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 竹中が表情を一転させるのとほぼ同じ頃、控室でもまた、継ぎ盤で誰かの指した4一香が話題になり、事件は発覚した。
「……5五角から、なんだろうな」
 慌ただしさを取り戻した控室の中、ただ一人、何も変わらずモニターを眺めていた慈乃に、銀乃介は言った。しかし独り言であったのかも知れない。正確には、それらの中間とすべきであろうか。
 4六香の合駒を打たせ7七桂成と銀を抜く、同桂に4五歩、5六歩、3三角。一見するとただ追われただけで何の役にも立っていない角であるが、それすらも4五香と踏み込ませる為の、相手に優勢であることを意識させ攻めに勢いを付けさせる、誘いであったかのように見える。8七銀、6九玉、そこで4五銀と『打たせた』香車を拾う。銀が離れれば2三への効きが一つ減るのだから歩成は当然の流れ。2三歩成同銀に馬から切る手は同金同飛成に2二歩とされるだけで決め手が無く、よって飛車から切る以外に無い。そうして狙い澄ました8九飛からの4一香。
 結果から逆算すればこそ見えてくる、周到に張り巡らされた謀略の糸。見る者に影すら気付かせない、完璧な奇襲――優勢であることを意識すればこそ指してしまう、いかにも自然な手順は、全てが後手の意図により偽装された誘導路、芸道の粋を感じさせる、超絶技巧の罠であったということだ。
 盤上、あれほど後手を悩ませていた7四の銀が、今改めて見れば完全に空振りの形。
「実戦なら、気付けたか」
 今度は慈乃に問うているのでなかった。その言葉は自らにのみ向いていた。

「島津、イモバナ、リハ始まるってよ。準備急げ」
 呼ばれて、銀乃介は我に返った。衛星中継の開始時刻まで一時間もない。副立会として来ている以上、最低限の仕事はこなさなければならないだろう。
 気を入れ直し、モニターに食いついて離れようとしない慈乃の襟首を引っ掴むと、ズリズリと引き摺って控室を出る。