Neetel Inside ニートノベル
表紙

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「また鼠が出たな!」
 空調設備、万端。電子黒板、完備。机と椅子は自動的に高さを調節する最新型。一昔前の学校とは一線を画する現代的な内装。シンプルながらスタイリッシュな教室。
「今度は銀界の大邸宅だって」
「名画『三メートルのワロス』がまんまと盗まれたらしいぜ」
 学校に来てみればこの様か。
 窓際最後方というサンクチュアリで両掌程のノートパソコンを広げ、「仔猫」「飼いかた」を検索ワードにインターネットの海を泳ぎながら、大封はため息をつく。結局昨夜は猫の手当やら何やらに追われて、ほとんど眠ることが出来なかった。彼の目の下にはうっすら隈が出来ている。
「すげえよな。この一年間でもう十数回と犯行を繰り返してるのに、捕まらないなんて」
「……その発言はこの課の生徒としては少しどうかと思うけど」
 このニホンでは、十数年ほど前に警察組織の国営化が行われ、『守護者』とその名を変えた。当初は波紋を呼んだこのシステムも、今となっては馴染んだものである。というより、一体このシステムの変化が何を意味するのか、理解していない国民が大半を占めるというほうがより正確であろう。
「だってよぉ、捕まってないもんは俺らの責任じゃないんだし」
「おい、あんまり言い過ぎるなよ、源氏先生に聞こえたらどうする」
 ニホンは戦後の復興に失敗した。憲法で戦争は放棄したものの、二十一世紀の今でさえ復興出来ていない地域は多い。国際的にも先進国の尻尾、発展途上国の頭といった地位を与えられている。国民の大半は、警察の国営化は復興の一環だと考えているし、教育上もそう教えられることになっていた。
「まあ、わからなくもないけどな。鼠小僧が格好いいってのはさ」
「だろ!」
 ここは、都内唯一の高等学校。その中でも『守護者』つまり、国家警察を養成する『一般守護科』だ。にもかかわらず、鼠小僧の話題で持ち切りときている。興奮気味にそんな与太話をしている暇があれば、少しでも有力な情報を探し出して、一刻も早く鼠小僧を捕まえられるよう、今からでも守護者らに貢献すべきだろう。と、大封は心底そう思う。思うだけで口にしないから、何も変わらないのだが、口にしてみたところで本当に変わるだろうか? 甚だ疑問であった。
 もっとも、昨日仔猫を助けようとして自分の蹴飛ばした小石につまづき挙句ダンプカーに轢かれかけた自分に、守護者の適正があると言えるのかどうかについては、同様に甚だ疑問であったのだが。まさに自業自得。そういう言葉は犯罪者にこそ投げかけられるべきだと常日頃考えている彼には、少々頭の痛いお話である。
「眠そうな顔してるね、すいか君」
 大きな欠伸を一つ打ったところで穏やかな声が右から飛んできた。
「おー、胡桃おふあぁょ……」
 もう一つ間抜けな挨拶をしながらそちらへ首を振れば、そこには一人の少女。
「うん。おはよう。本当に眠そうだけど、大丈夫?」
 ボブカットの黒髪を揺らしながら、心配そうに大封の顔を覗き込む。
「大丈夫だ、ちょっと鼠よりも猫に手間取ってな」
「猫?」
「ああ、昨日拾っちまったんだよ」
 大封はノートパソコンをパチンと閉じて胡桃と呼ばれた少女へと座りなおす。
「へえ、いいなあ。ちょっとだけ羨ましいかも。でも君の寮って猫大丈夫だったかな?」
「……」
 大丈夫ではない。
「人助けならまだしも、猫助けまで手を広げると大変だと思うけどなあ」
「……不可抗力だったんだ」
 不可抗力でもない。
「いい加減別パターンな言い訳も覚えたほうがいいと思うよ、すいか君」
 くすくすと遠慮がちに笑いながら胡桃は椅子を引いて、大封の隣に腰を下ろす。
「尽力しますよ」
 吐きそうな顔で言ってから、彼はスポーツ刈りの頭を掻いた。
 落ち着いた、というより少し引っ込み思案なきらいのある彼女は、席が隣ということも手伝ってか大封とよく気が合う。とはいえ、国家警察を目指す人間として熱い正義感を胸に秘めているのは彼と同じであった。その彼に言わせれば、せっかく平均以上の顔をしているのだからもう少し交遊を広く持てばいいのに、とのことだ。本人にその自覚はないようだが、実年齢よりも幼く見えるその顔は密かに男子生徒の人気を集めている。
「今日は護身用の武器が配られるんだっけか?」
 その顔に向かって、大封は新たな話題を振る。
「うん。電磁銃だね。スタンガンの強化バージョンみたいなの、かな。護身用ってのもあるかもしれないけど、まずは授業で使うため、だね」
「前から思ってたんだが、そんなもん学生に配って大丈夫なのかよ?」
 淀みなく答える胡桃に、彼は至極もっともな疑問を口にした。
「ううん、私にはわからない。でも守護者の人たちは銃を盗まれた時も大丈夫なように、電磁銃を無効化する腕輪を身につけてるって聞いたよ。だから授業中に間違って先生たちを撃っちゃうようなことがあっても大丈夫だって。今までも事故は起きてないみたい」
「そんな便利なものがあるのか」
 素直な関心を示す大封に、彼女はもう一つ付け加える。
「うん。それに一般人を撃ったりすればいくら私たちでも罪に問われると思う」
 ある意味当たり前のことであるが。
「ふぅん。まあ、そりゃあそうだな」
「その辺はまた先生から説明があるんじゃないかな」
 キーンコーン。
 と、二人の話に割り込んだのは始業のチャイムであった。自動ドアが音もなく開いて、体格のいいプロレスラーのような教師が教室へと入ってくる。その右腕には守護者であることを示す銀の腕章が付けられていた。少し目線を落すと、手首には同じくシルバーカラーの腕輪が見える。胡桃との会話終了後、十秒足らずで春の陽気に当てられ、早速うとうとしていた大封であったが、なるほどあれか、と一瞬目を見開いた。
「今日は一時間目からホームルームだ。もう知っているかもしれんが、今日はお前らに渡す物がある」
 しかし教師が説明を始めたのが決定打となったのか、頬杖を突いたまま彼はめくるめく夢の国へと旅立つことになる。
 三十分ほど経っただろうか。頬杖がずり落ちてうつらうつら舟を漕ぎだした友人の第一発見者は、おのずと隣の席に座る胡桃だった。
「……すいか君?」
 普段居眠りなどしない彼であるが、こうなることはよくある。逆説的に聞こえたかもしれないが、実際彼がこのように居眠りをすること自体は珍しくない。彼が人助けに直走り、一晩中寝ずに過ごすということが頻発するからである。普段、なにもない時は真面目な生徒なのだ。
 しかし、悲しいかな、社会は厳しい。
「ちょっと、すいか君ってば」
 胡桃の必死のささやきも、彼にはこうかがないようだ。
「すいか君っ」
「おいそこォッ!」
 びくり、として胡桃は肩をすくめる。
「う」
「久光胡桃お前じゃない、水火大封お前だッ!」
 こうなることが分かっていた以上、ぶち殺す勢いで早めに大封を起こすべきだったのだが、どうやら自分は力不足だったようだ、と胡桃は友を見捨てることを早々に決意した。
「立てコラ立てェッ!」
 筋肉教師は口角泡を飛ばして、どすの利いた声とともに背中しか見えない大封を指差した。すいか君、ごめんね! とは胡桃が心のうちに秘めたる、乾いた叫びである。
「……ふにゃ? あー、ネギとタマネギとぉ、チョコレートは……食べさせちゃだm


 時は放課後。場所は廊下。
「鼠小僧……ねえ」
 片足立ちのまま、なみなみと水の注がれたバケツを片手に二個ずつ持ち、頭にも一つ乗せた大封は、涼しい顔でそう独りごちた。
 鼠小僧、とはちょうど一年ほど前突如として現れた泥棒の通称。いや、今やただの泥棒どころか、大怪盗くらいにまではクラスチェンジ出来ていると言っていいだろう。
 鼠小僧と言えば、人は江戸時代に活躍した窃盗犯のことを第一に思い浮かべる。二一世紀の今になってまたその名を名乗るからにはそれなりの信念があるらしい。昨今の鼠小僧も盗んだ金銭を貧しい人々に分け与えているのだそうだ。ただ、それに関しての信憑性は薄い。名乗り出る者がいないからである。そんなことをすれば分け与えられた金銭を没収されかねない。
 だからということもあるだろうが、しかし江戸時代の鼠小僧が本当に金をばらまくような真似をしていたかどうかも、実は定かではない。そのような義賊のイメージは庶民が勝手に作りだしたものなのである。実際、盗まれた金銭の大半は酒に女に賭博にと、豪遊三昧で泡のように消え去った、というのが通説だ。
 とはいえ、現代のニホンでそんな生活をしたりすればあっという間に足がつくだろうとも思われる。今日の鼠小僧に盗まれた金銭は一体どのようになっているのか? 貯金説が地味ではあるが堅実なところである。
「……はあ」
 大封は思う。
 こんな罰を食らうのは小学校までだろう、普通。寮に残してきた猫のことを考えると気が気でなくなるので、とにかく今は努めて猫より鼠のことを考えるようにしている。もはやこの刑に処せられた回数など数えていない彼にとっては何でもないのだが、時間を無駄に浪費していると思うともどかしい。
 鼠小僧の起こした事件は、そのすべてを頭に入れている。十二回の窃盗に加え、四回の強盗。江戸時代の鼠小僧が窃盗のみを生業としていたのに加え、今の鼠小僧は強盗も行っているのだ。手口が穏やかでない。逆にいえば、そのような無茶を何度もやらかしてなお捕まっていないということであり、大封はその件について評価を下しかねている。
 特に腹立たしいのは、事前に予告状らしきものを送りつける、などという真似をしていることであった。ルパンか何かと勘違いしているのではないだろうか。そうでないとしても、自分の犯行には並々ならぬ自信を持っているということだ。
 どうやら昨夜自分がダンプカーに轢かれかけていた時間帯にも鼠小僧の犯行があったらしい。重大事件が起こっている間、自分はなんてマヌケなことをしていたのだろうと考えると気が重くなる彼である。
 記憶がそこに巡ると思いだす。昨日のあの女の人は一体何だったのだろうか、と。
 再び大封の脳裏を彼女のイメージが過る。
 ただでさえ蒼白いこの街に、さらなる白を塗り重ねたかのような、霊妙な女性。いや、塗り重ねたという表現はいかがなものだろう。そうではない。まるで、何かが一つ飛び抜けている。立体感が違う。同じ次元にいながら、3Dのホログラムでも見ているかのような感じ。
 存在が、異質。
 そう、この世のものとは思えないような――
「ほうほう、スポーツ刈りかと見せかけてどちらかと言えば角刈りに近いのか」
「…………?」
 何だ?
「バケツを片手に二個持ち頭に一つ乗せ、自主トレーニングですか」
「……」
 何なんだコイツ。
 大封の前に突如として現れたのは一人の女生徒。
「感心感心」
 眼前をひょこひょこした動きで行ったり来たりしながら、何やら勝手にうなずくその少女を何と表現すればいいのか、彼は迷う。左右に髪を垂らすヘアスタイルがツインテールだというならば、これは――クワッドテールでいいのだろうか。左右から二本ずつ、計四本の尻尾が頭についている。
「近頃の若いもんはまあ、体力が落ちて落ちて、なんとまあ嘆かわしいことでございましょうか! ああ神様軟弱な若者をお救いください。ついでにこの若者の居眠り癖を治してくださるとなお重畳」
「……!」
 グリーングレーの瞳を持つその少女は、栗毛のクワッドテールを揺らして大封の前でピタリと停止する。そして腰に両手をあてて前屈みになり、顔を目の前の男にずいと寄せた。
「水火大封」
「!」
 目つきを少し険しくして、大封はその釣り目をにらみ返す。
 名前までも、知られている。
「五教科五百点満点で一般守護科に入学。にもかかわらず入学の挨拶は同じく五教科満点の久光胡桃に譲ってしまう。んーん、勿体ない。私なら絶対するけどなあ、目立つし。しかしその後は何故か成績低迷、試験の順位だけ見ればそこらの馬の骨の中に埋もれてしまっている」
「おい」
「私の予想ではおそらく居眠りが原因ではないかと踏んでいる。しかもその居眠りの理由というのがすべて人助けと言うわけよカッコ本人談カッコ閉じ。あんたほどのお人好しは見たことない! まあ、勉強なんてしなくても? 入りさえすれば確かに守護者への道は開けたようなもんだしね。真面目と見せかけて不真面目ですか? 反吐が出るっつーのそういうの! あり得ないね、確かに目立っちゃいるけど私の求める目立ち方ではないしねそういうの!」
「……さっきからその気分の悪いモノローグがダダ漏れだぞ。口にオシメでもしたほうがいいんじゃねえのか、この頭と手足合わせて蛸女」
「あら、これが独り言に聞こえる?」
「独り言じゃないなら口を閉じてから言ってくれ」
 一瞬、空気が凍りつく。
「頭に乗ってる滑稽なバケツが重すぎて口も開けないのかと思ってたけど、しゃべれるんだねえ、君」
「あいにくこのバケツはただの飾りです。というかべらべらべらべらと人の個人情報を垂れ流しやがって、テメエ一体……」
 一体何者なのか、という思考よりも先に、困惑や驚きといった感情よりも先に、まず怒りが彼の心を煮えたぎらせる。バケツのせいで何もできないことがますます彼をイラつかせた。
「君の事は大方調べさせてもらったよ」
「……」
 それは確かに、そのようだ。
「何の目的で。ストーカー的理由だったらプライバシーの侵害で訴えるぞ蛸女」
「まあまあ、落ち着きなって。今言ったことは全部教師や生徒に聞きまわって集めた情報だし、私を訴えても勝ち目はないよ? カッコ笑いカッコ閉じ」
「さっさと名前と目的を言うか、今すぐ消えて一生二度と俺の目の前に姿を現しませんご主人様、と俺の専属メイドになる誓いを立てるか、どっちかだ。早くしろ」
 大封がまくしたてると、女生徒は顔と上半身を元の位置に戻して冷静な目つきで大封を見上げた。そして一つ息を吸うと、ニッと口だけで笑う。
「私は東条りんご、一般守護科二年生二組出席番号二二番、将来守護総監になる女」
 その言葉はもう一つ彼の怒りを買うことになったが、反論反駁を許さぬスピードでりんごは畳みかけた。
「水火大封、君を見込んで頼みがあるの」
 もう一度その緑色の目を大封に近付けて、鼻と鼻がくっつきそうな息の吹きかかる距離で、りんごは言う。

「私と協力して鼠小僧を捕まえましょう」

       

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Neetsha