Neetel Inside ニートノベル
表紙

ひつまぶし短編集
「シュレーディンガー」

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 僕には、好きな人がいる。とても素敵な人。一目ぼれだ。話したことは数回だけしかない。おなじクラスだから毎日見掛けているのに。
 なかなか話しかけることのできない自分に何度嫌気がさしただろう。しかし、話す事柄もきっかけもないことを考えればそれは当然なのかもしれない。みんな、大概そういうもんだろう。そしてみんなそうやって自分に言い訳しているもんだろう。諦めよう。
 そう思っていたのだが、転機とは突然にやってくるものだ。

 文化祭。僕らは劇をすることになったのだけれど、僕と彼女は大道具係でしかも同じ大道具担当になったのだ。彼女が劇に出ればきっと映えるだろうが、恥ずかしがり屋だから出られるはずもないだろう。そんなところも大好きだ。そして僕も同じ理由で舞台には立ちたくない。だから僕も彼女も自ら志願して大道具係になった。気が合うかもしれない。

「よろしくね」
 彼女はそう言って微笑んだ。ああ、もう死んでもいいかもしれない。むしろこれのせいで心臓が止まるかもしれない。僕は胸の鼓動を抑えながら言う。
「うん、よろしく」
 一言言うのにこんなに空気が足りないことなんてあるのだろうか。たどたどしい言い方じゃなかったか心配だ。変な奴だと思われなかっただろうか。そういうことに対してだけは頭がぐるぐると回る。勉強のときはからっきしなのに。
 とにかく僕らは一緒に作業することになった。
 だが、うまく進まない。僕の目が気を抜くと手元ではなく他の方を見てしまうからだ。それに気付くとはっと目線を戻すのだが、同時にどうにも恥ずかしくなってくる。落ち着かない。

「ねぇ、それ取って」
「あ、うん。はい」
 流石に時間が経てば慣れてくる。幸せに慣れてしまうのは惜しい気もしたけれど、悪い気もしなかった。今、僕たちは二人っきりなのだ。

「それ僕が運ぶよ。重いでしょ」
「本当? ありがとう。頼りになるね」

「ね、ここちょっと手伝って」
「わかった、いいよ」

 本当に楽しかった。相手も同じ気持ちになってくれているかな? ならもしかしたら。いや、そんなことはきっと妄想だとわかっている。けれど、けれど。少しの可能性くらいあっていいんじゃないかな。考えずにはいられなかった。
 例え僕が蓼であっても、それを食う虫が彼女である可能性は0じゃない。例え僕が割れ鍋でも、とじ蓋が彼女である可能性は十分にある。

 ただ、まだ妄想をしきることはできなかった。なぜなら彼女に意中の人がもういるかもしれないから。いたっておかしくはない。椅子取りゲームだって取る椅子にもう誰かが座っていたらゲームにはならない。多少強引に取りに行く手はあるのかもしれないが、そんな勇気も自信もない。情けなく思う。それを聞く勇気もないのだから。

 ならばとにかく仲良くなっておくことが最優先事項だ。もっと仲良くなってからそれとなく聞き出せばいい。それに、意中の相手が僕だとも、限らない。だったらいい。

「ねぇ、今日一緒に帰らない? ほら、もうみんな帰っちゃったし」
 文化祭の2日前。明日はリハーサルで、セットを立ててやる。だから、僕たち大道具係にとっては今日が大事だ。役者組含め他の係は先に帰ってしまった。他の大道具も各々自分たちの分担を終え、帰ってしまっていた。手伝うよと言ってくれたがもう少しでできるところだったし、下校時間はとっくに過ぎていたので断った。断ってから気づいた。チャンスだと。そして、僕は口を開いたのだった。
 
 けれど

「ごめんなさい、今日は一緒に帰る予定があって」
「あ、ああそうなんだ。友達?」
「う、ううん、彼氏……」

 がっくりと肩を落とす。そうか。そうなんだ。

「ああ、なるほど。じゃあ待たせると悪いから残りの片づけは僕がやっておくよ」
「いや、そんなの悪いよ」
「いいって。ほら、あと工具かたすだけだし。結構な間待たせてるんでしょ?」
「……うん、ありがとう」

 本当にありがとね。そういって彼女は教室を出て行った。なにやってんだろう、僕。
 窓を見ると、女の子が校舎から出てきて正門の方へ走っていた。待ち合わせしていたのだろうその二人は仲良く笑っている。ごめん、待たせて。全然大丈夫だよ。そんな会話をしているのだろうか。校舎から出てきた片方は彼女だろう。もう一人は……。男、だ。

 僕は窓に背を向けてそのまま膝を脱力させた。いや、自然に脱力した。涙こそ出ないけれど、とても悲しい。何もせずに終わった恋だった。
 こんなことなら、と思う。
 遠くから。その中身が見えないほど遠くからずっと眺めていればよかった。そうすれば、僕を好いてくれている彼女が1%でもいてくれたはずなのだから。それが今、0になった。まして、中身を空けてみようなんて馬鹿な考えだった。そんなの博打と変わらないじゃないか。でも何よりも、これからスタートという時にリタイヤしなければならないことがなによりも悔しかった。

 片づけはどうにか終えた。けれど、僕はしばらく家に帰る気にはなれなかった。ぼおっと教室の天井を見上げながらふと思う。
 彼女はあの後どうしているのだろうか、二人で仲良く過ごしているのか、それとも――。
 期待する自分を叱咤する。ありもしない万が一にすがるなんて情けない。第一どこに行ったかもわからないのだから確認しようもない。それに確認したところで、傷が増えるだけだろう。止めておけ。

 諦めるのがうまくなってしまった気がして、また自分に嫌気がさした。

       

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