Neetel Inside ニートノベル
表紙

ねずねずねず=こんふゅーじょん
◇16.名台詞

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 二人は再び、都内を走る電車を利用することになる。
 一日だけ特定の区間内が乗り放題になる特別定期券を自動改札に通しながら、りんごは待ちきれないといった風に、前を歩く大封へと迫った。
「ねえ、早く教えちゃってよ、例の話!」
「……プログラミングってのは頭よくなくてもできんのかよ? テメエの頭じゃスパイダソリティアくらいしか作れねえ気がするがな」
「そ、それはどういう意味さ、大封君っ! カッコ怒りカッコ閉じ!」
 閉まりかけたドアに二人で駆け込み、また茜色の景色がスライドし始める。
「電車内でぎゃあぎゃあ喚くな、恥ずかしい」
「原因は主に君だよ、君! それにね、私と君じゃあ思考のタイプが違ってるのさ。別にプログラミングの出来と頭の良し悪しが関係ないってわけじゃないし、私が馬鹿ってわけでもないから、勘違いしちゃだめだよ」
「思考のタイプ、ねえ。プログラミングなんてわけわかんねえことやってる奴は普通、いろんな面において頭の回転が速いもんじゃねえのか?」
「そんなのはカバディのプロにラクロスでもプロになれっていってるようなもんだよ」
「また際どいところを突く例えだなおい」
「言い得て妙ってやつだね」
「言い得ないまま、ただただ妙だ」
 りんごはまた頬を膨らませた。
「そんなことはいいから! 早く話の続きしてよ!」
「続ける前に、調査結果を教えてくれ」
 事に気が入っていないかのように窓の外を見続ける大封は、ぽっとそんな台詞を吐いた。
「ああ、昨日の? 結構大変だったんだからね、闇ルートの取引を追うの」
 学生鞄を探りだしたりんごを、彼が手で制す。
「口頭でいい」
「確かに情報量は少ないけど、印刷してきたのを見たほうがわかりやすいと思うけどな。まあいいや、じゃあ言うよ? 『エラモスの瞳』、五千万円。『ユーボワールの晩餐会』、六千三百万円……」
 りんごは続けて、固有名詞と、金額らしきものを空で読み上げていく。
「……、『周辺人』、四千万円。で、『モニカチミの炎』と『三メートルのワロス』は、まだだね。こんなところかな。これだけでいいの? 現在の持ち主まで突き止められた奴もいくらかあるけど」
「……いや、十分だ。ありがたい」
「私には君が何をしたいのかがさっぱりわからないよ」
「降りるぞ」
 眉をひそめながらも、りんごは大封についていくしかない。太陽が、とろけるようにして地平線へと落ち始めていた。
 とにかく動き続ける。
 黒界の無人図書館。解除完了。午後七時。近くのコンビニで夕食を調達。金界のネットカフェ。解除完了。午後八時。燈界のオート駐車場。解除完了。
 午後九時。辺りはすっかり夜だ。
 反時計回りに、都内の隣接区画をめぐる。移動にかかる時間すらもどかしいりんごに対して、大封は涼しい顔を保ち続けていた。疑問を呈したところでのらりくらりとバイアスを散らされ、同じように逃げられる。それがわかってきた彼女が口数を減らし始めてから、二人の間には沈黙が多くなった。しかし、確実に湧いてくるであろう一つの疑問に関しては、彼女は決して口にしようとしない。
 こんなことをしていて本当に鼠小僧を捕まえることができるのか?
 そのワンフレーズだけは、絶対に。信頼というよりも、確信。りんごの、大封に対する確信は、固かった。だから彼女は、思考回路のポイントを切り替える。
「ねえ」
 ひょろりと背の高いビル郡が、ルーレットを横たえたかのごとく、四角の窓枠で切り取られた暗闇をブンブンと横切っていく。電車には、それなりに人が多い。
「なんだ」
「昨日はどこで何をしていたのか、教えてくれない?」
「……」
「いいじゃん、暇潰しだよ。しりとりもそろそろ飽きてきたし。それにさ」
 彼女は、つり革に両手で体重を預け、ぶら下がるようにして大封の顔を下から見上げる。
「隠し事はなし、って話でしょ?」
「……それは鼠小僧関連に限った話だ」
「だから聞いてるんじゃない。君、ちょっと顔つきが変わったからね。前よりも一段と男前になった」
 りんごが、はにかむようにして目を細めた。
「昨日、君は君の中で鼠小僧を捕まえる為の気構えを作り直した、そんな感じがするわけ。違う? 私はそれが鼠小僧関連じゃないとは思えないんだけど、どうかな」
「大した理屈だな」
 逡巡するように一拍置いて、大封はふと表情を緩める。
「……昨日は病院に行ってた。姉ちゃんの見舞いのためにな」
「お姉さん?」
「ああ、二年前の事件でずっと意識のない状態だった。目が覚めたのはほんの三カ月前くらいだ。ぶっちゃけ、俺が切り詰めた生活送ってんのは姉ちゃんの入院費が馬鹿にならねえからなんだよ」
「……大変なんだね。知らなかったよ」
「言ってねえからな、知らねえのは当たり前だ。別に俺はどうとも思っちゃねえがな」
「ふうん。君のお姉さん、てあんまり想像つかないけど、似てるの?」
「さあ、どうだろうな。自分ではわかんねえもんだ。が、多分似てるんだろうよ」
「で、昨日そのお姉さんにあって、一体何が君を変えたわけ?」
「……」
 一瞬、彼の目が険しくなった。
「俺は今までずっと、誰に対しても姉がいることを隠してきた。それどころか、そんな話題を出されるのが嫌で、友人関係すら最小限にとどめた。例え姉の存在が露呈しても、入院してるだなんておくびにも出さなかった。何故だかわかるか?」
「さあ、お金の関係じゃあないよね」
「怖かったからだ」
 少し声が大きくなる。
「姉が二年間を失うきっかけになった事件について尋ねられるのが、怖かった」
「怖かった、か。君には全く似合わない言葉だね」
「阿呆、それはソックリそのままテメエに返してやるよ。俺は案外常人だからな、怖いもんには普通に怯える」
「で、その事件ってのはなんなのさ?」
「……」
 一つ一つ噛みしめるように、大封が言う。
「銀行強盗がダイナマイトで自爆しやがった事件だ」
 今度は、その顔に色がない。表情と呼べるものが、消えていた。
「一昨日の爆弾騒動でそれを思い出しちまってな。姉ちゃんも目を覚ました今、俺がそれを思い出すことは先送りにしたつもりだったんだがよ。人生ってのは思い通りにいかねえもんだ。見たくねえものから目を背けてる時ほど、そいつをじっくり見なきゃならねえことになる」
「……その事件なら知ってるよ」
「ああ、当時はそれなりにニュースにも取り上げられた。知ってて当然だろう。事件の概要は知ってるか?」
「概要も何も」
 それは時を遡る事今から二年四カ月前。
 事件が起きたのは、正月早々、一月十日のことだった。水火大封、中学二年生の時の話である。
「胴体にダイナマイト巻き付けて頭のイカレた男が銀行に乗り込んで、結局爆発しちゃった、ってそういう事件だったよね。死傷者も結構な数がでてたと思うけど」
「まあ、今となっちゃ何があったのか俺らに知る由もねえがな。俺の姉ちゃんは守護者の特殊部隊に配属されてたんだが、その現場には偶々居合わせたらしい。で、巻き込まれた。それだけの話だよ」
「その時君はどうしてたの?」
「俺は……」
 目を閉じる。
 瞼の裏に鮮明に映像が浮かび上がる。
 人ごみ。明らかな異常だった。その通りで人ごみが出来るようなイベントは開催されていなかったし、そもそも人通りの少ない通りだった。異常なのは、その数だけではない。何故か、一つの建物に対して何十メートルも距離を取った上での、車道を挟んで囲むような人ごみだったからだ。携帯電話を取り出して、メールをするもの、通話をするもの、写真を取るもの。様々な人間がいたが、彼らは頑として動こうとしない。
 あくまでも、傍観者を気取っていた。
 それをかき分けて、かき分けて、目的の人物を探し出す。黒髪を焼き焦がしたような茶髪。本当は、彼女が用があったのは、その隣のスーパーマーケットだったはずだ。なのになぜか、彼女はそこに居た。銀行の中に。おそらく友人に付き合ってのことだろう、見覚えのある黒髪が、傍らにあった。
 少年は、すぐに状況を理解した。
 ――銀行強盗。
 そして。
「逃げたよ」
 彼は、傍観者にすら、ならなかった。
「……」
 電車が、ほんの少しだけ揺れる。
「別に、俺は間違ってなんかいなかったさ。守護者が片付けてくれる、そう思っただけだ。周囲に居た他の人間と一緒だ。自分から渦中に飛び込む必要なんてどこにもねえ。結果、俺の姉は二年間を眠って過ごすこととなり、俺の姉の友人は姉をかばって肉片になった。それだけだ、それだけ」
 それ以外何もない。
「どう考えても、最善の結果、だろ?」
「……大封君」
「姉ちゃんは気丈にふるまってる。本当は今だって壊れちまいそうなくらいつらいはずだがな。死んだ姉ちゃんの友人とは『お互い、相手の為に死ねる程度の親友』だったそうだ。姉ちゃんがその友達の為に泣いてるところは見たことがねえ。思い切って聞いてみたら、二人はこれからもずっと親友のままだから、だとよ」
 それが嘘だということは、大封にもすぐわかった。
「俺だってわかってる。誰にも責任はねえ、勿論俺にもそんなもんはねえ。だが人間、そう簡単に割り切れるもんでもねえだろ。俺に出来たことなんて何もねえ、そうわかってても、イフストーリーを考えずにはいられない。もしかしてあの時俺が銀行に乗り込んで、犯人の注意を一瞬逸らせていれば。そうじゃなくても、石か何かを投げ込むくらいはできたんじゃねえかって。結果は変わっていなくても、な」
 淡々と口を動かすその顔に、浮かぶものは何もない。何の異常もない表情。
「……姉ちゃんは」
 それが既に、異常なのかもしれなかった。
「自分から強盗に向かっていったらしい。完全に阿呆だ。事故の直後の俺は、そんな感慨しか抱けなかった。今までそのやり方で、姉ちゃんなりの一直線の、曲がったところなんて一つもないやり方で、俺が見てきた結果は全て成功の範疇に収まってたからな。失敗したところを見て、俺は姉ちゃんを初めて阿呆だと思った。俺の方が賢いとさえ思った」
 そんなわけはないのによ。
 自嘲気味にそんな言葉を補って、彼は続ける。
「逃げるが勝ち。結局世の中そんなもんだと割り切って、冷めた目線で世界を見てた俺は、その時初めて負けた気分になっちまったんだ」
 手を汚すのは自分ではない。
 世界は、自由に調整できるのだ。上手く相手の感情をコントロールして、自分の評価を上げるなど容易いこと。どうしても自分でしなければならないこと以外は、全て他人に任せていればいい。結果はどうせ、自分の手元に入ってくる。
 そんな大封の考え方は、崩壊した。
「現状、俺は生きてた。だから俺の勝ちのはずなのに、腑に落ちねえもんだ。結局、澄まし顔で、自分は傷つかない立場から高みの見物、なんてそんなやり方は、自分が傷つかないだけなんだよ。自分は傷つかない、それだけだ」
 平坦に、大封は繰り返す。
「俺の代わりに、誰かが傷つく。当たり前のことだろ、なのにそれまではわかってなかった。頭ではわかっていても、それがどういうことなのか、理解しきれてなかったんだろうぜ。俺の代わりに誰かが傷つく、っていうのは、俺が勝ち組に入れるっていうこととは直結しねえんだ」
 だから、と彼はつなげた。
「俺はちょっとだけ馬鹿になることにした」
「それが、あのがむしゃらな人助けだっていうの? 学校の成績を落として、街の中駆けまわって」
「ま、そんなもんだよ。俺も阿呆だろ?」
「……なんていうか、若さは感じるね」
「でも結局それも、逃げだったのかもしれねえな。そうやって一方ではなんとなく罪を滅ぼしてるような気でいて、もう一方で俺は、自分が責められるのが怖かったんだ。他人に自分の口から姉のことを話しちまったら、自分が非難の目で見られる気がしてた。それが怖かった」
 怖かったんだよ。
 確認するようにもう一度そう呟いて、彼は目を閉じた。
「結局、俺は根本から主人公向きじゃねえのさ。逃げ腰で、いつもズルをすることしか考えねえようなガキンチョだった。今も基本的にはそうだ。ただその考え方に、自分が傷つかないやり方に拘るのはやめよう、なんていう信念が加わっただけで、大本は何にも変わっちゃいねえ。結果を得るためには何だってすればいいと思ってる。俺が人助けと称して馬鹿やってたのも、逃げ道を作るための卑怯なやり口だったのかもしれん」
「……でも君は今、こうして私にその話をしてくれてるじゃん」
「俺はな」
 すう、と息を吸って、大封は目を開いた。
「人間ってのはそう簡単に変われるもんじゃねえと思ってる。だから、確認したかった。本当にただの確認だ。だが俺は変われたのか、そんなことを確かめにいったんじゃない」
 ただ。
「俺はただ、俺が一歩でも前に進めてるか、それを確認したかったんだ」
「進めてるか?」
「せめて今回くらいは、後ろめたい理由じゃなく、罪滅ぼしなんて考えでもなく、俺自身の為に、俺自身の正義で動いてるってことを確かめたかったんだよ。過去との決別とか、そんな恰好いいもんじゃねえが、そのためにはせめて一歩は踏み出さねえと話にならん」
「……」
 また大封は自嘲気味に笑う。
「そうじゃねえとテメエに示しがつかねえだろうが、東条りんご」
「……ふうん。そういう痛々しい眼で私を見ても、同情なんてしてあげないよ?」
「はっ、いらねえなそんなもんは。俺が欲しいのは優秀な人材、使える人間としてのテメエの能力だけだ」
「言ってくれるね、じゃあ君は私の為には死ねない、ってわけ。そりゃ私も出会って三日目の君の為に死のうとは思わないけどさ」
「当たり前だ」
 そして、彼は言った。
「俺は『お互い、相手の為に生きる程度の友人』しか認めねえからな」


 胡桃の意識の中にその茶封筒の存在が戻ってきたのは、時計の短針が十を回った頃だった。自室で書いていた日記が、水玉模様の寝巻に身を包んだ彼女にそれを思い出させたのである。
 昨日、今日と、割合密度の濃い二日だったように思える。いや、密度が濃かった時間は少ししかなかったのかもしれないが、それが彼女の記憶に鮮烈に刻み込まれているのは確かだった。今の彼女は上機嫌だ。
 とっとり君にお礼を言った方がいいかもしれない。
 そんな気さえしていた。だから、せめて頼まれたことくらいはこなすべきだろう、と。
「……明日までに目を通せってことだよね」
 益体もない独り言で無音の部屋の空気を震わせながら、彼女は鞄から封筒を取り出す。それにしても、随分重い。何が入っているのだろう? ぼうとそんなことを考えながら、トントンと中身をそろえると、机の上の鋏で封を切る。胡桃が封筒を逆さまにすると、資料が何枚か、そしてさらに小さな袋が、机の上にぽとりと落ちた。
「……?」
 そちらよりも先に、資料に目を通すことにする。
 一枚目は、静電気の件に関して書かれている。
 二枚目は、組み立て説明書、と書かれている。
「……?」
 そして。
 次の一枚をめくって。
「……? ……」
 考えて、そこに書かれていることが何を意味するか、考えて。
 胡桃の顔色が変わる。
「……っ!」
 真っ青に。
「こ、これって……!」

       

表紙

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Neetsha