Neetel Inside ニートノベル
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 「こんなもんかな……っと」
 俺は木に自家製の蜜を塗る手を休め、時刻を確認する。
 一時か。まあ、こんな所だろう。
 「で、朝になったらオオクワガタが取れるってわけだね」
 虫刺されを確認しながら、神田は俺に確認をする。山に入る前に丹念に虫除けスプレーを吹いていたが、それでも数カ所刺されているのは虫に好かれる神田らしい。
 「四谷は何カ所刺された? スプレー吹いてなかったよね?」
 「血を吸われたのは一カ所か二カ所。刺されたことは刺されたけどな」
 血に飢えたヤブ蚊共は、当然スプレーを吹いてない俺を狙ってきた。腕に止まり首に止まりとうっとうしかったが、俺は無視する。
 別に相手が虫だから無視するとかそう言う駄洒落を言いたいのではなく、相手にする必要性が無いから、である。
 俺の肌に張り付き針を血管に針を刺す蚊は、例外なく吸血を途中で諦め飛んで言ってしまう。そしてその内一匹も寄ってこなくなる……と言うことを俺は知っている。
 そうして蚊の群れはスプレー程度で身を守った気になっている神田に移動していく、と言うわけだ。
 実のところ、ちょっと筋肉に力を込めればそもそも蚊の針が刺さらないのだが、それも面倒なので早めに退散してもらっている。
 「なんでだろう……血、おいしくなかったのかな? 四谷は血液型何型?」
 「O。RH-だったりはしない」
 「あれ、僕と同じだ」
 神田は首をかしげ、今度は虫に刺された後に吹くタイプのスプレーをバックパックから取り出し全身に吹きかけ始めた。
 その上でやっぱりかゆいものはかゆいらしく、腕に爪で作った×印を増やしていく。
 「かゆい……それにしても、学校から一駅しか離れてない場所でオオクワガタが取れるなんて思わなかったよ」
 「穴場だからな、ここ。立入禁止の立て札もあるし、一時期熊が出たとか幽霊が出たとか有毒ガスが発生したとか色々噂あったからほとんど人が入らないんだよ」
 「え!? だ、大丈夫なの!?」
 慌て始める神田、全く、肝が据わってない奴だ。
 「大丈夫だって」
 「そりゃ四谷は大丈夫かもしれないけど僕は死ぬよ! ねえもう帰ろうよ! こんな所にいないで!」
 大声で喚き、パニックを起こす神田に俺は少し悪いことをした気分になる。
 「そもそも、その噂を広めたの俺と大塚だし」
 それを聞いた神田は落ち着きを取り戻す。涙目になっているのは触れないでおこう。
 「え……なんでそんな噂を広めたの?」
 愚問である。少し考えれば分かることは聞くもんじゃないぞ。
 「ヒント1・オオクワガタ」
 「答えだよそれ」
 ちなみに、立て札を作ったのも俺達だ。

 今回大塚とではなく神田と来たのは当然、彼女がいない繋がりで誘ったわけである。
 気が付けば他の奴等は全員なんだかんだで夏休みが忙しそうだし。主に女のせいで。
 そういうわけで、二人だけで絶滅危惧種のオオクワガタを乱獲して一儲けする計画を立てた、と言うわけだ。
 後は帰るだけ、なんだが……。
 「ねえ四谷……さっきこんな道通ったっけ?」
 不安げな声が後から聞こえてくる。リアクションが大きく恐がりな神田はおどかすと楽しいのだが、今はそんなことをする余裕は無い。
 俺はそれには答えず、必死に来た道を思い出していた。懐中電灯と電子ランタンで辺りはそれほど暗くないものの、明らかに見覚えのない方向に進んでいるのは自分でも分かっている。
 
 そう……俺は一つ、大事なことを忘れていた。
 いつも先導して山道を歩いていたのは、大塚の方だったのだ。俺はただ、ついて行ってるだけ。
 
 既に三十分ほど迷っている。この山、こんなに大きかったのか。
 「ねえちょっと休もうよ……僕もう疲れた……」
 息も絶え絶えに情けない声を出し、神田は木の根に腰を下ろす。だらしない奴だ。
 確かにここら辺は起伏が激しく、ちょっと足を踏み外したら木の葉にまみれながら転がり落ちていきそうだが、この程度でへばっていてはでは登山もできない。
 「あー……月が綺麗だねー……」
 すっかり疲れ切った様子でぼんやりと呟く神田。
 「すまない神田。お前をかわいがってるのはマスコット的な意味であって、ちょっと性的な目では見られないわ。お前が女だったらよかったのにな。はぁ……あ、上野がこの間女装少年掘りたいって」
 「I love youの意味じゃないよ! そのままの意味だよ! 何でわざわざ英訳するんだよ!」
 言われて空を眺めると、確かに月が綺麗だ。欠けることなく真円なその天体は煌びやかに、そして妖しく光を放っていた。
 「月に兎っているのかな?」
 まるで子供か女の子みたいな質問をする神田。まあ、似たような物だが。
 「んー、いねぇな。見た感じ」
 「見えるの!?」
 「嘘嘘。見えるはずないだろ」
 『四谷ならやりかねない』と聞こえないように小声で言ってるの、くらいは聞こえるけどな。
 
 ……む? 耳を澄ませると、神田の呟き以外にも聴覚情報が紛れ込んできた。
 「向こうで物音が聞こえるな。一つじゃなくて、二つ」
 「何だろう……人かな? それとも獣?」
 「人だったら帰り道分かるかもな。獣だったらとりあえず恩を売って美少女が恩返しに来る事を期待しよう」
 「……二度は無いとは思うけどね」
 面倒くさそうに立ち上がる神田を背に、俺は月の出ている方角へと歩き始める。

 道無き道をひた進む内に、俺達は周りの変化に気付いた。
 「木が……」
 「……薙ぎ倒されてるな」
 俺の胴回り程に太い木が四本ほど、何者かによって強い力で折られていた。
 「本当に熊がいるのかな?」
 神田は熊についてはそこまで恐れを持っていない様子だ。まあ正直、熊くらいなら追い払えるからな。俺が。
 「熊娘……ワイルドで獰猛でありながらも意外と素直な一面もある寂しがり屋で」
 「だからその線は無いって……四谷、これ」
 神田の指差す方を見る。倒れていない木の内のいくつかに、何か棒状の物が打ち込んであった。
 「五寸釘?」
 「にしちゃ大きいな。藁人形も無いし」
 その内の一つを引き抜く、木の内部まで深々と刺さっていたそれの正体は、別の木を削って作られた、杭か釘のようなものだった。
 先端が尖っていて、ちょうどこの間ぶっ放された鉄杭に形状が似ていた。
 ……何でこんな物が刺さってるんだ?
 一通り眺めた後、神田に手渡す。
 同じく色んな方向から眺めた神田が首を捻り、その木杭を元の場所に戻そうとした、瞬間。
 
 ドスッ。
 「え?」
 
 
 元の穴に、杭が存在していた。
 いや正確には、背後から飛んできた木杭が穴の開いた部分にすっぽり収まった、と言うのが正しい。
 「え? あれ? 何で?」
 神田の目には、穴から急に木杭が生えて出てきたようにしか映らなかったようだ。手に持った柱とそれを見比べている。
 俺が咄嗟に振り向くと。
 闇の中――木々を足蹴にし、ふんわりと跳ね回る影が一つ。
 それを追うように疾駆する、何者かの影が一つ。
 そしてそれらは――明らかにこちらに向かってきていた。
 
 「おや、どうしたのだ? もう疲れたのかえ?」
 追われている方が、腰まで伸びた黒髪に赤系の迷彩模様の和服を纏った背の低い少女で。
 「誰が疲れるもんですか! 大人しく土に還りなさい!」
 追っている方が、柿色の探検服に中折れ帽を浅くかぶった少女だった。背中には、先程の木杭が幾つも入った大きな矢筒が見える。
 
 
 ……二人とも妙な格好をしているが、どう見ても人間。それも両方が女の子とは、嬉しい方向に予想外だった。
 が。

 「それなら……」
 和服少女が空中で姿勢を変え、頭を下にして木を抱きかかえる。そして背筋を使い――
 「こいつはどうじゃ!」
 ――大木を『へし折り投げた』。
 木は痛々しい悲鳴を上げながら、探検家少女へと倒れかかる。
 「どうもこうもないわよッ!」
 探検家少女は飛び込み前転で倒木を回避し、立ち上がると同時に木杭を一つ真上に放る。
 「しーーー……」
 続いてベルトのホルダーから大きめのハンマーを取り出し、右手に強く握りしめる。そしてテニスのサーブの要領で――
 「……ねぇぇぇぇぇぇーーーー!!」
 ――木杭を『叩き打った』。
 打ち出された杭は、一直線に和服少女の心臓へと伸びていく。
 寸前まで迫ったそれを苦もなく躱すと、躱した先に更にもう一本。
 それすらも和服少女は紙一重で避け、余裕そうに着衣の埃を払った。

 ……何者だ、彼女達は?
 明らかに常人のそれではない戦い方をする女の子二人。何故争っているのかは知らないが、女の子が殺し合いをしていい理由などこの世には存在しない。
 俺はこっちに向かって来た杭のうち顔面に当たりそうだった一本をキャッチし、彼女ら二人の方へと歩き出す。残る一本は木にでも刺さった音がした。
 「ちょっと待った! 君達、争いは止めるんだ! 行き場の無い憎しみならこの俺が受け止めよう!」
 と、両手を広げて歩み寄る俺。彼女達も俺の存在に気付いたようで、争う手を休めた。
 
 「えっ、人!? 君、ここは危険よ! 何も見なかった事にして避難しなさ……いッ!?」
 「なんじゃ、お主は……死にたくなければとっとと帰るんじゃ……なッ!?」
 
 何とまあ、二人そろってずいぶんな驚きようだ。目を見開いて口を半開きにし、こっちを見ながら硬直している。
 まさか二人とも俺が好みのタイプだったとか……は、ないか。あっはっは。
 あっはっは………


 !?


 突如、俺は悪寒に包まれる。全身の毛と言う毛が逆立ち、汗腺から汗がどっと放出される。 

 彼女達は、『俺を』見ていたのではなく、『こっちを』見ていた。

 まさか。おい。待て。
 ものすごい、異常なまでの、かつてないほどの、『嫌な予感』を体で感じる。
 俺は恐る恐る、背後を振り返る。
 俺の目に映ったもの、それは――


 

 「なに……こ……え……?」
 
 腹部を木杭に深々と貫かれた、神田の姿だった。



       

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