Neetel Inside ニートノベル
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 すずめが電線の上で鳴く声が聞こえなくなり、最近新設された保育園から園児たちの脳神経を揺さぶる甲高い声が響き渡る。アパートの裏側ではマンションが新築されるのか、建設機械が重低音を響かせて安眠を妨害してくる。
 睡眠によいとは決していえない環境の中、埠頭佳那恵はノースリーブのシャツにパンツ一枚の格好でへそを出しながら熟睡していた。もはや隕石が落ちようと彼女のすこやかな眠りが妨げられることはあるまいと思われたが、意外にも彼女を覚醒させたのは、この時間にセットされたアラームの電子音であった。
 ぴぴぴぴぴ、と単調で不快な音を出し続けるアラームを止め、埠頭はガバチョと起き上がる。
(そういえば、今日こそちゃんと会社へ行こうと決心したんだった)
 明日から本気を出す、と聞くと笑い話にしか聞こえないが、彼女自身一度決断したことは必ずやり遂げる性格を持っていたし、今までそうしてきたからこそ今の自分があると思っていた。ただそこにいたるまでの時間に難があるだけだから長い目で見てほしい、というのは結婚する気がない娘に対して親が口やかましく言うときの言い訳に似ている。
「よし!」
 カーテンを開け、声を出して半覚醒状態の頭を奮い立たせる。今日が新しいスタートだ、と何度したかわからぬ決意を胸に、埠頭はりんごが二つ入るほどの口を開いて大あくびをし、へその辺りをかきながら、とりあえず歯を磨くことにした。
 埠頭佳那恵は、自分でも不真面目な社会人だと思っている。
 まともに会社へ出社したことなどほとんどないし、会社に来てもいろいろ理由をひねり出して定時前に帰ってしまうような人間だった。同一プロジェクトに居る誰もが、彼女が懲戒処分対象にならないことを不思議がっていた。
 それ以上に不思議に思われていたことは、彼女がよく炎上プロジェクトに放り込まれること、そしてそのプロジェクトがいつの間にか炎上していないことになっていたということだった。

 金髪をなびかせて埠頭が職場入口のドアを開けた時、中から流れてくる空気の中にただならないにおいを感じ取り、動きを止めた。
「どうかされましたか?」
 後ろに並んでいた男が、動かなくなった埠頭を心配そうに見つめながら言った。確かに傍から見れば怪しい動きだったので、埠頭は申し訳なさそうに詫びを入れて中に入る。すると、詫びを入れたときに埠頭の顔を見た男が、何かに気付いたように話し始めた。
「あ、埠頭さんじゃないですか。お久しぶりですね。お休みされていたみたいですけど、お体の調子でも崩されたんですか?」
(チッ、うっせーな)
 どこかの五輪選手のような悪態を胸中で呟きつつ、埠頭はスマイルで応対した。
「いえいえ、実家のリンゴ園が異常気象で大変だっていうもんですから手伝いに行ってたんですよホホホ」
「アッハッハーそうでしたかー」
 自席へ向かう途中でアハハオホホと愛想笑いを浮かべる。埠頭が現場で一番苦手な人間がこの男だった。他愛のなさそうな言動で核心をついてくるようないやらしい人物だと、埠頭は思っている。
「しかし農家のお手伝いとなると、相当な重労働でしょうなあ」
「いえいえ、小さい頃からやっていましたから、なれたものですよ」
「そうですかー。そんなパワフルな埠頭さんなら、お仕事いっぱいお願いしちゃおうかな!」
「ウフフ、おてやわらかにおねがいしますね」
「ハハハ、ご謙遜を」
 会議にでも向かうのか、分厚い資料を持った男は空いている手を振りながら別れを告げる。
「それじゃ、次回のご冗談も大いに期待しておりますので!」
 去り行く岡野の後姿を見ながら、埠頭は岡野に悟られないように顔を伏せて舌打ちした。あの男と話すと内面を見透かされているような気がしていつも不快な気分になる。
(朝からいやな感じ。最悪の再スタートだわ)
 時刻はすでに正午を回っていた。

       

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