Neetel Inside ニートノベル
表紙

ねずねずねず=こんふゅーじょん
◆14.姉ちゃんの喋り方、うつるからやめてほしいんだが

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 ニュースの声をバックに、彼らはそれぞれ意識を現実から遠のける。
 白髪。細身。朗らかな笑み。あれはおそらく、六時頃だった。
「……」
 まさかな。大封は思う。
「……」
 そして同時に、胡桃も思う。登坂も、その時間帯バベルタワーに居たはずだからだ。
『次のニュースです。昨日夕方頃、鏡界で発生したコンビニ強盗事件について……』
「わわっ、そ、それでさ! さっきのはどういう意味だったのかな、すいか君っ!」
 しかし逡巡に使えるような間はほとんどなく、胡桃は大慌てでニュースの音声を描き消す。大封に余計な心配をされたくはない。些細なことでも、強くある為に。
「ん、ああ」
 大封は情けなく笑った。
「忘れてくれ。どうかしてた。頭ん中トリップしちまってたよ」
「……? 本当に、本当に忘れていいの? なんでもないの?」
 胡桃はしつこく食い下がる。
「一応断っとくが、別にありゃ俺が自殺志願者だ、なんてトチ狂った意味じゃない。ただのたとえ話だ。というか、だからなんというか、その、忘れてくれればいいんだ」
 彼女は、歯切れの悪い彼をじっと見つめた。
「……しょうがないな」
「そりゃ助かりますよ」
 大封は再び苦笑いして、まだ何か喉につかえたような顔のまま口を開く。
「で、テメエは何で俺についてきてるんだ」
「え」
 さすがの胡桃も、これにはぽかんとした。
「君が、行くぞ、って言ったんじゃない!」
「え、そ、そうだっけか」
「本当に大丈夫なの? すいか君」
「……」
 彼女にそう言われると、今度は子供のように黙りこくってしまう。そんなどこか調子の狂った大封が、ポツリと言った。
「なあ、俺の姉ちゃんに会っていってくれねえか」
「お姉さん?」
 予想していなかった単語に、胡桃は聞き返す。
「いや、本当は多分、もともとそのつもりだったんだ。ただ昨日ちょっといろいろあってな、そんでいろいろ思い出しちまって、いろいろ頭が回らねえんだ。悪い。とりあえず、姉ちゃんに会っていってくれよ。多分あいつも喜ぶからさ」
「いいの?」
「……ああ」
 魂が抜けたような足取りで大封が歩き出したので、胡桃は大人しくそれについていく。大封の姉が入院しているなどという話は、彼女には初耳だ。
 病室へは、すぐに到着する。そこは個室だった。
「おーい、姉ちゃん、起きてるかー」
 扉を横に引きながら、大封が中に入っていく。遠慮がちに、若干の緊張も伴いながら、胡桃も中へと踏み込んだ。どんな人なのだろうか、そんな期待も小さく胸に抱いて。
「おう、弟よ」
 パン、と本を閉じる音が病室に響いた。
 ベッドで上半身を起こしていたのは、艶のある黒髪を異様なまでに伸ばした女性。長すぎる髪が、水に落した一滴の墨汁のように白いベッドに広がっている。前髪もまた伸び放題なのだろう、赤いヘアピンが額にそれをまとめていた。大封に似て、目には三白眼のきらいがある。何もかもを吸い込みそうな深淵の黒が、その大きな目の中心に浮かんでいた。一般的なニホン人にすれば、逆に珍しい真暗闇だ。
「起きてるかー、ってそりゃテメエさすがに姉ちゃんをなめすぎってもんだぜ? 今何時だと思ってんだよ。九時半だよ、午前九時三十分。地球が何回廻った時だ? ふふん、聞いて驚いてショック死しろ、あたしゃ地球が最初の一周目を廻りだしたときから今までずぅっと起きてるんだぜ。……って、ん?」
 その眼が、隠れるように大封の後ろに立っていた胡桃を捉えた。
「あれ? あれあれ?」
 目尻が、何か面白いものでも見つけた子供のように、楽しげに持ち上がる。
「おいおいまさかテメエ、そりゃ、所謂か――」
「黙ってろとは言わねえがその鉄板的勘違い台詞をうっかり吐いちまう前に言っておく。こいつは彼女でもなんでもねえ」
「隠し子なのか?」
「やっぱ黙ってろテメエ」
「なんだ、朝っぱらから姉ちゃんに向かって黙れとは酷い弟だな」
 いくら幼児体型かつ童顔だとはいえ、隠し子扱いはさすがにひど過ぎるのではないか。胡桃は一人、軽くショックを受けた。
「はははは! いや、ショック受けるところじゃねえから。冗談だし、安心しろよそこのテメエ」
「え、えと」
 豪快に笑いとばす彼女に対し、胡桃は一歩前に出る。
「久光胡桃です。すいか君とは同じクラスのお友達です、えっと、よろしくお願いします」
 そのまま、精一杯頭を下げた。
「おうよ、胡桃ちゃんね。ところであたしも水火って苗字なわけだけど、そこんところどうなのよ」
「へっ?」
 その言葉に頭を上げて目を白黒させる胡桃を放ったまま、彼女は話を続ける。
「自己紹介遅れたね」
 そして脚の上に乗せていた本をベッド脇のデスクに置くと、改めて胡桃のほうを向き直った。
「水火絢奈だ。あやな、って呼んでくれりゃいいぜ。だからま、ついでに弟のことも名前で呼んでやれよ」
「おい、胡桃に変なこと吹き込むんじゃねえ」
「テメエは既に名前で呼んでるじゃねえか。不自然だと思わねえの? 一人は苗字で、もう一人は名前で呼び合うとかよ」
 そのある種乱暴なしゃべり口に驚かされながらも、胡桃はかぶりを振る。
「い、いえ、違うんです、これは私がそう呼んでほしいって頼んだだけで……」
「あ、そ。じゃああたしがテメエに頼んだわけだから、これからはテメエは弟を名前で呼ぶことになるな」
「え、え、そ、そんな」
「おい阿呆、胡桃を困らせんな」
 大封が困った顔で姉に突っ込む。
「はははは! ま、いいよ、好きにすりゃ。ふふん、しかし、お友達ねえ……」
「なんだその目は」
 面白がるように二人を交互に眺める絢奈に、大封は備え付けの冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出しながら、口をとがらせる。
「別に何でもねえよ。それにしてもお友達、か」
「俺に友達がいちゃいけねえのか」
「んなこた言ってねえだろうがよ。ただまあ、珍しいこともあったもんだと、そういう感想を抱くくらいあたしの自由ってもんだろう? なあ、胡桃ちゃん」
「えっ?」
 急に話を振られて、胡桃は身体をビクリと震わせた。
「あ、は、はいっ!」
「……律義に同意せんでいい。とりあえずそこに座ってくれ」
 促されるまま、彼女は大封がどこからか移動させてきた丸椅子に腰を下ろした。
「胡桃ちゃん、可愛い服着てるなあ。桃色がよく似合ってる。あたしも早くこんな薬の匂しかしねえ寝巻じゃなくて、そういうヒラヒラした服が着てえよ」
「えと、ありがとうございます」
 胡桃は曖昧に微笑む。その手元に、紙コップに注がれたお茶が差し出された。彼女はそれを受け取って、一口啜る。
「あの、お姉さんは」
「絢奈さん、でよろしく」
「あ、あやなさんは、どうして入院を?」
 一見したところでは、怪我や病気を患っているようには思えない。そんな純粋な疑問が、胡桃の口から飛び出す。
 それを聞いた大封は、身体を固くした。
「あー」
 一瞬、絢奈は思案するように顔を窓に向ける。
「あたしはね。ま、簡単に言っちゃうと、ちょっとした事故に巻き込まれて、二年くらいの間、意識を失ってたわけ」
「え……」
 唐突に舞い降りた重苦しい空気に、胡桃の思考は止まりかけた。聞くべきことではなかったのかもしれない、少なくとも本人の目の前では。その驚嘆の顔を気にも留めず、絢奈は流れるように言う。
「植物人間状態っていうの? まあ、あれよ。ありていに言ってみれば奇跡的なんだよね、あたしが今こうして胡桃ちゃんとお喋り出来てるっていうのも。目が覚めたのも、実はほんのちょっと前のことでさ。今は様子見だの検査だの、何かしらの理由つけて入院費ぱくられてるってわけ」
「……そうだったんですか」
「なんだよ、そんな暗い顔すんなって。別にあたし自身はなんとも思ってねえし。二年? んなもん、可愛い弟と再会できたってだけでチャラだっつーの。ああ、唯一驚いたことと言えばこの髪だな。昔はもうちょい短かったはずで、しかももっとチャラチャラのブラウンヘアだったはずなんだが」
 絢奈は、ベッドの上の黒髪をまるで他人のものであるかのように手にとって、しげしげと眺める。
「いや、髪について言えば、まさか目が覚めたら弟の髪がこんな惨事になってるとは思わなかったけどね」
 大封は、無言のまま固い面持ちで姉を見つめていた。
「どうした、ツッコミくらいくれよ。俺はもともとこの髪形だ! とかさ」
「……ん、ああ、そうだな」
 隣の椅子に座る今日の彼は、何か変だ。胡桃は覗きこむようにしてその顔を見た。沈痛な表情を浮かべている。何があったのか詳しいことを聞く勇気はないが、彼だって辛かったはずだ。二年間、どんな気持ちで姉の目覚めを、それも可能性も希望もほとんどない世界で、姉を待っていたのだろう。胡桃に知る由はない。
「ていうか、胡桃ちゃんはどうして来てくれたわけ? 普通、いくら友人とはいえ、家族の見舞なんてついてくか? あたしの友人はそこまで真面目な奴らじゃなかったが」
「……こいつは偶々ロビーで俺に声をかけてきただけだ。どちらかといえば、いや、どちらかと言うまでもなく、俺が無理やり連れてきたんだ」
 ぶすっとしたまま、大封が捕捉する。
「む、無理やりだなんてそんな。私は大封君のお姉さんに会えて嬉しいよ」
「お世辞のうまい子だ。そんないい子には、絢奈さんがおっぱい大きくする体操教えてあげてもいいぜ?」
「おっ……!」
 そう言われて胸元に目をやれば、結構なたゆんたゆん具合であった。
「え、えっと、えっと」
「律義に返事をしようとせんでいい」
 嘆息と共に、大封が笑う。彼にいつもの顔が、少しだけ戻ったようだった。
 しばらく雑談。
 一時間ほど三人でにぎやかに過ごした後、胡桃は時計を見てあっと声を上げる。
「ごめんなさい、私そろそろお暇します。今日のお昼ご飯の当番になってて」
「花嫁修業もバッチリだな、胡桃ちゃん。いっそ弟の嫁に来いよ」
「ええっ!」
「いい加減、真に受けないというテクニックを身につけろ、胡桃」
 頬を赤らめる胡桃は、変にへらへらと笑いながら、席を立つ。そしてドアの前、ボブカットを揺らしながらくるりと振り向いた。
「あの、また来てもいいですか?」
「モチのロンで大歓迎」
 即答で、親指を突き立てた絢奈が口の端を持ち上げた。
「だそうだ」
「じゃあ絶対また来ますねっ! 失礼します」
 彼女の明るい声は、しばらく二人の耳に残響する。そして、沈黙。
「で、どういう風の吹きまわしよ? テメエがお友達連れてくるなんてさ」
「……ちょっと確認したいことがあってな」
 窓の外の陽光に目を向けながら、大封は呟いた。
「でもまあ、なんとなく整理はできたよ。あいつのおかげかもしれねえ」
「あ、そ。ふふん、一丁前にたそがれちゃって、テメエも男になってきやがったなあ。まだまだひよっこだけどよ」
「ほっとけ」
 蒼い風が、大封の頬を撫でた。外では木々がさわさわ揺れている。
「別に危ないことに首突っ込むなとは言わねえけどな」
 それは、少しハスキーな絢奈の声だった。彼の心を見透かしたような、そんな声だった。大封は、振り向かない。
「無茶はしとけ。無理もしとけ。何でもやっとけ、若いうちは。全部姉ちゃんが許してやる。だから、姉ちゃんに許されないようなことはするな、言ってる意味はわかるな?」
「……ったりめーだ、俺を誰の弟だと思ってんだよ?」
「それもそうか。はははは!」
「いずれテメエに誇らせてやるよ」
 言って、振り返る。
 大封は、振り返る。
 いつになく凶悪で、精彩を放つ、ギラリと脂ぎる目を携えて。
 彼はニイ、と笑ってみせた。
「この出来の悪い弟を、世紀の大犯罪者を捕まえた英雄としてな」

       

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Neetsha