Neetel Inside ニートノベル
表紙

速筆百物語
007_Please,more Sweet Jelly

見開き   最大化      

Please,more Sweet Jelly

 お酒の入った話し声が真新しいお店のあちこちに溢れかえっている。お手頃価格の居酒屋にやってくるお客さんは、私たちと同じ大学生がほとんど。Tシャツとジーンズの男の子がいっぱいいて、その中にちょっぴり女の子が混じっている感じ。いろんな男の子から、かわるがわる話しかけられている女の子はきらきらしていて、まっしろな杏仁豆腐に添えられたさくらんぼやキウイみたいだった。
 その中でもふわふわした花柄ワンピのエリナはいちばん目立っていた。エリナが無防備に笑うと男の子たちは本当に幸せそうな顔になる。楽しそうに話しているエリナは、もう私のことなんて忘れているみたいだ。
 私は初めて会った人たちとうまく馴染めなくて、テーブルの端っこで烏龍茶に口を付けている。誰も話しかけてくれないしこちらから話しかける勇気もない。女の子が足りないからとエリナに誘われて、この集まりに思いきって参加してみたけど、そのことを私は後悔し始めていた。

「ねーねー、最後の唐揚げ、食べちゃってもいーい?」

 金色と言っていいくらいに髪を染めた男の子が、大皿にひとつ残った唐揚げを箸で指し示して周りの顔を見回している。彼と視線が合った私は慌てて笑顔で頷いた。変な顔になっていないか心配になったけど、嬉しそうに最後の唐揚げを食べる彼はそんなことには興味がないらしい。私の顔なんて唐揚げよりもどうでもいいものなんだなって、嫌になるくらいに思い知らされた。

 ――あんな聞き方、ずるい

 しなびたレタスだけが残った大皿を目の前にして、私はひねくれたことを考えてしまう。食べてもいいかって聞かれたらいいよって答えるしかない。そんな質問ができる時点で、最後のひとつはその人のものなのだ。それがわかっているから、これが唐揚げじゃなくて本当に欲しいものだったとしても、私にはそんな質問はできないだろうと思った。

 ふいにエリナを中心にして大きな笑いが湧き起こる。ぜんぜん話を聞いていなかった私はみんなに合わせた笑顔を浮かべ、すぐにみじめな気持になった。たくさんの人に囲まれているエリナは何だか知らない人みたいで、とても遠い存在に感じる。
 私は大学でエリナ以外に親しい友人がいない。でもエリナにとっての私は友達どころか知り合いのひとりでしかなくなっている。エリナは私よりもずっと魅力的な友達がたくさんいて、そういう人たちに囲まれている時――ちょうど今みたいな時は、声をかけるのもためらってしまう。だから人数合わせでも、こうやって誘ってもらえたのが嬉しかった。

 ――でも、やっぱり私はエリナの友達でいるのは無理みたい。

 みんなはお酒とお店の雰囲気に心地よく酔っている。だけど周りが盛り上がれば盛り上がるほど、私の気持ちは縮こまっていくみたいだった。
 私はみんなの楽しそうな話に聞き入っているふりをして、小学生の頃、書道の時間に隣の席の男子が墨のついた筆を振り回したせいでお気に入りの服が汚れてしまったこととか、中学生の頃に上履きを隠されて、靴下で廊下を歩いた時の冷たい感触とか、ひとりでそんなことばっかり思い浮かべていた。

 食べ物のほとんどなくなったテーブルにデザートが運ばれてきた。私がぼんやりしているあいだに誰かがまとめて注文してくれたらしい。涼しげなガラスの器に、ひとくちサイズの丸くて透明なゼリーがくっつきあってころころと転がっている。ゼリーの中には小さくカットされた苺と桃が透けて見えていた。
 頭がぼうっとしていた私は、話に夢中になっているみんなをさしおいて、涼しげなデザートに手を伸ばす。スプーンで掬って口に含んだゼリーは、ほのかな甘みと一緒に舌の上でもころころと転がり、つかまえてひと噛みすると、苺の酸っぱさと桃の甘さが口の中いっぱいに溢れ出してきた。

「……おいしい」

 思わず言葉に出してしまった。ずっと喋らなかった私の声に驚いたのか、隣に座っていた女の子がさっとこちらに顔を向ける。責められたような気がして私は身を固くした。女の子は最初だけきょとんとしていたけど、デザートに気付くと納得がいったように笑顔になった。

「ほんとだ! おいしいねー」

 ゼリーを食べた女の子は、口に手を当てて私に笑いかけてくれた。戸惑っているうちに彼女は話の輪のなかに戻ってしまったけど、私はその後ろ姿を何か不思議なものででもあるみたいにじっと見つめていた。
 思ったことを口にして、それを誰かに受け止めてもらう。本当になんでもないこと。きっと誰でも当たり前みたいに経験していること。
 でも、たったそれだけのことが私にはとても嬉しかった。些細なことだけど今までできなかったことが、ふっとできたような気がしたから。

 ガラスの器にはゼリーがまだひとつ残っている。私の胸がトクンと音を立てた。しばらく様子を見ていたけど食べようとする人は誰もいない。

 最後のひとつ。

 心臓がドキドキし続けている。きっとこの人たちとは2度と会わないから、なんて言い訳で自分の背中を押してみる。簡単なこと、簡単なことって頭の中で繰り返してみる。自分でも情けないって思う。こんなことで騒ぎすぎだって思う。
 でもどんなにかっこ悪くてもあと一歩だけ、私は踏み出したい気持ちだった。ちょっとした偶然が重なって今なら変われるって心から信じてる。もしも今できなかったら、きっと一生変わることなんてできない。

 だから、私はみんなの話が途切れるタイミングを待って、そして思い切って言った。

「あ、あの……、こ、これ……、最後の、貰っても、いいかな?」

 みんなの視線が私に集まる。エリナの視線もその中に含まれていた。

「あー、それ俺も食べたーい」

 唐揚げの彼が笑顔で言う。予想外の言葉に目の前が真っ暗になっていった。
 まさか割りこまれるなんて思ってもみなかった。あのゼリーは私にとって未来とかそういうものと同じだけど、それは他の人には関係のないこと。
 結局、私は変われない運命なのかもしれない。どんなに頑張っても叶わないことはきっとある。私はからだの中がからっぽになっていくような気がして、どうしようもないほど淋しい思いに捕らわれていた。

「あ、じゃあ、私いいよ。どうぞ」

 でも、私はなんでもないふりをして笑顔を浮かべる。きっと今日いちばんの笑顔のはずだ。淋しい時の笑顔には慣れているから。

「えー、そんなの駄目だよ。じゃんけん、じゃんけん」

 なのに唐揚げの彼は子どもみたいなことを言って、右手に作った握りこぶしを上下に揺らしている。その勢いに押されるようにして私も右手を軽く握った。

「じゃあいくよぉ。じゃーん、けーん、ぽん!」

 彼の掛け声に合わせて私はパーを出す。彼が出したのはチョキだった。
 彼は小さくガッツポーズを取ると、ころころしたゼリーを手で掴み、あっという間に口へ放り込んでしまった。私はパーを出したまま、しばらくぽかんとしていた。

「ごめんねー、勝負は勝負だから」

 唐揚げとゼリーの彼は、勝ち誇った顔で私に言った。私はなんだか可笑しくなってきて、くすくす笑い始めてしまった。そんなにゼリーを食べたそうに見えたんだろうか。だとしたら、その誤解は解いておきたいと思った。
 私はとても気分がよかった。だって、貰ってもいいかなって聞けた時点で、私は踏み出せていると気がついたから。ゼリーを食べたかどうかなんて問題じゃない。
 もう唐揚げとゼリーの彼は私を見ていなかった。代わりにエリナが私を心配そうに見ている。もしかしたら、私はひとりでいろんなことを勘違いしていたのかもしれないと思った。

 それからしばらくして、飲み会はお開きになった。店の前にたむろしている私たちの間を千鳥足の社会人がすり抜けていく。邪魔にならないよう道の端っこに立っていた私を見つけて、エリナが近づいてきた。

「ハルナ、きょう無理に誘っちゃってごめんね。平気? つまんなくなかった?」
「大丈夫だよ。私なりに楽しんでた」
「ならよかった。どう? 気になる男子とかいた?」
「ちゃんと話してみたいなって思う人はいた」
「え? そうなの? ちょっと、誰? 誰?」

 エリナは一か所に固まっている男の子たちと私をテニスの試合を見ている人みたいに何度も見比べる。私も男の子の固まりに顔を向けて、唐揚げとゼリーの彼を見つけた。

「私、連絡先、聞いてくる」
「え? ちょっと、ハルナ?」

 お酒は一滴も飲んでいないけど、調子に乗っている私は酔っ払いみたいだった。エリナは普段とは違う私をきっと心配しているだろう。だからもしも連絡先を教えてもらえなかったら、その時はエリナに慰めてもらうつもりだった。

「あの」

 私は唐揚げとゼリーの彼に声をかけた。彼はちょっぴり小首を傾げて不思議そうな顔をする。いろんな仕草が子どもっぽくて、なんだかとても可愛かった。

「メルアドとか教えてもらっていいですか?」
「うん、いーよー」

 聞く時はやっぱりドキドキしたけど、彼は唐揚げやゼリーを食べた時と同じように嬉しそうな顔をして、ちっとも嫌がらずにメルアドを教えてくれた。
 私は彼にお礼を言ってエリナの方に向き直る。エリナはよちよち歩きの赤ちゃんを心配するように私を見ていた。

 何だか頬が熱くて恥ずかしい。きっと私は真っ赤になっている。
 エリナにはお酒を少し飲んだせいだと言って、ごまかそうと思った。

       

表紙

蝉丸 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha