Neetel Inside ニートノベル
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 赤坂は、やはり頭を抱えていた。
「ごめん上中里さん、今のところもう一度聞いてもいいかな」
 眉間をつまんで、心の奥底から沸き上がってこようとしている怒りのオーラ力をなんとか押さえ込み、当の上中里とは目を合わせずに尋ねる。
「はい、定時になりましたので、その日は帰宅いたしました」
 聞き間違いではなかった。これほど短い文章を聞き間違うはずはないのだが、「定位置担いましたので、孫悟空はキー、タクアン頂きました」という聞き間違いであって欲しかった。赤坂は自分でも何を考えているのかわからなかったが、とにかく頭がどうにかなりそうな状態だった。
「な、なんでその日の作業が終わってないのに帰っちゃうのかな」
「なんで、とはどういう事でしょう。作業指示以外は承っていませんので、定時後会社規定に基づいて帰宅したまでです。上長の指示なく会社に留まって残業時間を計上しろとおっしゃるのですか?」
(ああ、いたよ。こんなところにもモンスターが)
 今後の方針を大まかに決めた赤坂だが、今日中に解決すべき問題はまだ残っていた。このような状況に陥ってしまった原因を探ることである。
 赤坂が管理業務を任されてから今まで疑問に思ってきたことの一つに、プロジェクトメンバに危機意識がなさすぎるということがあった。依代はともかく、誰がどう見ても予定より進捗状況が芳しくない舞浜や上中里が、ニヤニヤしながらネットサーフィンしていたり紅茶をすすって優雅に微笑んでいる様というのは、かなり違和感がある。
 そこで一度メンバと面談をして、認識の齟齬を解消しようと目論んだ赤坂だったが、一人目の上中里から早くも全てを投げ出したい気分になっていた。
 しかし、弱音を吐くのはもうちょっと後にしようと考え直し、食堂のテーブルに投げ出していた両手を膝の上に静かに置き直した。
「あのね、上中里さん」
「なんでしょう」
 ため息を吐いたととられないように、慎重に呼吸して間をとった。現状で彼女へストレスを与えることになんの意味もない。
「別にあなたを怒らせようと思って言ってるんじゃないんです。現状を認識した上で、どうしていけばいいかを一緒に考えたいと思ってる。そのためにはあなたの協力が必要なのよ」
「えっ」
 上中里は、キョトンとした表情で赤坂を見る。もしかしたらこういうことを言われたのは初めてなのかもしれない、と赤坂は思う。この線で攻めれば、落とせるかもしれない。
「だからその、えーと、誰かが傷ついたときには慰め合い、誰かが成功を収めたときにはそれを共に喜び、プロジェクト完遂のためみんなで手を取り合って、この苦難を歓喜に変えてしまおうではありませんか!」
 何故か途中から演説を始めてしまい、我に帰った赤坂は顔を赤くした。目だけで周りを見ると、離れた席で打ち合わせをしていたらしき人々が何人かこちらを見ている。
(なんという辱め、死にたい!)
 天井を見ながら自殺方法を考えていた赤坂がふと視界をおろすと、そこには手を組んで目を潤ませ、口をへの字につぐんでいる上中里の姿があった。
「感動致しましたっ。これほどまでの扇情的なリーダーシップを発揮された方などまったく存じ上げません。どうかこの私目のことは雌豚とでも糞虫とでもお呼びになっていただき、世の終焉まで酷使してくださいませっ」
「いやちょっとおちついて。何言ってんのかわかんないから」
 目に星を浮かべて鼻息をフゴフゴいわせている上中里に、赤坂は危機感を抱く。
「と、とにかく、これから帰るときは私に言ってから帰るようにしてね。作業自体は引き続きやってもらうけど、わからない部分があれば依代さんにきいて。私でもいいけどね。必要であれば残業もしてもらいます、というか今の状態であればそうしないと取り戻せないんだけども」
「はい、わかりましたわお姉さま!」
 妙なキーワードが出てきたので、赤坂は顔をしかめた。
「お、お姉さまはやめてよ。あと、社内では雌豚とかいう不穏当な言動は謹んでください」
「もちろんですわお姉さま。お姉さまのためであれば不当な言葉狩りに屈して辛酸を舐め泥水を啜り恥辱に塗れた拷問で精神を蝕まれることなど問題になりません。必要とあれば最高時速で新大阪東京間を結ぶ新幹線を子犬を救うために生身で止めてみせましょう!」
「それをやめろって言ってんのよ。最後のは何だ、テリーマンかお前は」
 不気味な言動を製造し続ける上中里の口に歯止めをかけようと、赤坂は上中里の両頬を引っ張ってやった。いはいいはい、と言いながらにやけ続ける上中里を心底気持ち悪く思うが、今の彼女の表情が本物なのであれば、彼女の向いている方向もきっと同じなのだろうと思い、少し安心する。
 一緒に考えたいと言った割には、一方的に指示をして話が終わった。
(彼女が望んだことなんだから、いいよね)
 自分の望んだ着地点とは、少しずれていることが気になった。

「いやー、さすが大抜擢の管理職様は、やることが違いますなあ」
 舞浜佐波雄は、食堂の椅子に座るや否や、赤坂に絡み始めた。
「管理職じゃないですよ、手当とかないですし。サブリーダーがどういう立場かっていうのはたぶん海上さんから聞いてると思うんですけど」
「手当てとかんなもんはね、下から見りゃ関係ねえんですわー。なんにしろ上役から命令されることには変わりませんからなー」
 いつもと違ってやけに絡んでくるなと思ったが、赤坂はそれについては言及しない。
「そうですか、わたしになにか不手際があったようなら、言ってくださればできるだけ改善しますけども」
「いやいや、ご立派ですよ。あんたはよくやってるさ」
 なんでいちいちガンダムの台本みたいな喋り方をするんだろう、と思ったところで、赤坂は気がついた。要するにこいつは、真面目に喋れないのだ。理由はわからないが、舞浜の発言殆どから『台詞臭』が感じられる。こういう人間に話をあわせようとすれば、実のない話に面談時間の半分以上を費やしてしまうに違いない。赤坂は舞浜の発言にある『セリフ』をノイズとして認識し、文意だけ汲みとることにする。
「まあそのことは置いておくとして、これを見てください」
 赤坂は進捗管理表を取り出して、テーブルの上に広げた。
「うひょー、赤い彗星がこんなにいたら連邦は塵ひとつ残さず消滅するな」
「他の人のことはどうでもいいんですよ。ここ見てもらうとわかるとおり、舞浜さんの作業は二日分遅れてるんです」
 心臓から『ドキリ』という言葉が飛び出さんばかりに表情を一変させた舞浜は、脂汗をダラダラ流しながら目をそらした。
(よかった、自覚はあったんだな。まあそれでも芳しい状況ではないけど)
 舞浜のことだから、工数を意識せずに作業していた、なんてことを言い出すことかもしれないと最悪のシナリオを想定していたが、どうやらそういった事態は避けられたらしい。
「どうしておくれてるんです?どっかで躓いているとか」
「いやまあ、その、先方が仕様を固めんのに手間取っててさ」
 動揺しているのか、舞浜が普通に会話している。
「そうなんですか?そういうことならこちらからさっさとしてもらうようにプレッシャーかけますから、あとで連絡先教えてください。でもそれは正当な遅延理由のはずなんですけど、リスケされなかったんですか?」
 リスケというのは、リスケジュールの略で、作業遅延や優先度の高い作業の割り込みにより変更の生じた予定を調整することである。正当な理由があるにも関わらずリスケされていない現状に、赤坂は不思議そうな顔をする。
「い、いや、仕様はもう届いてるんだよ。半日位遅れてたかな?」
「え?じゃあ残りの1日プラス半日分の遅れはどうされたんですか?」
「あ、ああ。遅れてきた仕様が最初に聞いてたもんとだいぶ違っててね。しかもアホみたいに複雑で、デバッグに苦労しているといいますか」
 ははーん、と赤坂は思った。要するに舞浜は、実装方法がわかっていないのだ。
 この場合、原因さえわかれば対応することはそれほど難しくはない。しかも今回の場合、赤坂が決めた方針と原因の解決方法が同一解を示している。
「だいたいわかりました」
「えっ、まじで」
 舞浜がいつもの調子を取り戻したかのように大げさな仕草で驚いてみせたが、赤坂は構わず続ける。
「舞浜さんの下に、埠頭さんをつけたいと思います。彼女はプログラミングに関しては腕が立つので、ある程度任せても大丈夫だと思います。でも基本的にこれは舞浜さんの作業なんで、彼女に投げっぱなしにするとかはやめてくださいね。ロジックは自分で説明出来る程度の理解をしておいてください」
「えっ」
「えっ」
 舞浜が驚いたので、赤坂が思わずオウム返しをする。
「どうしました?埠頭さんが下だとまずいですか?」
「いや、そうじゃないけどさ」
「え?じゃあなんです?」
 舞浜は突然、自分の髪の毛をくるくるしながらモジモジしだしたので、赤坂は単純に気持ち悪いと思った。
「あいつさ、なんか……怖くね?」
「さて、面談は以上です。作業に戻ってください。あと定時前には私に進捗報告をするようにしてくださいね。メールでなく口頭で。必要であれば残業をしていただきますので」
「お、おい。これ結構重要なことだって!」
「わかりましたよ。本人にはそれとなく言っときますから。早く作業に戻ってください」
「ほ、ほんとうだからな!たのむよまじで。あいつフラニーをやった時のカテジナより迫力あるんだからな」
 赤坂がハイハイわかりましたといい加減に相槌を打つと、舞浜は恨めしそうに赤坂を見ながら食堂を後にした。
(残るはあの金髪の悪魔ね)

       

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