Neetel Inside ニートノベル
表紙

Z軸を投げ捨てて
神田

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 翌日。
 例によっていつもと変わらぬ登校時間、新橋に会うなり早口に尋ねられる。
 「お前と上野、昨日何で早退したんだ? 校庭や特別教室辺りの惨状は関係あるのか? ……え、つーか何で怪我してるのお前!? 四谷が怪我!?」
 次々と疑問を口に出すその途中で腕の包帯に気付き、目をひん剥いて驚く新橋。
 通行人が何人か振り向いてこちらを見るほどに、その声は大きく、更に早口だった。
 「落ち着け新橋。ちょっと色々あったんだよ。順を追って説明すると……
 上野と二人で屋上にいたらメイドが空から降ってきて……いや飛んできて、いきなり上野にサブマシンガンやらグレネードやらをぶっ放してきたんだ。
 何でも、そのメイドは未来で上野が造ったロボットなんだと。彼女は何故か過去、つまり今現在の上野を殺しにやって来たらしい。
 それで屋上をぶち抜いたり高周波ブレードで斬りかかったりと大暴れ。校庭に場所を移した俺達は、ついに彼女を止めることに成功する。
 その時に『敵に超音速で突進した上に鉄杭をぶち込む』必殺技をもらって通院するハメに。でも結構幸せだった。めでたしめでたし。生きる」
 俺はありのまま起こった事を話した。
 「何で!? いや、何で!?」
 新橋は人目もはばからず絶叫する。俺の肩を掴んで思いっきり前後に揺らそうとするが、生憎俺は揺れず動かず。
 「全編にわたって突っ込みどころが多すぎるんだよ! 何だメイドロボって? 何だ未来から上野を殺しに来たって? 何だ高周波ブレードって?」
 何だ何だと聞かれても、俺も詳しいことを知ってるわけでは無い。こっちが聞きたいくらいだ。
 「上野に聞けよ」
 「一番の疑問は四谷、お前だ! 何故超音速で激突されて通院で済む! むしろ何故生きてる! そして何故幸福を感じる!」
 随分ひどい言われようだ。俺が生きてて何が悪い。
 説明するのも面倒だったので、「だって相手は女の子なんだぜ?」と適当に答える俺。
 常識人の新橋はそれを聞いて黙りこくり、学校に到着するまでの十分間を悪い夢でも見たかのような顔で過ごしていた。
 
 いつものように教室に入る。俺にとっては普通だが、他の人にとっては普通じゃなかったみたいだ。
 「あれ、四谷が怪我……してる?」
 真っ先に気付いたのは渋谷。その小さな呟きを聞いた瞬間、クラスの全員の視線が俺に注がれた。
 怪我をしてない片手を軽く振って全員に挨拶すると「おはよー」とか「大丈夫?」とかの声がチラホラと聞こえてきた。
 「あはは、いやちょっと転んだだけ、大丈夫」
 そう笑いながら答えたら、みんな安心したような顔、あるいは、どうでも良さそうな顔をして注目は解かれた。
 極一部の男子及び、荒川さんを除いて。
 よっこいしょ、と席についたら、俺の周りにはいつものメンバーが群がってくる。それぞれ驚愕と疑惑の表情を浮かべながら。
 荒川さんも集まってこそ来ないものの、何やら俺の顔をじっと見ている。惚れたわけでは……無さそうだ。
 それと、上野もまだ来てないようだ。昨日の今日だ、休んでいても不思議ではない。
 「転んだくらいで怪我~? 嘘こきやがれ、どこで転んだらお前が怪我するんだよ。地雷原か?」
 「四谷どうしたの? 本当に転んだわけじゃあ……ないよね?」 
 「だから言ったろ四谷、モビルスーツ相手に素手で挑むなって」
 目白がいち早く口を開き、神田も同意見のようでそれに乗っかる。俺の嘘は看破されてしまっているようだ。当たり前といったら当たり前だが。
 五反田は珍しく携帯を持っていなかった。本人は冗談のつもりだろうが微妙に合ってる事が悔しい。 
 「まあ、ちょっと女の子にな。告白したらキツい一撃をもらった」
 「もしかして……四天王? 銀髪の奴にやられたのか? そいつ男だぞ」
 「違う違う、『組織』は関係無い。未来からやって来たロボットがさ」
 俺と新橋を除く五人はもう慣れたのか、その無茶苦茶な展開に驚くことも無く相手の予想を始める。
 「未来からやって来た……」
 「女の子のロボット……でしょ?」
 「四谷に怪我を負わせられる奴っていやあ……」
 「あ」
 「お、わかったのか五反田」
 五反田はフィンガースナップと同時に俺を指差す。

 「ドラミちゃん」
 
 「ああードラミちゃん……」
 全員が思い出したかのような声を出す。お前等はドラミちゃんなら納得するのか。
 「ドラミちゃんは実在しないって。まあ正解を言っちゃうと、未来で上野が造った多機能メイドロボが何故か現代の上野を殺しに来たから頑張って止めただけなんだけどな」
 と正答を教えてやる。
 「俺の中の常識だと『未来で上野が造った多機能メイドロボ』も実在しねーけどな」
 それに対し、皮肉っぽく目白は言う。俺も昨日までは同意見だった。
 「あ」
 「ん、どうした渋谷」
 渋谷は五反田の真似をして俺を指差す。

 「ターミネーター?」

 「それだ!」
 昨日からの既視感の正体に気付き、俺は渋谷を指差し返した。
 「……おはよう。何やってるんだ?」
 上野が教室に入ってきた。かなりやつれた様子だが、怪我は特に無いみたいだ。
 「あ、ジョン・コナーが来た」
 「おはようジョン・コナー」
 目白に合わせて大塚も上野をジョン・コナー扱いを決め込む。
 「……何の話だ、一体」
 「自分が造ったメイドロボに殺されかけたんだって? 冗談だと言えよ」
 新橋が未だに信じられないと問いかける。適応能力の低い奴だ。
 「殺されかけたのは四谷。俺はまあ、平気だよ」
 「そのロボはどうしたの?」
 「初期化した後、現在出来る範囲で修理した。今はただのメイドロボだ……一応」
 「だから当たり前のように言うけど『ただのメイドロボ』の時点で十分おかしいんだって。わかってねーだろ?」
 「て言うかさ、上野が考えて、未来の上野が造ったロボットなんだよな?」
 五反田が意味ありげな発言をする。
 「ああ、そうだ」
 「この中でぶっちぎりトップのアブノーマル度を誇る上野様が、まさか戦闘と家事以外の事は何も考えていないって事は……ないよな?」
 この中で二番目のアブノーマル度を誇る五反田様の発言に、俺達全員は息を飲んだ。
 まさか本当に自らの性的願望を満たすために……?
 「あー、上野ならやりかねないな。とても人間相手にはできない、むしろ口に出すのも憚られるようなプレイを」
 何やら理解してしまったように、大塚は同情的な表情を見せる。
 「な……何かやったの?」
 恐る恐る神田は尋ねる。それは確かに好奇心からくる質問だが、ホラー映画を見てしまうとか心霊スポットに行く、と言った方向の好奇心だった。
 全員の視線が集中する中、上野は静かに語る。
 「大した事はやってない。持ち帰ってどうしようか考えていた時に『お兄ちゃ……きゃっ、ま、間違えました! 申し訳ありませんご主人様! ご命令を』って言ってきたから、とりあえず指を舐めさせようとしたんだ」
 始めにとりあえず指を舐めさせると言うのが意味不明だが、そこは上野。
 「上野先生が教える『メイドを拾ったらどうするか』。その①、指を舐めさせます」
 そして、隣で大塚が謎の講習を始めた。 
 「俺が自分の指を口に含んだ後に差し出して『ほら、舐めろよ』って言ったんだ」
 「その②、まず指を自分の口に入れ、唾液を染み込ませませてから差し出しましょう」
 「頭おかしいよこいつ」
 目白の意見に、俺と神田が頷いた。当然、渋谷は苦笑い。
 「そうしたらアキ……ああ、メイドの名前な。アキの目の色が変わったんだ」
 その瞬間、ゴクリ、と言う音が確かに聞こえた。俺の音かもしれないし、となりの五反田の喉の音かもしれない。
 「アキはゆっくりと口を開いて……」
 「開いて……?」

 
 「『エラーが発生しました。その命令は禁止要項に該当します』と早口で言った後目にも止まらぬスピードで差し出した腕にアームロックをかけてきたんだ」
 
 「……」
 「……」
 「……」
 「……」
 「……」
 「……」
 「その③、アームロックを喰らいます」
 
 「その後、ありとあらゆる行為を試したが、どうやらセクハラ全般に反撃するように造られてるらしく今の俺には外すことができないんだ。おかげで右腕の可動域が増えてきた」
 ああ、だから妙にボロボロなのか。
 「馬鹿だろこいつ」
 目白の意見に、渋谷以外の全員が深く頷いた。




     

 「こんなもんかな……っと」
 俺は木に自家製の蜜を塗る手を休め、時刻を確認する。
 一時か。まあ、こんな所だろう。
 「で、朝になったらオオクワガタが取れるってわけだね」
 虫刺されを確認しながら、神田は俺に確認をする。山に入る前に丹念に虫除けスプレーを吹いていたが、それでも数カ所刺されているのは虫に好かれる神田らしい。
 「四谷は何カ所刺された? スプレー吹いてなかったよね?」
 「血を吸われたのは一カ所か二カ所。刺されたことは刺されたけどな」
 血に飢えたヤブ蚊共は、当然スプレーを吹いてない俺を狙ってきた。腕に止まり首に止まりとうっとうしかったが、俺は無視する。
 別に相手が虫だから無視するとかそう言う駄洒落を言いたいのではなく、相手にする必要性が無いから、である。
 俺の肌に張り付き針を血管に針を刺す蚊は、例外なく吸血を途中で諦め飛んで言ってしまう。そしてその内一匹も寄ってこなくなる……と言うことを俺は知っている。
 そうして蚊の群れはスプレー程度で身を守った気になっている神田に移動していく、と言うわけだ。
 実のところ、ちょっと筋肉に力を込めればそもそも蚊の針が刺さらないのだが、それも面倒なので早めに退散してもらっている。
 「なんでだろう……血、おいしくなかったのかな? 四谷は血液型何型?」
 「O。RH-だったりはしない」
 「あれ、僕と同じだ」
 神田は首をかしげ、今度は虫に刺された後に吹くタイプのスプレーをバックパックから取り出し全身に吹きかけ始めた。
 その上でやっぱりかゆいものはかゆいらしく、腕に爪で作った×印を増やしていく。
 「かゆい……それにしても、学校から一駅しか離れてない場所でオオクワガタが取れるなんて思わなかったよ」
 「穴場だからな、ここ。立入禁止の立て札もあるし、一時期熊が出たとか幽霊が出たとか有毒ガスが発生したとか色々噂あったからほとんど人が入らないんだよ」
 「え!? だ、大丈夫なの!?」
 慌て始める神田、全く、肝が据わってない奴だ。
 「大丈夫だって」
 「そりゃ四谷は大丈夫かもしれないけど僕は死ぬよ! ねえもう帰ろうよ! こんな所にいないで!」
 大声で喚き、パニックを起こす神田に俺は少し悪いことをした気分になる。
 「そもそも、その噂を広めたの俺と大塚だし」
 それを聞いた神田は落ち着きを取り戻す。涙目になっているのは触れないでおこう。
 「え……なんでそんな噂を広めたの?」
 愚問である。少し考えれば分かることは聞くもんじゃないぞ。
 「ヒント1・オオクワガタ」
 「答えだよそれ」
 ちなみに、立て札を作ったのも俺達だ。

 今回大塚とではなく神田と来たのは当然、彼女がいない繋がりで誘ったわけである。
 気が付けば他の奴等は全員なんだかんだで夏休みが忙しそうだし。主に女のせいで。
 そういうわけで、二人だけで絶滅危惧種のオオクワガタを乱獲して一儲けする計画を立てた、と言うわけだ。
 後は帰るだけ、なんだが……。
 「ねえ四谷……さっきこんな道通ったっけ?」
 不安げな声が後から聞こえてくる。リアクションが大きく恐がりな神田はおどかすと楽しいのだが、今はそんなことをする余裕は無い。
 俺はそれには答えず、必死に来た道を思い出していた。懐中電灯と電子ランタンで辺りはそれほど暗くないものの、明らかに見覚えのない方向に進んでいるのは自分でも分かっている。
 
 そう……俺は一つ、大事なことを忘れていた。
 いつも先導して山道を歩いていたのは、大塚の方だったのだ。俺はただ、ついて行ってるだけ。
 
 既に三十分ほど迷っている。この山、こんなに大きかったのか。
 「ねえちょっと休もうよ……僕もう疲れた……」
 息も絶え絶えに情けない声を出し、神田は木の根に腰を下ろす。だらしない奴だ。
 確かにここら辺は起伏が激しく、ちょっと足を踏み外したら木の葉にまみれながら転がり落ちていきそうだが、この程度でへばっていてはでは登山もできない。
 「あー……月が綺麗だねー……」
 すっかり疲れ切った様子でぼんやりと呟く神田。
 「すまない神田。お前をかわいがってるのはマスコット的な意味であって、ちょっと性的な目では見られないわ。お前が女だったらよかったのにな。はぁ……あ、上野がこの間女装少年掘りたいって」
 「I love youの意味じゃないよ! そのままの意味だよ! 何でわざわざ英訳するんだよ!」
 言われて空を眺めると、確かに月が綺麗だ。欠けることなく真円なその天体は煌びやかに、そして妖しく光を放っていた。
 「月に兎っているのかな?」
 まるで子供か女の子みたいな質問をする神田。まあ、似たような物だが。
 「んー、いねぇな。見た感じ」
 「見えるの!?」
 「嘘嘘。見えるはずないだろ」
 『四谷ならやりかねない』と聞こえないように小声で言ってるの、くらいは聞こえるけどな。
 
 ……む? 耳を澄ませると、神田の呟き以外にも聴覚情報が紛れ込んできた。
 「向こうで物音が聞こえるな。一つじゃなくて、二つ」
 「何だろう……人かな? それとも獣?」
 「人だったら帰り道分かるかもな。獣だったらとりあえず恩を売って美少女が恩返しに来る事を期待しよう」
 「……二度は無いとは思うけどね」
 面倒くさそうに立ち上がる神田を背に、俺は月の出ている方角へと歩き始める。

 道無き道をひた進む内に、俺達は周りの変化に気付いた。
 「木が……」
 「……薙ぎ倒されてるな」
 俺の胴回り程に太い木が四本ほど、何者かによって強い力で折られていた。
 「本当に熊がいるのかな?」
 神田は熊についてはそこまで恐れを持っていない様子だ。まあ正直、熊くらいなら追い払えるからな。俺が。
 「熊娘……ワイルドで獰猛でありながらも意外と素直な一面もある寂しがり屋で」
 「だからその線は無いって……四谷、これ」
 神田の指差す方を見る。倒れていない木の内のいくつかに、何か棒状の物が打ち込んであった。
 「五寸釘?」
 「にしちゃ大きいな。藁人形も無いし」
 その内の一つを引き抜く、木の内部まで深々と刺さっていたそれの正体は、別の木を削って作られた、杭か釘のようなものだった。
 先端が尖っていて、ちょうどこの間ぶっ放された鉄杭に形状が似ていた。
 ……何でこんな物が刺さってるんだ?
 一通り眺めた後、神田に手渡す。
 同じく色んな方向から眺めた神田が首を捻り、その木杭を元の場所に戻そうとした、瞬間。
 
 ドスッ。
 「え?」
 
 
 元の穴に、杭が存在していた。
 いや正確には、背後から飛んできた木杭が穴の開いた部分にすっぽり収まった、と言うのが正しい。
 「え? あれ? 何で?」
 神田の目には、穴から急に木杭が生えて出てきたようにしか映らなかったようだ。手に持った柱とそれを見比べている。
 俺が咄嗟に振り向くと。
 闇の中――木々を足蹴にし、ふんわりと跳ね回る影が一つ。
 それを追うように疾駆する、何者かの影が一つ。
 そしてそれらは――明らかにこちらに向かってきていた。
 
 「おや、どうしたのだ? もう疲れたのかえ?」
 追われている方が、腰まで伸びた黒髪に赤系の迷彩模様の和服を纏った背の低い少女で。
 「誰が疲れるもんですか! 大人しく土に還りなさい!」
 追っている方が、柿色の探検服に中折れ帽を浅くかぶった少女だった。背中には、先程の木杭が幾つも入った大きな矢筒が見える。
 
 
 ……二人とも妙な格好をしているが、どう見ても人間。それも両方が女の子とは、嬉しい方向に予想外だった。
 が。

 「それなら……」
 和服少女が空中で姿勢を変え、頭を下にして木を抱きかかえる。そして背筋を使い――
 「こいつはどうじゃ!」
 ――大木を『へし折り投げた』。
 木は痛々しい悲鳴を上げながら、探検家少女へと倒れかかる。
 「どうもこうもないわよッ!」
 探検家少女は飛び込み前転で倒木を回避し、立ち上がると同時に木杭を一つ真上に放る。
 「しーーー……」
 続いてベルトのホルダーから大きめのハンマーを取り出し、右手に強く握りしめる。そしてテニスのサーブの要領で――
 「……ねぇぇぇぇぇぇーーーー!!」
 ――木杭を『叩き打った』。
 打ち出された杭は、一直線に和服少女の心臓へと伸びていく。
 寸前まで迫ったそれを苦もなく躱すと、躱した先に更にもう一本。
 それすらも和服少女は紙一重で避け、余裕そうに着衣の埃を払った。

 ……何者だ、彼女達は?
 明らかに常人のそれではない戦い方をする女の子二人。何故争っているのかは知らないが、女の子が殺し合いをしていい理由などこの世には存在しない。
 俺はこっちに向かって来た杭のうち顔面に当たりそうだった一本をキャッチし、彼女ら二人の方へと歩き出す。残る一本は木にでも刺さった音がした。
 「ちょっと待った! 君達、争いは止めるんだ! 行き場の無い憎しみならこの俺が受け止めよう!」
 と、両手を広げて歩み寄る俺。彼女達も俺の存在に気付いたようで、争う手を休めた。
 
 「えっ、人!? 君、ここは危険よ! 何も見なかった事にして避難しなさ……いッ!?」
 「なんじゃ、お主は……死にたくなければとっとと帰るんじゃ……なッ!?」
 
 何とまあ、二人そろってずいぶんな驚きようだ。目を見開いて口を半開きにし、こっちを見ながら硬直している。
 まさか二人とも俺が好みのタイプだったとか……は、ないか。あっはっは。
 あっはっは………


 !?


 突如、俺は悪寒に包まれる。全身の毛と言う毛が逆立ち、汗腺から汗がどっと放出される。 

 彼女達は、『俺を』見ていたのではなく、『こっちを』見ていた。

 まさか。おい。待て。
 ものすごい、異常なまでの、かつてないほどの、『嫌な予感』を体で感じる。
 俺は恐る恐る、背後を振り返る。
 俺の目に映ったもの、それは――


 

 「なに……こ……え……?」
 
 腹部を木杭に深々と貫かれた、神田の姿だった。



     

 僕は自分の体の異変に気づくまでに少し時間がかかった。
 まず最初に来たのが違和感。時間を置かずお腹が苦しくなり、呼吸がほとんど不可能になる。
 何事かと思って下を見たら、僕のお腹に太い杭が突き刺さっていた。既にシャツは赤に染まっている。
 それを目で確認し、頭が状況を理解した瞬間。今まで感じたことが無いほど強く、そして鈍い痛みが襲い掛かってきた。
 僕は自分の力で動くこともできず、だらしなく地面に膝をつき、そして倒れ込む。
 
 「神田あああああああああああああああああああ!」

 お腹から生えた杭が地面に接する前に、駆け寄ってきた四谷に抱きかかえられる。
 それと同時に、僕はごぼ、と咳き込んだ。支えている四谷の膝元が、血飛沫で赤みを帯びる。
 
 「ちょ……待て神田! 少し待て!」
 四谷は片腕で僕を支えたまま、右手で顔を覆い、酷く震えながらただ前を見ている。顔は真剣そのものだ。
 「落ち着け……落ち着け……これは……多分、抜いちゃダメだ……医者……ここからだと全力で飛ばしても山を出るのに十分……くそッ」
 そう言って杭に触れないようにゆっくりと、その上で急ぎながら僕をお姫様抱っこする。
 恥ずかしい、などは微塵も思わなかった。思う余裕がなかった。
 「神田、三十分耐えろ! 無理に動くな! 呼吸を整えろ! ……あと目ぇ瞑って明日からの予定でも考えてろ……」
 僕は三十分もこのまま耐えられるか分からなかったが、とにかく返事をしようと試みた。
 が、口の中からは鉄の味がする血液で満たされていて、僕はそれをどうにか吐き出すことしかできなかった。
 僕を支える四谷の足に力が入るのが、彼の腕から伝わってくる。
 「……三十分!」
 
 「待て、何処へ行く」
 静かに、しかし力のこもった女の子の声が響いた。
 「病院。ごめん時間が無いんだまた今度」
 四谷はギリギリ聞き取れる程度の早口で答える。女の子の方を見向きもせずに。
 「間に合わぬ。内臓を貫いておる」
 しかし一歩を踏み出す前に、またしても女の子が四谷を呼び止める。
 「……二十分!! いや、十分だ!!」
 怒鳴るように答える四谷。女の子に対して声を荒げる四谷を、僕は初めて見た。




 「そやつはあと二分で死ぬ」


 どさ、と誰かが崩れ落ちる音がしたが、僕はその方向を見れなかった。
 四谷の顔が蒼白く染まり、体の力が抜けていくのを肌で感じた。

 
 死ぬ? 僕が? あと二分で?
 視界が涙で潤む。またしても呼吸が止まり、口の中が血でいっぱいになっても、それを飲み込むことも吐き捨てることもできない。
 自分の血に溺れながら、僕はすぐ後ろまで近づいている死を実感した。

 いやだ! 死にたくない!
 誰か助けて! 誰か!

 四谷!

 お父さん!

 お母さん! 

 目白!

 誰か!

 誰か……!

 誰か――
 
 「うああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 四谷が、空に向かって吼えた。 


 それが――僕が最期に見た光景だった。





















 ……ん……。
 頬に何かが当たった。水のような何かが。
 もう一滴当たると同時に、僕は目をかすかに開く。
 「神田! 気づいたか!」
 聞きなれた声。誰だっけ……。
 「……四谷?」
 僕は体を起こし、まだ覚め遣らぬ目で前を見る。
 目の前にいるのは紛れも無く四谷だ。ランタンの光で照らされている。
 「四谷……おはよ」
 「神田ああああああああああああああああああああああああああ!!」
 涙で酷い事になってる顔の四谷が、僕を思いっきり抱きしめた。骨がギリギリと軋み、万力で締められるように肩が圧迫される。
 「痛い痛い痛い痛い! ちょ、何するの!」
 僕は慌てて四谷を突き飛ばす。四谷はばたりと倒れた後、「ぼへへへへ」と泣き笑いのような変な声を出していた。
 「四谷……あまりにモテないからって僕を襲うのはちょっと引くよ、正直」
 肩を回しながらそこまで発言したところで、ふとある事に気づく。
 
 思いっきり抱きしめられている状況から四谷を突き飛ばした?
 僕の力でそんな事できるわけがない。
 四谷は邪魔な掃除用ロッカーを簡単に折りたためるほどの力を持ってるのに。
 おかしい。今の僕はどこかおかしい。
 四谷がおかしいのは元々だからいいとして。
 
 ……そもそも、何で僕は寝てたんだっけ……?
 改めて辺りを見回す。
 右には何やらにやけている、可愛い着物の女の子が座っていた。目つきが鋭く、見た感じ僕より年下なのに大人っぽい笑い方をしている子だ。
 「あ、こんばんは……」
 誰だろう? 一応挨拶はしたが、彼女は僕の記憶に存在しない人だった。
 左には……。
 
 ……女の子が土下座していた。
 
 「この度は真に、真に申し訳ございませんでしたっ!! 本当に、本当に、本っ当に何と言ってお詫びをしたものか……」
 「え、あの、ちょっと」
 ゴスッゴスッと強い打撃音を立てながら、その女の子は何度も何度も頭を地面に叩きつけている。
 地面には丸いながらも石が置いてあり、まるで頭突きで石を割る訓練をしているかのようだった。
 そのはっきりとしながらも悲痛な声に、彼女の誠意を疑う余地など無かった。
 そもそも、何で僕はこんなに謝られているんだろう……。
 「と、とりあえず顔を上げてください。頭割れちゃいますよ」
 僕が慌てて石に手を置くと、そこに一回頭突きが飛んできた。痛い。
 彼女は頭をゆっくり上げると、おでこを両手で押さえてうずくまる。
 「いたひ……」
 やはり相当痛かった様子だ。そりゃあね……。
 それでも彼女は、涙目になりながら僕に向き直り頭を下げる。
 探検家のような格好をした彼女は、長い髪を後ろで束ねていてスポーティーというか、行動力のありそうな子だった。今は泣いているけど。
 「いや私の頭とかアレですよ、割れた方がいいんですよ。もう本当に」
 「お主の頭がアレなのは今更言わんでもよかろう。ブフッ」
 「アンタは黙りなさい!」
 右手の少女が笑いを堪えながら茶々を入れてきた。どうやら、二人の仲はあまり良くは無いみたいだ。
 「おや、そんな口を利いてもいいのかえ? わしがいなかったらどうなってた事か」
 「アンタがいなかったら私は今頃ベッドで寝てるわよ!」
 ……と思ったが、二人のやりとりは姉妹喧嘩のようにも見える。案外仲は良いのかもしれない。
 探検家の子はもう一度僕の方を向くと、まだ足りぬと言った様子で頭を深く垂れる。
 「本当にごめんなさい。私も死んだ方がいいですよね。そうだ、とりあえず私もお腹刺します。切腹します。償いにもなりませんが」
 そう言って彼女が横の篭から取り出したのは木柱。
 
 ……あれ、これどこかで……。
 四谷は起き上がり、涙を拭いながらも笑顔で僕に言った。
 「いや、ほんと死ななくてよかったな、神田」
 え?
 「あ、いや正確には今現在死んでいるって言うか……」
 え?
 「まあ気を落とすでない。そう悪い事ばかりではないぞ」
 え?
 
 三人の言うことは、何か要領を得ない。
 僕は根本的な疑問を三人にぶつける。
 
 「あの……ちょっと記憶が曖昧なんだけど、僕は何で寝てたの?」

 四谷は「ああ、言ってなかったっけ」と言い足を組み、探険家の子は本格的に気まずそうな顔をし、着物の子は何やら妖しげな表情を浮かべる。
 ……なんだろう。ものすごく不安になってきた。

 「えっとな、この二人が何か争ってて、流れ弾……って言うか杭が飛んできて、俺はそれ受け止めたんだけどお前に直撃しちゃってさ。ゴメンなーほんと」
 そうだ。僕は杭に貫かれて死にそうになって……。
 お腹の傷、と言うか穴を確認する。
 しかしそれは服についた血を残して、綺麗さっぱり無くなっていた。
 確かに貫かれたはずなのに。
 「……それで?」
 「あなたは死にました。私が殺しました。罪悪感に耐え切れないので殺して下さい。これを刺して下さい。どっからでもいいです」
 と、彼女は杭を僕に手渡す。
 いや、殺したと言われても……僕生きてるし。
 僕はほっぺたを強めにつねる。痛い。
 どうやら、幽霊じゃないみたい。
 「いや、どう見ても僕死んで無さそうなんですけど……」
 「ああ、それなんじゃがな」
 和服の子が心底楽しそうに、僕に言った。



 「どうせ死ぬんだし……と思って、わしの血を分けて吸血鬼にした。構わんじゃろ?」

 
 
 僕はほっぺたを強くつねる。とても痛い。
 どうやら、夢じゃないみたい。 


     

 ほっぺたを思いっきり抓り、まぬけ面になっているであろう僕に対して和服の子は思い出したかのように手を叩く。
 その仕草は大人っぽいと言うよりかは、おばちゃん臭いと言った方が正確だった。
 「おお、自己紹介がまだじゃったな。わしの名前は御茶ノ水 タエ(おちゃのみず たえ)。ご覧の通り吸血鬼じゃ」
 ご覧の通り、と言われても僕にはただの女の子にしか見えない。まあ、確かに格好が古風だし大人びていて不思議な雰囲気はあるけど。
 「あ、どうもよろしくお願いします。僕は神田 結城(かんだ ゆうき)です。ええと……学生やってます」
 「僕の名前は四谷 孝文です、どうぞお見知りおきを。いやはや、月が綺麗な夜に月より美しい女性二人と出会えるとは。何か運命的な物を感じざるを得ませんね」
 ずいと僕を押しのけ、さっきの焦りや態度など忘れたかのように自信満々に名乗る四谷。
 これこそいつもの四谷だと実感し、何故か安心してしまう。
 「結城に孝文じゃな。そっちの今しがた結城を惨殺したのが自称吸血鬼ハンター(笑)の馬鹿娘……」
 「自己紹介くらい自分でするわよ! えっと、私は飯田橋 比奈(いいだばし ころな)……」
 「……いいだばしころな……」
 探検家の子の名前に四谷が反応を見せる。
 「もしかして……テニス部の飯田橋さん?」
 「あれ、私の事を知っているんですか?」
 「有名人だよ、うちのテニス部の次期エースって……そうか、どこかで見た顔だと思ったら飯田橋さんだったのか」
 テニス部の飯田橋さん。彼女の顔は知らなかったが、噂は僕も聞いていた。
 その端麗な顔と細身の体に似合わない荒々しいプレイを得意とし、サーブの練習で通行人の肩を脱臼させたこともあるとかないとか。
 「あ、同じ高校だったんですか、お二人とも?」
 飯田橋さんはこれまで死人のようだった顔をほころばせる。噂になるだけあって、その笑顔は真夏の太陽を彷彿とさせる明るさだった。
 水道橋さんの満月のように妖美な微笑みとは対照的だが、その美しさに甲乙はつけがたい。
 「学生業の傍ら、フリーの吸血鬼ハンターをやってます。あまり名前が好きじゃないので『ヒナ』って呼んで下さいね」
 吸血鬼ハンター。
 初めて聞いた職業だ。ヒナさんはなんでそんな事をやっているのだろう?
 見た感じ御茶ノ水さんはそんなに悪い人じゃ無さそうだけど……。
 「ま、吸血鬼を狩る前に見事人間をハントしてしまったがな」
 「それはあんたが――!」
 「おーおー、無関係の少年の人生をブチ壊して責任転嫁か。お里が知れるわ」
 ……悪い人ではないけど、意地の悪い人ではあるみたいだ。もっとも、彼女を人と呼んでいいのかわからないけど。
 ……そう言えば、僕もそうだっけ。
 「こ、殺すッ! 生きたまま木に磔にして口いっぱいにニンニクを頬張らせ太陽光でジリジリ炙りながら額に十字架をつけたり外したりして痛みに泣き喚くアンタを動画で撮って全世界に発信してやるッ!!」
 度重なる挑発にヒナさんがぶち切れ、顔が鬼のそれへと変化する。怒気と殺気で形成された彼女の表情は、吸血鬼なんかよりよっぽど恐ろしかった。
 「あ、その、僕は別にそんな、気にしてないので大丈夫です」
 「そ、そうだ。吸血鬼って一体どんな感じなんです? そのほら、人間との違いとか」
 彼女が杭を掴んだので僕は慌ててそれを制止し、四谷が強引に話題を変える。見事なコンビネーションだ。
 「違いか……。まあ簡単に言えば、力が強くて血を吸う。以上じゃな」
 ……そのまんまだ。
 「そ……そうですか」
 四谷も半笑いで答えにくそうだった。
 「やれやれ、面倒な……じゃ詳しく教えてやれ、吸血鬼ハンター(笑)」
 僕と四谷の『終わりっすか』と言う表情に気付いたのか、御茶ノ水さんはヒナさんに答えの丸投げをして寝転がる。
 ヒナさんはそれを横目で見て舌打ちするも、反論せずに説明を始める。

 「じゃ、私が説明しますね。……吸血鬼。人とは似て全く非なるモノ。夜な夜な現れては人を襲い、その血を吸って生命を維持する。
 その力は強力無比で、ひとたび腕を振るえば岩を砕き、狼の如き速さで地を駆ける……」

 ……凄いはずなのに、何故かあまり凄く感じない。
 「へぇ、そうなんだ。吸血鬼って凄いな」
 四谷が感心したように呟く。間違いなく彼のせいだ。
 
 「……彼等は頑丈な肉体と段違いの再生力と生命力を持ち、殺す方法も限られる。具体的には
 ・日光に長時間当てる
 ・心臓に木の杭を突き刺す
 ・十字架を長時間密着させる
 ・銀の武器で何度も刺す
 ・流水に放り込み、溺れさせる
 ・長期間血を吸わせない
 ・にんにくを大量に食わせる
 ・聖水を大量に振りかける
 ・首を刎ねる
 ・頭を砕く
 ・心臓を破裂させる
 ・窒息させる
 ・失血死させる……」

 「だいたい何やっても死ぬじゃん」
 四谷が我慢できずにツッコミを入れる。確かに、あまり限られてないと僕も思う。……と言うか、それより。
 「他はともかくとして、日光に当たっちゃいけないの?」
 吸血鬼の弱点と言えば日光なのは当然だが、それが駄目ならまともな生活はできなくなってしまう。
 学校に行くのすらままならない。
 「あー、大丈夫じゃ。お主は半吸血鬼かそれ未満だから、せいぜい日焼けしやすくなる程度じゃな」
 寝返りを打ちながら御茶ノ水さんが答える。
 あ、そんなもんでいいんだ……。
 
 「要するに、弱点を突くか原型を留めないほどに破壊してやれば死にますね。
 ……鏡にはまともに映らず、写真にもぼんやりとしか残らない。招かれないと他人の家に入るのを躊躇う」

 ……ずいぶん中途半端だ。

 「血を吸われた人間は例外無く死に至り、血を分けられた人間は同族と……」

 「おいコラ」
 御茶ノ水さんの横槍が入る。彼女は真夜中だと言うのにすっかりだらけたポーズをとっていた。
 「血を吸われた人間が死ぬとか……いつの話じゃ、いつの。そんなんでいちいち殺してたら大問題になっとるじゃろ」
 御茶ノ水さんの言う事には、血を吸って殺さない事も可能らしい。それを聞いて僕は胸をなで下ろした。
 「うっさいわね、本にはそう書いてあったのよ! ……それに、私の両親は……」
 「……アイツか。あれは例外じゃ」
 ……?
 よく分からないが、彼女達の過去に何かあったらしい。

 「だから私は吸血鬼を殺す。一匹残らずこの手で、滅ぼす」

 杭を握りしめ、彼女は冷酷な表情を見せる。
 さっきの笑顔から想像もできない、一点の曇り無く澄んだ人殺しのような……そう、「吸血鬼殺し」の目をしていた。
 僕の中の吸血鬼が震えるほどの、静かに怒る鬼の目だった。
 「わしは別に人畜無害の品行方正なる善良吸血鬼じゃぞ。と言うかアイツ以外は大体そうじゃ」
 その眼光をものともせず、御茶ノ水さんは寝たまま言う。
 「さて、どうかしらね。昔は人の命を喰らって生きてきたのかもしれないし、今も隠れて殺しているのかもしれない。これから急に狂って殺し始めるかもしれない。信用ならないのよ、アンタ達は」
 「吸血鬼差別じゃな」
 ……そこまで聞いて、ふと疑問がわく。
 「そう言えば御茶ノ水さんっておいくつなんですか?」
 吸血鬼は寿命が長いと言うのも定番だ。昔は、などと言う事は見た目通りの歳では無いのかもしれない。そう思ったのだ。
 「神田、女性に年齢と体重を聞くのは失礼だぞ。あとタイミングがおかしい」
 四谷に窘められた。失礼なのはわかっているけど、どうしても気になる。
 「構わんよ、わしは。今年で72になる」
 「もうすっかりババアだから騙されちゃ駄目ですよ」
 「たわけ、わしはまだピチピチでお肌つやっつやの美白系じゃ」
 「あ、加齢臭酷いんで近寄らないで貰えます? くさっマジくさっ」
 
 72歳。確かに人間で言えばおばあちゃんだ。それでも予想よりは若かったけど。
 「何一つ問題無いな」
 四谷はと言えば、不適に笑っている。100歳でも1000歳でも10000歳でも、四谷は全く気にしないだろう。
 
 「のう結城。お主もこの肌ガサガサ娘の差別主義っぷりを見てどう思う? その内お主も殺されるぞ、もう一回」
 「お、お肌は大丈夫だと思いますけど……」
 急にが同意を求めて来たので、僕はとっさに上手い返事を返せなかった。が、ヒナさんは嬉しそうだ。
 「ありがとうございます! やっぱり血を吸わないとしわくちゃになる若作りババアとは肌の潤いが違いますよね!」
 「なるか、たわけめ。寝不足で泣き虫でデベソで恐がりで小学生まで一人で厠行けなかった癖によく吠えるわ」
 「肌の話と全く関係ないでしょ! と言うか何でアンタが知ってんのよ!」
 「さーてなんでじゃろーなー」
 そもそも、肌の話自体が本筋とズレている気がするけど……。
 「えっと、僕も全員殺すって言うのはちょっと反対かなー……って……」
 「あ、神田君は殺さないですよ、もちろん。吸血鬼になったの私のせいだし。責任持って私が面倒を見ます」
 「責任!?」
 四谷がその言葉に反応を見せる。僕も同じく、その言葉が気になった。
 「責任っていうのは、どういう……」
 と尋ねられると、ヒナさんは顔を真っ赤に染めた。
 「え、いや、責任ってホラ、その、け、結婚とかじゃなくて、何と言いますか、血が吸いたくなったら私のをどうぞ的な、何かお困りでしたら私が対処します的な、それです」
 あわわわとつっかえながら言うヒナさんに、さっきの表情の面影など微塵も無かった。
 その姿は、何と言うか……かわいい。それにしても、よく表情を変える人だ。
 「はっ、お主のような誤爆小娘には無理じゃ。結城にはわしが吸血鬼としての生き方を教えてやる故、お主は献血にでも行っとれ。ちょうど下僕と言うか、召し使いが欲しいと思っていた所での」
 「アンタはただ楽したいだけでしょ!」
 「お主と一緒にいるよりは何百倍も安全じゃ」
 もう何度目かにもなる口論が始まる。
 ……はぁ。これからどうなってしまうのだろうか。





 「……一人なら」
 え?
 「一人なら、俺は我慢できた。これまで何回も経験してきたからな」
 二人が言い争いを続ける中、四谷が下を向きながら何やら呟いている。
 「だが二人に言い寄られるとはどういう事だ!? 俺を差し置いてッ! 答えろ神田アアアァァァーーーーーッ!!」
 四谷が、僕に向かって吠えた。山が震えるほどの、雄叫びを。
 そして立ち上がり、笑いながら手招きをする。僕に。
 「吸血鬼の力とかさあ……試してみねぇか……ちょっくらスパーリング(どちらかが死ぬまで終わらない全身全霊で行うガチの殺し合い)しようぜぇ……?」
 括弧の中にとんでも無いことを言っている四谷。
 四谷の殺気は、少しの漏れも無く僕に集中している。
 それに直に当てられた僕は、人生で二度目の死を実感させられた。
 「や、やめようよ四谷……死んじゃうよ……」
 僕は泣きそうな声で、心の底からそう言った。
 「そうだ、冗談は止めておけ。手加減を間違えると死ぬぞ」
 「ちょっと四谷君、よしといた方がいいですよ。その力だと殺されちゃいますって」
 二人の言ってる事は正しい。ものすごく、正しい。
 なんせ二人は、四谷の実力を全く知らないのだから。
 
 と、そこで四谷の殺気がフッと消える。
 僕は生を実感し落ち着きを取り戻すも、四谷の調子がおかしい。
 
 「僕も……『私の血をどうぞ』とか『下僕にしてやる』とか言われたいです……女の子二人に取り合いされたいです……」
 四谷は泣いていた。顔では無く心で泣いているのが、僕にはわかった。
 急に四谷はヒナさんの手を取り、真剣な顔でまくし立てる。
 「ヒナさん! 僕を殺して下さい! 僕も吸血鬼にして下さい!」
 「ええ!? む、無理ですよそんなの!」
 女の子にモテたいがために、ついに人間をやめる事を決意したようだ。
 ……いや、もしかしたら決意するまでも無い事なのかもしれない。四谷にとっては。
 四谷が吸血鬼になったら、彼の力はどうなってしまうのだろう。想像したくもない。
 「タエ様! 僕を吸血鬼にして下さい! 下僕にして下さい!」
 女の子にモテたいがために、プライドすら捨ててしまっているようだ。
 ……とは言うものの、最初から彼にプライドなんて物があったのかわからないけど。
 「ふむ。本当にいいのか?」
 「はい! お願いします!!」
 え!? そんなに簡単に吸血鬼にしちゃっていいの!?
 「え、よしといた方がいいですよ四谷君! あまり良いことは無いですよ?」
 「構わんとです!」
 「よし。じゃ、まず血をある程度吸うぞ。血を取り入れて混ぜ、元に戻さないといけないのでな」
 僕の焦りやヒナさんの制止など気にも留めず、二人は四谷吸血鬼化計画を始める。
 別名、究極生命体誕生プロジェクトとも言える……のかも知れない。
 御茶ノ水さんは四谷に近づき、首の近くで舌なめずりする。
 「これはエロい」
 緊張した四谷の呟きが、物静かな闇に響く。
 「ふむ……では、いただきます」
 そう言って口を開けると、口内で糸を引いているのが見える。
 ……その姿を見て、僕もエロいと思ってしまった。あうう。
 
 そして、四谷の首筋に牙が突き立てられた。
 「……あれ」
 と思ったが、御茶ノ水さんは必死に顎を上下させている。
 「おかしいのう」
 どうやら、どれだけ噛みついても歯が立たないみたいだ。
 それもそのはず、四谷は女の子を目の前にした上に首に口付けされて体を緊張させきっているのだ。手加減していては牙が通らないのだろう。
 「どんな筋肉してるんじゃお主は。力を抜け」
 「はいっ!」
 緊張のあまり声が裏返っている。全く脱力した様子は見られない。
 「……まぁ、いい。少し力を入れて噛むぞ」
 御茶ノ水さんは少し口を上下させた後、改めて首元に噛みつく。
 「んむむむ」
 僅かに、牙が首の肉に入り込んでいった。
 緊張の表情を崩さないので、血を吸われている時は痛いのか気持ちいいのか四谷の表情からはわからない。
 やっと牙が通った御茶ノ水さんは、安堵して血を一気に吸い込む。
 吸い込む。

 ……。
 動きが止まる。

 そして二秒後、素早く首から口を外し、
 「うがああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 と叫んで倒れ、のたうちまわり始めた。

 え? 何? どうしたの?
 僕が疑問に思っている間にも彼女は口を押さえて転がり回り始める。
 「え、ちょ、なにこ、な、まっず! にが、苦辛い! なんで、こっ、こんな、ひっど! ひどい! おか、おかしい! これはおかしい! ない! ないよこれは! く、口が溶ける! 死ぬ! 死んじゃう! ちょ、誰か水!」
 ばったんばったんと陸に打ち上げられたマグロのように跳ね、顔をトマトのように赤くしていた。
 「あはははははははは! 何よこれ! 最高だわ!」
 僕の隣ではヒナちゃんが携帯の動画モードで彼女を撮影している。心の底からこの状況を楽しんでいるようだ。
 「たす、助けて! 無理! ちょ、死んじゃう! 舌が焼ける! 歯が、歯が抜ける! こ、ころな! 助けて! 死ぬ! ほんとに死ぬ! ああああああああああああっ!」
 彼女は既に目から大量の涙を流しており、さっきまでの余裕たっぷりの態度が嘘のように悶絶していた。痙攣も起こしている……どんなにまずかったのだろう。
 「ガハッ、あまり笑わせないで……死ぬ……こっちが死んじゃう……」
 笑いすぎて呼吸が止まりそうになりながらも撮影を止めないヒナさん。彼女の姿を見ていると本当に動画を全世界に発信するかも、と思えてくる。
 
 女の子二人が大変な状況になってる中、僕はただ呆然としていた。
 四谷に至っては吸われている途中のポ―ズのままピクリとも死んだように動かず、その姿には哀愁が漂っている。

 御茶ノ水さんの悲鳴とヒナさんの笑い声が響く空は、既に明るさを取り戻し始めていた。
 ……これからどうなってしまうのだろうか。本当に。

       

表紙

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Neetsha