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本郷物語
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・本郷物語

1.文京区役所
「ええっ?同人誌が?」
種村明は驚いた様に声を出した。
「そうだ、これは消費者契約法に触れると問題になっているから、調べてほしい」

種村明は5年前、大学を卒業して、文京区の一般職員として区役所に入った。
だが退屈な一般職員の職はもともと学者になりたかった明になじめるものではなかった。
暇を見ては書いた論文を雑誌に発表すると、間もなく部長に呼ばれた。
これで首になるかと覚悟したのだが、部長は明に告げた。
「種村君、来月から区民部経済課に行ってくれないか?」
区民部経済課とは経済や産業、消費者相談などを担当する部署だ、決して花形の部署ではない。
「そこで消費生活相談員になってほしいんだ」
明は無言だった「閑職に飛ばされたか」
だが部長は言った
「決して左遷の類ではない、あの論文を区長が見てね」
「・・・。」
「論文の主張自体は賛成できるものではないが、いろいろな知識をちりばめて書いてあるので
その広い知識を生かして相談員になってほしいんだよ」
「はい、わかりました」

明の趣味は幅広い、コミケに同人誌に模型、無線、電気部品にコンピューターとオタクと呼ばれるもののほとんどに
手を出していた。それどころか腕前も確かで、コンピューターを中心に50以上の資格を持っていた。
頼まれれば料理から日曜大工からパソコンの組み立てまで引き受けていた。
それだけに知識も豊富で、誰が来ても明とは話が合った。
だが相談員の仕事は明には苦痛だった。知識があればある程話をしたがらないものだが
明もその例にもれず、相談者がいなければほとんど何もしゃべらず、一人で黙々とパソコンをたたいていた。
ただ昼食の時は女子と一緒にお弁当を広げることが多かった。
「種村さん、今日もお弁当がすごいですね」
「やだなあ、これは昨日の残りだよ」
「でもすごい、いただいていいですか?」
「ああ、私を生涯独身にしようというだけのものだからな」
「風呂敷も変わってますね?」
「妹の古着から作ったんだ。確かこれは「ベイビー・ザ・スターシャインブライト」だったかな?」
「ええ~」「そういえば刺繍が入っている」
「これは私が入れたの。小学生の時から刺繍は得意だったからね」
「種村さん公務員やめても生活できたりして」
「そうかもしれないね」
そこへ同僚の木下陽二がやってきた。
「おーい、種村!都築課長がお呼びだ!」
「すぐ伺うと伝えといて」
明は昼食を済ませてすぐ課長の元へ向かった。

「種村君、君は同人誌というのは知っているかね?」
「はあ、いくらか」
「実を言うとね、都内を中心にこの頃同人誌で高額の料金を取られたと苦情が相次いでいるんだよ」
同人誌やコミケにかかる金は一回でも高ければ数万にもなる。それでも自分は高いと思ったことはなかった。
「これなんだがね」
そういうと都築課長は一冊の本を出した。B4判で150ページもあろうか。
ただし全部原稿をコピーして印刷に回しただけの本だった。
本のタイトルは「幸せの輪」と書いてあった。
「いや、自分がかかわるような世界とは違うと思いますが?」
「といっても23区の区役所の中で同人誌に詳しいのは君しかいない、
すまんが頼む」

「まいったなあ、どうすればいいんだ?」
コミケの常連である明でもこんな依頼は初めてである。
「とりあえずあの場所に行くか」
明が何か悩みがあるとき行く場所があった。それは文京区役所のある本郷から
ほど近い、飯田橋駅前にある「東京大神宮」だった。
小さい神社だが、伊勢神宮の東京支店でもあるため、その御利益や崇敬者は多かった。
明は参拝を済ませると、そこに車いすの少女とヘルパーさんがいた。
「あっ、兄さん」
「由紀!」
明の妹、由紀は精神に病を抱えており、飯田橋の病院に入院していた。
病名は「適応障害」、故に昼間はできるだけ社会との関わりを持たせるため
ヘルパーの浅野さんと一緒に外出していた。
「浅野さん、今日の由紀の状態は?」
「ここ数日間水とお粥しか食べないんです。明さんまたパンを作ってくれませんか?」
明は料理も得意だったが、中でもパンとうどんは得意料理だった。
明の作るパンは由紀の大好物でもあった。
「兄さん、また仕事で悩みがあったの?」
「そうなんだよ」
区役所では厳しい明も、こと妹の由紀に対してはべた甘になる。
由紀も普段は浅野さんに対しても筆談だけで済ますが、明にだけは口でしゃべる。

実は明をコミケに誘って同人世界に引き入れたのは由紀である。
由紀が体が弱く病院で絵ばかり描いていると、看護婦がそれをコミケに持ち込み大評判になったのだ。
だが由紀にはストーリーを作る才能はなかった。そこで由紀は明の文章力に目をつけ
明を誘って自分の絵を挿絵にして本を出したのだ。
明も自分が見聞きしたさまざまな話を由紀に語れるのがうれしかったし、病弱で
東京からせいぜい箱根位までしか行けない由紀にとっては明が見聞きした話を聞くのが楽しみだった。
中でも明自身が好きだった「上本町の南十字星」という話が由紀のお気に入りだった。
明が大阪の上本町に伝わる南十字星の伝説を持ち帰ったのである。
「・・・大阪上本町には今なお大事が起こると南十字星が南天の空に輝くといわれる・・・」
「兄さん、私にも南十字星が見えるんでしょうか?」
「東京にも上本町があったらな・・・。」
上本町は初めて来た人にはここが大阪とはとても思えないほど立派なビルが立ち並ぶ街で
市内からのアクセスは便利なのだが、東京からは直接入れないため
大阪市民以外にはその名はほとんど知られていない。

明と由紀は病院に戻ると、高速道路が見えた。
「兄さん、あの道路がブルガリアまで続いているんでしょう」
「そうだよ、由紀」
目の前の首都高速5号線から竹橋ジャンクションを通り渋谷方向に行くと谷町ジャンクションがある。
実はこれも明が由紀に話したことだが、谷町ジャンクションは渋谷から東名高速につながるが
ここはアジア最長の高速道路「アジアハイウェイ1号線」の起点でもある。
ここから福岡まで高速道路を由紀、韓国、中国、インドなどを経て
2万キロの道のりを経てトルコとブルガリアの国境にある町カピクレにたどりつく、
そこからはヨーロッパハイウェイがあり、アウトバーンにもつながっている。
飯田橋の首都高速はパリやロンドンまでつながっているのだ。

明は由紀に同人誌の一件を話した。
「これはひどいです、兄さん、すぐ調べたほうがいいわ」
「由紀はこの本とサークルについて知っているのか?」
「いいえ、でもこれは異常です」
「お前でもそういうのか…」
「見ればわかります。まずこれは原稿をコピーしてオフセットにしただけです。
これで1ページ1800円はひどすぎます。兄さんの本を出したときは
50ページ50部で3万円しませんでしたよね。
そのうえ購読するだけでも年12000円かかるんでしょう?これから考えますと」

購読料収入 230名X12000円÷12=230000円
原稿料収入 150ページX1800円=270000円
収入合計 500000円/毎月

印刷代 230部=152340円
郵送代 230名X76円=17480円
支出合計  169820円/毎月

差引収入 330180円/毎月

「これから考えると明らかに異常よ、同人というからには利益を出しちゃいけないもの。
まあ手間賃を考えても購読料は毎月500円の年間6000円
原稿料は1ページ当たり600円が妥当よ。」
「そうすると手間賃を考えても月30万円の商売か・・・同人誌って儲かるんだなあ」
「兄さん、いいこと、同人というのは趣味のためにやるもので、営利企業はそのサポートはしても
自らで本を出して利益を上げることはしないの。それは雑誌社だわ。
だけど奥付を見る限り私書箱にはなっているけど、法人にはなっていないよね」
「そりゃコミケには法人は企業ブースでなければ出店できないからね」
「法人でないのにこれは必ず税務署が来るわ」
「ということは問題ありか・・・」

次の日の夜、明は悩んでいた。
果たしてこの「幸せの輪」を調査するべきなのか。
コミケに長い間かかわってきた明にとっては、他人がありがたがってやっているなら
その考え方を排除するのはよくない、やらせとけばいいと思っていた。
しかし実際に被害者が出ている以上、消費生活相談員としては見逃すことはできない。
同人誌はあくまで個人のやる趣味以上のことはやるべきではない、由紀の計算が正しければ
これは立派な営利事業となる。なんとかしなければ・・・。

明は悩んだ末、夕方には浅草の神谷バーにいた。
明は神谷バーの「電気ブラン」が大好きでよくここで飲んでいることがあった。
「おい!種村、どうしたんだ?」
声をかけたのは同僚の木下陽二であった。
「木下・・・」
「また妹さんと喧嘩したのか?」
「いや、仕事上の悩みでな」
「お前らしくもねえなあ、まあ一杯」

明から訳を聞いた陽二は驚いた。
「そりゃ迷うことはない、「幸せの輪」は叩き潰すがいい!」
「でもなあ・・・」
「そんなのを放置しておけば同人誌とオタクに対しての偏見が増す。
明日は土曜だろ?新宿に偉い先生がいる!話を聞いていただこう!」
「新宿の先生?まさか?」

次の日、陽二は明を連れて新宿御苑のはずれにある屋敷へ向かった。
「着いたぞ」
表札を見て明は驚いた。
「高梨太一ってまさか・・・」
高梨太一、今をときめく時代劇作家である。

やがて大広間に通された二人は上品な着流しを着た老人に出会った。
「種村君、久しぶりだな」
「ええっ、もしかしてあなたが・・・」
忘れもしない、5年前に歴史検定試験1級試験の時である。
この時5回連続で合格した明に講演会の依頼状が来たが
その時壇上にゲストとして立っていた老人がこの高梨太一であった。

「話は木下から聞いた」
「先生!」
「まずは私の意見を言おう、私は木下の意見に賛成である。
確かに同人は個人の楽しみでやるものであり、それを破壊することは
個人の楽しみを奪うことに相違ない。
しかし個人の楽しみには営利活動は含まれないし、営利が出たら
それを何らかの形で還元し、本人は他に得た自らの収入をもって
自らの自己資本を提供して個人の楽しみを得るのが本道である。
同人の名のもとに自らが収益を得てそれで生活していくというのは
本末転倒の行為である。ゆえに本件は許されるべきことではない。
種村、木下、本件はそちらにまかせるゆえ、ただちに行動を起こしたまえ!」
「はっ!」


       

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