Neetel Inside ニートノベル
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 ビルの一階では食事処が軒を連ねている。食堂で食べたほうが安上がりだが、味も値段相応のために、それなりのものを食べたいならばこのあたりの店舗を利用するのが便利である。
 いつもは食堂を利用する赤坂と依代だが、昼前に発生したシステム障害の調査に追われ、終わったときには食堂の営業時間も終わっていた。それならばと依代の紹介で入ったのは、和食がメインの食事処だった。
 さんま定食をつつきながら、赤坂は朝から抱いていた疑問を依代にぶつけることにした。
「依代さん。ちょっと聞いてもいいでしょうか。朝から気になっていたことなんですけど」
「ん、なあに?」
 依代はほっけの煮付け定食を口に運びながら答える。
「海上さんがサブリーダーの代わりをするって言った時、みなさんすごい顔してましたよね。あれってどうしてです?」
 依代の箸を口に運ぶ挙動が一時停止した。
「とうとう赤坂さんに、真実を話すときがきたようね・・・・・・」
「なんですかそれ。魔王を倒しにいけとか言わないでしょうね」
 魔王、魔王か・・・・・・、依代はぶつぶつ呟いていたが、言葉を選んでいるのか数秒黙ったあと、箸を置いてから静かに言った。
「魔王です」
「えっ」
「私にとって、絶対に倒せない魔王のような存在なのかもしれない」

 赤坂が昼食を済ませて自席へ戻ると、海上の姿が見当たらなかった。海上は昼前に発生したシステム障害の調査はせずいつも通り昼食に行ったため、まだ昼食をとっているということはさすがにないだろう。
(トイレかな?)
 特に用事もないので、そのことについて考えるのをやめ、残作業の消化に着手する。今日は、テストを行うためのCSVデータを作成してテストチームに引き渡せばよいだけなのだが、午前中ですでにデータ作成作業と目視による検証は終了していたため、あとはDBにデータを突っ込んで簡単な動作確認をすればよい。詳細な項目のテストは、引渡し後テストチームが行う予定になっている。
 テストパターンごとにDBへツールを使ってデータを挿入し、画面が正常に動作することを確認していく。数パターンのデータによる動作確認をすべて終え、メールにCSVデータのファイルを添付してテストチームに送信する。
「よし、今日の作業はおしまいっと」
 日報を書いて、余った時間は翌日の作業を前倒しでやって定時まで時間をつぶそうかしら、などと考えながらバチバチキーボードを叩いていると、不意に後ろから声がかかった。
「赤坂さんちょっといい?あのさ」
「えっ?はい」
 赤坂の意思を確認する間もなく、男はいきなりまくし立て始めた。
「データが言ってた内容とぜんぜん違うんだけど、なんでなの?こういうことされるとこまるんだよね。君のせいでテスト遅れることになるけどその辺はどう思ってるわけ?」
 いきなりやってきて無礼な言葉を言い出し始めた。これが世に言う「モンスター・クライアント」というやつか、赤坂は一瞬そう考えたが、たいていのクライアントは怪物だったことに気付いたので、洒落になっていないなあとしみじみ思った。
 赤坂は、やれやれだわ、といった表情で、男の対応をすることにした。
「えーっと、ちょっと落ち着いてくださいね。少し状況を整理しましょう。まずはじめに重要なことを確認させてください」
 一拍おいて、赤坂は誰もが当然思うであろう疑問をぶつけることにした。
「どちらさまですか?」

 依代が化粧室から自席へ戻ると、茶髪の男が顔を真っ赤にしながら赤坂と口論している。いや、口論しているというよりは、赤坂に対して一方的に怒鳴りつけているように見える。何事かと思い、依代は事態を心配そうに眺めていた上中里に声をかけた。
「ちょ、ちょっとなにがおきてるの。すごい勢いで怒鳴ってるけど」
 依代に気付いた上中里は、すごい勢いでかぶりを振った。
「わかりません。突然あの人がやってきて赤坂さんに怒りはじめたんです」
 男は怒りに任せて赤坂を攻め立てているようだが、一方の赤坂はいたって涼しい目をしており、男の剣幕にひるむ様子もなく冷静に言葉を返していた。
「だから、変えるようにって言っといたはずなのに何で変わってねえんだよ。若年性健忘症かコラ」
「申し訳ありませんが、さっきから何度も申し上げていますように、そのような依頼は承っていません」
「うるせーんだよテメーさっきからごちゃごちゃと言い訳し腐りやがって。そんないい加減な仕事してっとしまいにゃ訴えるぞ。わかってんのか」
「お怒りなのは頭が痛くなりそうなほどわかりました。ご依頼の件については社内で確認しますので、いつ誰にどのような手段で伝えたのかをお教えいただけますか」
「バカかお前、期限は今日中だろうが。今からそんなことやってちゃまにあわねんだよ。」
 依代は男の正体に気付き、口だけへの字にしながらため息をついた。収束に向かう気配が全くない二人のやり取りを見て、赤坂に助け舟を出すことにする。
「あらあら岩倉さん、お疲れ様です。どうかなさいましたか?」
 先ほどまで赤坂をがなり立てていた男は、振り返って依代のほうを見るや否や、がらりと態度と表情を一変させた。
「よよよよよよよよよりしろさんではありませんか。きょうはおひがらもよくごきげんうるわしゅう」
 赤坂は、マンガかお前は、という言葉をすんでのところで飲み込んだ。依代は秀麗な挙措で頬に手をあて、困った素振りをする。
「なにか相当お困りのご様子でしたけど、うちの赤坂が何か失礼をいたしましたか?」
「い、いえいえいえいえいえいえいえ、ちょっと双方の見解に差異がございましたものでございますから、少し赤坂さんのご見解をご拝聴いたしましょうかとしておりましたところでございましてですね」
 今度は舞浜が、マンガかお前は、と声に出して言った。赤坂はドキリとしたが、幸い岩倉には聞こえていなかったようだ。
 岩倉は、先ほどまでの勢いがうそのように慌てふためいている。
「あらあらそうでしたか。だめじゃない赤坂さん、失礼しちゃ」
 ウインクを織り交ぜた依代の言葉で、赤坂は何かに気付いたかのように顔色を変えると、岩倉に向かって「すみませんでした」と頭を下げた。
 依代が赤坂と岩倉双方の言い分を聞いたところによると、どうやら依代と赤坂が食事に行っている間に仕様変更とプログラムの修正が入ったらしく、その影響でデータベースで使用するテーブル名も変更になったらしい。当然それは赤坂のテストデータ作成作業にも影響が出るのだが、岩倉はそのことについてすでに伝えていると言っており、赤坂は聞いていないといっている。
「岩倉さんは、誰にそのことを伝えたんですか?」
 依代はすでに勘付いてはいたが、あえて岩倉を問質す。
「は、はい。海上さんですけど」
「なるほど、つまり岩倉さんは、海上に口頭のみで仕様変更の連絡をしたんですね?」
「あっ・・・・・・!」
 岩倉は何かに気付いたように声を上げたあと、そのとおりです、と依代の言葉を肯定した。
「事情はわかりました。ですが、これをすぐに対処する、というのは難しいですね。責任の所在が不明確に過ぎます。まずは岩倉さんから仕様変更に関する詳細な情報を弊社メールに送信していただけますか?あて先は海上で、CCに私と赤坂を入れてください。」
「は、はい。わかりました」
 素直すぎる、と赤坂は思った。先ほどの自分との口論はいったいなんだったのだろう。依代に弱みでも握られているのだろうか。
「あと、口頭で連絡していただくのはかまいませんが、そのあと必ずメールなど後に確認可能な手段で再連絡するようにしていただけますか?またこのようなことがおきないとも限りませんので」
「わかりました。どうもお騒がせしました。早速資料をお送りします」
 そう言って、岩倉はそそくさと退散していった。
 依代が岩倉へ伝えた事というのは、赤坂が最終的にやろうとしていたことと同じだった。しかし赤坂は問題を解決できず、依代は問題を解決した。なぜこういうことになってしまうのだろう。自分が未熟なのは百も承知ではあるけれど、自分の行動が間違っていたのかもわからないし、何をどうすればよかったのかなど見当もつかない。赤坂は少し悔しくて唇をかんだ。
 依代が、赤坂の肩に手をあてて、静かに呟く。
「よくあそこで頭を下げられたわね。さすが私の見込んだSEなだけはあるわ。自信もっていいよ」
 そのあと依代に脇をくすぐられなければ、赤坂は思わず泣いてしまうところだった。

       

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