Neetel Inside 文芸新都
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潮騒と幽霊
『第十三章 キラメキの中で』

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「暑いな…」

そう呟いて草汰は額の汗を拭った。
七月の空は広い。
先週から急に夏めいてきた。

ここは草汰の家から歩いて15分ほど、最寄り駅近くの路上。
辺りには弾き語りのミュージシャンや、パフォーマーなどが自らの芸を道行く人々へと発信している。
草汰もそのうちの一人だ。
彼はギターを抱えて座り、一人歌をうたっていた。
きっかけは先月の事だ。
新しい職場に移って二カ月経ち、だんだんと環境にも慣れ、同僚とも少しずつ話すようになってきた。
あれは昼休みに年の近い者同士で集まり、食事をしていた時だ。
どんな会話の流れでだったか、学生の頃バンドをやっていた事を話した。
すると三つ年上で『腰が痛い』が口癖の黒田という男が、ちょっと肥りすぎの顎を揺らしながら言った。
「ナツくん、それ、もったいないよ。ギター弾けるの?ギター。」
彼はいつも尊大な話し方をする。
上司の前では気をつけているようだが、その高い身長のせいもあってか、『偉そう』と上からも下からもあまり人気が無い。
しかし嫌みっぽいというわけでは無く、さっぱりとした性格なので、嫌われているわけでは無かった。
「弾けますよ。ピアノも弾けます。」
草汰は箸の動きを止めずに返事をした。
「絶対、もったいないよ。」
「はぁ…」
黒田はそう言って『もったいない』を連呼した。
そしてその後何を言うわけでも無く黙ってしまった。
この男はいつもそうである。
周りも慣れたもので、黒田を無視して草汰へとあれこれ質問してきた。
草汰はそれに答えながら、頭の中では『もったいない』の言葉を反芻していた。
久々にやってみるか、と思った。

そうして今日、草汰は久しぶりにギターを引っ張り出し、駅前へとやってきたのだった。
ここでできるというのは黒田から聞いた。
「路上とかできる場所、この辺でありますか?」という草汰の質問に、黒田は興味なさげに「路上?路上ライブ?君んとこの駅前でできるよ。」とこたえた。
あの『もったいない』は何だったのかと思いながらも草汰は黒田に礼を言った。

今日は彼にとっては休日ではあるが、世間的には平日である。
その為、休日などは場所取りは争奪戦になるそうだが、比較的楽に演奏場所を確保できた。

昼を少し過ぎた路上に人通りはまばらだったが、久しぶりの彼にはちょうど良かった。
一応昨夜練習にと少しギターを弾いてみたが、あまりに弾けなくなっていて愕然とした。
今日行くのはやめようかと思ったのだが、『もう音楽は趣味なのだから』と思って行く事にした。
オリジナルの曲はあえてやらず、さっきから懐かしい歌謡曲ばかり演奏している。
草汰が子供の頃や、産まれる前の曲だ。
その選曲からか、足を止めてくれるのは草汰より年上の人間ばかりであった。

上手くいかない演奏に、最初のうちは『やっぱりやめておけば良かった』と後悔していたが、二時間もすると感覚を思い出してきて夢中になれた。
賽銭箱のように足元に寝かせたギターケースへ、時々小銭など入れてもらい、悪くない気分だった。



夕方が近づき、そろそろ帰ろうかと思った時だった。
『ぱちぱち』と軽い拍手が近づき、俯いた視界に影ができる。
素直に嬉しい気持ちになり、礼を言おうと顔を上げた。


そこに、由香がいた。


離れていた時間の分、多少老けてはいたが、それは間違い無く磐田由香だった。
確証は無かったが、何故か彼には確信があった。
突然の再会にパニックになる。
またこの街に戻ってきてから、『まだあの家に住んでいるのか』とか『ばったり会ってしまうのではないか』などと、不思議と考えた事もなかった。
ただ漠然と『もう二度会えない』と思っていたのだ。

「…ありがとう、ございます」
とにかく黙っていてはいけないと、彼は頭を下げた。
ギターケースをはさんで30cmの距離。
彼女は、自分が夏野草汰だと気付いているのだろうか。
恥ずかしさと緊張から目をそらした。
「懐かしい曲ね。」
「あ、はい…」
「私が若い頃に流行った曲よ。よく知ってるわね。」
由香の口振りからすると、どうも草汰だと気付いていないようだ。
無理も無い。
最後に会ったのはもう十年以上前の事だし、自分はまだ子供だった。
「あの…子供の頃に…」
名乗ろうと思って口を開いたが、由香がそれを遮った。
「ああ、子供の頃に聴いたのね。」
「…はい。」
期待したのとはかけ離れた返事だったが、訂正はしなかった。
そもそも、思い出してもらってどうするというのか。
今こうして話ができているだけで満足だった。
「頑張ってね。お邪魔してごめんなさい。」
由香が突然立ち上がる。
邪魔そうな顔をしていただろうか?
草汰は慌てて話題を探した。
「あの…この曲、好きですか?」
「え?うん、好きよ。懐かしい。」
「僕も…好きです。」
言って何故か顔が赤くなる。
中学生に戻った気分だ。
「よくここで歌ってるの?」
「はい…毎週…今日、休みなので。」
「そうなの。」
無意識に草汰は嘘をついてしまった。
『これは毎週こないといけないな』と思った。
「お名前は?」
「…創(そう)です。」
「創くんね。」
「はい。」
『創』というのは草汰がバンドをやっていた時代に使っていた名前だ。
さっきから本当の事を隠してばかりいる。
自分が誰だかバレるのが、だんだん怖くなってくる。
「あの…ゆ…」
「なぁに?」
『由香さん』と言いそうになって口をつぐんだ。
由香は顔を覗き込むようにその続きを促してくる。
昔と変わらない、笑顔だ。
やっぱり可愛い、と思った。
「…よく、ここには来ますか?」
無理やり話題を変える。
「あたし?あたしはあんまりこないなぁ。」
「そっか…」
それでは毎週来たところで会えないかも知れない。
急に寂しさが湧いてきた。
「ギター上手ね。」
今度は由香が話題を変えてきた。
「上手く、ないですよ。」
「そうなの?」
「はい。あの…」
「なぁに?」
「また、聴きに来てくれますか?」
草汰は由香の目を初めてまっすぐ見た。
今日きりの再会にはしたくなかった。
由香が目をそらす。
困らせてしまっただろうか。
「あら、おばさんナンパしても仕方ないわよ?」
「い、いえっ、そんなんじゃ…」
返事に困り慌てる。
「冗談よ。」
言って由香が笑った。
草汰は心底ほっとした。
「うーん、そうね、またあの曲やってくれるなら来るわ。」
「やります。」
「ほんと?」
「はい。」
由香が少し悩む仕草をする。
「じゃあまた来るね。毎週は無理だけど。」
「はい。」
立ち上がる由香を見つめたまま、草汰は頷いた。
安心して思わず笑顔になった。
つられてか由香も笑っていた。
「じゃあ、またね。」
「はい。…また。」
ずっと聞きたかった言葉が聞けて、草汰はちょっと泣きそうになった。
胸が、初めて告白した時のようにドキドキしていた。
この再会に自分が何を求めているのか、それはわからなかったが、とにかく幸せな気分である事は間違い無かった。

家に帰ってからも、気がつくと笑顔になっている自分を、草汰は気持ち悪いと思った。
夏はまだ、始まったばかりであった。

       

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