5話

畸形細工  (5) 私と視線とお願い

小鳥が囀り、朝の日差しが一日の始まりを告げる午前六時半。
携帯電話から鳴り響く黒電話の音が、深い眠りから意識を呼び起こす。
まだおぼろげな意識の中、機械的に左手が携帯電話のボタンを押し、アラームを止める。
その数秒後、漸く覚醒した頭を、身を擡げ、奏はゆっくりと瞼を擦った。
そして、すぐ横で寝ていた、左目の瞑れた黒猫の頭を優しく撫でる。
「おはよう、ネコ…」
ネコと呼ばれた黒猫は大きく欠伸をした後、ぐるぐると喉を鳴らしながら奏の手に頭をすり寄せる。
奏は立ち上がると、その長い黒髪を揺らしながら、朝日の差し込む窓辺へと歩み寄る。
そしてゆっくりとカーテンを開けば、朝の風を部屋へと招き入れるように窓を開けた。
そうして今日も、彼女の一日が始まる。

奏は部活動に入っていないが、いつも朝早くに目を覚ます。
お洒落にはとことん興味の無い奏だが、朝一番にまずシャワーを浴びるのが彼女の日課だ。
片腕しか無い為、髪を洗うのに人一倍時間が掛かってしまうのだ。
そしてシャワーを終えれば、トースタに食パンをセットして、サラダを作る。
彼女は中学を卒業すると同時に、今まで育てられてきた家を出た。
そして今はネコと、一人と一匹の暮らしをしているのである。
家の事は全て彼女一人でしなければいけない。
そして片腕しかない彼女には、其れはとても大変なことなのであるが、それでも苦とは思わなかった。
焼け終えた食パンにマヨネーズを塗り、スライスチーズと目玉焼きを乗せて完成。
簡単だがコレを作るだけでも少しばかり苦労するが、彼女は満足そうにパンを頬張った。
彼女の足元では、ネコが固形のキャットフードを食べていた。
リビングとダイニングは吹き抜けになっていて、リビングに設置されたテレビからはニュースが流れている。
『近年、激化する少年犯罪。彼らは何故、自らの人生を無碍にするように罪を犯すのか。今回は少年犯罪の裏側に迫っていきたいと思います。ゲストは犯罪ジャーナリストの横山さんです。宜しくお願いします』
『宜しくお願いします』
女性アナウンサーとゲストの、真摯な表情が画面いっぱいに映っている。
『最近では、未成年による犯罪などが目立ってきていますが、これはどういう事なんでしょうか?』
『そうですね…えー、矢張り未成年者による犯罪というのはですねー、加害者も矢張り被害者なんですよ』
『被害者、というとどういう事なんでしょうか』
『えー…未成年ながらに犯罪を犯すという事はですねー、矢張り日常生活から問題がありましてー…一番の原因は、家族とのコミュニケーションの少なさにあると、私は考えるわけでして――』
其処でプツッ…、とテレビの電源は落ちた。
停電でもなければ、奏がテレビを切ったのではない。
良く見れば、ネコがテレビのリモコンを踏んでいたのだ。
「…ネコ、リモコンを踏むなとあれほど言ったじゃないか」
かといって、一々着け直すのも面倒な気がして、結局朝食を食べ終えるまで放置していた。
やっと食べ終えても、結局それから一度もテレビがつく事は無かったが。
「じゃぁネコ、行ってきます。良い子に留守番しているんだぞ」
リモコンをテレビ台の下にある戸棚に閉まってから、机の上で体を伸ばしているネコにそう告げた。
ネコはミャァと一声鳴いてから、べたぁっと机の上で広がり、彼女の言葉を理解しているかどうかは定かではない。
然し猫に真剣に説いたところで意味は無いと、結局すぐに奏も玄関へ向かった。
自宅から近い場所にあるコンビニの前で義昭と合流し、二人で登校するのが最近の彼女の日課だった。
あの受験の日、義昭と会うまではこのような事が日課になるなんて、奏自身一番思っても見なかったことだった。
「そういえば、昨日の小テスト、今日には返ってくるんだろ…義昭は、自信、あるのか?」
「バッチシ!と言いたい所だけどさ、やっぱ抜き打ちテストってねぇよなぁ…返って来たの見るまでもねって」
「…そうか」
こんな日常的な会話でさえ彼女にしてみれば、とても新鮮なことだった。
会話の一つ一つを噛締めながら、通い慣れ始めてきた道を歩く。
暫くは奏と義昭の二人だけだったが、進んでいくに連れてすれ違う人の数が多くなっていく。
奏と義昭の通う高校の制服を着ている少年少女の数も徐々に増えてくる。
新都高校の制服は、白いポロシャツ、紺色のブレザーとスカート或いはズボンが主である。
然し中にはスクールカーディガンやベストを着たり、スカートの丈を長くしたりズボンを緩く着たりする物も居る。
道行く少年少女は、似たり寄ったりなようで皆違う。
その中で、制服をキッチリと着こなしている奏と、緩く着ている義昭は対照的で、其れ故に一緒に居ると目立つ。
ただでさえ、奏のブレザーとポロシャツの右袖は、通る腕が無くヒラヒラと揺らいでいるのに。
「…毎朝毎朝、こう目立つと、気が気でない…」
小学校の頃からそうだったが、それでも慣れる事はなく、奏は溜息を小さく吐いた。
「まぁまぁ、良いんじゃネ?有名人になれてさ。まぁ、オマエになんかしようとする奴が居ても、オレがぶっとばすし」
「…其れが原因で退学に、なんて事は止めてくれよ?」
横で拳を握り締めている義昭を見ては、また小さく溜息を吐いてそう呟いた。
然し、義昭はヘラヘラと笑っては、握り締めていた左手を開き、その手で奏の頭を優しい手付きで撫でた。
義昭のこの優しさこそが、目立っている一番の原因であることを、二人はまだ自覚していない。
義昭に頭を撫でられながら、拒否するでもなく奏はただただ黙っている。
然し不意に、彼女の足が止まった。
釣られて義昭の足と手も止まる。
「…どしたん?」
急に歩くのを止めた奏に、義昭は首を傾げながら尋ねた。
然し奏はその質問には答えようとせず、ただキョロキョロと辺りを見渡している。
まるで親を探す迷子のように、特定のモノを探すように覗い探している。
然し探しているものは見つからなかったのか、何かを考えるように奏は俯いてしまった。
「…どしたんね?」
義昭はもう一度奏に尋ねた。
そして漸く、奏は顔を上げて、首を傾げたままの義昭を見詰める。
「…誰かに、見られていたような気がするんだ」
「そりゃオマエ、そんなナリしてたら見られるだろぉに」
「…いや、違うんだ。それならチラ見というか、ちょっと見るだけだろう?でも、なんというか…ピンポイントで、まるで観察するみたいに、凝視されてたんだ…」
義昭の言葉に緩々と首を左右に振る奏、その言葉に義昭はまた首を傾げる。
観察するような視線で見られていた、という奏。
然し結局彼女はその視線の犯人を見つけられなかった。
だとすれば彼女の自意識過剰な被害妄想と捉えるのが一般的だが、生憎義昭も大変な変わり者だった。
というより、友達を疑うということは、彼の思考回路に組み込まれていなかったのだ。
「うーん…観察するみたい、ねぇ…」
「其れはきっとストーカーだな!!」
唐突に響いた声に二人は体を大きく震わせた。
声の主はいつから居たのか、奏のすぐ後ろで偉そうに踏ん反りがえっていた。
「…け、賢吾」
声の主は、義昭の友人であり二人のクラスメイトでもある、香川賢吾だった。
普段はあまり目立つほうとは言えないが、事あるごとに二人、というより主に義昭にチョッカイを出している。
そんな人物が、今まさに奏のすぐ後ろで、その銀縁の眼鏡を輝かせていた。
「…香川、いつの間にいたん――」
「ところで奏ちゃん!」
「…かなでちゃん?」
言葉を遮られ呼ばれた奏は、遮られたことよりもちゃん付けされた事に首を傾げてしまった。
「その視線はいつからだい!?」
「…いつから、と言われても…気付いたのは先ほどだ」
「という事はさっき見初めたのか…うむむ、コレは一目惚れの予感!」
一人で腕組みをして唸っている賢吾と、其れを不思議そうな表情で見る奏。
「賢吾…オマエ、一人で何言ってんだ?」
そして、賢吾を冷めた視線で凝視する義昭。
あまりの急展開に、ついていけなかった。
否、この展開についていける人間は一人としていないだろう。
「常識的に考えてみろって、JK。確かに奏ちゃんは右目と右腕がねぇ」
「…かなでちゃん?」
「右目にゃ眼帯、右腕無くて袖プラリンだぜ?けど、其れを差し引いても一般的に見りゃ、十分美少女の部類に入る外見してんじゃないのん」
「…そでぷらりん?」
「若しその視線の犯人が、眼帯属性と四肢欠損属性とか持ってたらどうすんの!属性付き美少女になっちゃうんだぜ!!そうなったら一目惚れちゃうのも仕方ないだろ常識的に考えて」
「…ぞくせいつきびしょうじょ?」
一人で騒いでいる賢吾と、一人で疑問符を浮かべている奏、そしてそんな二人を冷めた目で見る義昭。
「…あ、のなぁ…普通にそんなヤツ…いねぇ、から」
「でも、奏ちゃんが美少女なのは変わりないだろー。義昭は友達としてみてるから、わかんねぇだけだすー」
「…だす?」
「はいはい、ありえねぇから。ほら奏も、一々アイツの言う事気にしなくていいから。アイツ頭膿んでんだって」
「…分かった」
疑問符を大量に浮かべていた奏の頭をポンと撫でて、義昭は一足先に行ってしまう。
そしてその義昭の後を追うべく、奏も賢吾を放置し歩き始めてしまった。
「…ひ、ひでぇ…その膿んでるヤツともう十余年親友やってるくせにぃいいん!!」
そして、そんな二人を賢吾は矢張り喚きながら、追いかけていったのだった。