Neetel Inside ニートノベル
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ひつまぶし短編集
「父さんへ」

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 父さんは、あまり家に居なかった。それがとても寂しかった。
 キャッチボールなんてしてもくれなかった。僕がたくさん学校のことを話しても「そうか」としか答えてくれなかった。テストで良い点を取っても褒めてくれなかった。休日は家に居なかった。居ても本とにらめっこして家から出なかった。だから僕は家族旅行をしたことがない。父さんにとってはたった一人の子供なのに、何もしてくれなかった。思い出も何もない。だから何も感じない。
「はぁ、意外にたくさんあるもんだな」
 遺品整理をしている僕は、そろそろ腰が痛くなってきたので休憩する。流石に段ボールに何回もものを詰めていれば悲鳴をあげざるを得ない。飲み物を取りにリビングへ戻る。
「あー、やっぱ冷たい水だな」
 この炎天下、クーラーが壊れた家で扇風機のなよなよとした風を受けながらうちわであおぐ。時折セミが鳴いて、暑さを助長していた。
 飲んだ水が身体の中を冷やしていくのが気持ちいい。僕はコップを片手に窓に寄り掛かった。窓をのぞくと気持ちのいい青空。雲ひとつなく青が広がっている。
「幸人、終わったの?」
 隣の畳の部屋から母さんが出てきた。
「まだ。モノ多すぎるよ。特に本」
「仕事柄しょうがないじゃない」
「そうかもしれないけどさ」
 諦めるように言う。
 父さんは編集者だった。担当した作家の本は全て、自分が関わってないものまで揃えていた。もちろんすべてに目を通して。そのせいで僕は父さんと遊ぶ機会がなかったわけで、だからどちらかと言えば本はあまり好きじゃない。けれど。
「でも、残念だったわね」
 母さんはまるで僕を慰めるように言った。
「なんで?」
「アンタ、自分の本をあそこに並べてほしかったんじゃないの?」
「……」
 確かにそうだ。だから僕は作家になろうとしていた。今はまだなれていないけど。日々賞に応募する作品を執筆中だ。理由は簡単。父さんに少しでも認めてもらいたかった。25なんていい年をして情けないけれど、一度でいい、褒めてほしかった。だからこそ僕は父さんのいる出版社に応募していたのだった。――今回も駄目だったけど。
 こんなに簡単にある日突然死んでしまうなんて思わなかったな。
 もちろん、元々本が好きということもあった。昔は父さんがいないときにこっそり本棚から適当に引き抜いて読んでいたものだ。何を読んだかなんてもう覚えてないけど。
 今更言っても仕方ない。間に合わなかった。確かに父さんの本棚に並べば、と思ったけれど作家になったのはそれだけが理由じゃない。
「ま、もう仕方ないだろ」
 僕がそう言うと「そう」といって母さんは畳の部屋に戻っていった。そろそろ僕も作業に戻るか。
「さって、じゃあ続きをするかぁ」
 立ち上がって、父さんの部屋にもどる。母さんが入って行った部屋が少しのぞけた。扉が半開きだったのだ。あそこには仏壇がある。そこではまだ父さんは笑っていて、母さんはずっとそれに話しかけていた。
 僕は再びダンボールにまとめる作業に戻る。休憩と言っても水分を補給しただけだから疲労しているのに変わりは無いが、面倒は早いうちに済ませておきたい。
「ホント、多いよなぁ」
 つめながら愚痴をこぼす。本当、これを読むための時間を少しでも僕の為に使ってくれたら。今きっと父さんを想って泣けるのに。
 言っても仕方のないこと。
 本棚から適当に、右手いっぱいにつかめるだけつかんでダンボールに入れて行く。いっぱいにしき詰まっていた棚がどんどん空になっていく。まるで父さんがいたという事実がだんだん薄れていっていくようだった。
「さて、残りはこの机か」
 いざ、父さんの引き出しを引いた。一度だって見たことのない場所だ。本を読みに入った時も決して触れなかった場所。
 そこに手をかける。
「あれ?」
 一番上の引き出しを開けると、思いもよらないものが入っていた。一番上には「僕の家族」と描かれた一枚の作文用紙。それには見おぼえがあった。小さい子が描いた、決して うまいとは言えない文字で目一杯書いてある。僕の作文だ。
 僕が昔初めて書いた物語も入っていた。目を疑った。更には今まで応募した作品も全部あったのだ。原本は流石に持ち出せない。全部コピー。でも、一つの作品で100枚近くもある。全部コピーしたのか。
 僕は入っていたもの全てひっくり返した。すると、一番下には今回僕が応募した原稿が入っていた。
「本当に、全部あるのか」
 父さんの引き出し、そこには僕の書いたもの全てが保存されていた。
「しかもこれって……」
 今回僕が応募した原稿を見ると、丁寧に赤ペンで修正がしてあった。
 流石編集者。なるほどと思える指摘ばかりで、整理そっちのけで見入ってしまった。暑さも忘れていた。最後のページまで一気に読み進めていった。
「あれ」
 最後に原稿用紙の余った所にもなにか書いてある。修正や指摘ではない。ただ一言「頑張れ」と、父さんらしい少し読み辛い字で書いてあった。
 そのとき急に原稿用紙に水滴がついた。それが自分の目からのものであると解るのに時間はかからなかった。僕はようやく、父さんの死を悲しむことができたのだった。きっと父さんはこれを、この原稿を渡そうとしてくれていたのだ。けれど、その前に死んでしまった。
「なんで、なんでだよ……」
 ずっと思っていた気持ちが口をつく。
 その日は、それ以上作業は進まなかった。

 数年後。
 僕はまた父さんの部屋へ入った。荷物の整理をして結局そのまま何に使うわけでもなく開けたままだった部屋。だから未だに本棚や机は残っているはずだ。
「おじゃましまーす……って今さらか」
 少し緊張しながらドアを閉める。父さんの部屋は入るとやはりもの寂しい感じがした。
「大分遅れちゃったけど」
 鞄の中から一冊の本を出し、今となってはもう何も入っていない本棚の前へと向かう。大分使われていないのかホコリが乗っていた。僕は一冊分ほどのホコリを払う。少し煙たかった。
「今度のはどうかな? 前よりはそれなりに書けるようになったつもりだけど」
 そうして僕は持ってきた一冊の本を置く。
 タイトルは、「父さんへ」

       

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