Neetel Inside ニートノベル
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革命のアヴァンギャルド
第一章「赴任のアジェンダ」

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 小さな革命に関して。



 北小路のお姉さんが学生運動に傾倒したのは、当時の僕にとってはとてつもない衝撃だった。
 「学生運動は革命運動ではなく、民衆運動でもなく、青春そのもの」と、北小路のお姉さんはそう言った。考え見るに、その時点での北小路のお姉さんは、青春を満喫したいというその念を除けば、学生運動にそれほど思いれはなかったはずだ。
 青春と憚らず主張し、胸を張る北小路のお姉さんは、何にも染まらず何人も干渉しえない絶対的な真理のように見えた。
 実際はありとあらゆる主義主張に影響されての学生運動だったはずだが、中学二年生当時の僕には、そのように映ったのだ。
 四半世紀前に下火を迎えた学生運動。「九大全学共闘会議」なるサークルに加入し、「下火ではあるが、消えたわけではない」をスローガンに学生運動、安保闘争の再燃を夢見て奔走したお姉さんだったが、結局は何も行動を起こさなかった。大学に蔓延する無気力な風に当てられたのか、最初の一二年は意気込んでいたお姉さんも、三回生になったあたりから徐々にその熱をさまし、結局は教育課程に入って、小さい頃からの夢だったと言う教師の道を歩み始めていた。
 「青春そのもの」であったものもすでに廃れてしまったのだろうか。当時の生き生きとしていた北小路のお姉さんはどこかへ行ってしまった。
 大学を卒業し、お姉さんは地元の高校に就職した。日本史の講師だという。
 北小路のお姉さんは夏を迎えた。
 そして、僕は高校二年生になった。



 「高校生活はなれた?」と、テーブルの対面でコーヒーを啜りながら北小路のお姉さんが言った。肩まで伸びた栗色の髪を後ろで一括りにし、やはりというか、教師らしい服装と出で立ちだった。

 お姉さんが連絡をしてきたのは、今朝のことだ。
 自宅の固定電話に「今から、少しだけ合わない?」と電話してきたお姉さんは、僕が「良いですよ」と答えると、「駅前のミスドでいい?」と間髪入れずに返答した。
 「良いですよ。何時ぐらい?」
 「そうね、十一時かな、三十分後で」
 「了解です」と少しだけおどけて返すと、お姉さんは「遅刻は厳禁」とだけ言って、「じゃあ、またね」と電話を切った。
 
 僕が駅前のミスタードーナツに入店したのは、ちょうど十一時だったが、すでにお姉さんは来ていて、テーブルの上には、いつものお姉さんチョイスと思われる大量のポン・デ・リングと二つのコーヒーカップがおいてあった。「こっちこっち」とお姉さんに手招きされるがままに腰掛けてお姉さんと向かい合った。
 「これが陶山君のコーヒー。ポン・デ・リングは半分ね。私のおごりだから、遠慮しないで良いよ」とニコリと微笑む。
 「本当にポン・デ・リング好きですね」と僕は言った。お姉さんのポン・デ・リングの偏愛ぶりはお姉さんが大学生の時から知っている。多分、年に数千個は食っているだろう。日本国全体のポン・デ・リングの消費量の三十%ぐらいはお姉さんなのではないかと僕はひとりこっそり睨んでいる。
 「あのね、ミスタードーナツに来てポン・デ・リングを頼まないのは愚の骨頂なのよ。オールドファッションもココナツチョコレートも捨てがたいけど、やっぱりこれなのよ」
 「僕はエンゼルクリームが一番好きだな」
 「っふ。ガキね。五百円あげるから買ってきなさい」
 お姉さんはポケットから五百円玉を取り出して僕に渡した。そそくさと席を立ち、買えるだけのエンゼルクリームを購入して席に戻る。山盛りのポン・デ・リングに三つのエンゼルクリームはなんだか不思議な組み合わせだった。
 早速一つ目のエンゼルクリームを頬張る僕に、「おいしそうね」とお姉さんはエンゼルクリームの一つに手を伸ばして持ち去った。
 「ポン・デ・リングこそ至高じゃなかったんですか?」
 「陶山君のおこのみなら、もしかしたらポン・デ・リングに勝るかもしないと思ってね。うーん。いい線いってるとは思うんだけど、おしいね」
 「ポン・デ・リング最強伝説は継続ですか?」
 「まあ、そういうこと」とお姉さんは微笑んだ。

 「ところで、高校生活はなれた?」エンゼルクリームをコーヒーで流し込みながら、お姉さんが聞いた。
 「なれるも何も、僕、二年生ですよ?」
 「陶山君、友達作るのには不向きな性格っぽいからね。まだ慣れてないだろうなと思って」
 「失敬な。友達いますよ、ちゃんと」
 「ふーん。本当に? 何人ぐらい?」お姉さんは目を細めた。「二三人じゃ話にならないのよ。二三人じゃね」
 「う、五人ぐらいかな?」
 「五人ね……」お姉さんが笑う。「私といい勝負じゃない」
 「お姉さん友達いないんですか?」
 「陶山君と同じくね、私も友達作るのには不向きな性格なのよ。ほら、なんでも単刀直入に歯に衣着せぬ物言いするでしょう? 嫌われやすいのよ。そういう人は」
 「自覚があるのに直さない」
 「直したくないのよ。友達を減らそうとね。そういう個を形成するアイデンティティーが私の場合はそれだから。人は、みんな身勝手で、傲慢で、自分を過信しているの。永遠回帰を夢見て日々をなんとか生きようとする。私はそんなの御免だわ」
 アイデンティティーと頭の中で反復する。
 「それにしても、脈絡ないです」
 「それでいいの。人の言う事なんて適当なんだから」
 「よくわかりません」
 「良いのよ。そのうち分かると思うから」
 そう言ってお姉さんはコーヒーを啜った。

     

 「そういえば、私、二学期から……って明後日からなんだけど。中央高に赴任になったから」
 お姉さんは、十一個目のポン・デ・リングを手に持ったところで、そう、唐突に言った。「中央高」という名前に一瞬ビクッと反応してしまった。僕の通う学校に他ならない。
 「そういえば、じゃないです。それ、真っ先に言う事じゃありません?」
 「陶山君、聞き上手だからさ。ついつい後逃しに」十二個目のポン・デ・リングに手をつけ始めた。「まあ、そういうわけだからよろしく。話によると、二年生らしいから教える機会もあるかもね」
 「学生運動やってゲバ棒振り回していたサヨク教師がなにを教えるんですか。対権力抗争のやり方とかですか?」
 「他人の黒歴史を持ち出すんじゃないの。忘れたいんだから。『九大全学共闘会議』なんてサークルに入ったのは、そりゃあれだけど。ほとんどお遊びサークルだったし。それ以前に、教師なんてみんなサヨクなんだから問題ないって」
 「まあ、それはそうですね」中央校では国歌を歌わない。「サヨクだろうがウヨクだろうが、国歌斉唱しないとか、そうやって国を蔑ろにするのはどうかと思いますけど」
 「国なんて曖昧模糊とした概念的な存在でしか無いんだから。誰が国を国として認めるの? 国連じゃないわよ。マルタ騎士団は、領土を持たないけど国家承認している国もいる。けど、シーランドは同じように領土をもっていないけど国家として一ヶ国も承認していない。これっておかしいじゃない? ゲオルク・イェリネックの提示した国家としての条件は、領土をもち、国民があり、それらを統辞する機構をもつことだけれど、マルタ騎士団はこれに当てはまらない。領土がないんだからね。対してシーランドは海上要塞だけれども、僅かながらだけれど領土を持っている。まあ、国際法では自然に形成された土地でなければならないとされているんだけれど。沖ノ鳥島だってもはや人工島でしょう? もはや自然発生した島だなんて言えない。
 結局、人、ホモ・サピエンスとしての縄張りが国家なのよ。自然発生的な領土を持つ、とか、国民がいる、とかなんて後付にすぎない。
 縄張りの中の団結を深めるために国歌とか王様がいるだけなんだから。国歌を歌わせないのは団結を求めていないか、もしくは上の人間が縄張り侵略を試みようとする外部からの勢力だからよ」
 「お姉さん、友達いないでしょう?」
 「失敬な。友達いるわよ、ちゃんと」と、僕の言い方を真似した。
 「そうね、五人ぐらい?」



 「我らの人民は声を上げた。『もう十分だ』と。この偉大な人民の行進は、真の独立を勝ち取るまで続く。あまりにも多くの血が流されたからだ。代表者のみなさん、これは米大陸における新たな姿勢だ。我らの人民が日々あげている、叫び声に凝縮されている。その叫びは侵略者の動きを止める、戦いへの決意表明でもある。また全世界の民衆に指示を呼びかける叫びだ。特にソヴィエトが率いる社会主義陣営の指示を。その叫びとはこうだ。祖国か死か!」



 

     

 「本日より本校に転任しました、北小路綾野です」と、校長の隣でお姉さんが、生徒の前で挨拶するのを聞いている。

 九月一日。二日前にミスタードーナツでお姉さんが言った通りに、お姉さんは中央校、平尾中央高等学校に赴任してきた。受け持ちは二年だったが、教科は日本史ではなく世界史だった。お姉さんのことだ。ロシア十月革命を嬉々として語るであろうことは目に見える。お姉さんはレーニンが好きだと言っていた。その一方でスターリンは大嫌いだと言っていた。ボリシェヴィキ・レーニン主義はともかく、マルクス・レーニン主義には賛同できっこない、と。僕には違いがよく分からない。両方とも共産主義という括りであることはなんとなくわかるのだが、お姉さんの言うような、スターリン主義が云々、というのは全く理解できなかった。
 「中々可愛い先公だな」左側にいる外山が肩をつつく。「あんな先公に教えてもらえたら、不毛な高校生活も報われるってものだ」
 外山は、日一五〇円の小遣いで昼食を賄うひどく貧乏な男だった。彼の食事は、決まってアンパンと牛乳であり、そして余った十円を貯蓄していた。「十円基金」と呼ばれる彼の、その貯蓄は、一五〇円小遣い制が始まった八年前から続けていて、今では三万円近く溜まっているらしい。
 いつかこの貯蓄で海外旅行するのが夢なんだ、と彼は言った。
 韓国旅行ツアーの相場がだいたい四万円だから、後三年貯めれば韓国には行けるだろう。
 「あれは、北小路のお姉さんだ」と僕は言った。「大学時代にはゲバ棒振り回して学生運動やってた筋金入りの運動家だ」
 「なに、お前、知り合いなの?」外山は心底驚いた表情をしていた。
 「知り合いもなにも、七才の頃から知っている」お姉さん一家が隣に越してきたのがきっかけだった。挨拶回りに来た北小路のお姉さんとその母を、出迎えたのが最初で、その後にたびたび遊んでもらっていた。
 「幼なじみってわけか?」
 「いや、僕が七才の時はお姉さんは中学生だったから、幼なじみというか、本当にお姉さんみたいな感じ」
 「へぇ、羨ましいな」と外山が笑ったところで、担任が静かにしろ、と外山の頭を小突いた。少し不満げに担任を睨み、それから壇上のお姉さんへと視線を戻した。

 「生徒からも親しみ易い先生を目指して頑張りますので、これからどうぞよろしくお願いします」
 あいさつだけは一端だ。サヨク教師の側面も見せない。

 お姉さんが頭を下げると同時にささやかな拍手が起こる。教頭が連絡の有無を周囲に訪ね、無いのを確認した後、これで二学期始業式を終わります、とマイクに吹き込んで始業式が終わった。

       

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