Neetel Inside ニートノベル
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「ねこねこにゃんにゃんねこにゃんにゃーん。みみしっぽにゃんにゃんにくきゅうにゃーん。かつぶしにゃんにゃんキルゼムオール♪」
 だめだこいつ、早く何とかしないと。
 障害の緊急対応開始からすでに2時間が経過し、本来であればバッチ実行後の確認作業まで終わっているはずだったが、二つめのバッチ処理実行中に障害が発生したために現場がかなり混乱している。緊急対応チームのメンバと思しき人物が右へ左へかけずり回り、怒声があちこちから聞こえてくる。
 そんな中、上中里も例にもれず、ひどい錯乱状態にあるようで、不穏当な歌詞の含まれる猫の歌を歌い出している。
「なんであんたこっち戻ってきたの?向こうでツッキーのサポートしなくていいの?」
 本番機操作端末がある部屋から、赤坂を置いてひとりだけ作業部屋に戻ってきた上中里に、埠頭は含みを持たせた質問をする。しかし、上中里の現在の精神状態では、残念ながらユーモラスなジョークどころか、まともな返答すら怪しいなあ、と埠頭は思った。
「こっちはわたしだけでだいじょうぶだから、戻って埠頭さんたちの手伝いをしてあげてと言われたんですにゃん。かみやんじゃなくてかみにゃんとよんでくださいにゃん」
「なるほど、向こうにいても邪魔なだけだからこっちに強制送還されたというわけね」
「なんかひどいこと言われている気がするけど私は今錯乱状態にあるのでそんなことには気づかず作業を淡々と続けるんですにゃん」
「しかも戻っても自分に今できることは皆無だから、依代さんに指示された別に期限はいつでもいいような作業をこなして仕事をしているふりをすると」
「そんなこと言って挑発しても、わたしが正気にもどることはありませんのにゃん。私は黙々とログを綺麗にしてエクセルに貼り付ける作業をこなしますのにゃん」
「しかしそのエビデンスは結局使用されることはなく、カスにゃんの労力は無駄に終わるのであった」
「なんか名前変わってるね!というか私もう帰っていいよね!やることないし帰っていいよね!」
「うるせーバカ!お前は錯乱したふりしてニャンニャン言ってりゃいいんだよ!」
「いやだーかえるーおうちかえるーにゃーん」
 混乱した現場の中にあって、彼女らの会話は日常的に過ぎて、逆に目立たなかった。


 岡野への現況報告後にバッチファイル保守担当者へ情報を連携した依代だったが、担当者からの回答は「わかりません」だった。現場にいたのは運用担当者のみで、どうやらプログラム担当者自身は帰宅しているようだった。一応調査してみますと担当者は言っていたが、数々の不具合を見過ごしていた彼らに期待はできない。幸い埠頭がプログラム内部調査に回っていたので原因特定は早くできそうだが、依代の頭には一つ、払拭できない疑念があった。
(あやしいとすれば、あそこしかないのよね。でも証拠がない。さてどうしたものか)
 顎を押さえて考えながら周りを見回していると、ポニーテールの女性が視界に入ってきた。彼女は確か、本番機やテスト機などの運用を管理しているチームの一人だ。この時間まで残っているということは、緊急対応チームか、テスト機でのテストチームに指示されて待機しているのだろう。
 よくみると、頭を抱えているようだ。何か不具合でもあったのだろうか。
「おつかれさまです古山さん。なにかあったんですか?お悩みみたいですけど」
 依代が話しかけると、ポニーテール女はひどく驚いて体をビクンと反応させたが、依代の顔を見ると安心したようで引きつった顔を崩す。
「依代さんでしたか。おつかれさまです。今大変面倒なことになってます」
 古山は後ろ髪をさすりながらモニタを凝視している。面倒なことと聞いて、依代はやっぱり聞くんじゃなかったかなと少し後悔した。
「もしかして、サーバが落ちてる件ですか?」
「ええ、そういえば依代さんのところで緊急対応してるんですよね。リモート接続ができないので直接行って確かめるしかなさそうです」
「なるほど、ちなみに落ちているのってなんのサーバですか?」
「ログサーバと、アプリケーションサーバですね。なんで同時に落ちちゃうんだろう」
「なるほど、それって、どっちかは本番機ですか?」
「いえ、どちらもテスト機ですけど」
 あれ?と依代は疑問に思った。上中里の報告から考えると、現在本番機にも障害が発生しているはずなのだ。
「じゃあ私、サーバ室に行ってマシンの様子を見てきますね。えーと、再起動の手順書は」
 サーバ室に向かおうとする古山を見て依代は慌てて彼女を止めようと腕をつかんだ。
「ちょ、ちょっとまって!」
 ドッキーンという擬態語が目に見えるくらい驚いた古山は、急にもじもじし始めた。
「ど、どうしたんですかよりしろさん、きゅうにうでなんかつかまれるとわたし、どきどきしてその、なにもかんがえられないというか、あたまがぼーっとなっておかしくなっちゃうというかその」
 何か勘違いをしているようだが、その件について問い質している時間も余裕もない。
「同時って、どれくらい同時?時間とかわかる?」
 依代の鬼気迫った表情に、自身の思い違いに気付いた古山は、あわててモニタに向き直った。
「ええと、ログはとってないんですけど、アクセスした時間ならコンソールに表示されていますよ。みます?」
「お願いします」
 依代に促されると、古山は二つのコンソールウィンドウをデスクトップに並べた。サーバ監視用プログラムを動かしていたようだが、二つのウィンドウにはほぼ同時期にサーバとの接続が切断された旨が表示されている。
 そしてその時間は、上中里が障害を報告してきた時刻とも酷似していた。
(もしかしたら、本番機のパラメータが間違ってる?でもそれならテストで気付くはずだけど……)
 そこまで考えて、依代は一旦考えるのをやめた。画面からある程度の原因は予想できたので、現場に行って確認したほうが早い。
「ありがとうございます。引き止めてごめんなさいね。復旧よろしくお願いします」
「え?ええ、はい」
 なぜ依代からよろしくお願いされないといけないのかわからなかったが、古山は書類が散乱した机から手順書を抜き取ると、依代に一礼したあと何処かに走っていった。
「さて。はじめますか」
 依代はポケットからPHSを取り出すと、サーバ室で待機している赤坂の番号を呼び出した。


 ずり落ちるメガネもなおさず、少し眺めの髪を振り乱しながら、舞浜はひたすら走っていた。
(体力を使う仕事が嫌だから、この業界に入ったのに!)
 マラソン大会では最下位から一、ニを争うほどの運動音痴である舞浜は、自分に指示を出した赤坂を恨んだ。赤坂からの指示のあと埠頭が「A.S.A.P!」とか偉そうに言うもんだから、余計に腹が立つ。今度仕返しをしないと気が済まない。
(今度埠頭のプログラムにバグを仕込んでやろうか)
 障害対応中に縁起でもない発想ではあるが、先輩を小間使いにする彼女らの配慮の無さを考えるだけでイライラしてくる舞浜には、仕方のないことなのかもしれない。
「ハァッ、ハァッ」
 ようやく目的地に到着したところで、舞浜はすぐには戸を開けずに、呼吸を整える。これから彼は、赤坂から指示された内容について、正確かつ丁寧に対象へ伝えねばならない。舌を噛むなどもってのほかである。
(噛んだら恥ずかしいしな!)
 呼吸の安定を確認し、曲がったネクタイを正し、舞浜は勢い良くドアを開けようとノブを握った。
 しかし、ドアは開かない。
「あ、わすれてた」
 IDカードを読み取り機にかざさなければ、ロックが解除されず、ドアは開かない。
 たいていのドアはそうなっているにもかかわらずそのことを忘れていた舞浜は、今の行動が誰かに見られてはいないかとあたりをキョロキョロと見回す。
 だれもいないことに安心した舞浜は、なぜかこそこそとカードを読み取り機にかざす。ガチャリという解錠の音を確認すると、ゆっくりドアを開けた。
 舞浜が訪れた部屋の中では、数人が忙しそうに作業をしている。なかでも茶色い髪をした男は、忙しそうに部屋の端から端を動き回っている。阿修羅のようなしかめっ面は、舞浜を恐怖させるには十分過ぎるものだった。
(あの人じゃなければいいなあー。あの優しそうな女の子だったらいいな)
 余計なことを考えながら、舞浜は大声で叫んだ。
「テストチームのリーダーの方はいますか!?」
 部屋の中にいる全員が、一斉にこちらを振り向いた。驚いているのかなんなのか、舞浜の問に対する返答はなかった。
「テストチームのリーダーの方はいますか!?」
 舞浜の二度目の問いに反応して、一人の男が立ち上がった。その人物は茶髪の兄ちゃんでも優しそうなお姉ちゃんでもなかった。
「わたしですが、何か御用ですか?」
 外国の戦争映画に出てくるような、僧帽筋と二の腕が以上に発達した、イカツイおっさんだった。鬼軍曹という呼び名がぴったりである。
「は、はひっ!」
 彼らがこれから言う内容を知ったら、とても怒るんではないだろうか。もしかしたら数分後の自分は、バラバラの肉塊に変貌してしまうんではないだろうか。舞浜はそんなどす黒い未来を予想してしまう。
 だが、事態の深刻さは自分も理解しているつもりだ。ここで気圧されてすごすごと帰るわけにはいかない
(ええぃ、ままよ!)
 一度深呼吸すると、走っている間になんどもシミュレーションした言葉を発する。
「テストチームはすぐに、すべての作業を一時中断してください。また、指示があるまでこの部屋の機器には一切触れないでください。」
「なっ、なんだって!」
 部屋の中にいるすべての人間が戦慄した。ただでさえ忙しい状況の中で、作業をするなというのである。反発が出て当たり前だ。
「繰り返します。すべての作業を中断してください。おいそこ!作業すんな!」
 舞浜が発言するたび、眼前の鬼軍曹の眉間のシワが深くなっていく。しかし軍曹が噴火する前に、チンピラのような茶髪の男が、対象を狩るかのような目付きでこちらへ歩いてきた。
「おいてめー、どんな権限があってそんなふざけた指示してんだコラ。事と次第によっちゃチェーンで巻いてクレーンに吊るすぞオイ」
(こ、怖ええぇー!)
 そういえば以前、いつもとは違う場所にあるトイレを使ったとき、帰りに妙な雰囲気を醸し出していた島を見たことがあった。やたらと低い声で言葉がかわされていて、席に座っている人間は総じて目付きが悪く、中には円形脱毛症とは明らかに違う形の鋭いあとを頭部に持つ人もいた。銃痕でないことを切に願ったものだ。
 よくよく考えたら、その時見たことのある顔だった。だが、それを思い出したからといってどうにもならない。
 ドスを喉元に突きつけられているような危機感を抱いた舞浜は、さっさと伝家の宝刀を抜いて立ち去ろうと思った。
「技術主任の岡野さんからの指示です!指示書もこのとおりいただいてまっす。なお、この指示に従わない方は、然るべき対応を取る可能性がありますので、ご注意くださーい!」
 茶髪にメンチを切られっぱなしの舞浜だったが、軍曹が横から茶髪を押しのけると、舞浜が持っている紙をひったくって、マジマジと読み始めた。疑念の顔は、次第に苦虫を噛み潰したような表情に変化する。
「こりゃあ、まじもんじゃねえか。おい、てめえら!」
「ハッ!」
「テストは中止だ!指示があるまでマシンには触るな!わかったな!」
「サー、イエッサー!」
(なんなんだこいつらは)
 不気味な連帯感に違和感を覚えるも、伝令が伝わったことに安堵し、舞浜は胸を撫で下ろした。同時に、このような戦地に自分を送り込んだ赤坂という上官には、憤怒を禁じ得ない。
 舞浜が赤坂らをなきものにせんとワナワナしていると、先ほどとは一転して柔和な表情をした軍曹が、手に500mlのお茶を握って近寄ってきた。
「うちの若いもんが失礼いたしました。障害対応で大変でしょう、よければお飲みください」
 どういうことだろうか。顔はニコニコしているのに、気配が笑っていない。薄らぼんやりと、軍曹の背後に鬼のようなシルエットが見えたので、舞浜は慌てて目を擦って再度軍曹を見る。何もいない。
「いえ、自分は急を要する職務があるため、これで失礼いたします。では!」

       

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