Neetel Inside ニートノベル
表紙

ねずねずねず=こんふゅーじょん
◇4.俺は俺の正義に従うだけだ

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 生活必要物資は腐るほどあっても生活感のない「白界」と違って下町情緒溢れる「鏡界」の界隈を歩きながら、大封はご立腹であった。主に自分に対して。
 なんで来ちまったんだ? そう思うのに、足は勝手にズンズン進む。たとえプレデターが攻めてきても絶対に行かないと、そう決めていた昨夜の彼は果してどこへ行ってしまったのだろう? 仔猫のネコパンチにKOされて、M78星雲辺りにでも消えてしまったのかもしれない。しかし来てしまったものはしょうがないのだ。今さらどうしようもない。一五〇円とはいえ、電車代を無駄にするわけにもいかないのである。
 ともかくも、彼は目的地へと辿り着いた。
「……あった、喫茶『鼠捕り』」
 なんとも都合のよい看板を掲げた喫茶店があったものだ。
 一昔前、いや二昔ほど前の洋風木造建築に、開けば音を立てそうな古めかしい押引式のドア。来たこともないのにノスタルジアを覚えてしまいそうな店構えだ。
 大封が戸を押すと、木の軋む音の代わりにカランカランと上方で鈴が鳴った。コーヒーの香ばしさとニスの匂が混じり合って、大封の鼻をくすぐる。
「いらっしゃい」
 眼鏡をかけたいぶし銀のマスターが発する声は、いかにも渋い。カウンターのある店内は、喫茶店というよりバーに近いように思われた。
「ええと、都立高校の女生徒、来てます?」
「奥のテーブルに座ってるよ」
 小さめの皿を拭きながら即答してくれたマスターに一つ礼を言って、店内を見回してみる。こんな時間だと言うのに客入りが悪い。というよりも、一人もいない。もうすぐつぶれる店なのか? と若干の不審を覚えながらも、大封は言われた通り奥へと進んだ。
 白熱灯が幾つか天井からぶら下がっていて、店内をぼんやりと照らしている。少し目を動かせば、ブリキの玩具だとか、何やら古めかしい雑誌などが目に入った。何十年も時間を遡行したような懐かしの品々で統一されたインテリアに、彼はマスターのこだわりを見る。そして突き当りを左に折れて、三つほど並んだテーブルのその一番奥に、目的の人物が座っているのを発見した。
「やあやあ、おはようフェルプス君」
 そんな風に声を上げながら、りんごはひらひらと手を振っている。
「今は4時だし俺はスパイじゃない」
「ナイスツッコミ。さすがは大封君」
 そんなにナイスじゃなかったツッコミはさておいて、私服に身を包むりんごの正面に大封は腰を下ろした。ふんわりと薄い黄色のワンピースに、黒のスキニーパンツを合わせている彼女は、がらりと雰囲気が変わって見える。ヘアスタイルは相も変わらずクワッドテール。向日葵を模した髪留めもまた、控えめに彼女の明るさを引き立たせていた。
「あらあら? なーに見蕩れちゃってんのさ」
 りんごは小馬鹿にするような目で大封を見る。
「誰がテメエなんかに見蕩れるかっての。妄想激しい女は嫌われるぞ」
「お、言うねえ」
 かくいう大封は制服のままであるが、これは電車賃をケチった結果であった。
「で、早速本題だが」
「オススメはシフォンケーキとロイヤルミルクティーだよ」
 のっけから会話が噛み合っていない。
「あのな」
「オススメはシフォンケーキとロイヤルミルクティーだよ」
「あの」
「オススメはシフォンケーキとロイヤルミルクティーだよ」
「……ゲームのNPCになれるぜ、テメエは」
 一字一句、抑揚も全く同じに、リピート。
「てか、俺は甘いもん食えねえっつっただろうが」
「マスターっ! シフォンケーキとロイヤルミルクティーちょーだい!」
「ぅおい!」
 あいよ、と艶のある低音が店内に響く。
「いいじゃない、私が食べるんだ」
「……」
 出鼻を挫かれたとはこのことであろう。大封はいつもよりも長めに溜息をついた。
「で、本題」
「ねね、これってデートかな? デートだよね!」
「おーい、東条さーん」
「わあ、私こういうの初めてなんだあ! 緊張するなあ! カッコ緊張カッコ閉じ!」
「……」
 確かに、喫茶店で高校生が二人きりとなればそのような状況が想起されても全く不自然ではない。しかし、目の前の少女のはしゃぎっぷりを鑑みるに、緊張の二文字はどこを探しても見当らなかった。
「どうする? 私と一緒に校則破っちゃう? 行くとこまでいっちゃう? 私という禁断の果実に手をのばしちゃうぅ?」
「落ち着け」
 そうこうしているうちに、注文が運ばれてくる。見た目に柔らかそうなシフォンケーキには生クリームが添えてあった。紅茶はまだのようだ。
「君も何か頼めば? ここのコーヒー超おいしいよ」
 グリーングレーの瞳がまっすぐに大封を見つめていた。
「いや……」
 三百円。
「遠慮しとくよ」
 机の端に立てられたメニューにチラリと目をやって、大封は即決する。
「お金の心配なんかしてるの?」
「恥ずかしながらその通りだ」
「ふうん……」
 相槌を打って、りんごはケーキを口に運んだ。
「んんーっ、おいしい!」
 頬に左手をあてて大げさにリアクションをとる彼女を見て、本当に旨そうな顔をして食うやつだなあ、と大封は感心する。
「そういえばこの店」
 口をもぐもぐさせるりんごを正面に見つつ、彼はそう切り出した。
「店名はずっとこれなのか?」
「ん? ああ、『鼠捕り』? そうだね。鼠小僧騒動の前からこれ。本当に偶然さ。私は昔からここの常連さんだし。マスターとも仲いいんだよ」
「へえ」
 何を考えてこんな店名にしたのだろうか。大封は思う。こんな店に入ったら、まるで自分が鼠であるかのようだ。そりゃあ客入りも悪くなる。近年はなおさらそうだろう。鼠小僧は何よりもまず、ここのマスターに謝罪すべきである。
 彼がそんな結論に達するころ、ロイヤルミルクティーが運ばれてきた。
「まあ、どういう経緯があれさ、今この店はガラガラじゃん? 秘密のお話をするにはちょうどいいってわけ」
「……なるほどな」
 りんごはバニラの香漂うミルクティーを一口啜る。
「ま、雑談はこの辺にしとこうか」
 そしてカップをコースターにことりと置くと、脇に置かれていたポーチほどの小さなバッグから、一つのクリアファイルを取り出した。
「これなーんだ」
「わからん」
「なんだよもー、ちょっとくらい考えてよぅ。カッコ怒りカッコ閉じ!」
「俺は考えてわかることしか考えない主義なんだ」
「ちぇ」
 りんごはそれを、大封の前に置く。
「見ていいよ」
 言われるままに、彼は中身を取り出してみた。結構な枚数がある。『調査記録』、一枚目にはでかでかとそう書かれていた。よくわからないまま、大封は一枚めくってみる。
「……?」
 めくる。
「……」
 めくる。めくる。
「…………!」
 めくる。めくる。めくる。
「……おい、これまさか」
「そのまさか、だよ」
 りんごはもう一口紅茶を啜った。焦りと困惑で表情を崩す大封とは対照的に、涼しい顔でほっと息をつく。
「鼠小僧の犯行に関する守護者の調査資料」
 もう一枚めくってから、大封はりんごの発言をゆっくりと咀嚼した。
「……何でこんなもんを持ってる」
「まあまあ、落ち着きなよ」
 りんごは続ける。
「私の父が守護者でね、たまたま鼠小僧の事件を担当してるの。ちょろっとそのデータベースから資料を拝借してきました、ってわけ」
「犯罪じゃねえか」
 間髪いれず、大封は言った。しかしその目は手もとの資料に釘付けである。
「まあ、そうかもね。でも、こういうの欲しかったんじゃない?」
 狙われた金品、建物の間取り、警備や現場の状況、タイムテーブル。それ以外にも一般人ではどうやっても手に入らない情報が、事細かに書かれている。
「その情報でも全体のほんの一部だよ」
「……」
 人間の力ではない。大封の目には、度々そんな一文が目に入った。犯人の足取りどころか、犯行の手口さえ明らかになっていない事件が大半を占めている。
「なるほど……」
 彼は一旦資料を置いて、りんごに向きなおった。
「これだけの情報がありながら何の手がかりもないとはね。守護者の無能がよくわかる」
「お、ノッてきたじゃん?」
「勘違いするな。テメエは守護者候補の人間として、言語道断の行いをしている。ただ」
「ただ?」
「一人の人間として、それが間違っているとは思わない」
 大封は続ける。
「ったく。まさかこんなものがあったとはな。テメエのその自信に満ちた顔も頷けるぜ。いいだろう」
 目前に座るりんごの、碧眼を見る。
「協力くらいはしてやるよ」
 りんごは驚きと喜びに目を見開いて、そしてニッコリと、悪戯好きの子供の顔で微笑んだ。
「そうこなくっちゃね!」
 言ってりんごは右手を差し出す。握手を求めているのだろう。大封は全く自然に、手を伸ばしかけた。しかしりんごはその手を制する。
「待った」
 彼女はそのまま言う。
「いいの?」
「……」
「学生同士の、素人同士の口約束だけど、それでもこれは契約なんだよ。別に念書を書けって言ってるわけじゃない。君だってさっきの資料を見て十分理解できたはずさ、私と組むっていうことが何を意味するのか。私は君に情報を提供する、君は私の為に動く。そして私の提供できる情報は、当然君の入手できない情報ってことになる。言ってる意味はわかるよね? じゃないと手を組む意味もないし」
 りんごは鋭く大封を睨む。
「これはお遊びじゃないの。本気じゃないなら手を引いてほしい。犯罪者を捕まえるために犯罪者になるっていうのは、本当に正しいことなのかな? 君はそれでいいの? 例え本当に鼠小僧を捕まえられたとして、世間や守護者は私たちを非難するかもしれない。もっとも私はそれでいいと思ってる。だけど君がそうじゃないならこんなことはやめたほうがいい」
 そして、もう一度繰り返した。
「水火大封、私と協力して鼠小僧を捕まえましょう」
 言って、反応を待つ。しかし。彼の決断に時間は必要なかった。
「へっ、上等だ。犯罪? 世間? んなもん知ったことか」
 大封は、言う。迷いなく、悪びれず、屈託なく。
「俺は俺の正義に従うだけだ」
 そしてがっしりと、りんごの小さな手を掴む。
「よろしく頼む、東条りんご」
「……!」
 一瞬、自分の手の感触が信じられない、とでもいう風に呆然としたりんごであったが、すぐに満面の笑みを顔に浮かべると、首がちぎれそうな勢いで頷いた。
「うんっ! こちらこそよろしく!」

       

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