Neetel Inside 文芸新都
表紙

和泉新斗物語
第十五話「小さな手」

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砂嵐が巻き起こるグラウンド。
そこにあるのは、たった二つの騎馬だけだ。
僕らの騎馬と、相坂さんの騎馬との戦いは白熱していた。
相坂さんの運動神経はずば抜けて良かった。
だが、僕らの騎馬も明に春日と、身体能力の高い人間が居る。
まさに、ほぼ互角と言っても良い戦力だろう。
騎馬戦が開始され約二十分、決着つかずの戦いは未だ続いていた。

「おっと!」

相坂さんは、明の攻撃を軽く回避する。
結構な時間戦い続けているのに、彼女は息を切らすどころか、余裕の表情である。

「はぁ・・くそ~!」

明は体力の限界なのか、苦しそうな表情で相坂さんのハチマキへと幾度と手を伸ばす。
だが相坂さんは、その全ての攻撃を回避する。
流石マラソン少女と呼ばれるだけはあり、まさに底なしの体力だ。

「・・誤算だった・・!」
「・・春日、どうしたの?」

春日も辛そうな表情で、息を切らしながら言った。

「体力の限界が違いすぎる事を完全に忘れていたぜ・・。
 まだ俺たちに体力があるうちに、真波の騎馬から潰しておくべきだったんだ。
 戦いが長引けば長引くほど、俺たちは不利になる・・!」

長文で随分まともな事を発言するものだ。
確かに言っている事は正しいのかもしれないが、今更そんな事気づいてもね。
ぶっちゃげ遅いっつーの。
気合で戦うしか、道は無いだろう。

「よっと!」
「うわ!」

相坂さんの攻撃が、明のハチマキをかすめる。
ぎりぎりで回避した明だが、目に見て分かるほど、動きが鈍くなってきている。
そろそろ限界か・・。

「ぬ・・ぬふふふ。」

突然、背後から朽木の不気味な笑い声が聞こえる。
一体どうしたと言うのか、まさか体力の限界から気でも狂ってしまったのだろうか。

「ど、どうしたの朽木君?」
「・・このままでは俺たちは、ま、負けるだす・・。」

騎馬として明を支えながら、朽木は冷静な表情でそんな事を言い出した。
冷静にそんな事を言っている暇があるのなら、騎馬戦に集中してほしいものだ。
僕は相坂さんの攻撃に合わせながら、明が回避しやすいように騎馬をコントロールするのに必死だ。
このままでは、確実に負ける。

「和泉君。」
「な、なに!?話してる暇なんて無いんだよ!?」
「お、俺に秘策があるだすよ!」

朽木はそう叫んだ後、どこに隠し持っていたのか謎な物体を取り出した。
そう、筒状の不気味な物体を。
どこから見てもスプレー缶にしか見えない。
何だか嫌な予感がするのは僕だけだろうか。

「朽木君、それ何!?」
「最終手段だすよ!!」

そう言った次の瞬間、朽木は手に持ったスプレーを敵の騎馬目掛けて噴出した。
あっと言う間に、白い霧が敵の騎馬を襲う。
すると何が起こったと言うのか、敵の騎馬の選手たちの瞳から、見る見るうちに涙が溢れ出す。

「く、朽木君・・何を・・?」
「ぬふふふ・・これを見るだす!」

嬉しそうな朽木の手に握られていたのは、催涙スプレーだった。
どうしてこの男はこんな物を持ち歩いているのか、という疑問がまず頭を駆け巡った。
そして次に、これは流石にやり過ぎではないのか、とも思った。

「朽木、てめぇ何やってやがんだよ!!」
「な、何で怒るだすか、春日君!?」
「馬鹿野郎、こんな事したら反則になるじゃねえか!!」

本気で怒鳴る春日。
いや、全く春日の言う通りである。
いくら勝つためとは言え、体育祭でそんなスプレーを撒き散らすのはやり過ぎである。

「だ、大丈夫だすよ!去年も大丈夫だっただす!!」
「二年も連続でこんな事やってんのかよ!!」

何で反則にならないんだろう。
それ以前に、学校で催涙スプレーなんて停学とか退学になるものじゃないのか?
あぁ、何かもうすっごい転校したい。

「と、とりあえず今だすよ!さ、桜井さん!!」
「え・・あ・・あぁ、そうね、そうよね!」

明は困惑しながらも、一体何に納得したのか。
涙を流しながら咳き込む相坂さんのハチマキに、勢い良く手を伸ばした。
これで勝負は決まる、僕はそう思っていた。

「もらった~!」

明の手がハチマキに近づく。
だがその瞬間、相坂さんは瞳を閉じたまま、その攻撃を回避した。

「えっ!?」

間抜けな声を出す明。
そして相坂さんは咳き込みながらも、口を開いた。

「甘いよ・・ごほっ。所詮素人の動き、風の音で・・攻撃を察知するぐらいできるってね!」
「いやいやいやいや、ありえねえぇ!化け物かよ、お前はぁぁぁッ!!」

春日は目を丸くして叫ぶ。
そして相坂さんの右手が、明のハチマキに触れた。
瞳を閉じたまま、その手は的確に目標を捕らえたのだ。
恐るべし、相坂真波。

「悪いけど、勝たせてもらうよん。」
「あっ・・。」

ハチマキを握られ、明はもはや放心状態である。
あのハチマキが奪われれば、間違い無く明は顔に大怪我を負うことになる。
いや、女の子が顔に大怪我とかは流石にちょっとまずくないか?
そんな事には、絶対にさせない。

ハチマキは、明の頭からゆっくりと剥がれた。
そしてハチマキの根元の部分だけが、取り残される。
何としても、明を守らなければ!
何故だろう、僕には全てがスローモーションで見えていた。
次の瞬間、僕は騎馬を組んでいた腕を放し、騎馬を崩した。
皆それぞれがバランスを崩し、一斉に突き放される。
そして、僕は宙に投げ出される明を抱きかかえて倒れこんだ。
別に明を抱きかかえても、爆発するんだから明が怪我することに変わりはないはずなんだけど。
どうしてだろう、僕はとっさに彼女を抱きかかえていたのだ。


「えっ・・。」

明は一瞬小さな声で、戸惑いを見せた。
僕は明を抱きしめたまま、明に覆いかぶさるような体勢で倒れこんでいた。
それから数秒後、明の額に取り残された部分が爆発を起こ・・すはずなんだけど。


何も起きない。


「あれ・・爆発しない・・?」

ハチマキを剥がされたのに、何故か爆発は起きない。
いや、何でだよ?
僕がキョドキョドしていると、勝利の証を握り締めた相坂さんが僕の元へと近づいて来て、言った。

「ごっめーん、和泉君。勢い良くハチマキ引っこ抜いたら、衝撃で爆発んとこ壊れちゃったみたい。」
「・・え?」
「だから~、爆発しないの、ソレ!」
「爆発しない・・?」
「そう、しない!」
「・・よ、良かったぁ・・。」

負けたら爆発と覚悟していただけに、この展開は嬉しい。
何だか負けたのに得した気分になる。
いやはや、とにかく良かったものだ。
明も怪我をしないで済む。

「明、爆発しないってさ!良かったね!」
「・・・。」
「・・あ、明?」

明は僕に抱きかかえられたまま、機嫌の悪そうな顔で倒れこんでいる。
負けた事がそんなに悔しいのだろうか、まぁ無理も無いけれど。

「・・ねぇ、和泉君。」
「どうしたの?」
「・・ちょっと言いたいんだけど。」
「うん、何?」
「あんた、いつまであたしを抱きかかえてるつもり?」

しまった、機嫌が悪いのはそっちか!
とっさに明から離れる。

「あ、あぁ!ご、ごめん!つい!」
「ごめんじゃないわよ!この変態童貞!!」
「っちょ、ごめんってば!!」
「ごめんじゃないわよ!!」
「ごはぁッ!」

明の右ストレートを頬に受けた僕は、そのまま意識を失った。



「おい、いい加減に目を覚ませよ。」


誰かが僕を呼ぶ声が聞こえる。
この声の主は、恐らく春日だろう。
春日の声で意識を取り戻した僕は、ゆっくりと瞳を開いた。
まだ頬がズキズキしているが、何とか意識が戻って良かった。

「ん・・おはよう、春日。」
「おはようじゃねーよ、お前どれだけ気絶すれば気が済むんだ?」
「え、僕そんなに気絶してたの?」
「もう体育祭終わっちまったぜ?」
「はぁ!?嘘!?」

必死に校舎の壁に掛けられた時計を見ると、時計は午後五時を指していた。
なるほど、丁度体育祭が終わるぐらいの時間である。
体育祭中に二度も意識を失う羽目になるなんて、僕はつくづく自分が不憫で仕方ない。

「和泉、ぼーっとしてるけど大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ。ちょっと自分が可哀想になっただけ。」
「よくわかんねぇけど、まぁ意識が戻って良かったな。」
「それは良いんだけどさ、体育祭の順位はどうなったの?」

僕はそれが一番気に掛かっていたのだ。

「順位ね。まー、総合的には準優勝だな。」
「二位ってことか・・。」
「あぁ。短距離走はうちも頑張ったんだけど、もう長距離走が真波の独壇場でさ。」
「・・流石マラソン少女だけはあるね。」
「まぁな。悔しいけど、負けたもんは仕方ないさ。準優勝でも大したもんだぜ?」
「そ、そうだね。」

実は少し残念だ。
この体育祭はどうしても優勝したかったから。
そして優勝した楽しい雰囲気で、神無さんとの関係を修復しようと思っていた。
結局体育祭中、数回会話はしたものの、彼女との関係を元に戻す事は出来なかった。

「・・終わっちゃったね、体育祭。」
「いや、正式にはまだ終わってねーけどな。」
「え、どういうこと?」
「フォークダンスがまだ残ってるぜ。」

そう言うと春日は立ち上がり、まだ座りこんでいる僕に手を差し出した。

「行こうぜ、フォークダンス始まっちまう。」
「え・・う、うん・・。」
「これが最後のチャンスだろ?」
「最後のチャンスって・・何が?」
「神無と仲直りするチャンスってこと。体育祭中に仲直りしようと思ってたんだろ。」
「・・知ってたんだ。」
「当たり前だろ、お前を見てればそのぐらい分かるさ。」

意外だった。
明らかに鈍そうな春日が、僕と神無さんとの事に気づいていたなんて。
最後のチャンスか、言われてみれば確かにそうかもしれない。
僕が自分の中で体育祭中に仲直りしようと決めた以上、自分に嘘は付きたくない。
まさかこんな形で春日に背中を押されるなんて、思ってもいなかったのだが。

「あぁ、行こう。」

僕は春日の手を借りて立ち上がると、そのまま二人でグラウンドの中心へ向かった。


僕らが中心に着いたころには、既に男女別に列が出来ており、僕らもその列に加わった。
それから少しすると、大音量のミュージックが流れ出し、フォークダンスが始まった。
目の前の女子生徒と手を繋ぎ、曲に合わせて踊る。
正直な話、生まれてこれまで女の子の手なんて握ったこともないので、緊張と興奮で踊るどころでは無いのだが。
適当に時間が経つと、女子の列が移動するので、次々に踊る相手は代わっていく。
そして、次に僕の前にやって来たのは明だった。

「あ、和泉君。よろしくね。」
「あぁ、よろしく。」

明の機嫌はすっかり直っているのか、自分から僕の手を取った。
そしてしばらく踊ると、周りには聞こえない程度の声で話し出した。

「和泉君、わかってるわよね?」
「いきなり何のこと?」
「藍ちゃんと踊る時、ちゃんと言うのよ。」
「・・明も春日と同じこと言うんだね。」
「春日と同じこと言ってるってのはどうでも良いけど、どうせまだ藍ちゃんに返事してないんでしょ?」
「・・うん。」
「じゃあもう今言っとくべきよね。どうせあんた、ウジウジしててそのままにしそうだもの。」

確かにごもっともだ。
僕の性格上、ここだと思った時に実行しておかないと、ダラダラと引っ張ることになる。
まさか明にまで背中を押される羽目になるなんて、本当にこれっぽっちも思っていなかったのに。
ますます自分が情けなくなってくる。

「わかってるよ、ちゃんと返事するつもりだ。」
「そう?なら良いんだけどね。」

明は次の相手の所に移動するため、僕の手を離した。

「じゃ、あたしは行くから。頑張りなさいよ。」

少し微笑みながら、親指を立てて見せた。
僕の事を殴ってみたり、応援してくれたり、本当に明は訳のわからない奴だ。

「明、ありがとな。」
「・・馬鹿。」

それだけ言うと、明は僕の元から離れて行った。
そして数人の女子生徒と踊り、ついに神無さんの番がやって来たのだ。

彼女は俯いたまま、僕の前に立った。
まずい、明に言ってはみたものの、いざとなると声も掛けられない。
どう声を掛けたら良いのかわからないし、何を言えば良いのかもわからないのだ。
僕が黙ったまま立ち尽くしていると、意外にも神無さんが先に口を開いた。

「和泉君、踊りましょう・・?」

そう言うと、神無さんは僕の手を取った。
初めて触れた神無さんの手は、とても小さく、柔らかかった。

「和泉君、あの・・」

神無さんは僕の手を握ったまま、不安そうな表情で踊ることもせずに立ち尽くしている僕に話しかける。
こんなに小さな手で、僕の手を握りながら。

その時、僕は思った。
神無さんは、きっとあの縁日の日からずっと辛い思いをしたんだと思う。
いや、縁日の前から、辛い思いをしていたのかもしれない。
僕と明が仲良くしているところを見て、ずっと悩んでいたんだろう。
そして勇気を出して僕に告白したのに、僕はそれに何も答えることが出来なかった。
君に何も、言ってあげる事が出来なかったんだ。

僕が弱いから、僕が逃げていたから。

僕は、神無さんを傷つけた。
こんなに儚げで、今にも壊れてしまいそうな少女を。
僕は今その少女を目の前にして、また何も言わずに逃げるつもりなのか?
また傷つけるのか?
いや、そんな事は絶対に出来ない。
今度は、僕がちゃんと言う番だから。

もう、逃げない。

「神無さん、君に言わなくちゃいけない事があるんだ。」

上手く言えないと思うけど。
今度は僕が君に、答える番なんだ。

「あのね、縁日の日の事なんだけど・・。」
「・・はい・・。」

大音量のミュージックをバックに殆どの生徒が踊る中。
僕ら二人は手を取り合ったまま、一歩も動く事無くただ見詰め合っていた。


「神無さんが告白してくれた事、驚いたけど嬉しかったんだ。
 でも、僕生まれてから女の子に告白された事なんてなくて、どうして良いかわからなかったんだ。」
「・・はい・・」
「神無さんが嫌いだから何も言わなかったとかそういうのじゃないし、本当に戸惑っちゃってさ・・。
 神無さんのことは、大事な友達だと思ってて、まさか告白されるなんて思ってなくて・・。」

周りの生徒が、僕らを不審そうにチラチラ伺っている。
別にその他大勢にどう思われようが、構わない。

「それでさ、上手く言えないんだけど・・。
 付き合うとかそういうの、よくわからなくってさ・・。
 それでもし良かったら、友達から始めるとか、そんな感じって言うか・・。」

僕がそこまで言うと、神無さんは少し笑顔になった。
そして笑顔のまま、僕を見つめて言った。

「・・私、フラれちゃいましたね。」

まじで。
何でそうなる。

「え、いや違うよ!そういう訳じゃないよ!」

違う、振るとかそういう訳じゃない。
これではまた君を傷つける事になってしまう。

「ふふ、大丈夫ですよ和泉君。そんなに慌てないで下さい。」
「え・・で、でもさ!本当に振るとかそういうんじゃなくって!
 いきなり付き合うとか解らないから、友達から・・って感じでさ・・。」

焦る焦る。
和泉新斗必死だな。
もはや情けないとかそういうレベルでは無くなっていた。

「無理しないで下さい、傷ついたりしませんから。」

どうしてだろう、彼女は笑顔のままだ。
無理して作っている笑顔なのだろうか?

「私、頑張りますから。」
「・・え?」

彼女は僕の手を放すと、少し僕と距離を取った。
そして神無さんと出会って以来、今までに見た事もないような、満面の笑みで彼女は言った。


「和泉君が私を好きになってくれるように、頑張っちゃいますから!」


「え・・。」


それだけ言うと、彼女は再び僕の手を取った。

「・・あ、でも迷惑だったら言って下さいね・・?」
「な・・迷惑な訳ないよ!うん、絶対!」
「ふふ、すごい慌ててますね。」

そりゃあ慌てる。
まさかあの大人しい神無さんから、こんな言葉を聞くなんて。
やっべ、って言うか可愛い。

「せっかくだから、踊りませんか?」
「・・うん、踊ろう!」

流れるミュージックに合わせて、ようやく僕らは踊りだした。
夕日に照らされるグラウンドで。
僕の目の前に居る少女は、とても幸せそうな笑顔だった────。

       

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