開かなかったはずの屋上。
そこだけ真新しい、穴の跡のような色をしたコンクリートの上に覇気の無い四谷と奥歯を噛みしめている大塚が立っていた。
「で……何なんだよ、大塚」
目を腫らした四谷は大塚に問いかける。
大塚は腕を組んでいた。
「お前、諦めるのか?」
背景でけたたましく鳴いている蝉に負けじと、大塚は質問を被せる。
四谷が何か言う前に、更に大塚は問答を続けた。
「お前は運命とやらに負けるのか? お前はこれでいいやって投げ出すのか? 答えろよ」
「……」
四谷は、答えない。
「答えろ」
「……」
四谷は、下を向いている。
答えないのが、答えだった。
大塚はそんな四谷を見て、肺の底から酸素を全て吐き出した。
つかつかと四谷に近づく。
「お前、いつからそんなに弱くなったんだよ、おい」
大塚は目尻を引き攣らせて、四谷の目を見据える。
蝉の鳴声で掻き消されそうなほどの声で、ようやく四谷は答えた。
「……最初から俺は強くなんて無かった」
右。
大塚の拳が、四谷の顔面に刺さった。
「! お……」
「待て」
飛び出そうとした渋谷を手で制する。
「大塚の好きにさせてやれ」
「……うん」
思いっきり殴られた四谷に、反応らしき反応は無かった。
口元だけ、僅かに動かす。
「……ごめん、大塚」
「ごめんじゃねえッ!」
堪りかねたかのように声を荒げ、四谷の鳩尾に蹴りを叩き込んだ。
ドッ、と言う音が腹の辺りから響いても、四谷は少しも動かなかった。
それでも大塚は四谷を殴る。疑う余地もなく、全力で。
「ふざけんなこの野郎ッ!!」
それはもう、ほとんど悲鳴だった。
二撃、三撃と顔を打つ。
動かない四谷を相手に拳を……いや、自分を叩きつけていた。
「お前はなぁ! 強くて! 無敵で! 最強で! 誰にも負けなくて! お前は、お前は……」
大塚の拳は濡れていた。
血で。
涙で。
「お前は俺だ!」
大塚の手首から嫌な音がする。
「俺のイメージする、最強の俺なんだ!!」
苦痛に顔を歪める。
「大切な人を、 自分の手で守れて!」
歯を食いしばる。
「兄貴と……お前と……肩を並べられる……」
それでも大塚の腕は、止まらなかった。
「俺の、理想なんだ……」
力無き腕が、四谷の頬に当たって、止まる。
「ぐっ……ああ……畜生……」
その拳は、痛かった。
大塚に。
渋谷に。
五反田に。
目白に。
上野に。
神田に。
俺に。
そして誰より……四谷に。
「止めろ大塚」
見かねた目白が屋上に出て、大塚を制止する。
「目白……!」
振りかぶる腕を掴み、それを眺める。
「折れてる。もう殴んな」
「邪魔をするな! こいつは俺が……」
大塚は鬼気迫る表情で言うも、もう拳に力を入れるどころか動かすことすら困難だった。
「俺もな、少し言いたい事ができた。こいつに」
そんな大塚を目白は軽く突き飛ばし、四谷の真ん前に立つ。
「四谷、さっきの話……ありゃ嘘だ。嘘が下手だな……俺もお前も」
「目白……俺は……」
と、そこで俺は上野に肩を叩かれる。
「新橋、先行くぞ」
「僕も……行かなくちゃ」渋谷が立ち上がる。
「やれやれ、俺の出番か」五反田が重い腰を上げる。
「四谷ぁ……」神田は泣きながらも、日光の下に出ていった。
俺も……四谷に、言わなくてはならない。伝えなくては、ならない。
「みんな……」
屋上に、八人が集結する。
「覗き見かよ、趣味悪いぞお前達……ああ、痛てぇ」
大塚は俯きながら手首を押さえて言った。
「悪い悪い、二人っきりで青春ドラマやってたからな。邪魔するのもアレかなー、って思って」
俺は大塚の頭を軽く叩く。
辛そうな表情の四谷を、全員が見ていた。
「う、うっ……四谷ぁ……僕も手伝うから……諦めちゃだめだよ……僕は四谷に諦めて欲しくないんだ……!」
神田は号泣しながら四谷を励ました。
「俺の未来は変化した。四谷、お前の手によってな。これから先どうなるかなんて、決まっちゃいないんだ。 童貞の系譜は……ここで断ち切る!」
上野は珍しく声を張り上げて諭した。
「四谷、僕は君の優しさを知ってる。君が報われない世界なんて、僕は信じたくないよ。僕も……四谷の力になりたい!」
渋谷は真摯な表情で伝えた。
「彼女がいるって素晴らしいぞ。欲しいんだろ、彼女! 出会いたいんだろ! 俺が出来たんだ、お前にもできるさ! 来いよ、こっち側へ! 俺が連れて行ってやる!」
五反田は親指で自分を指差し、微笑んだ。
「俺は神って奴を信じてねぇし、運命なんてのも興味ねー。俺はあの話が大嫌いだ。ついでにあの女もむかつくし、泣かしてやりてぇ。だから……あの話を嘘に変えてやろうぜ、四谷ァ!」
目白は拳で四谷の胸をドンと叩いた。
「頼む……俺に見せてくれ。お前はこんなもんじゃ無いって。想像を遙かに超える奴だって……神の力なんか無くてもお前は無敵なんだって! 最強の俺の存在を証明してくれ!」
大塚は振り絞るような声で、そう頼んだ。
「四谷。俺が思うに、人は運命を変えられない。でも……お前はただの人間じゃない。神様だったら運命の一つや二つ……自分で創ってみせろ!!」
と、そこまで言った所で俺は何か違う、と思った。
……そうだ。
「いや……お前が人間でも神様でも同じ事だ!『四谷孝文』なら、不可能を可能にできるんだよ! お前の力を知らない奴等に教えてやれ! 『四谷孝文』の前で、神秘とやらがどれだけ無力なのかをな!」
俺は本心を、四谷にぶつけた。
そう……俺達は馬鹿だった。
改めて考えて見ればわかるだろ、四谷の前に壁は意味を成さない事なんて。
「みんな……ありがとう、気を遣ってくれて。でも……俺には無理だ。運命的な出会いも……もう諦めた。そう、俺には諦められる」
「わけ」
「ねええええだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!」
一瞬、俺は空中を飛んだ。
校舎の窓ガラスが何枚か割れ落ち、屋上のコンクリートにヒビが僅かに入る。
天地が逆転して背中を床に打ちながらも、俺は笑みをこぼす。
……遅ぇよ、馬鹿。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」
警報の様な大音量で叫びながら、四谷は自分のワイシャツをビリビリバリバリと破きだした。
数秒もしないうちにワイシャツは布の切れっ端になり、上一枚だった四谷は半裸で空を仰ぐ。
「彼女欲しいに決まってんだろ!! 女の子と出会いたいに決まってんだろ!! 服借りるぞ!!」
そう言って大塚のワイシャツを素早く脱がし、身に纏う。
「痛てぇ! おま、何で破ったんだよ!?」
運良くTシャツを中に着ていた大塚は至極もっともなツッコミを入れる。
その表情は……心底嬉しそうだった。
見れば俺達全員、八人もれなく笑っていた。
「じゃ、ちょっくら行ってくるわ」
そう言って四谷は柵に上り、風景を見渡す。
「なんだ、助けはいらないのか?」
五反田に対し、一言だけ呟いて四谷は跳んだ。
「もう貰った」