Neetel Inside ニートノベル
表紙

Z軸を投げ捨てて
上野

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 「しっかし、何度言われても信じられねぇな……」
 俺は椅子に逆向きに腰掛け、黙々と読書に勤しんでいる荒川さんを遠目で眺めていた。
 
 謎の組織に追われていた美少女。その正体はあの目立たない事で逆に有名なインドア系眼鏡女子……荒川さんの裏の顔だと言いだすのだ。
 教室の片隅で静かに本を読んでいる彼女に昨日の面影は見えない。
 ……いや確かに、改めて観察すると彼女は果てしなく地味なだけで、決して容姿が悪いわけではない。
 問題はその性格、態度だ。今、「老人と海」を熟読してる彼女が「アンタには関係無いでしょ」だの、「殺すわよ」だの、そんな刺々しい発言をするとは到底考えられない。
 「俺だって疑ったさ。目も耳もな。だけど聞き間違いでもないし、俺の視力は両方2,0だ……女ってのは恐ろしいな、全く」
 窓枠に腰掛け足を交差させ風に髪をまかせてている、大塚。彼が俺の一人言に答えた。視力2,0では自慢にもならない。
 「そういやお前、あのJCはどうしたんだ?」
 JC?
 はて、JCとは何の略だったっけ……?
 大塚は構わず続ける。
 「お前確か、女の子は殴らないんじゃなかったか。何か部隊全滅させたらしいじゃん?」
 女の子、部隊、JC。
 三つのワードを呟いていたら、昨夜の出来事が思い浮かんだ。 
 ……ああ、JCって女子中学生か。
 「いんや、あの子は殴ってねーよ。他の奴等片付けてから俺、殴るフリだけして耳元で音を立てる。JC、ショックで倒れる」
 「他の奴等は?」
 「埋めた」
 「……」
 大塚が黙り込んだ。
 表情はもう笑うしかない、と言ったような乾いた呆れ笑いをしている。 
 「……えっと、生きてる……よね?」
 「だいじょぶだいじょぶ。手加減しておいたから」
 「……そう。まあ正直他はどうでもいいけどさ……あの子、任務に失敗したけど組織に戻ったら粛正とか拷問とかされんのかな?」
 「非合法超能力集団、ならやりかねないな。だが……そんな事は俺が許さん。お前もそうだろ大塚」
 「たりめーだ、そんなの見過ごしてたら男の恥だぜ。つくづくお前とは気が合うな」
 ぱしん、と自らの拳を左手に叩きつけ、大塚は揺るぎない意志を表明した。
 猪突猛進な所はあるが、大塚はこういう時にとことんまで付き合ってくれる。非常に頼もしい奴だ。
 
 「女子中学生を性的な意味で拷問と聞いてやってきました」
 そう思ってたら後ろから会話に割り込んでくる男が一人。
 「お前ちょっと黙れ」
 「帰れ上野! このオールマイティー変態野郎ッ!」
 
 上野。
 整ったと言うよりは機械で製造したかのように癖の無い顔をしていて、あまり表情を崩すことがない。容姿だけ見れば十分美男子の部類に入る。
 口を開かなければ簡単に彼女など作れるだろうが、顔に合わない口数と妙にリアルな性癖で損をしている奴だ。 
 
 「……と言ってみたはいいものの、本当にそんな事やってる組織なのかわからないけどな。そもそも場所知らないし」
 落ち着いて考えると、超能力を行使できる人材なんて限られてるだろうし、一回二回程度のミスで厳罰を与えるほど暇な組織だろうか。
 大塚によれば、敵の幹部と接触するも簡単に見逃されたらしい。任務の重要度も大した事が無いようだ。
 「あー……じゃ、とりあえず知ってそうな奴に聞いてみるか」
 大塚も冷静になったようで、帽子を外して携帯を取り出しメールを打ち始める。
 「送信、っと」
 「誰に送ったんだ?」
 大塚は顎で前方を指す。
 顎の先には、超能力少女がページを捲る手を止め、携帯を取り出している……。
 「荒川さんかよ。直接言え直接」
 「『そっち』関係の話は口に出すなってさ……お、返信早いな。
 ……『そんなのあるわけないでしょ。せいぜい減給が有るか無いかくらいよ』、だってさ。随分と寛大な組織だな」
 そう言って窓枠から飛び降り、全開の窓を半ばほどまで閉める。
 『ケーリュケイオン』、どうやら構成員にはちゃんと給料を与えているようだ。
 やはり昨今の就職難を乗り切るには超能力の一つや二つ持っていないといけないのだろうか。
 「『あとアンタ達声大きすぎ。なんなら声が出なくなるまで拷問してあげましょうか?』……わぁお、恐ろしい」
 大塚は徐々に声を潜めながら読んでいくと、物騒な発言にヒヤリとさせられた様子だ。
 当の荒川さんは何食わぬ顔で読書を再開している。どうやら彼女はキツイ方が素の性格らしい。
 
 うーむ……。今の姿も悪くはないが、いかんせん地味すぎる。
 昨日の彼女は息を飲むほどに美しかった。ずっとあのままでいればいいのにと思うほど。
 しかし、性格は『物静かな図書委員』の方が好みだ。
 文句を言うつもりはないが、どちらかと言えば暴言が無い方が付き合いたい。そう感じるのは普通だろう。
 見た目か、中身か。くそ、迷うな……。
 いや、いっそのこと一粒で二度おいしいと考えれば……。
 
 「現役女子高生に性的な意味で拷問か……。胸が熱くなるな」
 「お前やばいよ。多分もう引き返せないよそれ」
 「五反田ーここに生け贄いんぞ生け贄ー。こいつで四谷の彼女召喚してやれー」

 
 窓から空を見上げてみれば、すっかり入道雲が幅を利かせていて。
 照りつける太陽は光速で紫外線をバラ撒き、熱くてかなわんと蝉が文句を垂れ流している。
 
 もうすぐ、夏休みだ。
 素敵な出会いを期待しながらも、とりあえず俺は荒川さんのアドレスを聞いてみることにする。



  
 
 
 

     

 「ふむ。やはり思った通りだ」
 屋上へ出る通路の前で俺は呟いた。
 眼前にあるのは「開閉禁止」とだけ張り紙がしてある、無機質な鋼鉄の扉。
 この扉は押しても引いても、もちろん上に押し上げても開閉しない。我が校の生徒なら誰でも知っている事だろう。
 鍵がかかっていると思い込んだ不良グループが鍵穴に針金を差し込んで開けようと試みたことがあったが、いくら回しても扉はびくとも動かなかった。
 それもそのはず。この扉に鍵なんて最初からかかっていなかったのだ。
 大方、扉が閉まったときに何かが詰まったか、錆ついてしまっているか、扉の造りが甘くハマってしまったか……と言った所であろう。
 「じゃ、本当に開くんだな?」
 鍵がかかってない扉を開く鍵。四谷の問いに俺は無言で頷いた。
 彼はドアノブに手をかけ、右に捻り込む。そのまま半身になって、ドアに横蹴りを叩き込んだ。
 「よーい……しょっとくらぁ!」
 バン、と言う音と同時に、目の中にまばゆい光が飛び込んできた。
 長い間固定されていたドアは完全に開き、蝶番がかん高い音をひり出す。
 生暖かい風が俺達を通り抜け、足下に転がった針金が階段から落ちていった。
 「おおー」
 「よし、行こうか」
 そうして、俺達は屋上へと出た。

 日光がさんさんと降り注ぎ、コンクリートを照りつけている。
 上から下から熱気に挟まれて地獄のようなこの屋上に、俺は用があった。
 「見ろ上野、改めて見ると空めっちゃ青いぞ。青天の霹靂って奴だな」
 目に差し込む太陽光を手で遮りながら、空を仰ぐ四谷。
 「四谷。青天の霹靂は『ものすごく青い空』と言う意味じゃない。『青い空に突然雷が振ってくるように、思いがけないことが突然やってくること』だ」
 「マジで!? じゃ俺がこれまで『語感がカッコ良いから』って理由で何かにつけて青天の霹靂青天の霹靂言ってたのは端から見ると苦笑ものだったって……ことかよ!?」
 愕然としている四谷をよそに、俺はポケットから双眼鏡を取り出す。
 北側の柵に近寄り、斜め下に向かって双眼鏡をのぞき込むと、そこには――

 ――肌を露わにし、水と戯れる女子達。
 そう、今は他クラスが水泳の授業の真っ最中である。
 授業中、水着女子をゆっくりと観察する最善のポイントはここ、B棟屋上を置いて他には無かった。
 一方、我がクラスの授業は日本史。やる気の無い教師がプリントを配ってその穴埋めをしているだけの退屈な授業だ。
 評価もテストの点でほとんど決まるので、休んでも全く支障など出ない。
 よって俺達二人はここで学生生活をよりよいものにするための精力的な活動に励んでいる、と言うわけだ。
 ……四谷の中間テストの結果は凄惨極まりないものだった記憶があるが、本人がいい、と言うからにはいいのだろう。
 
 「いやあ、ここからでは艶めかしい肢体がいくらでも拝み放題ですね上野君」
 隣から興奮した様子語りかけてくる、四谷。
 ここからプールまではかなり距離があると言うのに、裸眼で眺めている。……はず。いちいちそんなことを確認するほど俺は暇ではない。
 彼の言う通り、この場所は奇跡的なポジショニングだ。
 ここから下の階からプールを見ても、ブロックに定評のある巨大な松の木、通称『天国の守護者(へヴンズ・ガーディアン)』に遮られてしまう。
 高さ、横幅、位置、角度。どれをとっても非の打ち所のない完璧なるディフェンス。
 まさにあいつは……隆々とそびえ立ち、見る物に絶望を与える、一枚の『壁』だった。
 
 そして俺達は……壁を乗り越えた。
 身を灼く地獄の真っ只中で、天国を掴み取ったのだ。
 
 幼児体型からモデル体型、肉感的なボディまで多種多様な体格をした女子達が縦横無尽に泳ぎ戯れる様は、芸術的であると同時に官能的でもある。
 欲を言えば自分一人で見ていたかったが、そうはいかない理由が二つある。
 一つは勿論、扉を開けるには四谷の力が必要である、と言う事。
 そして二つ目は……。

 一人で見ていたら、俺は途中で我慢できずに下を脱ぎ出すに違いないからだ。
 流石にそれは……まずい。人として。

 汗がとめどなく流れてくる。
 できることなら、今すぐ俺もプールに入りたい。そして女子の中に混じってきたい所である。
 だが、そう言うわけにもいかない。これからやらなければならない事もあるのだ。
 「さて、そろそろ始めるか」
 俺は双眼鏡から目を離し、ズボンのチャックをゆっくりと開放する。
 「おい待て、何を始める気だ」
 四谷が焦った声を出し、俺へと向き直ってきた。予想通りのリアクションをありがとう。
 「冗談だよ。こっちだこっち」
 そう言って俺はチャックを戻し、横に置いていた鞄の中から、ビデオカメラを取り出しセットする。
 ……四谷がいなかったら冗談では済まなかっただろうが。理性でコントロールできない自分が恐ろしい。
 「いやいや、そっちもそっちでまずいだろ。下手したら捕まるんじゃね?」
 「四谷……日本には『盗撮罪』と言う罪は無いんだ。盗撮で捕まる罪状は主に、『不法侵入』か『迷惑防止条例違反』。俺が撮るのは裸でも下着でも無い。水着だ。それに、彼女達は屋外で堂々と水着姿を晒している。何の問題があると言うのか」
 「え、そうなの? ……いや、でもそれはバレたら学校的には問題になるぞ、多分。ヤバくね? いいの? 人としてまずい気がするけど……。えー、って言うかどうしよ、これは止めるべきなのか止めないべき……な……の……か……?」
 四谷はきょとんとしたり慌てたり迷ったり顔をしかめたりと、随分忙しい。
 そして、最後のリアクションが妙に気になる。
 「四谷? どうかしたのか?」
 「あれ見てみ」
 俺の後ろを指差す。
 振り返るって見るも、そこにあるのはごくごく普通の住宅街が広がっているだけ。何もおかしい所など無い。
 「何? どこ?」
 「あれよあれ。オレンジのマンションの屋上にメイドさんがいる」
 メイド?
 あの召使いでヒラヒラした服で俺イチ押しの萌え対象の、メイド?
 オレンジのマンションはここから700mほど離れている。
 当然そこはよく見えないので、再度バッグの中から双眼鏡を取りだし、マンションの屋上に目を向ける。

 いた。
 顔まではよく見えないが、あれは確かにメイドそのものだ。
 この暑さの中で、ミニスカートではなくロングスカートと服装にこだわっていて、黒髪ショートボブにフリル付きカチューシャと、手堅くも見栄えの良い、素直で好感が持てるチョイス。
 何故か彼女は俺達と同じく、屋上から下を眺めているようだ。何かを探しているらしい。
 「何故メイド? て言うかあの娘かわいいな」
 「何を探しているんだ……?」
 俺達は撮影そっちのけで彼女を観察し始める。双眼鏡に勝っている四谷の視力が恐ろしいが、考えないことにする。
 首を振ってあちらこちらを眺めている彼女。その全てが疑問だが、恐らく俺達に疑問を解決する術は無いだろう。
 「あ」
 「どうした?」
 「こっち見てる。おーい結婚してくれー」
 確かに、さっきまでやや下を向いていた顔の向きがこちらを見ている。四谷は手を振っているようだ。
 次の瞬間。
 
 双眼鏡の視界から、彼女が突然消えた。
 「ん?」
 「おおおおおお……?」
 変な声を上げる四谷。俺は双眼鏡を外し、四谷に彼女がどうしたか尋ねる。
 「四谷、あの娘は?」
 「上」
 「上?」
 見上げると、青い果てない空が見えた。
 そして、その空から何かが振ってくるのも、見えた。
 だん、と地面を揺らし、10m前に着地したそれは時間をかけて立ち上がる。

 先程のメイドが、まるで人形か俺か、と言うような無表情でこちらを見据えていた。
 
 
 一体、どうやって……………………?
 …………………………………………………。


 !?
 

 何だ、この感覚は?
 メイドが空を飛んできた異常事態にも関わらず、俺はそれ以上に、非常に気に掛かることがあった。

 彼女の輪郭。
 目。
 眉。
 鼻。
 口。
 耳。
 髪型。
 服装。
 体型。
 
 俺は知っている。俺の記憶に存在している。
 俺は間違いなく、彼女を……見たことがある。
 
 しかし、どこで? 
 
 「えっと……これが青天の霹靂でいいんだよな?」
 四谷の間抜けな声に、俺は返事を返すことができなかった。
 



 

     

 メイド。
 元々は使用人は男性がほとんどであったが、19世紀に中産階級の成長とともに女性の使用人が増加、職業としてのメイドが成りたったと聞く。
 20世紀末、極東の島国、日本でそのシックでモダンな服装や主に従う者と言う設定がオタクのハートを掴み、一つの萌えジャンルとして成立した。

 そして21世紀。
 メイドは、空を飛ぶ。


 飛んできたメイドは無言。違和感の正体を考えている俺も無言。四谷もどうしたものかと俺とメイドの二人を見比べているだけ、無言。
 蝉が喚き散らし、飛行機の音が響きわたる大音量の中で、俺は静けさすら感じていた。
 額から流れる汗が目に入り、それを腕で拭い取ったところで、気付く。
 あのメイドは、ほんの一滴たりとも汗をかいていない。
 この熱気の中で、体温調節のために発汗すると言う生理現象が起こらないはずがない。
 そもそも、遙か向こうのマンションから飛べるはずがないし、飛べたとしても体が耐えきれるはずがない。
 人間なら。
 
 ……どこだ?
 いつ、どこで俺はこの人を見たと言うんだ?
 
 メイドは僅かに口を開く。挨拶の言葉を期待していたが、小声で一人言を呟くだけだった。
 「……分析完了。対象が『上野 玲司』である確率……99,98%。上野玲司本人と断定します」
 
 口ぶりから判断するに、目的は俺らしい。
 嫌に機械的な台詞だが、彼女もどうやら俺を……



 機械?

 その言葉を反芻した瞬間、頭の中に膨大な情報が雪崩れ込んできた。
 記憶が逆流を始め、高速で追体験が行われていく。
 回り狂う過去を俯瞰で眺めながら、脳内の情報がバケツをひっくり返したように大量に降り注いでくるのを、感じた。
 中学。
 メイド。
 父親。
 夢。
 義務。
 表情。
 機械。
 ……アキ。

 全てが合致し、一つの大きな記録になる。

 「え、用があるのは上野の方なの? おいおいまたこんなパターンか……。ヘイお嬢さん、こんな水着の女子が見たいがために授業サボって屋上でのぞき見してる変質者より僕の方が頼りになりますよ、絶対」 

 四谷がずい、と俺を押しのけ彼女に歩み寄る。
 彼女……アキは四谷の顔など全く見ていない。じっと無機質的に俺を目視している。
 そしてもう一度口を小さく開いた。
 
 
 「モード、対象の殺害行動に移行します」
 
 
 全身の毛が、逆立つ。
 全くの想定外な発言に一瞬戸惑ったが、彼女が指先をこちらに向けたのを見て俺はすぐさま叫び、伏せた。
 「避けろ!」
 四谷もアキの発言を聞いて異変に気付いたのか、右方向へ大きくステップ。
 
 刹那。
 彼女の指から閃光が走る。
 同時に、後の柵に設置されていたビデオカメラが爆散して落下していった。
 
 「Oh...Fucking Crazy」
 一瞬の静寂の後、突然の事態に四谷が流暢な英語で喋りだした。相当混乱している模様だ。無理もないか。
 俺も一緒になって混乱したい所だが、そうはアキが許してくれない。指先から硝煙を吹き上げつつ、ただ事務的に再び俺に照準をつける。
 だが……その対策は一応知っている。
 俺の記憶によるとアキは無駄に弾丸をばら撒かずに、ひたすら急所を狙ってくるはずだ。
 よって正答は距離を取っての横移動。これで完璧とは言わずとも命中率が格段に下がるはず。
 
 そう思っていたが、間違っていた。
 彼女は俺に向けた右手を180度回転させ、まるで開いていたコンパスを閉じるように、手首を下に「折りたたむ」。
 露出した手首の断面から見える物は骨や神経などの体組織ではなく、闇。
 俺が間違えていたのは答えではなく、問題。
 
 ――こんな場所で「それ」か。
 誰だ、そんな無茶な命令を出した奴は。
 
 あまりにも痛恨過ぎるお手つき。俺は死を覚悟する。
 彼女の手からあと数瞬で放たれるのは……必殺のグレネード弾。
 それが自分に飛んで来るのを視認することなど、できはしない。
 人間なら。
 
 「――らあッ!」
 グレネードは割って入った者に投げ上げられ、遙か上空で爆発。その音も相まって、あたかも花火が打ち上げられたかのような光景だった。
 そう、ここには人外がもう一人。
 「冗談キツいね、お嬢さん」
 四谷は不適な笑みを浮かべながら、アキと相対する形になる。
 グレネードの破片が俄に降り注いで来る中、アキは初めて四谷に視線を寄越す。 
 「四谷、逃げるぞ!」
 俺は四谷の腕を引き、屋上の扉から中へ飛び込んだ。
 「え、逃げるの? 俺が思うにあの娘、『ケーリュケイオン』かなんかに捕まって改造手術され心を失ったサイボーグ少女なんだよ、多分。うん。こう、優しく抱きしめて人の温もりをだな」
 「残念ながら、その妄想はハズレだ。彼女……『葉原 秋』は多目的ロボット。最初から心なんて存在しない」
 そのまま階段を下り、特別教室横の廊下を駆けてゆく。
 「何でそんな事知ってるんだ? まさかお前、性的願望を満たすために秘密裏にあんな美少女ロボットを造っていたとでも……。いや、いくらお前がド変態で頭良くても、あんなロボットは造れないか」
 
 

 「造ったんじゃない。……これから造るんだ。恐らくな」

 その言葉を言い終わると同時に、前方の天井が派手な音を立てて吹き飛ぶ。
 陽光がスポットライトのように照らすその円の中に、物言わぬメイドが華麗に降り立った。

   
 俺が彼女を見た場所。それは――

 頭の中、だった。



     

 アキは俺を確認するや否や、左肘をこちらに見せるように振り上げた。 
 目立つことは全くないが、アキのメイド服には数カ所、穴が開いてる部分が存在する。
 服がほつれてできた穴でも虫食いの穴でもなく、アキの構造上の問題で意図的に作られたものだ。
 その内の一つ、左肘の穴から刃渡り40cmの高周波ブレードが顔を出し、日輪に煌めく。
 「……つまり、未来からやって来たアキちゃんが造り主のお前をぶっ殺しにきた、って?」
 「どうやら、そう言う事らしい……四谷、あれには触れるな。下手すればお前でも一刀両断だ」
 あれはアキの武装の中でもかなり危険な部類に入る。
 なんせアレは中学時代に、
 『超高速振動することによりどんな物質でも素粒子単位で切り分けられる刀』
 と言う凄まじい設定を創ってしまった。
 どこまで設定に忠実なのかは知らないが、アキの姿形が俺の想像と細部まで同じなのを見るに……再現率の低さには期待できない。
 少なく見積もっても、鋼鉄程度なら羊羹のように切断するだろう。
 「一刀両断ておま……」
 四谷が言い終わるよりも早くアキは右手でブレードのスイッチを入れ、間髪を入れず俺目掛けて突風の如き速度で突進してきた。
 俺が飛び退くより声を上げるよりずっと早く、反応すらままならないままブレードは眼前に迫る。

 が。
 鼻先五分でそれは止まる。
 「んなもん人に向けるなって……て言うかんなもん作んなって……」
 紙一重で四谷はアキの右腕を掴み、ブレードは俺の目の前で静かに空回りを繰り返す。
 四谷がアキの腕を押さえていなければ俺の顔面は綺麗さっぱり上下に分割されてた所だった。
 「捕まえたぞ! どうする!? 乳首ダブルクリックで止まるか!?」
 大声で叫ぶ四谷。アキは左腕を必死に動かすも、ブレードを押し込むことができない。
 「緊急停止スイッチは首の後の小さな黒子だ。それを押し込めば止まる」
 俺は壁伝いにゆっくりと移動し、首の後の黒子を確認する。
 いざ押そうとしたその時、アキの右手から9mmパラベラム弾が乱射され四谷の胸部へ次々と突き刺さった。
 「あばばばばばばばばばばばばばっ!!」
 ……いや、突き刺さらなかった。銃弾は次々と四谷に命中しては地面に落ちて転がり、床には薬莢と弾丸が大量に散らばり、ぶつかり合って転がりゆく。
 大したダメージこそ無いが、まさか撃たれるとは思っていなかった四谷。突然の痛みにその腕を放してしまった。
 拘束が解けたらすぐに襲いかかってくると思っていたが、意外にもアキは一旦俺達から離れて様子を見る。
 今度は俺をではなく、四谷の。
 「……対象Bを任務の妨げになると判断。準殺害対象と認識します」
 例によって事務的な口調で呟くアキ。邪魔者はすぐに始末するべきと考えたのだろう、飛び込むような一足の踏み込みで四谷を射程に捉えて、ブレードを突き刺す。
 
 胸へ。
 躱す四谷の、服を掠める。
 「危なっ」
 横薙ぎに、首へ。
 しゃがむ四谷の、髪を刈り取る。
 「ちょまっ」
 そのまま勢いをつけてジャンプし空中で一回転、頭上から縦一閃に切り下ろす。

 ――しかし、その軌道は四谷に読まれていた。
 「やめなさい!」
 迫り来る刃は横から思いっきり殴りつけられる。
 『俺が考えた最強の高周波ブレード』は根本からへし折れ、吹っ飛び、回転し、窓を破壊して、尚も飛揚し、はるか遠く……校庭の真ん中に見事に突き立った。
 ……なんとも、形容し難い感情だ。

 「いって、くそ……」
 四谷が苦痛に顔を歪める。ブレードを殴った右手からは真っ赤な血が滴り落ちて、フローリングの床に染み込む。
 それを見た俺も心臓が締まるような思いに駆り立てられる。
 自分の妄想に殺されるのはまだしも、自分の妄想で友人が傷つく気分は、最悪の一言だ。
 
 「四谷、構わん! 叩き壊せ!」
 俺は自分でも驚くほどに声を荒げた。
 「断る。女性を殴る拳は持ち合わせてない」
 一瞬の思案もせずに、答えが返ってくる。
 そう言っている間にもアキは俺を狙い撃ち、四谷はその銃弾を右手で弾く。
 鮮血が壁に床に飛散し、廊下は薬莢と血で彩られた戦場へと変わっていくようだった。
 「だから、そいつは……!」
 「わかってるッ!!」
 
 学校中に響くような四谷の怒声に俺はおろか、アキまでがその動きを止めさせられた。
 
 「ロボットだろうがなんだろうが、死んでも女は殴らん! 俺は……差別主義者、なんでな」
 四谷が口の端を吊り上げて笑ったのが、後からでもよくわかった。
 
 「お前達、何をしている!」
 そこで、ようやくと言うべきか一人の先生が奥の階段を上がってきた。
 この混沌とした光景を見て、怒りよりも本当に何が起こったのかわからないと言った表情をしている。
 アキはそれを横目で確認する。あくまでも俺達を意識しながら。
 しかし、四谷はその一瞬を隙ととらえた。
 すぐさま俺の腕を掴み、
 「行くぞ上野!」
 と叫びながら先程割られた窓から飛び降りる。
 馬鹿、ここは3階だ……と言おうとしたところで、3m下の部室棟に渡ろうとしていることに気付き衝撃に備える。
 どうにか、着地。上履き越しに足の裏から膝まで強い衝撃が走り、思わず俺はへたり込んでしまった。
 「まだだ!」
 突然飛び降りをさせられて心臓がバクバクと鳴っている俺を背負い、助走をつけて校庭へと大きく跳躍。
 
 21世紀。
 高校生は、空を飛ぶ。


     

 70kgの重りを感じさせずに飛距離を伸ばし、四谷は先程のブレード付近へと砂煙を巻き上げながら見事に下り立った。
 みし、みし。と俺の内部から多数の骨が軋む音がし、何倍もの重力に近い『圧』が体を襲ったが、歯を食いしばって耐える。
 「大丈夫か……って、お前本当に無表情だな……」
 俺を下ろした四谷が呆れた様子で言った。今はもう意識していないが、無表情は癖になってしまっているようだ。
 俺は突然のスリリングな出来事とその衝撃で過呼吸気味になり、まともに返事ができなかった。
 ただ頭を振り回すように頷き、俯きながら呼吸を整える。
 校庭には俺達以外誰もいなかった。今プールを使っているクラス以外は、どこの学年も体育の授業は入ってないらしい。
 それほど時間を空けずに、何食わぬ顔でアキも校庭へと降り立つ。やはり逃げることは不可能ということか。
 疲弊した俺と四谷を交互に眺める鉄の乙女。アキはどの武装を使えば俺達を……いや、四谷を殺しきれるか計算している。
 四谷がいなければ俺など数秒で肉塊にできるのだから。
 「格闘戦に持ち込めれば……捕まえられる事ができる。捕まえたらすぐにスイッチを押せ、いいな」
 腰を低くして両腕に力を込め、四谷は俺の前に仁王立ちした。完全に待ちの姿勢へと移行し、後の先を取る形になる。
 相手の攻撃を受けるのを、覚悟の上で。 

 そして恐らく次は……『切り札』と『奥の手』が来る。

 
 アキの計算が終わる前に、俺は四谷に言わなくてはならない事があった。
 「四谷」
 「あ?」
 「頼むから、アキを壊してくれ」
 「やだ」
 「死ぬかもしれない。お前が」
 「死ぬかよ。……壊してほしいのか?」
 「ああ」
 「わかった、壊さない」
 「次は多分、とっておきがくる。受け止めるな、避けろ」
 「わかった、受け止める」

 ああ、そうだ。いつだってこいつは――。 

 「衝撃波緩和装置、機動」
 タイムリミット。
 アキの細い肩から腕から腿から臑から背から脇腹から、小型の扇風機にも見える機械がせり出てきた。
 同じタイミングで反対方向から衝撃波をぶつけて、自他への影響を少なくするための装置だ。
 つまり、これからアキはほんのわずかの間『衝撃波が発生するような速度で動く事ができる』。
 そして、同時に左掌にピンポン球くらいの穴が開き、深淵を覗かせる。
 ここから発射されるは、アキの骨格の一部。人間で言うと肘の先、橈骨と尺骨の部分に当たる。
 それらを合体させ一本の太い骨にしたような、チタン合金製の無骨な杭。
 これが左手から発射され『地平線の彼方まで減速無しでかっ飛んでいく』。
 どちらか一つ使うだけでも大和型戦艦を大破できる、立派な戦術級兵器と言えよう。
 この兵器を同時併用し威力を加算ではなく乗算する最終戦術行動『無影無踪』は、生物に使用するにはあまりに過剰な破壊力である。
 それが今、俺の友人に対して向けられている。
 
 「カウント、5から……5」
 四谷の構えとは対照的に、自然体で四谷を見据えるアキ。
 三者、動かず。……いや、俺だけは二人と状況が違っていた。
 「4」
 体が、金縛りにあったように動かない。動けない。
 「3」
 舌が乾く。
 「2」
 唾が飲み込めない。
 「1」
 目を背けることが、できない。


 ゼロ、の声は聞こえなかった。
 ただ、わけのわからない爆音と台風の如き豪風に晒され、俺は横に吹き飛ばされて。
 起き上がって元の場所を見ると、そこに二人はいなくて。
 『無影無踪』の軌道の先にある塀が、綺麗さっぱり無くなっていて。

 「準殺害目標排除。駆動部損傷。総電力の78%を消費。戦闘力……13%に低下。任務の続行に支障無し。任務を続行します」
 元の場所から20mほど先。盛大に抉り取られた地面の上に、アキが一人佇んでいた。

 あの馬鹿、射線上にいた俺を庇ってアキの進路を無理矢理変えたんだ。そしてそのまま……。
 
 ……四谷……!
 
 先程の跳躍よりずっと重々しげにアキが近づいてくる。
 俺がふらふらで今にも倒れそうなのと同じかそれ以上に、アキはボロボロだった。
 左腕は装甲が剥がれ俺も深くは考えてない小型の機械が詰まってるのが見えるし、おろしたてのようだったメイド服はどうにか原型を留めている、と言った所だった。
 もう、手を伸ばせば届く距離だ。近くで改めて見ると、凛とした目つきに高すぎない鼻、潤いのある唇に小振りな顔。
 俺の想像にあったアキと寸分も違わない。いい仕事をしているな、俺。
 まあ、こいつに殺されるなら死に方としては幸福な部類に入るだろう。
 アキは無言で俺に右手を差し出す。当然、倒れそうな俺を気遣ってではなく、銃口を向けているだけだ。
 俺は重い両手を上げ、抵抗の意志がない事をアピールする。
 
 「あー、アキ。どうせもう俺は絶対死ぬわけだ。最後にいくつかいいか?」
 アキには文字通り血も涙も無いが、人工知能はこの状況からの逆転は100%無いと考えるだろう。
 少しの間の沈黙。そして銃をむけたまま一言。
 「……手短にお願いします」
 やはり、聞き入れてくれる。
 さっすがアキちゃん、話がわかる。
 「何で、誰の命令で俺は殺されるのかな?」
 「お答えできません」
 一蹴。
 「じゃあ……悪いけど、殺害命令出した奴に『死ね、この猫耳と露出とニーソと触手とふたなりとメイドフェチのロリコン野郎』って伝えといてよ」
 「『死ね、この猫耳と露出とニーソと触手とふたなりとメイドフェチのロリコン野郎』ですね、了解しました」
 顔色一つ変えずに鸚鵡返しするアキ。
 さっすがアキちゃん、機械的。
 「そして最後に……」
 俺は自分が出せる最速を以てアキの両手首を掴み上げる。
 
 「捕まえた」
 さっすがアキちゃん、おバカだ。

 そんな俺の精一杯の行動に、アキは全く動じない。
 「抵抗は無駄です」
 捕まれた事など意に介せず、俺の脳天へ指先を向ける。そして――

 ――スイッチが、押される。



 
 しばしの静寂の後、崩れ落ちたのはアキだった。
 「俺……家帰ったらさ、黒歴史ノート全部探して焼き払うわ」
 息も絶え絶え、血みどろ土まみれの状態で塀の向こうから大ジャンプを決めた人外が、緊急停止スイッチから手を離す。
 「お疲れ。本当にすまなかったな、四谷」
 「本当にすまなかったで本当にすんだら千葉県警は烏合の衆だぜ!?」
 四谷は疲れと怒りのあまり、よくわからない事を口走った。
 何だこりゃ、何だこりゃと言いながら高周波ブレードの隣に持ってた杭をぶっ刺す。
 「悪かったって。俺もアキも無事なのはお前のおかげだし感謝もしてるが、アキを壊さなかったのはお前の判断だぞ」
 「こんなかわいい娘殴れるかっつーの! あ、そうだ。助けたんだからアキちゃんとの交際をお許し下さいお父様」
 「貴様にお父様と呼ばれる筋合いは無い……おい、起きろアキ」
 俺は背中のパネルを開き、12桁の暗証番号を打ち込む。ついでに挟まっていた紙切れを抜き出した。
 初期化完了、これで俺がアキのマスターだ。
 アキが閉じていた目を開き、寝ぼけまなこで俺の指紋と眼球を認識する。
 「おはようございます、独立型多目的ロボット葉原秋です。何が起こったのか分かりませんが損傷率が非常に高いです」
 お前が暴れたからだよ、と言う言葉を飲み込んで俺は最初の命令を下す。

 「いいかアキ、お前は俺に生き別れの兄の面影を重ねていて、普段はご主人様と呼ぶがたまに『お兄ちゃ……きゃっ、ま、間違えました! 申し訳ありませんご主人様!』と狼狽し赤面しながら言うんだ。わかったな」
 「了解しました、お兄ちゃ……きゃっ、ま、間違えました! 申し訳ありませんご主人様!」
 うむ。タイミング、表情、仕草、口調と、教えてもいないのにどこをとっても完璧だ。俺は砂っぽいアキの頭を撫で、悦に浸る。 
 「凄いな。やはり猫耳と露出とニーソと触手とふたなりとメイドフェチのロリコン野郎は格が違うわ。つーかアキちゃんの方が表情豊かってどうなのよ」
 「家庭の事情だ、あまり気にするな」
 はいはい、と四谷は呆れたように呟く。
 「まーた俺だけ除け者かよ。マジもう、ねぇ? これ絶対なんか嫌がらせの類だよな。意味分かんない。つーか体痛い。病院行くわ」
 そして、ふて腐れる。
 いつもの事だが、今回ばかりは本当によく頑張ってくれたと思う。
 特別の、特別だ。
 

 「アキ、そいつにハグしてやってくれ」

 「了解しました、お兄ちゃ……きゃっ、ま、間違えました! 申し訳ありませんご主人様!」
 「え? ちょ、ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 授業終了のチャイムが鳴り響いた。
 四谷がアキに抱きしめられ「うおおおおお! 最高や! 上野はんは神やったんや!」と何故か関西弁になってるのを横目に、俺はさっきの紙を開く。
 中には、見慣れた流麗な書体で、一言こう書いてあった。

 「未来を変えろ」と。

 

       

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Neetsha