Neetel Inside ニートノベル
表紙

ひつまぶし短編集
「鳥」

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「私の夢、か」
 考えてみるけれど、まるで浮かばなかった。

「んー」
 朝日がカーテンをすり抜けて部屋を明るくする。その光で私は起き、手をいっぱいに上げて伸びをした。時間は6時だ。
 私は今親とは別の場所で過ごしている。いや、実際は親に売られたのだ。形としては奉公つまりメイドとしてだけれど、実際はそうじゃない。実務はなくただのうのうと生きているだけだ。本当のメイドはちゃんといて、私の世話も彼女たちがしてくれている。今日も彼女たちの用意してくれた朝食を食べ、彼女たちに着替えさせてもらった。そして私はいつもの所へと向かう。
 メイドでなければ何かと言うと、端的に言って私は主人のコレクション。美しい女性、何を持って判断しているかはわからないが、を求めているらしく、色々な子を買ってここで飼育しているようだ。全体で私の知る限りでも大体50人程は、そういう子がここで暮らしている。決まった妻はいない。だから妻に成ろうと主人に媚びへつらう子もいる。
 私が主人の部屋へ行くと既に胸を押し当て猫撫で声で主人へ媚びている女の姿があった。その様を私は毎日のように見ている。彼女だけではない。ここではそういう子が大多数だ。この世界では彼が法。権力に屈するあるいはそれに擦りよるのは人間の本能だろう。外がどうかは知らないが、今私たちが住む世界ではそうなのだ。
 主人の部屋は広く、私たちは起きるとその部屋に集められる。部屋と言うか、ホールに近い。入口から見て正面は階段に成っていて、上には主人の座る椅子がある。それこそ王様の謁見の間のようだ。ここで何をするかは自由。ただしここに居なくてはならない。私はいつものように窓へと近寄る。
 男は主人しかいない。だから性の対象は限られる。同性同士もあるけれど、私はどちらにも参加する気にはなれなかった。もう見ることには慣れてしまったが、未だに加わるには違和感が残っているのだ。
 さっき「飼育」なんて自虐的な表現をしたけれど、多分それが一番正しい表し方だと私は思っていた。人間としてここにいるのではない。あくまでコレクション。いや、その意味ではもはや動物ですらなく、モノなのかもしれない。
 私としては、最低限動物ではありたい。だからペットのようなものとして考えるけれど、だとするとこの家はケージだ。
 唯一外と内をつなぐ入口は特別な用事が無ければ開かない。当然、私たちの都合で開けられるはずもない。だからここは籠だ。いや、外の世界が一切見えないのだから別世界だ。ケージの方がまだいいというものだろう。
 けれど、断絶されているからこそ諦められてもいるのだった。きっと、今私と同じくらいの子はもっと別のことをしていて、もしそれを見てしまったら私はそれをどうしようもなく妬んでしまうと思う。知らなければ、妬むものも存在しない。妬みようがない。
 今私が住んでいる家はきっと豪邸なのだと思う。私に残るおぼろげな親と住んでいた頃の記憶と比較すればあり得ない程に大きい。私の外の世界の知識とはその消えかけている記憶しかなく、だから外の世界の基準を知っているわけではないので確実とは言えないけれど。でも他の子もそう思っているらしい。ここを、ある子がお城と表現していた。私はお城を絵でしか見たことが無いのだけど、外観は似ていると思う。
「あーあ」
 私は溜息をついた。窓を開けて、辺りに見えるのは高くそびえる壁。いつものことだけど、しかしいい景色ではない。だから私は首を上げた。真上には、清々しい青が広がっている。できることならばパレットに落としたいほど綺麗な色だ。私にはそれほど絵心は無いけれど、描くのは好き。この色で何かを描いてみたい、そう思える色だった。
 例え別世界でも、外と共有しているものはある。それがこの空だ。だから私はよく見ている。一日中そうしている時もある。
 雲が流れる様は私をどこかへ連れて行ってくれる気がして、とても気持ちがよかった。そして時折空を横切る生き物、鳥に私は憧れていた。私もああやって飛べたらいいのに。
 それが外の世界への憧れであると気付くのにはそう時間は必要なかった。この空だけは外とつながっていて、だから私はまだあちらの世界と切り離されてはいないんだと安心しようとしていたのだ。私は元の世界に戻りたい。
 もう、何が“元”かすらわからないのだけど。
 私はその願望を殆ど他の人には話さなかった。主人に告げ口されて拘束される可能性があるし、そうでなくとも馬鹿にされるのがオチだからだ。「ここから出る? 正気? あははははは!」そう言われるにきまっている。
 けれど、ただ一人だけ、親友だけには話したのだった。メアリーという、私と同じ日に連れてこられた子。

「勇気があるね、ティアは」
 私が話すと、彼女はそう言った。
「そんなことないわ。ねぇ、メアリーだって本当は帰りたいでしょう?」
「それはね。けど、戻ったって帰る場所なんてないわ。――ここ以外はね」
「ねぇ、なら私達一緒に暮さない? 私も親に捨てられて当てなんかないし」
 貴女がいれば心強い。本音を言えば、一人は心もとなくて心配だ。
「できるなら嬉しいけど、でもお金はどうするの? 借りられる程のお金を稼ぐまで野宿よ? シャワーもない。そんなの嫌だわ」
「そう。なら、仕方ないわね。私も貴女の嫌がることはしたくない。今までありがとう」
 私がそう言うとメアリーはとても悲しそうな顔をしていた。私はそれだけで、そんな友達がいたということがわかっただけで十分満足した。
 嫌がるなら無理強いはできない。それではここの主人と同じことをしていることになってしまう。
 私はすっぱりと諦める。実際は気持ちを治めるのにその日の夜を費やしてしまったけれど、やはり彼女の嫌がることはしたくない。

 そして私は屋敷を逃げ出す算段を立てた。
 ここには、100人を超える人数がいる。とすれば、当然食料はかなりの量が必要だ。もちろんおつかいレベルの量では済まない。
 だから、ここには週1回食料を持ってくる業者が来る。それもここは敷地が広いから、大きい車は屋敷のすぐ前まで。そしてそこからメイドたちが食糧庫へと運ぶのだ。
 そうして、荷出しが終わるとその車は屋敷の外へと出ていく。私の行きたいここ以外の場所へと出ていくである。
 ならば話としては簡単だ。その車の、食料を積んでいた場所に私が隠れればいいのだ。
 最後のメイドが荷物を運んだその直後。ここが勝負だ。あの時は誰かが見張っているわけでもないし、運んでいるメイドは全員食糧庫で整理をしている。運んできた運転手の眼さえ誤魔化せれば絶対になんとかなる。
 なぜならば、私はあの窓から様子を何度も見ていたのだから。きっと、上手くいく。
 私は業者の来る今日から2日後に、決行することを決めた。

 しかし、そう物事は上手くいくわけではなかった。
 玄関まで辿り着くのはそう難しいことではない。私達の集められる部屋にはトイレはなく、だから一人で屋敷を歩いているがメイドに見つかっても彼女たちはそう問題のある行動だとは思わないし、あの主人は50人以上いる女の、しかも全く自分によってこない奴のことなど少し消えた所でどうとも思わないだろう。
 問題はそこからだ。
 入ろうとする丁度前、他のメイドが掃除の為に外に出てきていたし、玄関を丁度出た所で次の発注の為に話しこんでいるのだ。
 どちらも、あの窓からでは角度的には見えない場所にいたメイドたちだった。
 それでも私は諦めない。
 何度も何度も、その機会をうかがううちに、たまたま偶然、誰も居ない瞬間が訪れたのである。
「今だ!」
 私は荷台に飛び乗った。飛び乗る瞬間まで辺りを警戒したけれど、人の気配は全くなかった。上手く乗ることに成功したのである。
 といっても、最後に中を見られたらお終いだ。私は次に食糧を運んできたのと同じ袋の一つを持ち物の中から取り出して、それを被らなくてはならない。
 最後のメイドがもう荷物がないことを確認しているはずだから、あとは業者が袋を回収して帰るだけだ。
 そこで見つかってしまえば終わりだが、幸いにも彼はさもだるそうに、よく中も見ずに袋を投げ捨てる。つまり、一瞬でも彼の眼を誤魔化しさえすればいい。逆に言えばそこが肝要なのだ。
 私は飛び乗るのと同時に荷物を開けようとする。
 が、しかし。確かに飛び乗るまで人の気配はしなかったのに、声をかけられた。
「こんにちは、ティア」
 私は驚きのあまり体勢を崩す。叫び声だけはすんでのところで飲み込んだ。だが、そのせいでむせる。
「だ、誰?」
 顔を上げて確認すると、そこにはよく見た顔があった。
 それは、メアリーだった。
「メ、メアリー?」
 すると、彼女はにこっと微笑んだ。
「ごめんね、やっぱり私貴女と別れるのは辛いわ」
 私の肩を掴んでそう言うと、そのまま抱きしめてくれた。
 とてもとてもうれしくて、涙があふれてくる。彼女の肩を涙で濡らしてしまった。
 けれど、と私はとっさに涙をぬぐい抱擁をといて急いで荷物から袋を引っ張る。
「どうしたの?」
 メアリーは不思議そうにこちらを覗く。
「見つからないようにこの袋に隠れるの! もう戻ってくる頃だわ、メアリーも入って早く!」
「ああ、そういうことね。大丈夫よ」
 そう言って、彼女は袋に片足を入れた私の腕を強く掴む。
「え、どうしたの? いいから早く! 離して!」
 声を潜めつつも怒鳴る私に、なおもにこやかな笑みを続ける。ここまできて、私はとてつもない焦りを感じる。
 まさか、彼女は、私を、邪魔しに来たの?
 早く袋に入らなければ! そうでなくとも二人が荷台に乗っている。いくら彼の眼が節穴だったとしても、これを見逃すことはまず無いだろう。なんせもう一人は隠れる気もなく、更に言えば隠れることさえできなくしているのだ。
「見つかったらマズいのはわかるでしょ? ね、だから!」
 そう言って一気に腕を振ると、メアリーの身体ががくんと落ちて私の腕から手が振りほどかれる。
「ごめんね、ごめんね」
 彼女をまず袋に入れるべく、今度は私が彼女の腕をつかんだ。
 すると、メアリーは抵抗するわけでも従うわけでもなくただ、にいっと嗤った。
「大丈夫、大丈夫なんだよ、ティア」
 首が上手く支えていないのか、ゆらりと頭を揺らしながら彼女はとても愉快そうにいう。
「大丈夫だから、大丈夫だから。私がずっとそばにいてあげるから。私ね、考えたの」
「ならここに入ってよ! 出ないとそんなことすらできないのよ!」
 もう意識を周りに向けられない程焦りきっていた私は、怒鳴って腕を強く引っ張った。ようやく上半身が崩れ袋に入った。
 が、それでも止まらない。
「私ね、考えたのよ。貴女とは離れたくない。けれどね、シャワーもない食べ物の保証もない、家もない。そんな暮らしも嫌。ならどうすればいいか」
「なに・・・」
 袋に詰めきっても、中からは愉しそうな声は続く。こんなの、ばれない筈がない。ならば、私は彼女を――
「いい加減にしないと殺すわよ!」
 覚悟を決めなくてはならない。いい加減、来る頃だ。いつもならもうとっくに車を出しているはずの時間は経っただろう。今まだバレてないことは奇跡なのだ。
「いいわ、貴女に殺されるのなら、本望よ」
 なら、と私は彼女の首に手をかけた。徐々に指に力を込める。良いとは言っても、やはり苦しいのだろう。首にかかった手をほどこうとはしないものの床をひっかいたりもがいたりしている。
 もう少し、もう少しで私は彼女を。
「殺せる訳、ないじゃない……」
 手をほどいて、むせるメアリーをよそに私はそのままへたり込んだ。
 げほげほと数回むせた彼女が、とても嬉しそうに私の方へ寄ってきてまた抱きしめてきた。
「優しいティア。信じていたわ。大丈夫よ、私が、守ってあげるからね」
 抱きしめ返すこともなく、私はただ見つかるまで茫然としていることしかできなかった。

 そうして私は、ケージどころか首輪に繋がれることになった。長い長いリードを握るのは主ではなく、メアリー。彼女が私の所有者になったのだ。
 私の住まう場所は彼女の部屋だ。ベッドの上で横たわらせられていて、それに這うようにくっつく。
「ティア。やっぱり綺麗だわ。それにかわいい」
 うっとりした表情で私の頬を手でなぞるが、もう私はそれに噛みつく気力もない。人形よりも動く分だけまだ人間味を保っているくらいだ。
「ねぇ、知ってる? 主は何を求めているか。本当に女と絡んで淫らなことをするのが好きなのかしら?」
 返事など返ってこないことは解っているような口ぶりで話し続ける。
「違うわ。主はね、女と女が淫らに絡み合っているのを見るのが好きなのよ。美しい者同士が汚れあっていく様がね。ほら、あれだけ媚びへつらっている女たちには目もくれないじゃない?」
 彼女は一通り撫で終えると今度は耳の方へ口をもってきて、かるく耳を甘噛みする。恍惚したように「あぁ……」と漏らし、そのまま囁く。
「そう、だから取引したのよ。そういうシーンを余すところなく見せてあげるその代わりに、私が愛して愛してやまない女の子をくださいってね。誰かって? もう解るでしょう? それとももう考えることもできない? それでもいいわ。例え貴女がそうだろうと。あるいは手足がもがれようと。首だけだって愛せる自信がある。そうね、手だけだって。足だけだって。身体だけだって。貴女ならば私は全ての愛を捧げましょう」
 狂っている――。そんな一目瞭然のことももう良く分からなくなっていた。絡み合いたいなら絡めばいい。身体など好きにすればいい。
 冷たい手が、私の胸を包んで軽く弄ぶと、次はそれを口に含んでいやらしそうに唾液を零す。
「このまま愉しむのもいいけれど――。約束だからね。ほら、行くわよ」
 そうして、私は主の待つあの部屋へ戻ることとなった。

 よく見てみれば、私と同じように首輪で繋がれたものは多くいた。彼女たちはもうすっかり狂ってしまっているようで、死んでいるかのように動かない者も、逆に激しく所有者と求めあっている者もいた。
 ここは、私の気付かない所でとうに狂いきってしまっていたのだ。ここに踏みいれた時点でもう私は戻れなかったのだ。
「さぁ、着いたわよ。どこでシましょうか? ああ、あそこがいいわね」
 メアリーは手綱を引いて、私がよく覗いていた窓の傍へと歩いた。逆らう気もなくそれに付いていく。あの時着ていたドレスなどなく、今は裸のまま歩く私にはもう何も残されていないだろう。
 ここにあったのは、豪勢な暮らしだけだったのだから。
 人を求めることに失敗した私の人生に、意味を求めることはおこがましいのだ。
「貴女、ここから見える景色好きだったわよね。知ってるわ。私は貴女のことならば何でも知ってるし、知りたい。さ、もっともっと、貴女を教えて頂戴」
 座れと言う命令に、ただ従う。メアリーは首筋を舐めて、それからキスをした。
「あ……」
 偶然にも、キスをする際に私の首が上に傾いた。その時だった。窓の奥の、青いものが私の眼に映ったのだ。
 メアリーは、意図せず漏らした私の息に反応した。
「ん? どうしたの?」
「……見せて」
 まるで死ぬ寸前の人のようにか細く発した声を彼女はうまく聞き取れなかったようで、くっつくほどに私の口に耳を近付けた。
「空を……見せて……」
「ああ、空ね。解ったわ。貴女の願いは私が叶えてあげる。私が望む内ならば。そう、そんな我儘を言ってもらえて、私はとても嬉しいわ。ほら、よく見せてあげる」
 メアリーは窓を開けて、私をそこへと立たせた。覗きこむと、私がずっと憧れていた空が映る。そこへ一羽の鳥が飛んでいった。
 自由気ままに人の触れられない所まで飛んで行ってしまいたいとそう思った空は、私のことなど知らない風で、変わらず綺麗な青だった。
 手を伸ばしても届かない。
 そうか、自由も家族も友達も恋人も何もかも空と同じだ。そう言う素敵なものには手が届かない運命。ずっと地べたを這って。見上げることしかそもそも許されていなかったのだ。
 私に許されたことと言えば――。
「ほら、よく見えたでしょう? じゃあこちらに来なさい」
 彼女が先程までいた窓から少し離れた所で手招きする。
 指示には、従わなければならない。私は彼女の所有物だ。
 けれど。
「うん、そう言う、少し反抗的な所も大好きよ。段々、段々と私の方へ振り向いてくれれば」
 私は窓を背にしてそこに身体を預ける。
 しかないわねと首を振ってそれでも嬉しそうな顔で近付いてくる彼女に対して、今度はしっかりとした声で、こう言った。

「さようなら」

 そうして、私は、力を抜いて。頭を後ろへ傾ける。
 
 すると、なにもしなくとも身体は落ちる。
 
「              」

 メアリーが私の方へ手を出して何か言っている。けれど、もう私には聞こえない。

 私に許されている自由と言えば。

 ――それは死くらいだ。

 窓から投げ出された私の身体は、ずっと望んだあの青い青い空にむしろ遠ざかっていく。

 いい。

 どうせ届かない。

 ならば私は堕ちる所まで堕ちてしまおう。

 そうすれば、望むことすら馬鹿馬鹿しくなる。

 どれだけ願おうとも羽は生えないのだ。

 だから望まないように望まないように。

 私は、諦めることを選ぼう。

 最後に聞こえた音は、私が砕けた音だろうか。
 視界が暗くなる。
 これが最後の景色だ。
 そう思って、霞んでいく光に目を凝らすと。
 見えたのは、それでも青い空だった。

 ああ、あの空は。

 諦めることすら許してくれないのか。

 悔しくて悔しくて。

“生まれ変わったら鳥になりたい”という何よりも叶うはずのない、けれど本当の願いを私はこの時初めて祈って、すっと目を閉じた。

       

表紙

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Neetsha