
「これだと普通に5五銀打で後手良く見えるんだけど、まだマシな方なのかな」
 角と銀の交換だが、先手に良い変化は見えない。控え室では、5五歩とせずに4四角とする手や、飛角交換を行ってみる線なども並べられていたが、どれも現状よりはっきりと後手が良くなってしまう。
「どうも後手のペースでしょうか」
 吉川八段が言う。今回は立花妹のように笑われることもない。
「ただし一局として見る場合、最近のアイツは信用できないから。昼飯入って仕切り直しですし、午後から解りませんよ」
 島津七段からは辛い一言が出るが、皆が思っていたことなのか、真っ向から否定しようとするのは慈乃四段一人である。
「お前のは検討じゃなくて応援だろ」
 確かに、棋界における一般的な友人関係とはまた違った印象を受ける。浅井と慈乃四段は同期でも無いのだが、幼少の頃から机を並べている仲ならではという事か。

 食後、京極九段と碁を打っていた千代五段に尋ねると、
「普段から大体一緒にいますから……外ではもう少し大人の振る舞いを欲しいのですが」
困惑がありありと伝わる表情である。
 ――微笑ましいじゃないですか。棋士同士の結婚なんてことになったら、こちらとしても有難い話題なんですが、どうでしょう?
 高校生を相手に気が早すぎるという笑い話のつもりだったのだが、
「女ですから、そういう見方をされることも仕方ないのでしょうが、まずは成績で扱ってあげて欲しいですね。つまらない騒がれ方はされるだけ損ですから」
記者としては耳の痛い言葉。ともかく妹の才能は人一倍買っているらしい事は伝わった。
 追いやられるように離れた所で、
「気の強い娘で、申し訳無い」
と、これは二人の父である本因坊。
「自分が勝てないからああいう言葉が出るんだろう。女なんだから、あんな態度しか取れないなら勝負の世界に来るべきじゃないんだ」
 ――いえ、私の聞き方が失礼だったので、そんなことは。
「貴方に気を遣っている訳ではありませんよ。親としても、棋士としても、本音です」
 優しい父親かと思っていたが、優しいだけではないということか。
「それなりに勝てているのならああいう態度も認めますが、棋戦では大した成績も残せず話題性だけで大切にして頂いているのが現実。今日の解説にしてもそうでしょう」
 鋭い、と言われればそうだろう。実際に、王竜戦の現地解説会は衛星中継されるだけに連盟としても力を入れており、高野山で行われている対局に関東所属棋士をわざわざ招集したのもそれが理由に違いない。
 殊に少子化の現代では昔のように「女に将棋は指せない」などと言っていられない状況がある。そこに来て立花姉妹と言えば女性初の正棋士(しかもそれが姉妹)であり、女性でも男相手に対等に戦えるというイメージ戦略を促進する為には、欠かすことの出来ない存在だ。
 しかし、本因坊の言葉は、実の娘に対する評価としてあまりにも辛辣過ぎる。
「周りを黙らせるモノを出せないなら、三段を抜けられたのが間違いだと思って早く引退すれば良いんだ。貴方たちも、どうか甘やかさずに現実を教えてやって下さい」
 どうしてか、私にもひどく痛かった。
「お隣でも、勝負事の世界は知り尽くしている人だから。結局は親バカなんすよ……本人のプライドが人一倍高い事も理解してるから」
 聞き耳を立てていたわけでは無いだろうが、後で傍に来た島津がぼそりと言った。
 そうではない。「記者として」、「立花姉妹の扱い方を注意する意味もある本因坊の言葉が」痛かったのではない。
 私は、かつて奨励会員だった。立花千代や島津銀乃介とは奨励会時代に対局したことがある。そして、彼らにはまるで敵わなかったのだ。
 ――女で初めて棋士になって、ギリギリでも四割は保ってるんだから、実力だって十分過ぎるだろ。お前とか浅井基準で語るからおかしくなるんだ。
「盛りを過ぎたロートルとフリーの人たち相手にどれだけ勝っても、成績で評価とは言われませんよ……アイツと同程度の戦績の男を、タイトル戦の解説会でメインに据えます?」
 ――一度は順位戦で昇級だってしてる。
「運が良かったってのが世間の評価でしょ、性悪な連中に至っては話題作りに組み合わせ考慮したとまで言ってる。実際、あの時はあたりも良かった」
 ――その理屈じゃB1以上じゃないと評価されなくなるんだぞ、無茶言い過ぎだ。
「無茶でもなんでも、やれなきゃ言われる立場なんだから仕方ない」
 ――……奨励会抜けても弱いって言われる世界とか、想像できねーわ。
「将棋で金稼いでるんだから、それくらいじゃないと」
 ――俺、並の女流が相手なら、今でも平で勝ち越せるくらいの自信あんだけどな。
「聞かなかった事にしておきます。エッチなお姉ちゃんならともかく、タマ落とした野郎の愚痴は付き合う気ないんで」
 プロをゴールだと思っていた人間と、プロとして生きている人間の違いだろうか。
 昼食休憩で気が緩んだか、思わず昔の感覚で、情けない愚痴まで飛び出して、目の前の彼らが暮らす世界の厳しさを、かつて自分の目指した場所を、遙か天の彼方に見上げる。

 対局者の昼食は両者共にごま豆腐と雑煮らしい……と書いていて、対局者の昼食を必死になって調べる私が彼らと同じ世界にいるつもりなどと、そもそも烏滸がましい話であることに気が付いた。(続く)』


 ――後5五銀、先5三歩、後4四銀、先5二歩成、後同玉、先5六銀引、後4六歩――