十四の六

 演出にしても凝りすぎている、と、響は少々機嫌が悪かった。
 タイトルホルダーとして初めて参加した指し初め式は特に問題なく務めたものの、その後、記念対局の相手である二階堂秀行が出てきた辺りからおかしなことになった。二階堂が、報道陣の前で、プロレス顔負けのマイクパフォーマンスを繰り出したのである。
『今日ワシは、後手8五飛をぶっ潰す。もしも浅井が横歩を取らせなんだら、それは浅井が逃げたということよ。八十過ぎの老いぼれを、恐れて逃げたということよ。いや、万一そんなことになったなら、ワシは棋界の未来が心配だ。ハッハッハ』
 響も大概ひねくれているため、それならば今日は飛車を振ってやろう、と考えていたのだが、間が悪く、その場に慈乃がおり、
『響ちゃんは逃げない。横歩だろうが角換わりだろうが矢倉だろうが、響ちゃんが勝つ』
と勝手に宣言してくれたのである。
 挙げ句ダメ押しとばかりに、連盟の事務職員から、
『今日は記念対局ですから……公式記録に入りませんし、どうか盛り上げる為だと思って一つ、お願いします』
と念を押されては仕方がない。万一勝ち負けまで指示されたらば、イベントなど一切無視して全て叩き壊してやったのだが、横歩を試す良い機会だという考えも多少あって、受け入れることにしたのだった。
 横歩取り、という戦型に関して、響は実戦で使ったことがまだ無い。というのも、学生生活で研究量の劣る立場、一手バッタリが多い横歩のような戦型をそうそう試すわけにもいかず、機会を窺っている現状だったのである。しかし、練習将棋では慈乃が好んでいることから多く経験しており、いつ実戦投入してもやれるだけの自信がある。
 舐めた真似をしたジジイを後悔させてやる。響は静かに燃えていた。
 新人王戦記念対局は四階の特別対局室で行われ、向かいに位置する銀沙・飛燕の二間を棋士控室として利用することとなっている。持ち時間各三時間、対局開始は十三時より。






 対局室は既に報道陣で埋め尽くされており、響は人混みを掻き分けるようにして下座に着いた。午前中の式典のまま、羽織袴の姿である。
 盤前に、目を瞑って座していると、やがて入り口の方から、それはモーセを思わせる人混みの割れ方だった。一歩、一歩と足を運ぶだけで、部屋の中の空気が変わっていくのが肌を通して伝わった。
 報道陣がざわめいている。口には出ていないが彼等の考えは解る。先程のふざけたボケ老人はどこに行ったのだ。そう言いたいのである。
 その老人から放たれる、恐ろしいまでの静けさによって、部屋中の空気が鋭利な刃物と化したかのようだった。この気、力強さとはほど遠く、むしろか細い蛍光を思わせる老人の気が、ただそれのみが、いつの間にか室内を支配している。
 盤前に座った二階堂秀行を、響は既に老人と見ていなかった。見ることができなかった。銀乃介、小寺、竹中、そうした連中を相手にするのと同じ、或いはそれ以上の相手であると、気のみによって、否応なしに認めさせられた。
「久々に本気で指してやる……落胆させてくれるなよ、十兵衛の」
 引退から十余年、二一世名人が盤前に舞い戻った。