Neetel Inside ニートノベル
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しっぽのない猫、翼のない君
7. 猫の、ママ

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7. 猫の、ママ

「……ミヤの母親は、心を病んでいたのだ」
 そして翌日。
 サクラダさんは沈痛な面持ちでそう切り出した。
「ミヤが生まれた当時、わたしは一介の勤務医だった。
 それでも野心は人一倍で、院内の権力闘争に明け暮れていた。
 ろくに家に帰りもせずに、娘の顔もほとんど見ず……
 気がつくと妻は心を病んでいた。
 そしてミヤは、コトバを知らない子になってしまったのだ。
 父と母がともに、一杯の愛情を注ぎ……愛を語る言葉を目一杯にあげなければならないその時期を……
 わたしは、失わせてしまったのだ。
 つまらない、野望のために」
 ぐ、とこぶしをにぎり、こらえる。
「妻はそれでも、精一杯にミヤを愛してくれた。
 自分はヒトの姿をした猫なのだ、と思い込み、言葉を失ってしまっても、その状態なりにミヤをいつくしんで育ててくれた。
 ミヤはとても優しくて素直な、可愛い娘だろう? それはみんな妻と、いっしょに暮らしていた猫たちのおかげなのだ。
 しかしミヤは、学校に通うべき年齢になってもなお、コトバを話すことはなかった。
 罪を悔いたわたしは、病院をやめた。
 そして妻と娘を治療するために、このクリニックを設立したのだ」
「あの、失礼ですが、奥さんは……」
「ああ、彼女は大分回復してね。
 今は、ほかの持病の治療のために海外へ渡っているが、もうじきに帰ってくる予定だ。
 彼女も、ミヤのことはとても気に病んでいた。
 だから、ミヤがヒトの言葉を取り戻すまではそばにいる、と言ったのだが、わたしが押し切って渡米させたんだ。
 ミヤが回復する以前に、お前が死んだら意味ないだろう、と言ってな」
「それじゃあ、お母さんが帰ってきて、ミヤちゃんはほんとに人間なんだ、て言ってもらえたら……」
「うーむ。
 わたしもそれを考えていたんだが、難しいかも知れん。
 妻は結構頑固なところがあってな。ミヤもその血を受け継いでいるようなんだ。
 しかも幼時に刷り込まれた確信を覆すとなると……
 実際、先日はわたしも、洗脳に近い方法で人間と思わせようとまでしたのだが、全然ムリだったし」
「はあ………」
 な、なんて怖いこと言うんだ、この人は。一応院長先生なのにっ。
「教育と調教と洗脳は、紙一重だよ。
 手段と程度の違いにすぎない。
 わたしも、……ミヤをひざにのせて、絵本を読んでやればよかった。小さなかわいい手をとって、文字を教えてやればよかった。そうしたらこんなことをしないですんだのにな。
 どうしたら取り戻せるんだろう。
 あるはずだった姿を。
 わたしにはもう……わからない。
 助けてほしいのだ、カノン君。
 馬鹿な父親、馬鹿な医師だ。そう呼ばれてもいい、実際にそうなのだから……
 ミヤと、心と心を触れ合わせることのできる君を頼むしか、いまのわたしにはもう思いつかないんだ」
「サクラダさん……!」

 サクラダさんの言葉と<声>は、完全に一致してた。
 だから僕は、ひそかに練り上げていたあの計画をサクラダさんに打ち明けた。

 すべてを聞いたサクラダさんは驚きながらも、全面的に協力しよう、と言ってくれた。


 その日、ぼくはミヤちゃんをはじめとするみんなを、パソコンの前に呼び集めた。
「これからみてもらうものは、すごくびっくりするものです。
 でも本当のものなんです。みてみてください」
 短い紹介をして、頭を下げる。
 そして、あらかじめ作っておいたショートカットを、ダブルクリック。
 画面上の小さい四角形の中、短い読み込み時間ののち、動画の再生が始まった。

 おそらくマンションのドアらしき、灰色の金属扉が開けられる。
 ドアマットには一匹の、ふさふさとした、真っ白い猫がすわっていた。
 白猫はうれしそうにこちらを見上げ、可愛らしい口を開く――

「オカエリ!」

 どよめきがおこった。

「うそ! ほんとなんですか?! かわいい!!」
 頬に手を当てたホシカワさん、目が潤んでいる。
「なんと。猫もしゃべるんじゃな!」
「こんな、ことが……」
 チバさん、サクラダさんも驚いている。
<カノン!! これほんとなの?!
 ネコでもニンゲンみたいにしゃべれるの?!>
「うん。
 まえに、偶然見つけたんだけどね。
 ミヤちゃんは、猫だからしゃべれないっていってたけど、猫でもしゃべれる子はいるんだ。
 まして、人間のカラダを持ったミヤちゃんならきっとできる。ぼくはそう思うよ。
 ミヤちゃんのお母さん、もうすぐこっちに帰ってくるって。その時にさ、『おかえりなさい』って言ってあげたら、喜ぶよきっと」
<……!!>


 その日から、ミヤちゃんの特訓が始まった。
「お」
「みぉー」
「か」
「きゃ」
「え」
「☆~」
「り」
「みー」
 ミヤちゃんは理学療法士の先生の都合が許す限り、レッスンを受けた。
 そしてその前後は、いつもの芝生でぼくらを相手に練習を重ねた。
<どう?>
<おお、なんかニンゲンぽいぞ!>
<すごいな~。ボクもやってみようかな>
<面白そうだね。お母さんにはあたしたちも恩義があるんだ、やってみよう!>
「じゃもういちどやるよ。
 おー」
「のー」
「みょー」
「うぉー」
「ごー」


 ヤル気、というものはすごい。
 一度その気になったミヤちゃんの上達は、予想を上回っていた。。
 三日もしたころには、動画の猫よりはるかにうまく『おかえり』を言うことができるようになっていた。
 五日めには、どうせならと『なさい』も追加。
 七日たつころには、だれもが自然と認める発音が九割の確率でできるようになっていた。
 そして10日後。
 ミヤちゃんは見事、お母さんに『おかえりなさい』を言うことができたのだった。


 翌日、僕はサクラダさんに呼び出された。
 そこには、僕の父さんと母さんがいた。

       

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