Neetel Inside ニートノベル
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ひつまぶし短編集
「春雨」

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 それはいつもの風景だった。
 目の前の彼女が鞄に教科書やノートをつめて一人帰っていく姿。それにあわせて僕も支度をする。意を決して折りたたみ傘を鞄の奥に突っ込んだ。そうしてから彼女の後を追う。まるでどこかの組織がターゲットを尾行する――程には格好良くもない。ただそこはかとない怪しさは認めるほかないが。ストーカーと似たことをしているのだ。いや、まんまだ。
「ごめん、傘忘れちゃったんだ。良かったら入れてくれない?」
 下駄箱で外履きに変えている彼女に話しかける。
「うん、いいよ」
 僕は嬉しさのあまり内心高く跳び上がった。
 彼女とは家が近い。となれば当然、私立にでも行かない限り小中も同じ学校。僕たちもその例にもれず一緒だった。というわけで入学当初、周りが知らない人だらけだったから、ある種一緒に帰るという提案は自然だった……と思っている。
 それが今まで続いてもう高校二年の春。桜がそこかしこに咲いている。先輩が卒業し新入生が入ってきて、少し慌ただしい時期だ。
「今日は降るね。入れてくれてありがとう。つい忘れちゃってさ」
「いいよ、全然。にしても降るねー。梅雨までまだあるのに」
 僕らと言えば学校の慌ただしさとは逆に非常にゆっくりとしていた。いや、それは肯定的に解釈した場合で、もっと客観的に言うのなら上手く話せていないだけなのだろう。お互い手探りのようなたどたどしさ。一年前から何も変わっちゃいない。
 それがどうしてもじれったくて変えようとするのだけれど、失敗が怖くてなかなか踏み込んだ話もできない。好きなこととか、好みのタイプとか。色々知りたいのに。
 だから今までより近付けるように、傘を忘れたふりをした。そして少しでも、例え僕のことを好きじゃなくとも、恋人の気分を味わいたかったのだ。
「あ、じゃあここで」
 学校から歩いて十分ほどの十字路。ここで帰り道が分かれる。時間は本当に早く過ぎて行くものだ。僕は傘から出ようとする。それを彼女は引き留めた。
「え、家まで行かないと濡れちゃうじゃない」
「いや、それは悪いから。あそこで雨宿りして弱くなったら帰るよ」
 角の店を指さす。たまに寄る駄菓子屋だ。
「でも……」
「いいから、いいから」
「……うんじゃあまた明日」
「また明日」
 手を振ると、申し訳なさそうに彼女は離れる。背中が見えなくなるまで見送った後、僕は傘を出して残りの帰路へつくことにした。
 底にしまっていたものだから教科書やノートがひっかけて邪魔をして上手くひっぱりだせない。
 ようやく引っ張りだして傘を広げようとする、と同時に声がした。
「やっぱり一緒に帰ろう。って……」
 見上げると彼女がいた。もう帰ったはずなのに。そうか、僕がもたもたして言う間に気になって戻ってきてしまったのか。
「傘、なかったんじゃないの?」
 不思議そうな視線がこちらに向く。
「え。ああいや、ここで買ったんだよ」
「駄菓子屋に、傘は売ってないよ?」
 しどろもどろの言い訳にきっちり指摘されて僕は顔を伏せた。もう動揺して直視することができない。どんな表情をしているか見たくない。こうなっては言い訳は意味ないだろう。物的証拠は目の前にある。もう繕うよりはさらけ出した方が早いのかもしれない。
 開き直りとでも言うのか、そう思ってからは行動が速かった。もう破れかぶれだったのだ。そうでもなければ勢いには任せられない。
「……好きだからだよ」
 それでも最初は小声だった。
「え?」
「好きだからだって!」
 二度目は加速した衝動に乗せて叫んだ。一年間、いやそのずっと前から溜めこんでいたことだ。一度口を付いてしまえば後は勝手に出ていった。
 僕の言葉に一瞬戸惑った彼女は、すぐに後ろを向いてしまった。そして、こう言った。
「明日も雨なんだって。だからもう傘、忘れないでね」
「……うん」
 彼女の言葉の意味を考えて、そうとしか答えられずにただ自分の恋が終わったことを感じた。身体が虚脱する。案外あっけないものだ。けれど、この悲哀のような悔恨のような喪失感はしばらく残るのだろう。ぼおっと立っているだけで精一杯だ。
 そんな僕に対して振り向いた彼女は不思議と頬を赤らめていて、少し微笑していた。その意味を知るのは次の言葉を聞いてから後。彼女は嬉しそうに口を開く。
「私、明日傘忘れてくるから」
「え?」
 何を言われたか言葉は耳に入っても理解するには時間がかかった。けれどそこから大きく首を縦に振るまではすぐだ。
 空から降る雫が運んできた春。
 僕らは、傘一つさして歩いていく。

       

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