Neetel Inside ニートノベル
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速筆百物語
010_衝撃の結末は180秒後!

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衝撃の結末は180秒後!

 起きたくない……だるい……死にたい……。目覚ましの不愉快な電子音はさっきから聞こえているけれど、それを止める気力もわかず、俺は枕に顔を押し付けている。
 今日の一限は出ないとまずい。本当にまずい。だからいま、即座に起きるべきなのはわかっている。だが、昨日寝たのは4時だ。店長から急遽、深夜のシフトに入ってくれと頼まれたからだ。授業があるから無理だって言ったのに、ごり押ししてきやがって、あの油ハゲめがねが。お前のコンビニが潰れようと俺の知ったことじゃない。
 目覚ましはまだ鳴っている。俺は右手だけ伸ばして頭の上を探ったが手応えが無い。イラついて伸ばした手を振り回したら、目覚ましは壁の方に転がっていった。それでもまだ鳴り止まないなんて、どれだけ無駄な使命感に燃えているんだ? 手首の骨の出たところが痛ぇよ、ちくしょう。
 あきらめて布団から這い出る。わめき散らす目覚ましを殴りつけるように止めると、俺は重たいからだをのっそり起こして、冷たいフローリングの上にあぐらをかいた。やかましい目ざましが止まって、強い雨の音に気付く。薄いカーテンのついた窓の向こうは朝だというのに薄暗い。
 寝不足で雨降りの月曜の朝。戦争でも起こって、誰も彼も死んじまえばいいと思った。

  * * *

 駅のホームは雨に濡れた人間たちで溢れていた。この時間帯はサラリーマンが多い。湿ったスーツからはすえた臭いが漂っている。大学を卒業したら自分もこの連中みたいに、朝早くから満員電車に乗って、ロクに休みもなく働くのかと思うと吐き気がした。

(レジのお金、足りないんだけどさぁ……知らない?)

 昨夜のバイトで店長に言われたことを思い出し、電車待ちの列でひとり殺気立つ。むりやりシフトに入れられた挙句に泥棒扱い。制服を投げつけて辞めてくればよかった。隣に並んだ携帯ゲームに夢中なサラリーマンの傘からは俺の足に水滴が落ちてきている。よけようにもスペースがない。電車はまだか! と苛立っていると構内放送がかかった。

「ただいまぁー、××駅構内にてぇー、人身事故が発生いたしましたぁー。お急ぎのところぉー、まことにおそれいりますがぁー……」

 ホームのあちこちから聞こえるため息と舌打ちに気力が削られる。俺は前に並んでいる奴らに突進して、全員を線路に叩き落とす空想で気をまぎらわせた。

  * * *

 遅れのせいで電車内はすし詰め状態だ。窓は湿気で真っ白に曇り、満員のサウナにでも押し込まれた気になってくる。
 さっきから右斜め前のスーツ姿の女が、俺の方をチラチラと見ては身体を動かしている。たぶん俺の持ったビニール傘の柄がどこかに当たっているんだろう。たぶん年上なんだろうが、困ったような表情がかわいらしくて、動きが妙にエロい。俺は傘の場所をずらせないかと親切心で手を動かした。するとその女はものすごい目で俺を睨んできやがった。
 心底うんざりして、行く当てのない格安海外旅行の広告に目をやっていると、突然、頭の上に腕を置かれた。何が起こっているのか、自分でもすぐにはわからなかったが、後ろにいる馬鹿が、俺の頭上にある吊革の上の棒をつかんでいるらしい。さすがにこれはないだろうと俺は頭を揺さぶった。腕は頭の上からはどいたが、なおも俺の顔のすぐ横にあるままで引っ込められる気配がない。
 俺も鬼じゃないから、後ろの奴がどこかにつかまらざるを得ない状況なら我慢する。でも、そういう時って腕からでも遠慮が伝わってくるもんだろう? こいつは当たり前のように俺の頭に腕を乗せ、当たり前のように俺の顔を押しのけているんだ。
 もうすぐ人がどっと降りる駅に着く。そしたら後ろの馬鹿に文句を言ってやる。俺の降りる駅はその次だから、いったん降りて、そいつとすれ違いざまに捨て台詞をくれてやる。俺はインパクトのある一言を考え始めた。

  * * *

 電車が駅に着きドアが開く。一斉に吐き出される乗客たち。自分もホームに降り立ち、馬鹿の顔を拝んでやろうと振り返った。
 馬鹿は馬鹿にふさわしい顔でそこに立っていた。馬鹿は二十代後半ぐらいのジャージを着た男で、ゴマが大サービスされたあんパンのように、ぶつぶつだらけで黒ずんだ丸顔をしている。ニートに違いないそいつは、ぼんやりとその場に立ったままで、降りようとする乗客たちの邪魔になっていた。
 ひとつ誤算だったのは、ずいぶんとそいつのガタイがよかったことだ。まともな話が通じるほど頭がよいとは思えないし、馬鹿と関わって怪我をする気にはなれない。馬鹿もこの駅では降りないのか、もたもたした様子で空いた席を探している。俺は再び電車に乗り込みながらそいつを睨みつけてやった。
 すると奴はふいにこちらを向いた。俺はさっと視線を逸らしてしまう。咄嗟に取ってしまった情けない行動に、顔がかっと熱くなった。奴はそんな俺を気にも留めず、でかい図体で通路の中央に立っている。俺は手にしたビニール傘で、奴の喉を貫いてやりたい衝動に駆られた。

  * * *

 電車が動き出す。車内は乗客がまばらになり、立っている者も少なくなった。奴は吊革にぶら下がるようにして、ぼんやりと立っている。
 俺はこの屈辱を何としても晴らしたかった。朝から、いや、昨夜から続く腹立たしさのオンパレード。この嫌な流れをここで断ち切ると決めたのだ。
 だがどうする? 俺が降りる駅までは約3分、180秒しかない。そのあいだにできること。もう正面から文句を言うタイミングは逃した。かと言って、電車を降りる時に殴って逃げるというのもスマートではない。物理的な仕返しではなく精神的な仕返しができないものか? 周りがくすくすと笑えるような何か……。
 何か使えるものはないかと、自分の荷物を頭のなかで並べてみたが、教科書・ノート・筆記用具ぐらいしか入っていない。既に駅を出て1分は経過している。俺は牛のように立っている奴を横目に頭をフル回転させた。
 はたと思いつき、ばんそうこうが残っていることを確認する。よく靴ずれができるので、何枚かを持ち歩いているのだ。俺はノートを取り出し、周りに気付かれないよう注意しながら、赤マーカーで大きく『バカ』と書いた。次にばんそうこうの粘着部分についたシートを片方だけ剥がし、ノートの上部に貼り付ける。そして俺はそのページをぴりぴりとノートから破いた。これを奴の背中に貼り付けてやる。
 準備は整ったが、奴はドアから離れたシートの中央付近に立っている。一方、俺はドアの近くだ。降りる場所の調整で車内を移動することはあるが、奴の後ろを通る時に、自然にこれを貼り付けていく自信はあまりない。

「間もなく、○○駅、○○駅。お出口は右側です」

 考えている時間は無い! 俺は財布を取り出し、手がすべった小芝居をして、奴がいる方に向かって小銭をぶちまけた。転がっていく小銭を慌てて追いかける俺。迷惑そうな顔をする者ももちろんいるが、わざわざ拾ってくれる親切な人もけっこういて、少し申し訳ない気持ちになった。さっき俺を睨みつけてきたスーツ姿のお姉さんも親切な人の中にいた。
 当然、親切な人の中に奴は入っていない。奴は拾うそぶりすら見せなかった。まあ、計算通りだがな。
 電車はホームに入っていく。俺は奴の足元に近づき小銭を拾うふりをする。ドアが開くと同時に俺は立ちあがって奴の背中にぶつかり、『バカ』と書いた紙を貼り付けた。
 あっ、すいませぇん、とわざとらしく謝り、俺は電車を駆け降りた。ドアが閉まり電車が走り出す。俺は振り返って、奴の姿を探した。
 降りたホームは奴の顔が見える側で、まだ気付いている様子はなかった。反対側だったら『バカ』と貼られた背中が見えたのに残念、と思っていたが、こっち側からは口を押さえて笑っているお姉さんの顔を見ることができた。お姉さんは俺に気付いて小さく手を振ってくれた。俺は不敵な笑みを浮かべ、お姉さんに向かって親指を立てた。

  * * *

 強い力で肩をつかまれた。振り返ると警官らしき男2人が俺を押さえつけている。

「これはお前がやったのか」

 年長の方が俺の前方を顎で指し示す。そこには喉をビニール傘で貫かれ、血溜りの中に倒れている奴の姿があった。

 ……ここは電車の中。……ここは俺が降りるはずだった駅。

 俺のいる車両には、俺と奴と警官たちだけ。隣の車両にも誰もいない。ホームには人だかりができていて、別の警官たちがバリケードを作っている。俺は少しづつ現実の世界に戻ってきた。

「……はい、俺がやりました」

 年長の警官が舌打ちをした。若い方の警官は俺に上着を被せた。

「おい! 犯人つれてくから道作れ!」

 俺は突き飛ばされるようにして歩きだした。周りから携帯のシャッター音が聞こえてくる。バイトを断っていれば……クソ油ハゲめがねがあんなことを言わなければ……雨が降っていなければ……電車が遅れなかったら……あの女が俺を睨まなかったら……あいつが……あいつが俺の頭に腕を乗せなかったら!!

 ……ああ……もう少し早く、思いつけばよかったな……。

 身体が震えて涙が流れた。
 足を止めた俺に、早く歩け、と若い警官が頭を小突いてきた。

       

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