Neetel Inside ニートノベル
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天ノ雀――アマノジャク――
09.再点火

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 幾度目かの半荘が終わって、からり、と天馬が牌を手からこぼした。
 そうしてドウッと仰向けにひっくり返った。それを見て烈香が噛み付きそう顔になる。だらしない天馬の態度に顔が赤く染まっていくのが、白垣には新鮮に感じられた。
「起きろ。まだ勝負はついてない」
「もう、やめよう――」ぼうっと天井を見る天馬の眼は濁っていた。
「進藤たちにもうまく逃げられちまったし、もう続けても意味なんかねえ。夜ももう明ける。やめようぜ、こんなこと」
「オレはケリってのをつけたかったのに――」三人が天馬の独白に、それぞれの思いを抱えながら耳を傾けた。
「どうしてこうなっちまうんだろう。オレは、こんな勝負がしたかったんじゃねえ。なのに、どうして――」
 いや、と天馬は喉を鳴らして、続けかけた言葉を飲み込んだ。
(オレはわかっていたじゃねえか。オレはもうロクな麻雀は打てねえ。だって、オレはもっと好きなものを見つけたんだから。両方獲るってのは虫がよすぎるだろうよ。平和か、闘争か。オレは平和を選んだんじゃねえのか。オレは――いや、だが、しかし)
 ぐるぐると頭を悩ます天馬の対面で、茶髪の芳野がもごもごと口を動かした。
「じゃあ、これで終わりなのかな」
「そうだよ、芳野」天馬は首をわずかに持ち上げて、にやっと唇を吊り上げた。
「まさかおまえが勝ち残るとは思わなかった。よかったな、おめでとう。その金で、楽しい夏休みを過ごしなよ」
 だが、天馬の意に反して芳野はなかなか席を立たなかった。
「馬場、なんていうか、おまえ、すげえな。ちょっと前までとは別人みたいだ。昔はもっと、その」
「飽きたんだよ、諦めることに。――もういけよ。誰の面も見たくねえ。そっとしておいてくれ。オレはいま、考え事がしたいんだ」
 芳野は、寝そべった天馬の横に、勝ち金を丸々置いた。天馬が鬱陶しそうにそれを腕で振り払い、札が畳に広がった。
「寝ぼけてんのか。誰がそんなこと頼んだよ」
「俺はこの三日間、おまえのこと考えながら打ってた――」
 白垣が吹き出し、烈香が身を引いた。けれど芳野は怯まなかった。
「なんていうか、この三日間の、おまえのあくどいやり方とか、勝ちへの執着ってやつを、尊敬しちゃったんだ、俺」
「勘違いも甚だしいよ。やめてくれ。嫌なんだ、そういうのは」
 俺、俺、と芳野は繰り返した。
「こんなに真剣になったことってなかった。なァ、麻雀って面白いな。辛いけど、面白いよ」
「そりゃ遊びだからな、つまらなかったらしょうがねえだろ」
「どうしたらおまえみたいになれるだろう。教えてくれよ、俺、どうしたらいい」
 天馬は起き上がって、芳野に向かい合った。
 本来ならばこの手のしつこい問答は毛嫌いするはずの天馬だったが、その時は不思議に生真面目に答えてやるのをやめなかった。
「幸せになろう、って考えを捨てることだよ。生きていくってのは不幸なことばかりだ。
 けど、まるっきり何もできねえわけじゃねえ。選べる不幸ってのがある。
 どっち道、ロクな死に方はしねえなら、どんな不幸に身を食い尽くされたいか、自分で考えて、決めてしまうんだよ。
 そうすれば余計な未練や期待ってやつをしないで済む。
 自分がなんとかしなきゃ、って気持ちになるんだ。
 オレはもう、何にも期待できないだけだよ。その代わり、少しだけ、強くなったんだろうな」
 芳野が天馬のいったことを十全にわかったとは思えなかった。けれど彼は彼なりに、何か得たものがあるのか、しきりに宙に頷きかけながら、出て行った。
「ここはいつから君の人生相談室になったのかね。僕んちだぞ。場所代を払え」
「へっ、適当なことをいっただけだっての。こういう薄っぺらい言葉にほいほい感銘を受けちまうからいつまで経ってもバカなんだ、どいつもこいつも」
 芳野が残していった金を枕に、天馬は眼を瞑った。烈香が烈しく何か言い立てているが、どうでもよかった。
(うるせえよ、うるせえんだ、ちくしょう――!)
 甘く空ろな、夢と現の間を彷徨いながら、天馬は久々に昔の景色を瞼の裏に見た。まだ、何かを無条件に信じること、愛することを怖がらなかったことのことを。
(おまえはさ、どんな不幸を選びたかったんだ? ――なァ、答えろよ)
 ずき、と腹が痛んだ。幻痛だ。
 天馬は思う。
 黙って嬲られるのは、なんて楽だったのだろう。
 勝ち、金を抱いている今の方が、よほどしんどかった。
 勝つ、ということを諦めないことは、それだけで死神に精気を吸い取られるような重労働なのだ。
 暗闇で、指先に触れる紙の感触が、その晩の勝利の証だった。ぐしゃ、っと乱暴に金を握り締める。
(金なんていらねえよ……誰か、誰か、頼むから、オレと……オレと……)



 そこから先の言葉は天馬本人にも聞こえなかった。深い眠りを味わった。
 やがて誰かに揺り起こされて、眼を射す電灯の光に瞬きをし、天馬は自分の肩に手を置いている者の顔を見た。




「よう、天馬。久々だなァ。相変わらず、なまっちろい面ァしやがって」




 雨宮秀一が立っていた。

       

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