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速筆百物語
002_成長過程の付喪神

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成長過程の付喪神

 日本では古来より、あらゆるものに八百万の神が宿るとされていました。山や川などの雄大な自然物はもちろんのこと、人が作ったものでも長い年月がたつと、そこに神様が宿るとされていたものです。そうした神様は広く『付喪神』と呼ばれていました。

 さて、時は現代。信仰というものは胡散臭いものの代名詞として扱われがちになっておりますが、人の目には見えにくいだけで、こんな時代にも付喪神はそこかしこにいらっしゃいます。
 例えば、とあるご家庭で健やかに育ち、この春に晴れて高校生になられたさやかさんという女の子。そのさやかさんが持っている通学用のバッグにつけられた小さな鈴には、いつの頃からか付喪神が宿っておりました。
 黄色く色づけられた可愛らしい鈴はお菓子のおまけで付いてきたもので、小学生だったさやかさんはこの鈴がたいそう気に入り、暇さえあればチリンチリンと鳴らしていました。やがて目新しさは薄れていきましたが、さやかさんはその鈴をランドセルに付け、中学、高校に上がる時には新しい通学用のバッグに付け替え、大切にしていました。
 いつから付喪神がこの鈴に宿っていたのか正確なところはわかりません。ある日突然に、付喪神はさやかさんのこと、そして物思う自らのことに気付いたのです。
 田んぼの多い通学路を自転車で駆けていくさやかさん。肩にバッグをかけ、小さな鈴は絶え間なく揺られています。空は青く、緑を増した山の端には薄い雲が流れ、水が張られたばかりの田んぼには青々とした苗がお行儀よく並んでいます。そよぐ風はさやかさんの長い髪を揺らし、付喪神の宿った小さな鈴も撫でていきます。
 言葉はありませんでした。ただそこにあるものが意味をなし、空は空、雲は雲、山は山、自転車を漕いでいるのはさやかさんだと付喪神にはわかったのです。わからなかったのは、この世界を見回して、チリンチリンと鈴の音を奏でている自分が何者かということだけでした。

 日々はゆるやかに過ぎていきます。さやかさんに新しい友達ができて、学校帰りにいろんなところへ遊びにいくようになっても、鈴に宿った付喪神は自分が何者かわからずに、ただあるがままを受け入れておりました。
 そんな日々に変化が訪れたのは、田んぼの稲が大きく育ち、もうすぐ穂がつくかといった夏の盛りのことでした。

「小さな鈴の付喪神、私の声が聞こえるかい?」

 高校は夏休みになり、机の脇に掛けられたままのバッグでうつらうつらとしていた付喪神に、穏やかな声が話しかけてきました。

「誰ですか?」

 付喪神は初めて思いを発しました。それは音にはならず、ただわかるものにだけ伝わるないしょのやり取りでした。
 夏の強い日差しが窓から射しこみ、部屋のドアのあたりを明るく照らしています。その中で光に透けてしまいそうなひょろりとした男の子が立っていました。ざんばら髪が肩まで伸び、粗末な着物を身にまとっています。年の頃なら7、8歳ぐらいでしょうに、静かな笑顔は大人びていて、まるでおじいさんのようにも思えました。

「私はヒモロギと呼ばれておる。そなたと同じ付喪神だ」
「つくもがみ?」
「左様。時に物には心が宿る。私しかり、そなたしかりだ」

 鈴の付喪神は素直に、ああそうなのかと思いました。知らないことを教わったのではなく、まるで、忘れていたことを思い出したかのようでした。
 そんな思いが伝わったのでしょうか。ヒモロギはにっこり笑うと言葉を続けました。

「私はこのあたりの付喪神を取り纏めておる。そなたがその鈴に宿り、森羅万象を感じていくさまもつぶさに見せてもらった。そなたは実に素直にこの世界を受け入れておる。それは我々付喪神にとって、もっとも大切なことなのだ。きっと、そなたを育んだこの家の娘の思いがまっすぐなものであったのだろうな」

 鈴の付喪神はさやかさんを褒められたようで嬉しくなりました。さやかさんは今でも、ふとした時に鈴を指に乗せ、ころころと手慰むことがあります。そのたびに鈴の付喪神はあたたかな幸せを感じるのでした。

「そこでだ、そなたはそろそろ次の段階に進むべきと判断した。すなわち、いま宿っているその小さな鈴を離れ、あらたな依代へと身を移さねばならぬ」
「えっ? そんなの嫌です」

 こんなにはっきりと断られるとは思っていなかったのでしょう。ヒモロギはとても驚いた顔をしました。そのぽかんとした表情は歳相応の子供のように見えました。

「随分とはっきり言うのう……。見たことのないものを見たり、もっと大きなものになってみたいとは思わんか?」
「そんなこと考えたこともないですし、さやかさんと離れるのは嫌です」
「ふむ……まあ、そんなところだろうな。そなたがここに在るのはあの娘の思いがあったればこそであるし、慈しんでくれた者を慕うこともわかる。
 だがな、そなたは付喪神なのだ。付喪神とは人の思いから生まれ、人の思いを糧にしてこの世に在り続ける。人よりも遥かに長い時間、この世に在り続けるのだ。いずれあの娘も大人になり、そなたへの思いも消え失せていく。そのことは既にそなたも感じているのではないか?」

 鈴の付喪神を悲しい気持ちが覆いました。さやかさんはさやかさんのままであるのですが、何かが昔とは違っていくような気がしてならなかったのです。春が夏となり、夏は秋へと変わっていきます。冬が来ても季節が巡れば、また春がやってきます。そのようにして、何もかもが回り回っているものだと鈴の付喪神は思っていましたが、ただ在るべきところへ進みゆくものもあるのではないかと不安を感じていたのです。
 ヒモロギはそんな付喪神の思いを我がことのように感じながらも、言葉を続けました。

「仮にあの娘が生涯そなたを慈しんだとしても、人はいずれ消えてゆく。その時、そなたを知る者があの娘だけだとしたら、間もなくそなたも消え失せるであろう。もっとも今のままでは、あの娘よりも先にそなたが雲消霧散してしまうであろうがな。我ら付喪神には、人の思いが必要だ。そのために、我らは否応なく成長せねばならぬのだよ」

 鈴の付喪神はヒモロギの言葉を受け入れました。けれどそれは、さやかさんとの別れを意味するものであるとも思い、その悲しみもまた同じように受け入れました。悲しみは溢れだしそうになり、いまだ姿を持たぬ鈴の付喪神の代わりにヒモロギが涙を流しました。

「これ、そのように悲しむではない。依代を移すことは辛いことではないのだぞ。あの娘のようにそなたを慈しむ者に出会うためのものなのだ。ただ、私もずいぶんと先の話をしてしまったな、許せ。
 難しく考えることはない。そなたがこれまで見聞きしたもので、そなたがなりたいと思ったものになればよいのだ。山でもよいぞ、川でもよいぞ。まあ、山河には大抵先客がおるから無理な場合もあるが、最大限そなたの望みは叶えよう。既にそなたは我らの仲間なのだからな。
 あと少し時を経たら、他の付喪神にも引き合わせよう。この世はとても広く、またこの世に在るものはすべからく素晴らしいものだ。きっとそなたも気に入る。
 だから、もう悲しむな、小さな鈴の付喪神よ」

 ヒモロギの優しさが鈴の付喪神を静かに包み込みます。けれど、静かな優しさはすぐには悲しみを消してくれません。蒔いた種が芽を出すように、いくばくかの時間が必要なのです。ヒモロギはバッグにぶら下がる鈴にそっと手を添えました。

「ゆっくりと考えるがよい。そして心が決まったら私を思うがよい。さすれば、すぐにそなたのもとに参ろうぞ」

 ヒモロギはまるでさやかさんのように、鈴を手の上で転がしました。鈴の付喪神が大きな悲しみのうねりから抜け出した頃、ヒモロギは静かに姿を消していました。部屋にはただ、明るい日差しが注いでいるばかりでした。

 それからというもの、鈴の付喪神はいろんなものを懸命に見ようとしました。この世界にはたしかに美しいものがいっぱいです。けれどその中には争いもたくさんありました。風に吹かれる稲穂にはうんかやイナゴがたかり茎を齧ります。やってくる虫を食べようと蛙や蜘蛛が狙いをつけています。そんな生き物たちを人は農薬を撒いて退治します。
 付喪神にとってその風景は当たり前のものでしたが、さやかさんの鈴よりもなりたいと思えるものはなかなか見つけられませんでした。
 季節は秋になっていました。さやかさんは鈴を思い返すことがほとんどなくなり、家にいる時は携帯電話をいじってばかりです。鈴の付喪神が依代の話を聞き、あれこれと思いを巡らせているあいだ、さやかさんが鈴に触れることはいちどもありませんでした。

 稲穂が収穫の時期を迎える頃、鈴の付喪神はヒモロギを思いました。あの日と同じように鈴のぶら下がったバッグは机の脇に掛けられて、緩やかになった日差しは染みわたるように窓から部屋を照らしています。ヒモロギはずっとそこにいたかのように部屋の中に立っていました。

「心は決まったかの、小さな鈴の付喪神よ」

 問いかけるヒモロギに鈴の付喪神は訊ねました。

「ひとつお伺いしたいことがあります。さやかさんがいつも持っている小さな四角いものはなんなのでしょうか?」
「む……あれか。近頃よく見かけるとは思っておったが、私もよくは知らん。ハイカラなものにはとんと疎くてな。しばし待つがよい。
 ……すまぬが誰か、事あるごとに人が使っておる小さな四角いものについて知っておる者はおらんか。いつも持ち歩かれておって、様々な音を発したり、ぶるぶるしたりするあれじゃ」

 ヒモロギはそこかしこにいる、このあたりの付喪神に訊ねました。しばらくすると、ヒモロギに答える者がありました。

「ヒモロギよ。それは携帯電話ではないか?」
「おお、イワクラか。久しいのう。して『けいたいでんわ』とはなんじゃ?」
「その名の通り携帯する電話だよ。おぬしも電話ぐらいは知っておろう?」
「からかうでないわ。しかし話しておるのも見かけるが、じっとあれを見つめてこちこちと指を動かしておる者の方が多いぞ?」
「それは文を送っているのだ。いまではあれでテレビジョンも見られるそうだからな」
「次から次へと目まぐるしいものじゃな。あいわかった。手間をかけたな、イワクラよ。
 ……さて、そなたも聞いたであろう。あれは『けいたいでんわ』というものじゃが……もしやそなた」

 ヒモロギは鈴の付喪神が考えていることに思い当り、慌てた素振りを見せました。果して、鈴の付喪神はみずからの思いを告げたのです。

「ヒモロギ様、私は『けいたいでんわ』を新しい依代にしたいです」
「う、ううむ……。それはそれでよいが……しかし、他になりたいものはなかったのか? たくさんの人の思いを受け取れるような、例えばあの娘が通う学校という建物などもあるのだぞ」
「学校のことも考えました。空を飛ぶ飛行機のことも考えました。ヒモロギ様の仰った山や川のことも考えました。でも、私がなりたいと思ったのは、さやかさんが大事に思ってくれるものでした。この思いは間違っているのでしょうか?」
「なりたいと思う心に間違いなどない。心を閉ざし、感じるべきを感じないままに決めたのであれば私ももの申すのだが、そなたは実によく世界を受け入れ、そしてよく考えておった。であれば、これがそなたの進むべき道なのであろう。
 だがのぉ……もういちどだけ問うのじゃが、本当によいのか? たくさんの人の思いに触れたいとは思わんか?」

 ヒモロギは重ねて訊ねました。木を依代として長い時を過ごしてきたヒモロギにとっては、大木となり、その大木が集まって林となり、さらに大きな森になりたいと思うことは自然なことでした。1本の木では誰も気にかけてはくれません。大きくなり広がることでようやく人は木々に思いを寄せてくれるのです。そんなヒモロギには、鈴の付喪神の思いがとても不思議なものに感じられました。
 鈴の付喪神はヒモロギに答えました。

「私はみんなに思われるより、さやかさんに思われるものになりたいです」

 強い思いでした。ヒモロギはその思いを受け止めました。

「うむ、あいわかった。余計なことを申したな。では『けいたいでんわ』をそなたの依代としようぞ。だが、くれぐれも心を閉ざすこと無きように。そなたはまだまだ生まれたばかりの、成長過程の付喪神であるのだからな。そなたには私がついておる。八百万の付喪神もついておる。そのことを忘れてはならんぞ」

 鈴の付喪神はヒモロギの言葉を心に収めました。
 そして、さやかさんの部屋から鈴の付喪神の気配が消えました。遊びに出掛けているさやかさんの携帯電話へと依代が移ったのでしょう。気付けばヒモロギも部屋から消えておりました。からっぽの部屋は、ただがらんとしていました。

 それから数日が経ちました。ヒモロギは依代である楢の大木の又でぼんやりと寝転んでいます。その隣には仰々しい羽織袴を纏った坊主頭の青年が座っていました。真っ白な羽織袴に包まれた体躯は筋骨隆々としていて、つるりとした頭と一続きになっているかのようです。

「久方ぶりに会うたというのに随分と沈んでおるな。あの時の付喪神は元気にしておるのだろう?」
「元気にしておるよ。私などよりずっとな」

 ヒモロギは拗ねた子供のように気だるくイワクラに答えました。イワクラはヒモロギが携帯電話について訊ねた時に答えを返した付喪神です。ヒモロギを懐かしく思ったイワクラは、供え物である稲穂の束を手土産に遊びに来ていたのでした。

「どうしたというのだ、おぬしらしくもない。思うことがあるなら話せ。何をしてやるつもりもないが、そんな姿を見せられたままでは俺の気が晴れんのでな」

 イワクラは笑い混じりに筋のような細い目を垂れ下げて言いました。ヒモロギもつられて少し笑うと、土産の稲穂を手に取ってぽつぽつと話し始めました。

「イワクラよ、そなたは人の思いが減ったと感じることはないか?」
「それはあるな。昨今、木々やら岩やらに思いを寄せるのは、年寄りや酔狂な者と相場が決まっておる」
「私は楢の大木を依代として生まれた。神木と崇められていた木だ。崇められていたからこそ、私は付喪神として生まれ現在に至っておる。人の姿を与えられても、ここが私の依代であることに変わりはない。私は育ち、他の木々をも依代として広がっていった。そうすることでより多くの人の思いを得ることが出来たからじゃ。
 だが、いまはそんなことでは人の思いは集まらん。むしろ邪魔にされるばかりとなっておる。翻ってあの付喪神はどうじゃ。たったひとりに特別に思われることで、我々よりも遥かに深い思いを受けておる。
 私はな、人に思われんので拗ねているわけではないぞ。世界を見よ、心を閉ざすなと偉そうなことを言っておきながら、己に凝り固まって時代錯誤な助言をしようとしたことを恥じておるのじゃよ」

 ヒモロギは手にした稲穂で自分の頭をぴしゃぴしゃと叩きました。腕を組んでヒモロギの話に耳を傾けていたイワクラは、うーむと唸ってから口を開きました。

「しかし今さら我らが小さなものにもなれまい。我らは我らのやり方でこの世界に在り続け、無用となれば消えゆくのみだ。おぬしはあの付喪神に依代を押し付けなかった。それだけでも俺はおぬしを尊敬するよ。ただ、それがよい判断かはわからんがな」
「何やら含みがあるな。どういうことだ?」
「携帯電話というのはな、数年で取り換えられてしまうのだよ。もしかするとあの鈴よりも大切にされる期間は短いかもしれんぞ」
「なんじゃと? あれだけ四六時中いじり倒しておいてか? 物に対する愛着は持ち合わせておらんのか?」
「物そのものではなく、物から得るものが大事なのさ。そう考えると我々付喪神にとっては実にとんちんかんな歪んだ思いということになる。何よりも大切にされるが、いくらでも取り換えがきくのだからな」
「いかん! いかんぞ、そんなことでは! そんな状態になったら、あの付喪神になんと言えばよいのじゃ……」
「それまでに奴さんも何か思うかもしれんし、そうでなければ、また面倒見てやるがいいさ。どうだ? 一概におぬしが時代遅れの石頭とも言えんだろう。この世に在る限り、我らには何かしら役割があるものさ」

 イワクラはからからと笑いました。ヒモロギは難しい顔をして目の前に掲げた稲穂を見つめます。そこから一粒の籾がヒモロギの足へと落ちました。ヒモロギは落ちた籾をつまみ上げると、今度はその小さな粒をじいっと見つめました。

「どうしたね、ヒモロギよ。そこに何か見えるのか?」
「いやな、ずいぶんと長いこと付喪神としてこの世界を見てきたが、私が思い、考え抜いたことなど、すべてこの籾の中に収まってしまうほどの小さなものではないかと思ってな」
「けなげなことだ。ならば、おぬしの言葉をそのままくれてやろう」

 怪訝な顔をするヒモロギに、イワクラはこう言いました。

「よいか、くれぐれも心を閉ざすこと無きように。
 そなたはまだまだ生まれたばかりの、成長過程の付喪神であるのだからな」

       

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