僕は自分の体の異変に気づくまでに少し時間がかかった。
まず最初に来たのが違和感。時間を置かずお腹が苦しくなり、呼吸がほとんど不可能になる。
何事かと思って下を見たら、僕のお腹に太い杭が突き刺さっていた。既にシャツは赤に染まっている。
それを目で確認し、頭が状況を理解した瞬間。今まで感じたことが無いほど強く、そして鈍い痛みが襲い掛かってきた。
僕は自分の力で動くこともできず、だらしなく地面に膝をつき、そして倒れ込む。
「神田あああああああああああああああああああ!」
お腹から生えた杭が地面に接する前に、駆け寄ってきた四谷に抱きかかえられる。
それと同時に、僕はごぼ、と咳き込んだ。支えている四谷の膝元が、血飛沫で赤みを帯びる。
「ちょ……待て神田! 少し待て!」
四谷は片腕で僕を支えたまま、右手で顔を覆い、酷く震えながらただ前を見ている。顔は真剣そのものだ。
「落ち着け……落ち着け……これは……多分、抜いちゃダメだ……医者……ここからだと全力で飛ばしても山を出るのに十分……くそッ」
そう言って杭に触れないようにゆっくりと、その上で急ぎながら僕をお姫様抱っこする。
恥ずかしい、などは微塵も思わなかった。思う余裕がなかった。
「神田、三十分耐えろ! 無理に動くな! 呼吸を整えろ! ……あと目ぇ瞑って明日からの予定でも考えてろ……」
僕は三十分もこのまま耐えられるか分からなかったが、とにかく返事をしようと試みた。
が、口の中からは鉄の味がする血液で満たされていて、僕はそれをどうにか吐き出すことしかできなかった。
僕を支える四谷の足に力が入るのが、彼の腕から伝わってくる。
「……三十分!」
「待て、何処へ行く」
静かに、しかし力のこもった女の子の声が響いた。
「病院。ごめん時間が無いんだまた今度」
四谷はギリギリ聞き取れる程度の早口で答える。女の子の方を見向きもせずに。
「間に合わぬ。内臓を貫いておる」
しかし一歩を踏み出す前に、またしても女の子が四谷を呼び止める。
「……二十分!! いや、十分だ!!」
怒鳴るように答える四谷。女の子に対して声を荒げる四谷を、僕は初めて見た。
「そやつはあと二分で死ぬ」
どさ、と誰かが崩れ落ちる音がしたが、僕はその方向を見れなかった。
四谷の顔が蒼白く染まり、体の力が抜けていくのを肌で感じた。
死ぬ? 僕が? あと二分で?
視界が涙で潤む。またしても呼吸が止まり、口の中が血でいっぱいになっても、それを飲み込むことも吐き捨てることもできない。
自分の血に溺れながら、僕はすぐ後ろまで近づいている死を実感した。
いやだ! 死にたくない!
誰か助けて! 誰か!
四谷!
お父さん!
お母さん!
目白!
誰か!
誰か……!
誰か――
「うああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
四谷が、空に向かって吼えた。
それが――僕が最期に見た光景だった。
……ん……。
頬に何かが当たった。水のような何かが。
もう一滴当たると同時に、僕は目をかすかに開く。
「神田! 気づいたか!」
聞きなれた声。誰だっけ……。
「……四谷?」
僕は体を起こし、まだ覚め遣らぬ目で前を見る。
目の前にいるのは紛れも無く四谷だ。ランタンの光で照らされている。
「四谷……おはよ」
「神田ああああああああああああああああああああああああああ!!」
涙で酷い事になってる顔の四谷が、僕を思いっきり抱きしめた。骨がギリギリと軋み、万力で締められるように肩が圧迫される。
「痛い痛い痛い痛い! ちょ、何するの!」
僕は慌てて四谷を突き飛ばす。四谷はばたりと倒れた後、「ぼへへへへ」と泣き笑いのような変な声を出していた。
「四谷……あまりにモテないからって僕を襲うのはちょっと引くよ、正直」
肩を回しながらそこまで発言したところで、ふとある事に気づく。
思いっきり抱きしめられている状況から四谷を突き飛ばした?
僕の力でそんな事できるわけがない。
四谷は邪魔な掃除用ロッカーを簡単に折りたためるほどの力を持ってるのに。
おかしい。今の僕はどこかおかしい。
四谷がおかしいのは元々だからいいとして。
……そもそも、何で僕は寝てたんだっけ……?
改めて辺りを見回す。
右には何やらにやけている、可愛い着物の女の子が座っていた。目つきが鋭く、見た感じ僕より年下なのに大人っぽい笑い方をしている子だ。
「あ、こんばんは……」
誰だろう? 一応挨拶はしたが、彼女は僕の記憶に存在しない人だった。
左には……。
……女の子が土下座していた。
「この度は真に、真に申し訳ございませんでしたっ!! 本当に、本当に、本っ当に何と言ってお詫びをしたものか……」
「え、あの、ちょっと」
ゴスッゴスッと強い打撃音を立てながら、その女の子は何度も何度も頭を地面に叩きつけている。
地面には丸いながらも石が置いてあり、まるで頭突きで石を割る訓練をしているかのようだった。
そのはっきりとしながらも悲痛な声に、彼女の誠意を疑う余地など無かった。
そもそも、何で僕はこんなに謝られているんだろう……。
「と、とりあえず顔を上げてください。頭割れちゃいますよ」
僕が慌てて石に手を置くと、そこに一回頭突きが飛んできた。痛い。
彼女は頭をゆっくり上げると、おでこを両手で押さえてうずくまる。
「いたひ……」
やはり相当痛かった様子だ。そりゃあね……。
それでも彼女は、涙目になりながら僕に向き直り頭を下げる。
探検家のような格好をした彼女は、長い髪を後ろで束ねていてスポーティーというか、行動力のありそうな子だった。今は泣いているけど。
「いや私の頭とかアレですよ、割れた方がいいんですよ。もう本当に」
「お主の頭がアレなのは今更言わんでもよかろう。ブフッ」
「アンタは黙りなさい!」
右手の少女が笑いを堪えながら茶々を入れてきた。どうやら、二人の仲はあまり良くは無いみたいだ。
「おや、そんな口を利いてもいいのかえ? わしがいなかったらどうなってた事か」
「アンタがいなかったら私は今頃ベッドで寝てるわよ!」
……と思ったが、二人のやりとりは姉妹喧嘩のようにも見える。案外仲は良いのかもしれない。
探検家の子はもう一度僕の方を向くと、まだ足りぬと言った様子で頭を深く垂れる。
「本当にごめんなさい。私も死んだ方がいいですよね。そうだ、とりあえず私もお腹刺します。切腹します。償いにもなりませんが」
そう言って彼女が横の篭から取り出したのは木柱。
……あれ、これどこかで……。
四谷は起き上がり、涙を拭いながらも笑顔で僕に言った。
「いや、ほんと死ななくてよかったな、神田」
え?
「あ、いや正確には今現在死んでいるって言うか……」
え?
「まあ気を落とすでない。そう悪い事ばかりではないぞ」
え?
三人の言うことは、何か要領を得ない。
僕は根本的な疑問を三人にぶつける。
「あの……ちょっと記憶が曖昧なんだけど、僕は何で寝てたの?」
四谷は「ああ、言ってなかったっけ」と言い足を組み、探険家の子は本格的に気まずそうな顔をし、着物の子は何やら妖しげな表情を浮かべる。
……なんだろう。ものすごく不安になってきた。
「えっとな、この二人が何か争ってて、流れ弾……って言うか杭が飛んできて、俺はそれ受け止めたんだけどお前に直撃しちゃってさ。ゴメンなーほんと」
そうだ。僕は杭に貫かれて死にそうになって……。
お腹の傷、と言うか穴を確認する。
しかしそれは服についた血を残して、綺麗さっぱり無くなっていた。
確かに貫かれたはずなのに。
「……それで?」
「あなたは死にました。私が殺しました。罪悪感に耐え切れないので殺して下さい。これを刺して下さい。どっからでもいいです」
と、彼女は杭を僕に手渡す。
いや、殺したと言われても……僕生きてるし。
僕はほっぺたを強めにつねる。痛い。
どうやら、幽霊じゃないみたい。
「いや、どう見ても僕死んで無さそうなんですけど……」
「ああ、それなんじゃがな」
和服の子が心底楽しそうに、僕に言った。
「どうせ死ぬんだし……と思って、わしの血を分けて吸血鬼にした。構わんじゃろ?」
僕はほっぺたを強くつねる。とても痛い。
どうやら、夢じゃないみたい。